48:甲板
出航した船の中で、ふと、疲労のにおいを嗅いだ。
人が疲れたときに発する独特のにおいだ。
ブラック企業にいたときに、残業する人が増える時期はこんなにおいがしていた。
船には様々な荷物が積まれていて、並行するダンドン王子たちの船は鉄のにおいがあるため、混ざり合う独特なにおいがある。くさくはないけど、鼻は効きにくい。
でも、疲労のにおいは、ずいぶんと印象深くて嗅ぎ分けてしまう私なのであった。
フェルスノゥ王国からハネムーン旅行についてきてくれてる大柄な使者が顔色を悪くしていた。もともと白い肌は夏の日差しで赤みがかっていて、しかし健全な日焼けというより、少しおかしな色だ。
この異変は私しか気付けていないみたい。
フェルスノゥの人になら話しかけやすい。
「体調、大丈夫ですか?」
「はい! 問題ありません!」
ええとぉ、そうじゃなくてぇ。
しまった。まじめな人ほど、大丈夫? って尋ねると、大丈夫です! って返しちゃうんだ。
「大丈夫じゃなさそうです。……疲労はいつから? 教えてもらわないと、回復の方法を一緒に考えることもできません。それに、大人が我慢してたら、幼い王子たちもがんばって我慢しちゃうかも?」
「!!」
それはいやですよね?
っていうのは脅しっぽくなっちゃうけどさ。
これくらい言わないと折れてくれなさそうだ。
「すみません……。実は、夏の気候が合わなかったようで……」
「初めて夏の島に来たんだし、台風も経験したあとだから、疲れるのは当然です。そんな時でもみんなのために少人数で働いてくれてたんですし」
「当然のことをしているまでです」
「そうかもしれませんが、私たちが感謝している気持ちだって当然です」
「なんというありがたきお言葉……!」
元気出してほしくて感謝を述べたけど、これ以上繰り返すと、血圧あがっちゃいそうだなぁ。ここからは冷静に話しましょう。
「次の陸地に辿りつくとき、フェスルノゥ王国の人が先についてくれているはずです。交代を申し出てもかまいませんよ。しばらく休んで、そしてフェルスノゥ王国でまた一緒に土地を守っていけると嬉しいです」
「ああ、お言葉を尽くしてくださって……ありがとうございます」
彼は見上げるほど背が高い。
太陽を背にして、私を直射日光からかばうように立ってくれている。
秋狼ならば耐えられるのに、どうしても大事な大精霊に気をつかってしまうのだ。
「交代します。体調不良が元でこのハネムーンにご迷惑をかけることがあってはならない。冬の民の一人として、お二人と双王子のご勇姿をじゅうぶんすぎるほど見せていただけました」
片手を開き、片手を握りしめ、胸の前で合わせる北の礼をみせてくれた。
「他の役員にも声をかけてまいります」
「うん! もし交代する方がいたら、私たちにも教えてね。お礼を言いたいから。疲れを隠すのはナシですよ」
「もちろんです」
「……あっ」
「どうなさいました?」
「うーん、ちょっと気になることを思いついちゃった。びっくりさせてごめん。フェンリルに相談してから、また声をかけてもいい?」
「もちろんでございます」
そう言ってくれるけど、わずかに不安な表情。
あちゃ~、あっ、て口に出したのしまったなぁ。
「……先に言っといてもいい? これからダンドン皇子のところに行くでしょ。警戒心が強い人だから、急にフェルスノゥの従者が変わったら気にするかなぁ? と思ったの」
「ありえるかもしれませんね。港に北国の人がいるのは、荷物交換のためだと説明してありましたから。条件が変わったならば、騙し討ちと誤解されないよう、声をかけておくのがよいかと……いえ、差し出がましい口を」
「教えてくれてありがとう! 私たち、初めての遠出だから、みんなで意見を出し合えたら嬉しいです。もしよかったら、そんなふうに皆さんでも共有してもらっていい?」
「エル様はそのようなお方ですものね。ご好意を遮るようなこと、今後はいたしません。では少し室内に入ります……」
「お大事に~」
甲板に居続けるだけでも、元気な夏の太陽が、北の民の体力を溶かしてしまうことがあるようだ。長旅の疲れが出て、さらに冬と真逆の夏、これからの寄り道への緊張の合わせ技なのかもしれないな。
フェンリルのところに向かおう。
甲板の前から、後ろ側へと移動した。
フェンリルは考え事をしているらしく、ベンチのように備え付けられた木に腰かけていた。秋色の髪がしゃらしゃらと海風になびいている。雪白の肌、夏でも日焼けしていない。
きっと出会ってすぐの私なら、見惚れて動けなくなっていた。
でも、今の私は、そんなフェンリルが何を考えているのかなって彼に聞いてみたい。
「フェーンリルっ」
「エル」
「足音でわかってた?」
「そうなる前から、なんとなくいい未来の気配があった」
「そういうのわかるの? って気持ちと、私といるのは良い未来なのねぇ……って気持ちがあるぅ……」
「誰かを幸せにするのが私は好きだからな」
「そ、そんなの、私だってフェンリルに幸せでいて欲しい!」
張り合うと、フェンリルはくすくすと笑い、ほら良い未来だった、と私を横に座らせた。
こうしていると、言葉が溶けていくみたいだ。
繋いでいる手から二人の境界線がなくなって、ひとつの大精霊になるような感じがする。
でもその感覚は途中でとまって、再びふたりの私たちになるの。
相手のことが大好きで、一緒に生きていこうって思っているとき、こんな感じになるものなのかなぁ。
フェンリルとの例しか知らないから、絶対なのかはわからないけど。私、初恋もフェンリルなんだよね。
「……? フェンリル?」
「俗っぽい言い方になるが、エルの初恋の相手というのも嬉しいなと」
「あ! えーと、感情が昂ってて、フェンリルにテレパシーみたいに伝わっちゃった感じぃ……?」
「リラックスしながら、だから危険な感情の昂りではないよ。むしろ赤面してる今の方が、緊張と昂りの状態だな」
「フェンリルだってさー」
なんとも恥ずかしくて口を尖らせてしまう私の頬に、フェンリルの優しい冷たさの手のひらが添えられる。
手のひらは口元を隠すようにずれて、私たちの顔が重なった。
「!!」
「今、人の気配が少なかったから」
「うん……」
私たちの安全のためつきっきりだったフェルスノゥの役員さんたちも、室内だしね。連れてきている(ついてきてくれた)緑妖精、熱妖精はうとうととリュックの中でお昼寝中だ。
フェンリルのおでこが、今度はくっつく。
「こうしていられるのだから、ハネムーンということにしておいてよかった」
「仕事の外交だったら無理だったかも、だしね?」
「いい気分だ。それでいて穏やかで──……」
フェンリルの気持ちが、言葉のとりつくろいもないまま、私の中に感覚として伝わってきている。
ホヌ・マナマリエ島ではフェンリルは私以上に消耗していた。周りには勘付かれないようにしていた事も、疲労を増やしていた。
もともと常夏の島っていう風景を知っていた私と、まったく前知識なく長年の北国からやってきたフェンリルの負荷は違った。
適性のある冬とは真逆の、しかも夏亀様の不安定さもある中で、フェンリルの心の支えとなっていたのはどうやら”幼狼が元気そうにしていたこと”だったらしい。
頑張ろうってモチベーションにもなっていて、後輩が平気そうに笑っていたことはフェンリルを安心させていたみたい。
人と人が一緒に穏やかにいられるだけで、救われる気持ちって有るよね。
黒いスーツに身を包んでいた過去の私を抱きしめてあげたい。
私なんて死んでしまいたいくらい価値がない、なんてもう二度と思わないだろう。
両親がずっと私を心配してくれていたこと。
フェンリルが私をとても大切にしてくれていること。
私、技能とかじゃなくても、私がいて、誰かを嬉しくさせられるってもう信じられるよ。
「私のほうこそありがとう」
「それ以上で、同じ気持ちでいるよ」
「いやいや私の方が好きだよ、もっと」
「おや、どれほど愛しく思っているかこれから更に伝えなくては」
「え〜〜ウェルカム〜〜」
バカップルだ。と客観視するものの、フェンリルがあんまり綺麗に微笑むので、くさいセリフも映画の役者ぐらい似合う。うっとりと酔ってしまいそうになる。
「……。……いや、平気……」
「船酔いしかけているらしいな」
「平気だもん」
あまりにロマンチックさがないぞ、私の船酔いのタイミング。
「無理はよくない。心配をかけないように頑張ることは、もうしなくていいんだ、ただ生活しているだけでエルは自然に頑張る子だから。少なくとも私の前では、それならどうだ?」
フェンリルは羽織っていた夏島模様の布を甲板に大きく広げて、座りこむと、足を伸ばして私の方を見た。
「失礼しまーす……」
「何かあれば、私が聞いておく。おやすみ」
膝枕たすかります〜。
「うん。ねえフェンリル。なんだかハンモックで揺られてるみたいにいい気分になってる」
「良い夢をみなさい」
ひんやりとした手が髪の毛をすいて、頭を撫でていってくれると、もうすんごく心地よくて、なんて自堕落なハネムーンなんだ最高……と思いながら夢の世界に私はおちていった。
帆のひらめくおおらかな音。
まぶたの裏にまでキラキラとするフェンリルの髪の輝き。
大精霊は時に示唆的な夢をみる。
”これ”はそのようなものだったのだろう。
読んでくれてありがとうございました!
2026年7月25日のコミカライズはおやすみです。
また次回に₍˄·͈༝·͈˄₎◞ ̑̑




