45:秋風
指定された場所に紅珊瑚を置いて、台風を収めた後に、秋を迎えられる──。
吹き荒ぶ雨嵐の中、足を一歩一歩向かわせながら、私は、自分の体が変わっていくのを感じていた。
おそらく、夏の毛並みから、秋の毛並みへと変わろうとしているのだ。
濡れて束になった髪の毛先は、夏の日差しの白金色から、山が深まるような艶のある茶色を帯びている。茶色みの強い金髪って感じ?
冬狼の精度のいい視界は、次に指先に注目した。
黄色から果実が熟したような橙色へ。
魔力の質も変化の途中だ。
そしてまた冬がやってきたら、氷色の爪先になるのだろう。
さっきまでは平気だった風が、やけに蒸し暑く感じられた。
体の方が秋っぽくなったから、夏の暑さがキツくなったみたい。
体が夏真っ盛りになってた時は、この暑さも心地よかったのになぁ。
「あ、熱い……!」
紅珊瑚に触れているところの皮膚が、ジンジンとしてきた。
やばいかも。さっきまでは大丈夫だったけど……、状況が変わったから……。私は新人だから、助けを求めなきゃ……、でもフェンリルだってこの土地では新人のはずだよね……。
「ね、熱妖精! 助けてくれる?」
どうしたらいい? と、熱妖精は私に求めた。
まるで中間管理職。
やったことがない……。新しい仕事に挑んでいる新人でもあるはずなのに、指示を求めてくる部下も抱えているような感じ。
そういえば、日本では、部下を抱える前に会社を抜けてしまったんだなと思い出す。
もしも、私が部下だったら、どんな声をかけて欲しかっただろうか……。
「協力してほしいの! 紅珊瑚を抱えている接触面がヒリヒリしてるから……、熱妖精を私が抱えて、紅珊瑚をあなたたちが抱えることはできる? もしもこのやり方が違ってたらごめんね……」
最後は弱気になってしまった。
しまった。そんなんじゃ、協力させられる方も嫌だよね。
でも慌てた私に、
(試すんだね!)
って、熱妖精は慣れているように受け入れ、私の腕の中に潜り込んだ。
そうか。
商業の島ホヌ・マナマリエは何度だってきっと変わってきた。
商売のやり方も変えて、諸外国とのルールも変えて、激変する中を熱妖精は共に生きてきたんじゃないかな。
妖精たちには、質量があまりない。
ほとんど羽根みたいに軽い。
私と紅珊瑚の間に、隙間を作ってくれた。
「これなら何とかなりそうだよ。ありがとう……! 私、ぎゅっと抱きしめてるけど痛くないかな?」
(大丈夫だよ)
(そんなこと心配してるの)
(冬姫は知らないことがいっぱい)
(妖精は、頑丈だよ)
(大精霊が望んだことなら、なんだって叶えられるの)
どこか誇らしげだ。
じゃあこれまでホヌ様は、熱妖精を自分のためだけには使わなかったに違いなかった。
そうじゃなければ、”なんだって”叶えるなんて無理に決まってる。
熱妖精がやれることだけ、頼むことはあったのかも。
でも無茶なわがままをぶつけたりしなかった。
そんな彼女がやっと望んだことの1つが、紅珊瑚を置いてきて、台風を抑えることなんだよね。
頑張ろう!
「ば、場所どこ? 前が見えないぃぃ〜……!」
どれだけ特別な視力を持っていても、目を開けていなければもちろん見つけられない。
目を開けていられないくらい、さらに暴風が踊り、雨はうるさいくらい地面を叩き、私の頼りといえば足元の夏の草道だけだ。
雨の匂いの中に匂いを識別することも難しい。
複雑に、夏と秋が絡み合い始めていて、嗅いだことのない匂いに包まれている。
頑張るってば〜……!
ふぬぬぅ〜……!
しばらく私はウロウロとした。
「エルのところに向かってもいいか?」
島には魔法陣が重なっている。
片方はフェンリルが施したものだ。
エルの負担を分かち合いたくて。
さすが先輩というべきで、エルよりも早く施し終えた。
島の末端な薄紅珊瑚を置き終わったフェンリルは、王宮の裏庭でホヌと合流した。
目下、王宮がある丘の上から見下ろすと島の一部分だけは既に暴風雨を終えようとしている。
薄紅珊瑚の地からは、放射状に広がるみたいに夏の力が広がり続けていた。
そして、ノロケを振られたホヌは苦笑した。
「ダメ」
「四季姫を育てるためでもあるとは理解する。私だって、そうすべきだと先代から告げられたような気がするし、大聖霊としての勘は”今手を出すべきじゃない”と訴えているのだが……しかしながら……感じているものと意識してしまうものが、二つともある感じなのだ」
「ずいぶんと口数少なかったアナタがそこまで流暢なんて、よっぽど余裕がないんだね? わかるよ……恋は余裕がなくなるものみたいだしねぇ。本当に、私たちって、大精霊なのに恋をしちゃってよかったの?」
「それがダメならば、その心を残しておいた大聖霊の魔法の方がおかしいことになる」
「じゃあいっか」
(そんなにバッサリ決めつけていいのか!?)と、ツッコミをしたであろうカイルはここにはいない。
まだ王宮の中で頑張っている。
ホヌは彼を想って微笑んだ。
反して、拳をぎゅっとにぎってもいる。
自意識を魔法陣に集中させているのだ。
フェンリルはふと、服の端をしぼった。
ジャバジャバと、秋の混ざった雨水が流れてくる。髪は濃い金茶色に変わっていた。毛の根元は葉っぱが枯れた山のように濃い茶色を帯びていて、やがて色が抜けて白銀色になっていくような予感があった。
「私でさえあの雨の中歩くのは難しかった」
「でも、エルはうまくやるよ?」
「心配していないが、もどかしいんだ」
フェンリルの視線には熱がこもっている。エルが頑張っているであろう方向を、強い目力で眺め続けた。見ているほうがなんだか恥ずかしくなってしまうような恋い焦がれる目差しだ。
夜の守人族の長であれば、魔法を使う時心を乱さないために、ホヌには純粋な敬愛を、妻には分散された好意を、夢中になりすぎないように細心の気を配っていると言うのに、おそるべき大魔法をこなして崩れない大精霊はどれほどの精神力なのか誰にも想像もつかない。
「いずれ私はいなくなる」
「それはすべてのものがそうだよ」
「しかしエルよりも先に私はいなくなるだろう。だから、あの子が一人で歩けるようにもしてやらなくちゃいけない」
「恋してるけど、愛してもいるんだね」
カイルから聞いた旅先の話をホヌは思い出す。
恋しているときは、自分の熱情を誰かにぶつけたくなるものだ。相手からも同じ気持ちが返ってくる場合、それはとてつもない喜びになる。
そして愛しているときは、相手の望むものを叶えてやりたいと思うものだ。そこに例え自分がいないのだとしても、相手が何かしら幸せであるようにと尽くすことが、自分の幸せに等しくなる。
近しいところで、博愛は、薄く広く、世界中の者たちを包み込む大精霊にこそふさわしい言葉であった。
──フェンリルが施した紅珊瑚の効果はさらに広がっていき、商店街の近くまでたどり着いた。
たくさんの雨に打たれた建物は、弱い部分は壊れてしまったが、新たに作り直すきっかけにもなるさと、街人たちは言うだろう。
ホヌはそうして続いてきた夏の民たちを愛している。
それに、壊れてよかった部分もおそらくある。
王宮で答弁をしていたカイルは、議論に勝った。
これから他国の魔の手は縮小するであろう。
四季が巡るように、壊れて再生する風通しはほどよく必要らしい。
ジオネイドとコーラルへの新たな声援。
今、夏の王宮で、滞っていた権力が次世代に移ったように。
「ン……! 空気が変わってきた。それに、いい虹」
ホヌの緊張にこわばっていた肩の力はすっとなだらかな線を描いた。
それはフェンリルにも伝わった。
彼は視線で尋ねて、ホヌは頷いた。
「気配がする。エルは紅珊瑚を入れられたみたい。あなた、よくここで耐えられたね」
「それはよかったよ。私にとっても、あの子にとっても」
「あなた、人間みたいな表情をするのね」
「今、そうだったか?」
「カイルの雰囲気に似てた。普通の男の子と同じだなんて怒らないでね、あまり気取ってなくて青年らしいってこと。でもそういう表情って、エルにまだあまり見せないほうがいいかも? 女の子の気持ちだけど、そんな男の子には何かしてあげたくなっちゃうの。あなたを可愛がりたくなる感じ。エルにそうされるのは、なんか違うんじゃない?」
「それは困る。私は頼れる先輩をやるつもりなのだから」
フェンリルはそう言うと、ダッシュで駆けていった。
人間離れして、足の先を獣のような形に変えて。
既に秋風を使いこなしている。
天狗が嫉妬するほどに。
パチクリと、見送ったホヌが瞬きする。
「あっちに行ったらちゃんと性格変えられるのかな? 今のフェンリルってば、先輩どころか、まるっきり恋する青年そのものだけど」
そして、後ろを振り返る。
「ねぇ……──?」
そこには、炭のような濃い黒髪をばさっとまとめて、下駄を履き、背中に黒い翼を持つ妖精に近いもの──秋の秘境では、妖怪と呼ばれる存在──がやってきていた。
「あなた何者? 自己紹介から始めましょう。夏と秋の境目だから、言葉が通じる時期でしょう」
「失礼仕ります。台風に呼ばれて来訪致しました。秋天狗と呼ばれておりまする」
「そうだったんだね。今、能力の高い熱妖精は冬姫につけているから、挨拶は私に直接ちょうだいね」
「恐れながら……。北国から便りが届いておりました。諸外国を周り挨拶をするのだと」
「うんうん」
「時に……、はねむうん、とは何でしょう? ご教示いただきたく候……」
ホヌは少し考えた。
カイルが昔言っていた。
どう説明していたっけ?
心の中で、カイル〜、と唱えていた。
「んーとね。ハネムーン……新鮮な喜びと試練、カナ?」
「……成程。秋の谷が試練であると、冬姫は申すのか……」
ピキ、と額にまぎれもない青筋が立っていた。
カイルが爆速で間に入った。
便利な男である。
「すみません割り入ってしまってすみません!! ようこそお越し下さいました秋の来訪者殿。差し支えなければ、先程のお二人の認識について夏の民から伝えたいことがございます。何卒お時間とっていただけないでしょうか」
「ダーリン」
頼りになるう〜。
ホヌがポッと頬を染めて、腕を絡めた。
そんな中、フェンリルとエルが帰ってくる。
フェンリルに横抱きにされたエルが、きゃーっと頬を包む。
「今ダーリンって言ってた。ラブラブじゃん! おめでとう」
「きゃーありがとう〜」
カイルの視線が、愕然とする秋の使者殿と、盛り上がる女子二人と、幸せそうなフェンリルの間を何往復もする。
空気読んでくださいと言いたい。
しかしそれは人のルールであり、大精霊のほうが世界的にルールの原作者に近い。
わかってはいるが、気まずすぎる。
「あ、ちょ、フェンリル。挨拶するから、降ろしてってば」
「このままでいいだろう。秋のものを気にしているのか? あれは格が劣る。エルが気にしなくてもいい」
「礼儀は大切。初対面でしょ」
「教えておかねばなるまい。大精霊は、とくに妖精類の前では堂々としていなければならないものだ。この格差の線引きを曖昧にするとあのものたちも気持ちよく働けないからね」
「そうなんだ……。知らなかったやり方に意見言っちゃって、ごめん」
「覚えていけばいい。さて、待たせたな。秋の使者よ。来訪ご苦労。挨拶することを許す」
ホヌは内心パチパチと手を叩いた。
(そういうふうにやるんだ! 私にはわからなかったんだよね。引き継ぎがされてなかったし、きっとどこかの途中で、夏の島には受け継がれなくなっちゃった作法なんだろうな。同じことしとこ)
「同じく夏の大精霊も認めます。秋の使者よ。改めて挨拶することを許します」
秋の使者は恭しく片膝をつき、頭垂れた。
「お言葉賜りまして候、これより秋の魔法を世界に届けることを申し上げ奉る。夏の終わりより、秋始まりて、やがて冬の到来を受け入れるでしょう。我は、秋の大精霊の第一の補佐官・湯来と申しまする──」
話しながら、湯来はこうも考えていた。
秋の大精霊には絶対に色恋ごとを近づけたくはない。
秋の山々を彩る芸術家でもある彼女は、ころっと恋に落ちてみせるだろうと。
とくにムキムキマッチョの色男など絶対に近づけたくはない、そのようなものは秋の谷の祠を壊すに等しい災いであると。
さわやかな美丈夫フェンリルと、日焼けした肌の細身の青年カイルを前にして、湯来は心底胸を撫で下ろしていたのであった──。
読んでくれてありがとうございました!
4月25日のコミカライズはおやすみです。
次回をお待ちくださいませ₍˄·͈༝·͈˄₎◞ ̑̑




