《第3章/第7話》 それは急転直下に、颯爽と。
トンッ、とフランヴェルが軽やかに床を蹴る。
風を切るような微かな音が聞こえたかと思った次の瞬間、彼女の姿は一瞬でクアーロの目の前へと肉薄。不敵な笑みを浮かべ、彼女は両手に握りしめた細剣を振りかざし、クアーロの身体を縦横無尽に滅多切りにしていく。疾風怒濤の斬撃の後、フランヴェルはクアーロの胸元を蹴飛ばして大きく飛びずさる。斬撃と蹴りの一撃を喰らったクアーロはあっという間に倒れ、白桜邸の床に大きなひび割れを引き起こした。
「……存外、堅いの」
切っ先についた赤黒い血を払い捨て、フランヴェルは構え直す。彼女の視線の先、クアーロはゆっくりと、さも何事も無かったかのように起き上がると大きく咆哮。痛みを感じていないのか、大男は体中の傷を物ともせずフランヴェルの方へ飛びかかる。優雅に踊るように、彼女は軽くステップを踏んでこれを右に回避。ガラ空きになったクアーロの横っ腹に細剣で刺突を繰り返す。咆哮と斬撃とがアンバランスに響き渡る。
「あ、あれ……何なんだよ? 本当に、人間じゃないよな……?」
「現段階では何とも言えんの。普通の人間ならわらわの初撃でとっくに細切れになっておるんじゃが……ふむ」
グゥフ……ゥゥウウオオオオアアアアアアア!!
血管が脈打ち、歪に肥大化しているクアーロの両腕がフランヴェルへと伸びていく。その巨体からは想像も出来ないような俊敏な動きだが、小柄な体躯のお陰もあってするりと難なく回避。避けては剣を振り、避けては斬りつけと一方的にフランヴェルが攻勢に転じているのだが、クアーロの動きは一切怯まず延々と腕を伸ばし、がむしゃらに振り回す。鬱陶しい羽虫を掴もうとしているのに、その虫に軽くあしらわれている。そんな構図か。
「斬っても斬っても倒れんとはの……なら」
振り下ろされた剛腕を往なし、フランヴェルは身体を捻りつつ直上に飛び上がると、回転した勢いを乗せながらクアーロの首元に目がけて一閃。キィンッ、と激しい金属音が鳴り響き、彼女の小さな身体は勢いに弾かれ中空に放り出される。その一瞬、クアーロの腕が伸び、無防備に浮かんだ彼女の両腕を捕らえた。
「あー、捕まってしもー」
「フランヴェル!?」
ガァアアッ!!
短い叫び声と同時にクアーロはフランヴェルをぶん投げ、赤い弾丸となった彼女は真一文字に壁に掛かっていた絵画へ激突。コンクリートの壁を絵画共々ぶち壊し、彼女の小柄な体が瓦礫の中へと沈む。
「お、おい!? た、助けに行かなくて、いいのか!?」
「えぇ、大丈夫ですよ御幸様。あれぐらいじゃダメージの内に入りませんので」
「ふんす!」
御幸が狼狽する中、ばこん、と瓦礫からフランヴェルの姿が飛び出る。驚くことに、ほとんど怪我はしていないらしく、ドレスの裾の一部が破けたりしている程度に収まっている。髪にくっ付いた砂をはたきながら、彼女はゆっくりと前へ歩き出す。
「……悪魔の名に相応しいわね。傷一つないなんて」
「悪魔とて痛いもんは痛いし、つーかわらわは悪魔では……えぇい、訂正するのも突っ込むのもアホらしい」
轟々と唸るクアーロを前に、再び剣を構え対峙するフランヴェル。紅色の瞳に映る大男の姿を見、フランヴェルはしばし思考を彷徨わせる。
……殺すつもりなら、掴んだ時点で潰せばよかろうものを。
手加減でもしているつもりか?
それとも、舐められておるのかの……?
「ちぃと、ビビらせてやるとするか」
初撃の時と同じようにフランヴェルは高速で駈け出し、一瞬でクアーロとの距離を詰める。懐に潜り込み、攻撃を誘ってからもう一度斬撃を叩きこんでいく。そのまま今度は前へ踏み込み、蹴りを喰らわせてまたバックステップ――かと思うと、フランヴェルは背部から漆黒の翼を展開、羽ばたかせ、中空から再び斬撃の雨を浴びせかけた。緩急の激しい彼女の剣閃に、成す術なく斬りつけられていく。クアーロの身体はあっという間に赤黒く染まっていく。だが、彼の血走った眼はなおもフランヴェルを睨んでいた。
「いくら斬ったって無駄だ! アタシの旦那は不死身だからね!」
「……」
今一度、フランヴェルはクアーロの姿を見据える。
首を撥ねようと狙った斬撃は、何やら鉄製の板のようなモノで斬撃が弾かれてしまったらしい。彼の体のあちらこちらには錆びた鉄板やゴミのような類が身体の部位を保護するかのようにへばり付いている。斬撃があまり通らないのはそれらが原因。ゴミや廃材とを繋ぎ合わせたバケモノ……フランケンシュタイン、とは少し違うか。
しかし、斬撃が駄目となれば他の手を行使するしかない。
「……いや、それをやると最悪屋敷がぶっ飛んでしまうの。出来れば一度外に出したいんじゃが……」
今のフランヴェルでは、あの大男を外に弾くとなると相当に厳しい。フランヴェル自身が外に出てヤツを挑発するか。
「さぁ、破壊の限りを尽くせ! この屋敷も、アイツらも、全部全部まとめてぶち壊せ! 壊し尽せ!!」
グオアアアアアアアアッッ!!
トレスの檄が飛び、それに応じクアーロが野獣のような咆哮を上げる。彼女の狙いは在りもしない白桜邸の遺産であり、それへと至るための屋敷の破壊行動。
彼女の指示を受け、クアーロはフランヴェルから視線を外し、ホールの主柱や壁を手当たり次第に殴り始めた。窓ガラスなぞ飴細工かのように容易く割れていき、洒落た意匠の壁紙ごと剛腕がぶち抜く。
「いくら壊したところで何も無いのだから何も出はせん……っちゅーとるのにッ!」
身勝手な破壊活動をみすみす見逃すわけもなく、フランヴェルはクアーロへと飛び込み背後から斬りかかり、動きを止めようと試みるもクアーロはビクともせず轟々と腕を叩き付け、本能のままに暴れ回る。徐々に崩壊していく屋敷の様子に、フランヴェルの顔にも焦りの色が浮かんでいく。
「ちィッ、御鷹から継いだこの家を崩壊させたとあっては……!」
手数で圧倒していても効き目が薄ければそれは効果がないのと同じ。一撃の小ささをカバーするとなれば、相手の弱点を突くのがセオリーだ。翼を大きく羽ばたかせ、フランヴェルは空中から急降下を仕掛けて剣先をまっすぐ据える。
狙いはクアーロの眼。
腕を突き出そうとしたその矢先、不意に左方向から殺気を感じ慌てて急ブレーキ、直後フランヴェルの傍を弾丸がかすめていった。
「卑怯とは言わん……が、いちいち狡猾じゃな」
「遺産の在り処を素直に教えればこんなことにはならなかったのよ? 全部、アンタが原因」
「……聞く耳も持たぬヤツは嫌いじゃ」
弾丸を弾けば白桜邸が狙われ、クアーロを攻撃しようとすればけん制射撃が飛んでくる。実害はないとはいえフランヴェルとしては堂々巡りを強いられて面白くは無い。芳しくない状況に、それまで傍観していたクラリッサがゆっくりと立ち上がる。
「……私も加勢に入ります。御幸様、マリエルを頼みますよ」
「わ、わかった……」
「ウノ! ドス!」
昏倒するマリエルを預けクラリッサはフランヴェルに駆け寄る。だが、フランヴェルと彼女との間にドスとウノが立ちはだかる。
「……すんませんね、仕事なんで」
「で、でも……ドス、姐さん何かヤバくないか? 俺ら逃げた方が」
「…………」
明らかに怯えを見せるウノにドスは特に何も返事を返さず、ゆっくりと拳銃とナイフとを構える。眼差しは硬く、対峙するクラリッサを淀みなく見据えている。先のリベンジの意味合いもあるのだろう。ネクタイを僅かに緩め、クラリッサは眼鏡の位置を直しつつ静かに前進する。
「邪魔立てするなら、容赦しませんよ?」
「さっきの借りぐらいは、返しておきたいんすけど……ね」
「……貴方、この仕事向いていませんね」
「薄々ながら、自覚はあるっすよ」
そうと分かっていながらも、それでも退かない理由があるのだと。
緩んだ言動を繰り返していた彼の瞳からはそんな確固たる意志を感じた。
拳を握りしめ、クラリッサが駈け出すと同時彼も同時に発砲。瞬発力を全開に回避して、先にウノの鳩尾を強烈に蹴りつける。戦意が混迷していた彼はクラリッサの一撃をモロに受けて吹き飛んでいく。鈍く光るナイフの軌跡を見切りつつ、距離に応じて銃と刃とを巧みに使いこなすドスと攻防の応酬。執事姿の所為も相まってやたらスタイリッシュに見える。
「……保険を、掛けるべきだね」
彼女たちの戦闘を成す術なく呆然と見つめる御幸へと、トレスの視線が流れる。
ドスはともかくクアーロがそうそうやられることはないだろうが、万が一という場合もある。幸い、今彼の周りには誰もいない。小さなメイドがいるにはいるが物の数には入らない。
何としても、彼女は莫大な遺産を手中に収めたい。
愛する人を、元の姿に戻すために。
獣のように叫び、悪鬼の如く暴れ、それでも彼女の言葉を理解し動いてくれる、彼女の為に――蘇ってくれた旦那のために。
――それは、三週間ほど前のこと。
結局ドタキャンされてかき氷は食べれずじまい……
まぁ、その分それなりにイイコトもあったんですケド。
次回更新は8月17日の22時。
では、待て次回。