第十四話 利権屋は『謝罪の旅』ですわ
「本日より、作業券での食事と銀貨への交換を受け付けます」
日が傾き始める頃、共同食堂兼交換所の扉が、ようやく開いた。
ミリアの声に、港のあちこちから人が集まってくる。中には長椅子と簡素なテーブルが並べられ、奥の窓口には、クラウストラの制服を着た若い事務員が座っている。
「交換レートはしばらく食事に使う方が得になるように調整してあります。すぐに銀貨に変えて溜め込む者が出ないように、あくまで『働いて、食べて、また働く』流れを作るのが先決ですから」
「なるほど……」
エリアスは感心したように頷いた。
「数字だけ聞いていると冷たい仕組みに思えますが、実際の光景を見ると……」
彼の目の前では、昨日までうなだれていた若者が、笑いながらスープをすする姿があった。老人たちが、恐る恐る作業券を握りしめて窓口に近づき、パンを受け取る。
【南部港湾都市・夕刻】
・本日の作業券使用枚数:初日比+30%
・港周辺の喧嘩件数:目立ったものなし
・酒場で酔いつぶれる人数:減少傾向
・評価:数字だけでなく空気も軽くなった
「……これが蹂躙ですか?」
ふいに、エリアスが呟いた。
「どういう意味かしら?」
「あなたが言っていた、『立場を二度と逆転できないところまで差をつける』という意味での蹂躙です。港の者たちは、もう何もしてくれない貴族の味方には戻らないでしょう。今日の光景を経験してしまったのなら尚更」
「ええ、だからこそ私は責任を持って、この灯りを絶やさないようにしなければなりませんの」
私は窓の外、灯りのついた港を見下ろした。
「帝国では誰一人として、ここまでやろうとはしなかった。私自身もです」
「もし、帝都で同じことをしようとしたら……相当な反発を食らうでしょうね」
「その反発ごと、ねじ伏せればよろしいのです。その時には、あなたにも手伝っていただきますわよ?」
「……その時には、ぜひ」
エリアスの頭上に、新しい文字が浮かぶ。
【エリアス】
・現在の立場:レグナ帝国王弟/南部港湾再生担当
・内心の志向:帝国そのものを変えたい
・評価:放置すると自立どころか、同志になる可能性
(ますます目が離せませんわね)
◇
その夜。
私はベッドに横になりながら天井を見上げた。
港のざわめきは外で続いている。喧嘩の怒号ではなく、笑い声と明日の仕事の段取りを話す声だ。
【南部港湾都市・一日目総括】
・港の顔の付け替え:完了
・危険箇所の洗い出し:進行中
・作業券の初期流通:安定
・旧体制の利権の一部:切除済み
・現場の決済者:イルマ/サーラ/マシド(様子見)
「上出来ですわね。一つの港だけなら、たかが一点ですが、港を増やし、街道で繋ぎ、市場と帝都の喉元まで網の目のように広げていけば、誰もその網から抜け出せなくなりますわね。……せっかくなら、その先の諸国もまとめて、大陸そのものを、元の怠惰には戻れない仕組みに替えてしまいましょうか……」
私は未来図を思い描きながら、一人小さく呟いた。頭の中では、港と街道と市場を示す光の点が、一本ずつ線で結ばれていく。窓の外から聞こえる港のざわめきは、かつての悲鳴ではない。明日のパンを約束する、小さな歯車たちの音だ。
『赤錆の港』の最初の一日は、次の日々へと繋がっていく。
◇
南部港湾都市、十日目。
元は『赤錆の港』と呼ばれていたここは今、少なくとも数字の上では別の場所になった。
【南部港湾都市】
・港の稼働率:三割 → 六割超
・作業券の流通枚数:初回発行分を完売、第二弾発行済み
・共同食堂の利用者:一日平均320名
・「明日も港で働く」と言う若者:前週比+48%
・評価:瀕死から歩ける程度に回復
「悪くありませんわね」
朝靄の港を見下ろしながら、私は小さく息を吐いた。
十日前、腐臭と酒と諦めの匂いで満ちていた港は、今や魚とスープの匂いに塗り替えられている。まだまだ美しいとは言えないが、生きている場所の匂いだ。
「イルマさん、昨日の荷揚げ量は?」
「予定の1.2倍だよ。若いのが張り切っちまってね」
荷役頭のイルマが、腰に手を当てて笑った。
「ただ、あまり張り切りすぎると腰をやるからね。あたしの説教も1.5倍増しだ」
【イルマ】
・怒鳴り声の回数:前週比+20%
・褒め言葉の回数:前週比+20%
・評価:この港の半分はこの女の声でできている
現場では、イルマの荒々しい怒声と勝ち誇ったような笑い声が交互に飛ぶ。その鬼気迫る指揮によって、若者たちの動きは目に見えて洗練されていく。桟橋の板も、新しいものへの交換が着々と進む。
視界に入る場所には、まだ赤錆びが目につくが、懸命に直している最中の錆と、無関心に長年放置されてきた錆とでは、その持つ意味が全く異なっていることを誰もが理解し始めていた。
◇
「ユーフェミア様、昨日までの集計です」
共同食堂兼交換所の事務室で、ミリアが分厚い帳簿を抱えて入ってきた。
【ミリア】
・睡眠時間:ここ三日でやや不足
・やる気:高
・評価:そろそろ「休め」と言わないと倒れそう
「顔色が悪いですわね。昨晩も遅くまで残っていたでしょう?」
「だ、大丈夫です! 数字なら元気が出ますから!」
「それは私の台詞ですわよ」
苦笑いしながら帳簿を受け取り、ぱらぱらと目を通す。
「作業券の回転は良好。銀貨への交換はまだ全体の一割未満。狙い通りですわね」
「はい。皆さん、働いた日はきちんと食べるという使い方をしてくださってます」
「よろしい。紙切れが『今日のパン』に変わると実感すれば、誰もが大事に扱うようになりますから。そういえば、彼は?」
「彼とは誰です?」
「マシドですわ」
ミリアが、少しだけ困ったような笑みを浮かべる。
「本日も謝罪の旅に出かけています。昨日は魚屋通り。一昨日は酒場通り。その前は裏路地の宿屋です」
「ちゃんと回っていますのね」
「はい。『あいつがここまで頭を下げているなら、港も少しは変わるのかもしれない』と、評判は悪くないみたいです」
【マシド】
・本日の行動予定:かつて搾り取っていた相手の店を一日十件訪問
・謝罪回数:累計、九十三回
・逃亡の気配:低
・評価:贅肉が減りつつある。色々な意味で
(意外と、しぶとい男ですわね)
私は心の中で笑う。
利権屋としては最低だったが、顔と名前を覚える能力は本物だった。今やマシドは、私たちの代わりに路地裏を歩き回り、『港に残すべき人材リスト』をせっせと集めている。
腐っていた果実も、皮を剥いて芯だけでも使えば、それなりに役に立つ。




