《第3章/第2話》 それは急転直下に、颯爽と。
「落ち付け、落ち付けよ……」
咄嗟に飛び込んだトイレの個室。
御幸は両手を組み今目の当たりにした状況を整理するため、自分を落ち着かせようと必死に言い聞かせる。
給仕室で停電に遭い、その後御幸は震動音が聞こえてきたここ東棟一階へと向かった。そして見つけた、角を二度曲がった突き当たりの外壁に空いた大穴。雨に濡れ、何者かに踏み荒らされぐしゃぐしゃになった絨毯。こういう時、一番頼りになるアテはたった一つ。
「……警察に、通報しないと」
しかし、そのためには電話が必須となる。生憎と御幸の携帯電話は部屋に置きっ放しだが、幸いにも中央ホールに一つ電話がある。廊下に続くドアをそっと開き、御幸は左右に視線を走らせる。人の気配、のようなものは感じられない。御幸は足音を忍ばせホールに向かう。雨の音は、まるで御幸の心臓を囃し立てるかのようにまた勢いを増したような気がする。
ホールの扉のノブを掴み、ゆっくりと回す。
天窓から差し込んだ弱々しい夜光が、まるで消えかかったスポットライトかのようにアンティークな電話を照らしている。再三周囲を確認し、御幸は受話器を引っ手繰るように取って耳に当て、ダイヤルを回そうとしたところで――その顔が青ざめていく。震える視線の先、細い電話線はぷっつりと切られていた。
「……」
ベタな展開とはいえ実際に遭遇するとこうにも性質が悪いのか。
階段の陰に身を忍ばせてから、御幸はふーっと苛立った息を吐く。自分を落ち着かせるため、だ。
「残る手は……」
白桜邸から抜け出して外部に助けを求める。
少し走れば『フォレスト・テイル』があるし、閑散としているとはいえ腐っても住宅街。助けを求める方法としては無難な選択肢だ。部屋に戻って携帯電話を取り戻しておきたいのだが、侵入してきた何者かが今何処に居るのか分からない以上下手に動くのは不味い。
それしかない。
御幸が動こうとしたその瞬間、ガチャリ、と扉の開く音が真上から聞こえ思わず身を強ばらせる。
「広い屋敷だよなぁホント。見た目通りなんだけど」
「……ッッ!」
とす、とす、とくぐもった音は何者かが絨毯を踏む足音。その音はゆっくりと階段を下り、やがてホールの中央に一人の男が姿を見せる。長身に黒いジャケットとジーンズ、何処かの球団の野球帽とサングラス。如何にも、といった風貌の男は周囲をちらちらと見渡してからジャケットの胸ポケットに手を入れる。取り出したのは煙草だ。
「……情報とちょっと違うんだよなぁ。越してきたのって高一のガキだろ? にしちゃあ至るトコに妙な生活感が漂ってるんだよな。奥の部屋にゃプラモ転がってるわ変な肖像画まであるわ。一人暮らし……なら、部屋なんて一個使えば十分だろうに。どんだけ贅沢してんだか」
「……」
そうぼやきながら男はライターを取り出し火を点けようとして――止まる。
「っとと、何も中で吸うこたねえよな。姐さんもそういうの煩いし、見張りがてらちゃんとお外で吸いますかね」
盗人猛々しい、とはこういうことだろうか。
件の男は鼻歌を交えながら絨毯の上を闊歩し玄関から外へと出て行く。御幸としては開いた口が塞がらない思いだ。
「冗談だろおい……」
あの男の所為で外に出て助けを求めるプランが断たれた。一瞬、奴らが空けた穴から抜け出る考えも浮かんだが、どの道正面玄関を通る必要があるためアイツに見つかる危険性が生じる。裏手に回るか、しかし土地勘のない人間がいきなり山に行ったら逆に迷ってしまうのではないか。堂々巡る思考の果て、御幸はもう一つのプランを見出し階上を見上げる。
「……」
自分の携帯を取りに行くしかない。
御幸は陰からそっと歩き出し階段を駆け上がっていく。自室のある東棟の扉の傍まで来ると、御幸は自分の耳を扉に直接当てる。
音は……聞こえない。
音が鳴らないようにノブを慎重に回し、開く。
何度か通り慣れたはずの道が、末恐ろしく感じるほどの静寂を湛えている。ホッと胸を撫でおろしかけたところで、男の言葉を思い出し気を引き締める。
男は、姐さん、と言っていた。
あの穴の一件も含め、彼単独の犯行とは到底思えない。他の仲間がいる可能性は十二分にある。無論、今いる東棟の中にだって誰かが潜んでいる可能性もある。絨毯の上で慎重に足を運び、御幸は自室へと向かっていく。合間に見掛ける扉に意識を向けつつ、ゆっくり、少しずつ。角を曲がって、自分の部屋の扉が見えたところで御幸はハッと息を呑んだ。
自分の部屋の扉が、僅かな隙間を残して開いている。
状況は二択。
一つ、既に何者かが侵入した後、か。
二つ、今現在何者かが部屋に侵入している、か。
「……」
ごくり、と自分で生唾を飲み込む音が無性に大きく聞こえる。
今まで以上に警戒しながら、自分の足を擦るように運び、ゆっくりと扉へと近づいていく。
がさ、がさ、と部屋の奥から物音。
状況はよりにもよって後者らしい。
半開きになった扉から部屋を覗き込むと、御幸が普段使っている机の周りを物色している人影が見える。先の男と同様黒ずくめで、やや小太りな低身長の男。何かをぶつくさ呟きながら、男は引き出しを開けたり閉めたりしている。
「やーっぱ俺は信じられないんだけどなぁ……あんな噂話」
いくらか距離があるとはいえ、扉の傍にいる御幸にもハッキリと聞こえるほどの独り言。息を潜めながら、御幸は扉の隙間に腕を滑り込ませ静かに開く。胸の鼓動が外に漏れるんではないかと危惧するほど大きくなっていく。物色に夢中の男は何を探しているのか、別の引き出しに手を伸ばしてまた漁っている。その中には授業で使うノートの予備しかないはずだが。
「んな上手い話があったならもっと前に他のヤツが……ぶつぶつ」
「……?」
カーテンの掛かっていない窓から不意に差し込んだ雷光に照らされた男の姿の、予想よりも遥かにひ弱そうな見た目に御幸は一瞬別の意味で驚いた。先に見た男は背も高くガタイも良くて、とても相対出来るような気が一切しないのだが、比較対象の所為かこの男は小太りの中背でどうも軟弱そうに御幸の目には映っていた。
慢心、とでも言うべきか。
これぐらいなら御幸でもどうにか出来そうだと思ってしまった。
御幸は歩き出す。
今もなお何かを探す男の背後へと一歩ずつ、一歩ずつ、足を進める度に、心臓が胸から飛び出すのではないかと思うぐらいに激しく鼓動している。
視界の内に、御幸が普段使っている通学鞄が映る。無いよりはマシだと手を伸ばし――掴む。未だ御幸の気配に気づいていない男は最下部の引き出しを開く。マズイ。そこは空だから――、
「んぁ?」
「ぃッ――!!」
「ぎゅむ!?」
空の引き出しを開け、男が物音に気付いて振り返ろうとしたその瞬間。御幸は通学鞄を握りしめた右手を振り上げ男の頭目掛けて渾身の勢いで振り下ろす。鞄は運良く男の顔面に直撃。珍妙な叫び声をあげたかと思うと、当たりどころが良かったのか悪かったのか男はそのままひっくり返ってしまった。
「は、はぁ……! ぁ、はぁ………ッ………? し、死んだ……か? まさか……?」
試しに恐る恐ると突いてみると、男は「うぅ~……ん」と子犬の唸り声のような何とも情けないうめき声を上げた。
「……っく、はぁ……」
全身の緊張の糸が一気に解れ、脱力し切った御幸はその場で崩れ尻餅をつく。人を本気で殴ったのは初めてだし、相手を昏倒させたのだって同じ。胸が爆発しそうな心地だったが、同時に奥底から乾いた笑いがこみ上げてきていた。
あっけない、とか。
こんなもんなんだ、とか。
ふと、御幸は孤児院で見た昔の映画を思い出す。主人公が旅行に出かけてしまった家族に代わって自分の家を一人で守るというもの。構成こそ違うが、今の自分とまったく同じ境遇だ。今この家にいるのは自分だけ。一人だけだ。
「……って、あれはフィクションだ。早く警察に連絡しな」
「ほい、ストップ」
コン、と御幸の腰元に小さな感触。
そして、背後から聞こえた何とも緩い声。
充電器に繋がったスマートフォンに伸ばした御幸の手が、ピタリと止まった。
この第3章、よーく見直してみれば粗がががが;
勢い任せに書いた結果ですが……うぅん、また少し修正入れないと。
……あ、一部は仕様です。
次回更新は7月31日。
早く夏が終わってほしい……
では、待て次回。