Good Lack
最初のテストフライトの夜。
簡単な六車の手伝いをする為に格納庫に行く事にした僕は、宿舎から出るためにコートを羽織る。この時期のこの地方は、昼はあったかいが夜は凍えるように寒いのだ。
格納庫と宿舎は遠く離れている。なにせ飛行場の滑走路と馬鹿みたいに広いエプロンをはさんでいるからだ。
構造的に宿舎を挟んで上官執務室も含めた管制施設と格納庫は間接的につながっている。要するにカタカナのコの字型だ。そのコの字型の開いたスペースに飛行場を敷いている。
エプロンをまるで身寄りの無い子供のように身を縮めてひとりとぼとぼと歩いていると、大尉の執務室に明かりが点いているのが見えた。よく眼を凝らすと部屋をカーテンに二つの影が見える。
「………………?」
あれは……誰だ?
カーテンがある時点で僕に見えるはずも無いので、疑問を残しつつもいそいそと肌寒いエプロンを歩く。寒さに体を晒すとすぐに疑問は頭から離れた。解消された、とは違う。考えても無駄だと納得したんだ。
寒いからって鬱屈したように歩くとすぐに気分が悪くなる。疑問も尽きない。心配事も多い。だからって、空の棺桶で窮屈なのは十分なのにこんなところでまで自分の身を狭めなくても良いじゃないか。
「はぁっ」
思いついたように深呼吸してみた。今まで地面ばかり見ていた視界が一気に空に移る。
夜間フライトなんて何度もやった。だからいつも居る、見る空なのに。
「っあぁ……」
なんて、綺麗な空なんだろう。見惚れてしまった。
星は僕を見下ろして、その光を見せ付けてくる。月は空で笑うような三日月を描いている。その全てを内包する漆黒の夜空は、僕ですら包み込む……そんな気がした。
許してほしいわけじゃない。今まで、手に余る命をスイッチ一つで片付けてきたのは、自分にその権利があるからだ。
ある日、知り合いが連れて来た空を知らない宗教家に言われた事がある。
『あなたはいつかその報いを受ける、100人を殺せば、100人を殺しただけの報いが。神はいつでもあなたを見ている。逃れられると思いなさるな。許されようと思いなさるな。ただ、甘受しなさい。報いとは、罰であり許しなのです』
諭すような口調で分かったような事をしたり顔で話す、気に入らない老人だった。哀れむような視線といわれた事は覚えている。勿論、その後に僕が何を言ったかも。
『そうですか。ですが僕の神様はこう囁くんですよ、『撃て』と。空の神様はいつもそうだ、『撃て、そうさ、地上の馬鹿が騒ぐ糞みてえな倫理観は必要ねえ。さぁ、さぁ、ハーリィ!!』そう耳元でわめく。あなたは、見たことが無いでしょう?聞いたことが無いでしょう?だから、空を知らない人には分からない高尚な世界で、死んでいく。あなたの神の許しなんて要らないんです』
その後すぐにわめくような狂った声が聞こえた。僕はどうでも良くていつものように宿舎に帰って、いつものように食事をして、お風呂に入ってそのまま眠った。その日も特に夢は見なくて、ぼろ雑巾のように眠った。何も気にしていなかった。そのはずなのに、今、僕は気にして、覚えている。
「つくづく嫌だなぁ」
感傷だ。きっと、僕は許してほしくなくても、やっかいな、意味の無い、僕の心が、良心が許してもらうのを拒んでいる。
僕は心なんて要らないんだ。そんなものがあるから言われた事も遂行できなくなる。心があるから怠けるし、心があるから弱くなる。だから、僕は機械で良い。機械が良いんだ。
「…………」
不意に、吾妻の笑顔が頭を過ぎた。
彼女の笑い顔、笑い顔、笑い顔。彼女は全部が笑顔。全部が紛い物。わかっている。なのに僕はどうしても彼女を直視できない。動揺してしまう、それは心がある、動いている証拠。
彼女の存在が僕を人間にしている?
「ふん」
下らない。気の迷いだ。僕は人形だ。だからこの葛藤も、問答も気の迷い。
空を見上げていた顔を、地に伏せる。少しだけ首が痛い。
「行かなきゃ」
止めていた足をようやく動かす。途端にエプロンに吹く風が僕を巻き込んだ。まるで僕を拒んでいる……いや、逆だ。風は僕を後ろから押すようにして吹いている。だから、風は僕に囁いているんだ。『お前の居場所に帰れ』……って
出入り口から吹きすさぶ風が寒くて、夜も丑三つ時に近い時間。
「工具箱のレンチ取ってくれ」
「ん」
使い古された年季モノのレンチを工具箱から取り出して手渡すと、六車は器用にそれを使って機体の解体を始めた。
「メンテナンスってやっぱり、細かいところまで?」
小さなコンテナに座る僕を見もせずに解体作業を進める六車。音の無い時間に、金属が擦れ合う独特の音がこだまする。最初の頃は鳥肌が立つ程苦手だった。
「そうそう、じゃないといつでも飛べないだろ?」
今取り外したのはエンジン部のカバー。僕の相棒の心臓部。
「そうだね」
少し落ち着かない。柄にも無くきょろきょろと視線が泳いでしまう。どうしても、メンテナンスといえどもバラバラにされていく相棒を見ていられなかった。
「安心しろよ」
そんな僕を見るに見かねたのか、首にかけたタオルで汗を拭いて六車は笑った。場を和ませる、人間味のある笑い方だ。
「お前の相棒を殺したりはしないさ。俺の患者だからな」
そうしてぐっと右の親指を立てる。その仕草を僕は不思議なものを見るときのあの目で見ていた。すると、彼は少し寂しそうに笑う。
「お前もやってみ」
ならうように僕も右の親指を立てた。
「男の誓いって奴さ、俺はお前の相棒を殺したりはしねえよここに誓う」
「親指でも賭けるの?」
「違うね、賭けるのは誇りさ」
そう言って彼は拳を僕の拳へとかち合わせた。
「Good Lack.」
謳うように六車は言う。
それは僕からしてみれば下らない精神論だった。ベストを尽くすならそういえば良いのにわざわざ口にしない意味がいまいち分からない。だけどそのときの六車の誇らしげな顔だけは、手前勝手の崇高な理念を語るときの宗教者の何十倍も何百倍も清清しく……有体に言えば、カッコよかった。
「かっこいいよ」
「だろ?」
「六車は、変わってる」
「お前には言われたくないな」
思わず本音が出た。予想通り彼は有罪判決の裁判を逆転無罪で終わらされた検察官のように不服だという感情をあらわにして頬を引きつらせている。僕は腰掛けていたコンテナから降りると六車のポケットから煙草の箱を掠め取った。
「六車も吸うんだ?」
六車は苦々しい顔をする。
「俺の煙草だぞ」
「吸った事無いんだ、初体験」
できるだけ朗らかに笑った僕の頭を、軽めのチョップが直撃して、風のように僕の手から煙草の箱をさらって行った。
「痛いよ」
「こういうモンは吸うんじゃねぇよ」
「えー」
「えーじゃない。吸ったって得は無いぜ」
「じゃあなんで六車は吸っているの?」
ふとした僕の問いに、六車は煙草の箱をポケットに仕舞いながら少しだけ唸り声を上げて考え始めた。
「だってそうじゃないか、得が無いのに吸うっていうその考えが僕には分からない」
僕の質問に少しだけ六車は頭を抱えた。彼にしては珍しく歯切れが悪い。まるで苦悩しているというよりも唸り声を上げる仕事でもしているのかというほど唸り声を上げて悩む六車。それから少しして、顔を伏せたと思えば、ふと顔を上げて僕に煙草の箱を投げ渡した。
「たまにさ、どうしようもなく自分が矮小で、馬鹿みたいでどうでもいい瞬間があるんだ。そういう時、俺はソイツを吸いたくなる」
「どうしようもなくどうでもなる瞬間?」
「そ」
いつの間にとっていたのか。煙草に火をつけると、普段はあまり見せない気だるげな瞳を見せた。
「それはお前に預けとくよ。さっきの言葉の意味が分かったら、吸っても良い」
「許可制なんだ?」
「おう、許可制だ」
にかりと、いつもよりも寂しそうな笑顔。たなびく紫煙が光に照らされて良く見える。それがどんどん空へと昇って、いつかは空気と一つになるんだろう。もしかしたら、そんな『どうでも良い気持ち』を煙と一緒に空に飛ばして、空気と一緒にしてうやむやにしたいのかもしれない。
「そうか、わかったよ」
そう言って僕はポケットの中に煙草の箱を突っ込んだ。もしかすればこれも邪魔な心の動きなのかもしれない。でも、なんとなく僕はこのまま受け入れてしまおうと思った。
「さて、残りのメンテ終わらせますか!」
「うん、がんばろうか」
何かを貰った気がしたから。煙草だけじゃない、彼なりの大切なメッセージを。
音も無かった格納庫に、また金属の擦れ合う音がした。そうやって、整備員と搭乗者の夜は更けていく。
気がつけばまた、僕は狭い棺桶の中。いつだって僕と一緒だ。エンジンの音が子守唄のように響く。この子守唄が大好きだ。産まれた時から知っている。僕の子守唄。
完成された機械が奏でる一定された音。僕を怠惰なまどろみに誘う唯一の音。
「私を見て」
そんなまどろみの奥で声がした。少女の……吾妻の声。通信機から聞こえてくる。
「私を、完全にして」
姿は見えないが緊迫したような声に、僕はため息を吐く。いや、吐こうとしてできなかった。代わりに心の中で彼女に請う。
僕だって完全になりたい、僕だって。僕を、完全にしてくれ。
「お願い、お願い……」
彼女の声は段々ノイズの中に消えていく。僕はふと遠い空を見た。
青いはずの空は黒く暗く、一寸先も見渡せない闇。その闇がどんどん迫ってきて、僕の周囲を包み込む。
不完全な空。空は青くなければいけない。でも、その真っ黒な色が今の僕には似つかわしく思えて。少しだけ、涙が出てきた。
「功刀」
今度は六車の声だ。いつもの飄々とした風ではなく、無機質な、僕がぞっとするほど機械的な声をしている。
「お前は、俺を羨ましがっている」
急に、その言葉を否定しなければならないと思った。声に出そうとして、出せなかったから頭の中で強く思う。
違う。僕は君を羨ましがったりしていない。僕は僕として完全になりたい。そのために、誰かを羨ましがるわけにはいかない。
「違うのか?」
違う。絶対、違う。
「じゃあ、何故そんな目で俺を見る?」
「え?」
ようやく口に出せた言葉は、意外な言葉に呆けた末の情けない声だった。
「お前はいつも俺を羨ましそうな、今にも殺しそうな目で見ている」
「そんな事……」
「ある」
いつもより何倍も迫力のある言葉で、六車はそう断じた。
「お前は俺を羨ましがっている。認めろ、認めるんだ」
認めろ。
認めろ。
認めろ。
それは、何百年も溜め込まれた性質の悪い呪詛のようだった。何度も何度も、通信機からは六車の『認めろ』という声が流れ込む。
「うるさい、黙れ」
心の獣が一声に吼えた。通信機からの声がその獣を逆なでする。
僕は羨ましがってなんか無い。僕は感情なんて要らない。もっともっと、機械的に、効率的に……人の道具として、機能するんだ。それが僕の完全なんだ。人間になんてなろうとは思わない。だから……
「黙ってくれ……黙れ……!」
これ以上僕の心を掻き乱すな、これ以上、僕を壊すな。
まどろみの中で、計器がけたたましく気の抜けた音を立てる。敵機からのロックオン信号。視界不良の闇の中で、体は動かない。僕も、動く気がしない。
いっそこのまま死んでしまえれば良いとおもった。この先不完全になっていくなら、このままミサイルで焼かれて、この棺桶の中で消えてしまえば……。
「駄目ですよ」
だというのに、声が聞こえる。通信機から、また吾妻の声。今度はさっきと違う、余裕のある、包み込むような声。
「なんでだよ」
とっさにそんな言葉が口を突いた。
「不完全な僕は誰も要らない!」
噛み付くように身を乗り出す。シートに体を押し付けられてるとか、そんな常識を忘れるほど。
「だから、ここで死んでしまえば良い!そうすればまた――――」
また、他の誰かが代わりになる。また、便利な誰かが作られる。だから、不完全な僕は要らない。完全で便利な誰かがあれば、僕は不必要な欠陥品だ。この、飛行機のように必要(完全)なモノはなれない。
「消えさせてれ……」
すがるように、操縦桿を握る。ミサイルは飛んでこない。なら、そのまま墜ちてしまおう、と。
だと言うのに操縦桿は一切動かない。押そうにも引こうにも、一向に動かない。
「馬鹿ね」
笑う声。嘲笑うではなく、見守るような温かい微笑みを思わせる声色。吾妻の声。
「いつか分かるよ、大丈夫、功刀君なら、きっと――――」
最後の方は聞こえなかった。代わりに、爆音が遮った。
ようやくミサイルが飛んできたようだ。ちかちかと、周辺を電気が炸裂したような光が飛ぶ。
討たれたのに心は穏やかだ。いつかはこうなると知っていたんだろう。
だけど、何故か、頬に涙が伝った。死ぬ時は何も無いだろうと思ったのに、どうしても吾妻と六車の顔が脳裏をよぎる。
このまま墜ちたらどう思うだろう。悲しむか、無感動か。
できれば、無感動で居てほしかった。理由はなんとも言えない。きっと邪魔な感情が考えるのを拒んでいる。
未だに割れずにいるキャノピィ越しに、僕を討った飛行機が見える。
「Good Lack.また、別の空で会おう」
不意にそんな言葉が出た。負け惜しみじゃない。これは、誓いだ。
僕はキャノピィを開けて、ぐっと親指を立てる。それから、相手のキャノピィに向かって笑って見せた。
意識が段々と遠くなる。
空は段々と遠くなる。
でも、暗い雲はいつの間にか消えていて……それがとても嬉しかった。
えー
色々忙しくて遅くなりました。
内容もちょっと薄いかな?
戦闘も無いし……
まぁ、楽しんでいただければ……




