〈 へ 〉
「見つけたぞー! 追えー!」
隠密行動という考えもあった。
「あっちに行った! 回り込んで挟め!」
でも、もうそんなことをしていられるような場所ではなくなった。この学校は敵の手中に堕ちている。
「シャッターを閉めろ! 進路を絞れ!」
向かってくる生徒を踏み台にしてよじ登り、後ろから掴んでくる幽霊には回し蹴りをお見舞いして、再び走る。
「お姉ちゃん、回復した方がいい?」
「……うん。そろそろ足が動かなくなってきた」
背負っていたリタをお姫様抱っこに担ぎ直し、音を立てて下がってくるシャッタに向かってスライディングをかます。
ギリギリで間に合って無事にくぐり抜け、その場で立ち上がった後にすぐに、
「今だ!」
とシャッター付近の柱裏に隠れていた生徒が左右から飛び出してくるのが、視界の端から見えた。
咄嗟に身体を引いて避け、ほとんど下がり切ったシャッターへと背を預けて、反動をつけながら一人を思いっ切り蹴飛ばす。
そして、またその反動でシャッターへとバウンドし、もう一人は足を引っかけて転ばせる。そして、また走る。
あたし……来世は陸上部になれるかもな。なんて。
なんて、そんなことを考えている暇は無く、今考えるべきはどの出入り口に向かうべきかだ。それを脳内検証しなければ。
まず昇降口。
ここは一番広いので出やすい。けれど、生徒達が普段出入りするからまず最初に思いつくし、待ち構えられている状態で包囲されたら一瞬で終わってしまうので、ここは却下。
次に体育館。
外に出られる扉が二つステージ近くにある。広いから身動きがとりやすいし、隠れる場所も少ないので候補としての期待値高め。
無難に職員・来賓用出入口。
人の出入りも少ないし、奥まった場所にあるから結構ねらい目ではあるけれど、白井有栖と接触したというわずかな懸念もある。
後は、非常階段と繋がっている出入口、ゴミ捨て場に繋がっている裏口的な扉、グラウンドに続く校舎中央に位置する扉が選択肢にあるけれど……。
正直、どこだとしてもリスクを回避できるイメージが湧かなかった。
毒が学校全体に回っている巣窟で助けを求める先もない。
四面楚歌とはこういう状況のことを言うんだろう。
身動きが取れなくなり、じわりじわりと隅へ追い詰められ、最後、自ら投了するという術もなく辱められ殺される。
はぁ、想像するだけで震える。トイレに行きたくなるほどに震える。
恐怖の震えなのか尿意の震えなのかわからなくなってきた。
恐怖のトイレっていう怪談ありそうだよね。あ、それ花子さんか。
花子さん……つまり幽霊ってことでしょ? もうこうなったら猫の手でも花子さんの手でも借りたい。
花子さん……嵯峨野花……んん? ――はっ⁉
―――………
「くしゅん!」
がちゃがちゃちゃ……。
ペンや絵の具を両手に抱えて、ギリギリを保ちながら移動していた嵯峨野花に突如襲い掛かったくしゃみは、持っていた道具らを床に散らばらせ、たちまちに自由を与えるという結果を招いた。
そしてそれは、嵯峨野花に甚大なダメージを与えたのだった。
精神的なダメージを。
「めんどくさすぎる……というか、今のくしゃみに故意的なものを感じた。なにこれ呪い? 薄っすら寒気も感じる。あと、何故だか無性に新井リコを殴りたくなってきた」
嵯峨野花は床に散らばった物を見下ろして、「はぁ」とため息をつきながらかき集め始めるのだった。
―――………
「いや、お姉ちゃん何でトイレに来たの? 用を足してる暇なんかないよ」
「そんなんじゃない! と言いたいところだけど、それもあながち間違いじゃないから、そこは目を瞑ってもらって、一瞬だけおっしこさせて!」
「しょうがないなぁ」
しょわわわわー……。
―――………
「おい、待て!」
「なんだよ」
「男子トイレから声が聞こえないか?」
「……いや、俺らが追ってるのって女子二人でしょ? 女子トイレならまだしも男子トイレはないだろ。居たとしても同業他者だ」
「しっ! ほら近付いて耳すましてみろ」
「うーん……」
……ほら、早くしてよ。……ちょっと待って、まだ出るから。……早くしないと突入されるかもよ。……いや、嘘でしょ? ……しかも、男子トイレにいるから男子が突入してきたりして……。
「確かに小さく声が聞こえる」
「だろ?」
「……じゃあ、待ち伏せした方がいいかな?」
「いや、相手は今狭くて密閉した空間にいる。この絶好のチャンスを逃すのは惜しい。だから、ここは突入して豆鉄砲を食らっている間に、幽霊を召喚して捕まえる。お前は一応、失敗したときのために外で構えてろ」
「おい、お前! ……手柄独り占めしたりしないだろうな」
「ははっ、安心しろ。誓ってそんなことはしないさ。俺らの仲だろ」
「そうか、そうだな。うん、じゃあ任せた。くれぐれも無理するなよ」
「わかってるさ。じゃあ、行ってくる。……スリー、ツー、ワン――」
バンッ!
……でもさ。……なに。……これどうやって思い付いたの? いや、名前言ったらまずいか。……確かに、残るもんね。……思ったんだけどさ。……なに、そんな改まった顔して。……おしっこの音も録音されるんかな。……いや、わかんないけど。というか、この結界術に集音性能とかいう概念あるの? ……んん、さあね。あたしが知るところじゃない。……じゃあ、今聴いている人に訊いてみたら? ……え、これ聴いている人いるの? ……いや、わかんないけど、聞かれてる可能性はゼロじゃないかも? ……じゃあ、挨拶しとくか。えーっと、聴いてくれているそこの人、こんにちは~? ……あのー私たちもうここにはいないんです、すみません。……まぁ、多少の陽動に使えてたら幸いだから、これを聴いてくれる人がいるのならあたしたちはそれだけで嬉しいよー! 引っかかってくれてありがとね!
「……あれ、すぐ戻ってきた。どうしたんだ」
「なぁ、俺達何してんだろうな」
「なんだよ急に」
「いや、何でもない。もういなかったよ、あいつら賢いわ」
「ちぇ、大金持ちへの道が消えちまったなぁー」
「まぁ、良い運動になったからいいじゃん? それに……降って湧いた汚い金よりも、帰りに寄って食うラーメンの方が、俺らにとっちゃあ宝だろ?」
「……それもそうか」
「よし、んじゃあ、この馬鹿みてえな〝催眠〟解くか」
「え、催眠? はっはっはー! ……って何の話? それともあれか? お前の好きなジャンルの話か?」
「そんなもん別に好きじゃねぇよ。催眠なんて……最悪なだけだろ」
―――………
トイレの小窓をすり抜けて、住宅街を走り抜け、追手が来ていないかどうか冷や冷やしながら駅のベンチに座り、電車が来たらすぐに飛び乗って最寄り駅で降り、自宅近くまでひたすらに走った。
そして、辺りに人がいないのを確認し自宅へと駆け込む。
「はぁ……はぁ……」
「お姉ちゃん、お疲れ様」
そう言ってリタは能力を発動してくれる。身体に溜まった疲労や乳酸、不安が綺麗さっぱり流れていくのを感じる。
「……ふぅ。ありがとう。それとは別に、普通に汗かいたからお風呂入る」
「うん、わかった」
あたしはリビングのソファにリタを降ろし、軽く浴槽洗った後、お湯炊きボタンを押した。
それを終えてリビングに戻り、冷蔵庫から麦茶を取り出し、コップに氷を入れてお茶を注ぐ。
パキリと氷の悲鳴が聞こえる。
椅子に座ってスマホを付けてみたが、何かを見る気分にはなれなくて、意味もなく左右にスワイプしたり、天気予報のアプリを見た後に、結局電源を落として充電ケーブルに刺した。
ただぼんやりとリビングを見る。ソファに横たわるリタの寝顔がぼやけて視界の隅に映る。
「お母さんになんて説明しよう……」
――ピカッ。
窓に閃光が走った。
ゴロゴロ……サアアァァ。
予兆もなく天気ががらりと悪くなった。天井や窓に雨が打ち付けられる音がリビングに優しく聞こえてくる。
「いっそのこと家出する?」
そう言ったリタの瞼は開いていた。
「……え」
正直、眠っていると思っていて、まさか独り言を聞かれているとは思わず、心臓が跳ねた。
「起きてたのかよ」
「いいや。寝てたけど聞こえたの」
厄介な耳だこと。
「というか、家出ってマジで言ってるのか?」
「冗談だよ」
「……冗談かい」
「でも、それが候補に入ってくるぐらいの状況かなって。このまま家にいて、父さんも母さんも変に巻き込みたくないし」
――ピロリン! ピロリン! ピロリロリン! お風呂が沸きました!
「……入る」
「うん」
そう言うとリタは再び目を瞑った。
あたしは着替えを持って、一人浴槽へと向かった。
――ちゃぽん。
「……ふぅ」
一通り体を洗い終え、湯船に浸かって一息を吐く。
ただでさえ寒いのに、更に汗をかいて冷えた体にお湯が沁みる。
ローズの香りが嗅覚を満たし、ほぐれた緊張から今日あったことが溶け出してフラッシュバックしてくる。
クソジジイ……仕留め損ねた。クソ! 今までに被害者はいないのか? そしてこれから被害に遭うやつはどう対処するんだ!
今まで目に付かなかった闇とこれから訪れる闇を想像して、怒りと嫌悪が脳内を支配する。うぅ、ちょっと気持ち悪い。
もう出よう。
体を拭き、ドライヤーをした後にがらりと脱衣所を出てリビングに戻ると、机の上に画用紙を広げたリタがスマホとにらめっこしながら何かを書いていた。
「……あがったよ」
「あ、じゃあ私も入ってくるねー」
がらりがらりとすってんてん。
特に片付けることはせずにそのまま風呂場へと行くリタ。
あいつ何をやっていたんだろうか。




