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ノイレン〜黒の純真  作者: 山田隆晴
第六部『ノイレンの空』

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79『ノイレン、あなた一体何者なの。』

 あの事件から数日。

 左腕に包帯を巻いているレイトワは家事をこなすのに苦労していた。幸い傷は深刻ではなく左腕は自由に動く。しかし痛みでちょっとしたものでもいつものように持てない。

「痛っ。」

 朝食のスープをこしらえているとき、味見するため傍に置いていた小皿を左手で持ち上げようとして落としてしまった。

「もう、わたしが手伝うって言ってるでしょ。」

 アニーがぷくうと頬をカエルのように膨らませ小皿を拾った。

「ごめんなさい。味見してくれる? 熱いから気を付けてね。」

 アニーが拾い上げた小皿にスープをちょこっとよそった。アニーはふうふうしながら口をつけた。

「どう?」

 返事を待つレイトワにアニーは笑顔で口をお椀のように丸めた。

「よかった。じゃスープはこれでいいわね。」

 スープの鍋を火からおろすとレイトワはコージャの工房へ向かった。自宅の一角に併設されたコージャの武具工房は鍛冶を行うための設備もある。そのおかげで工房の中にパンを焼くための窯も作っていた。スープをこしらえる前に窯に入れておいたパン種の様子を見にきた。アニーもレイトワの後についてきて窯の中を覗いている。

「うわあおっきくなってる。」

「危ないから近寄っちゃだめよ。」

 レイトワは右腕だけでピールを持ち器用に窯から焼き立てのパンを取り出した。

「うわあ!」

 アニーはパンに鼻を近づけるとおなかがぽっこり膨れるほど息を吸い込み焼き立ての匂いを満喫した。

「早く食べたい!」

「まだダメよ。ノイレンが帰ってきてないでしょ。」

 アニーはぷくうと頬をカエルのように膨らませて抗議する。

「ダメよ。カエルちゃん。」

 アニーは目を大きく丸めて顔を真っ赤にした。

「あらカエルタコちゃんだっけ。」

「違うもん!!」

 今度は唇までとんがった。ますますタコになった。レイトワは目じりに涙が浮かぶほど笑った。


 パンがすっかり冷めたころノイレンが走り込みから帰ってきた。

「遅い!! パン冷たくなっちゃったじゃない。」

 アニーがカエルタコに変化(へんげ)して開口一番文句を言った。

「あはは、ごめんごめん。途中で酒場のおっさんにつかまってさ。」

「あら、こんな早くにいらしたの?」

 レイトワが意外そうに訊いた。

「そうなんだよ。たまたまなんかの用事があったみたいでさ。」

 ノイレンがちょっと興奮気味に話している様子を見てレイトワは探りを入れた。

「もしかしてまた踊ってほしいとか頼まれたの?」

 ノイレンは驚いて目を丸めた。

「あたり! あの日お客さんたちが盛り上がっていつもより売り上げが良かったからまた踊ってくれって頼まれちゃった。」

 ノイレンは嬉しそうに話した。そこまで話してはっとした。

「あ、ごめん。こんな話嫌だったよね。」

 ノイレンはバツが悪そうに頭を掻いた。

「いいえ、こちらこそごめんなさい。あなたが踊りたければどうぞ踊ってきて。私のことは気にしないで。」

 レイトワはにっこり微笑んだ。

「ノイレンまたダンスするの?」

 アニーが興味津々な顔で訊いてきた。

「う、うん。こないだのお店でまた踊ってほしいって言われたんだ。」

「わたしも行く! わたしもダンスしたい!」

 アニーはその場でぴょんぴょん跳ねてくるくる回った。

「あはは、アニーにはまだ早いかなあ・・・」

 ノイレンがレイトワの顔色を窺うように言うと、アニーはまたカエルタコに変化(へんげ)した。

「なんでそういうこと言うの?」

 口をとがらせてノイレンを見上げて睨んだ。

「あはは・・・。あ、そうだ代わりにいいもの教えてあげる。」

 ノイレンの頭の中であることがひらめいた。

「いいものって何?」

「まだ秘密。あとでね。」

 ノイレンはその薬指の長い手をアニーの頭にぽんと乗せた。


 師匠の幻相手にシャドウ稽古をしたあとノイレンは庭からアニーの部屋の窓を叩いた。

「なあに?」

 部屋で一人人形で遊んでいたアニーが顔を出した。

「出ておいで。いいもの教えてあげる。」


 アニーが庭に出てくるとノイレンは短い木の棒を持って待っていた。

「なにすんのそれ?」

 ノイレンはニカっと笑うとしゃがんで地面に文字を書き始めた。文字を初めてみるアニーはノイレンが何を書いているのかさっぱりわからない。

「なあに、そのミミズみたいなの。」

 ミミズと言われてプチショックを受けるノイレン。

「ミミズは酷いなあ、これは字だよ。」

 お世辞にも綺麗とは言えないだけに文字を知らない人にはなおさらミミズがはいつくばっているようにしか見えないのだ。

「字? これが? それでなんて書いてあるの?」

 アニーは地面に書かれた5つの文字をまじまじと見つめながら訊いた。

「”アニー”だよ。これはアニーの名前。」

 ノイレンは得意げに答えた。

「わたしの名前?!」

 ノイレンは笑顔で大きく頷いた。

「これがわたしの名前。」

 アニーは地面の5文字を穴が開くほど見つめた。

「はい、アニーも書いてみな。」

 ノイレンはアニーに木の棒を渡すとアニーの手を取って1文字ずつ線をなぞって書き方を教えた。

「それじゃ”ノイレン”はどう書くの?」

「私の名前はこうだよ。」

 木の棒を受け取って”アニー”の下に書いた。するとアニーはぷくうと頬をカエルのように膨らませた。

「わたしの名前より字が多い。ずるい。」

 ノイレンは6文字。アニーより1文字多い。

「そう言われてもなあ、あはは・・・」

 ノイレンは苦笑いするしかなかった。

「じゃあ”レイトワ”は?」

「レイトワ、レイトワっと、こうだね。」

 レイトワの名前をその下に書いてみせると、やはり6文字あった。アニーは依然カエルタコのままレイトワとノイレンの名前を睨んでいる。

「はは・・・まいったな、じゃあアニーのお父さんの名前ならどうだろう。」

 ノイレンはコージャの名をそのまた下に書いた。するとアニーは目がなくなるくらい満面の笑顔で喜んだ。”コージャ”は4文字だった。

 アニーはとても嬉しそうににっこにこしている。

「あはは・・・」

 ノイレンはまさか文字数で一喜一憂されるとは思わなかった。

「他にも教えて。」

 アニーは文字に興味を持ったみたいだ。

「じゃあね、これなんかいいな。」

 ノイレンは以前手紙に書いた「ありがとう」を書いてみせた。

「これは?」

「”ありがとう”だよ。」

「ここの隙間は何?」

 ”ありがとう”は二つの単語で成り立っている。単語と単語の間に隙間がある。

「う~ん、なんだろ。ありがとうってとにかくこう書くんだよ。」

「ふ~ん。」

 アニーはノイレンの隣でしゃがんでその文字列を不思議そうに眺めている。

「それじゃあね。」

 ノイレンはコージャとレイトワの名前の横にそれぞれ別の単語を書いた。

 それ以来アニーは庭で教えてもらった単語を何度も練習した。4人の名前と3つの言葉を見なくても書けるようになった。



 夕方ノイレンは例の酒場にやって来た。

「ノイレン、来てくれたか。ありがとう。」

 店のおっさん、店主はカモがネギ、というより、金塊を背負ってやって来たというような現金な顔で出迎えた。

 乞われてダンスを披露するといってもわざわざ自前の衣装を取りに戻ったりはしていない。だからアニーのところへ来た時のまま旅の剣士風の服装で今夜も剣舞を披露した。先日とは違ってちゃんとシャルキーに教えてもらった正当な剣舞だ。

 剣の振り方が一人前の剣士らしくきびきびしているから流れるような動きの中にもアクセントが効いてメリハリのあるダンスになった。

 店を占める客たちは華麗に勇ましく踊る麗人に見入った。ウエストをキュっと締めるベストに足にぴったりのズボン。ボディラインがはっきり見えるから露出が全くなくても、ノイレンのその女性らしい身体の曲線に客たちはどきどき。腰まである長いポニーテールが柔らかく波打ちノイレンの動きを追いかけていくのがまた神秘的な感じがして心を射抜かれ酒が進んだ。

 ダンスを終えたノイレンは端からテーブルを1つ1つ回って挨拶していく。いくつか回ったところで懐かしい顔に出くわした。

「あれ、なんでいるの?」

 ノイレンは驚いた。カバレの常連のおっさんが一人、見知らぬ人たちとテーブルを囲んでいるではないか。

「おう、ノイレン奇遇だな。こんなところで会うなんてな。」

「わたしも驚いた。なんで?」

「あっははは。オレは大工なんでな、今の現場がこっちにあるんだよ。で、こっちで知り合ったやつらにいい店があるってんで連れてきてもらったんだ。」

「そうだったんだ。」

「で、ノイレンはなんでここにいるんだ?」

「わたしも今受けてる仕事でこっちに来てんだ。で、この店のおっさんに頼まれてさ。ところでみんな元気?」

「ああみんな元気だぜ。ただトレラ、いやなんでもない。」

「トレラ? もしかして師匠。」

「あ、う、うん・・・」

 おっさんは急にしどろもどろになってごにょごにょと言葉を濁した。

「シャルキーやチーフは?」

「ノイレンがいないと忙しいって目を回してるぜ。あはは。」

 これにはいらずらっぽく笑って答えた。

「あとおばさんは?」

「おばさん?」

「ほらいつも師匠のうしろにいるアニンだよ。」

「ああ、あの姉さんか。いや、いるにはいるが・・・」

 また気まずそうな表情に戻って声が小さくなった。

「どうしたの? なんかあった?」

「いや、どうもしないよ。俺の勘違いだ忘れてくれ、あはは・・・」

 常連のおっさんは言葉を濁してうやむやにしようとした。そのことにノイレンはしっかり気づいたが敢えて追求しなかった。もしかしたらわたしがホームシックにならないよう師匠が「ノイレンに会っても何も言うな」と釘を刺しているのかもしれないと思ったからだ。

 カバレの常連のもとを離れて他のテーブルを回っているとあの馬蹄男がいた。

「あんた、まだ痕ついてんじゃん。」

 ボサボサ頭の馬蹄男。ノイレンの馬さんの蹴りがよほど強烈だったのかあれから何日も経っているのにいまだに馬蹄の痕が顔にはっきりと付いている。もしかしたらもう一生消えないアザにでもなってしまったのだろうか。にも拘らず恥ずかしげもなく毎日飲みに来ている。

「おう、サーベルの姉ちゃん。ダンスかっこよかったぜ。」

「あ、ありがとう。それにしてもあんた恥ずかしくないのか、その顔。」

「アハハ、姉ちゃんのような強えやつにやられた痕だ。名誉の負傷ってやつよ。」

「どこが・・・」

 ノイレンは呆れて二の句が継げなかった。

「それはそうと姉ちゃん困ったことがあったらなんでも言いな。オレが力になるぜ。」

 ノイレンはジトっとボサボサ頭を見下ろした。

「なんでぇなんでぇその目はよぉ。オレはこれでもこのあたりの色街には顔が利くんだぜ。」

「そのせいでこっちはひどい目に遭ったけどな。」

「それはもう言いっこなしだぜ。オレも懲りたからな。もう姉ちゃんには逆らわねえよ。」

「へっ、どうだか。でもありがと。そのうち(力を)貸してもらうかもな。」

「おうよ、いつでも言ってくれ。」

 ノイレンには敵わないと思い知った馬蹄男は思いっきり手のひらを返して懐いてきた。

 それからノイレンは数日おきに酒場に行ってダンスを披露し、小遣いを稼いだ。



 ノイレンがシャドウ稽古をしている側でアニーが地面に木の棒で教わった名前を書いている。洗濯物を干し終えたレイトワがそばにやってきた。アニーの横に立つと前かがみになって膝に手を当てて地面に描いているものを覗き込んだ。

「アニー何描いてるの?」

 アニーはしゃがんだまま首を上げて答えた。

「字だよ。」

「字?! 絵じゃなくて?」

「うん。」

 アニーはにっこり笑って頷いた。

「字なんていつの間に覚えたの?」

「ノイレンに教えてもらった。」

 レイトワは驚いた顔でそぐそこにいるノイレンを見た。ノイレンは気づいていない。

 ノイレンは目の前にいる幻相手に剣を振るっている。その目は真剣そのものだ。

『ノイレン、あなた一体何者なの。』

 レイトワは一心に稽古を続けるノイレンの姿に隠された正体を見極めようとした。彼女はノイレンのことを自分と同じ底辺の人間だと思っていた。剣術をやるのは理不尽な乱暴者たちから己の身を守るためだろうと、自分もその機会に恵まれていればもっとマシな生き方をしてこられたかもと妬んだこともあった。

『読み書きができるなんて実は"いいとこ"のお嬢様ってことよね。それがなんで用心棒なんてしてるのかしら。』

 ノイレンの境遇を勝手に想像して同情が湧いてきた。

『どんな辛いことがあったか知らないけど、負けちゃダメよ。』

 ノイレンの助力があってアニーとの関係が改善してからというもの、レイトワはノイレンに対して好意的になっていた。目に力を込め、励ますようにノイレンをじっと注視していたら気づかれた。

「え、なに? ごめん、聞いてなかったもう一回言って。」

「とにかく頑張るのよ。私が応援しているわ。」

 レイトワはノイレンの肩をポンと叩いて仕事に戻っていった。

「なんだ?」

 ノイレンは訳もわからず目が点になった。


「そうとなったら今夜はノイレンの好きなものを作ってあげようかしら。」

 当たらずとも遠からずな想像をして、ノイレンが結果的に自分と同じように不幸な境遇を歩んできたと思い込んだレイトワは親近感が湧いて、何かノイレンが喜ぶことをしてあげたいと考えた。実に現金である。


「アニーちょっといい? ねえ、ノイレンの好きなものって何かさりげなく聞いてきてくれないかな。」

「分かった!」

「さりげなくよ、さりげなく聞くのよ。」

「うん!」

 物陰からアニーを手招きして秘密指令を出したのに、アニーは元気よく返事をするとノイレンのもとへ走っていきストレートに訊いた。

「ノイレンの好きなものって何? レイトワが聞いてきてって。」

 身も蓋もない。レイトワは物陰で後悔した。

「好きなもの? べつに食べられればなんでもいい。」

「わかった、ありがと!」

 それだけ聞くとアニーはレイトワが隠れている物陰に行き、元気よく教えた。

「食べられればなんでもいいって!」

 ノイレンから姿は見えないがレイトワが泡食っている様子が目に浮かぶようだ。

「なんだあ?」

 ますます訳のわからないノイレンだった。


「食べられればなんでもいいなんて、」

 レイトワはまたも勝手にノイレンの辿ってきた境遇を想像して同情した。

「きっといつもお腹を空かせてたのね。だから口に入ればなんでもいいってわけね。」

 確かにホームレス生活では食うや食わずの生活だったし、盗むものを選り好みなんてしてられなかった。レイトワは勘が鋭いのか時々疑いたくなる。

「じゃあ今夜はまたクルミパンを焼こう。それならアニーも喜ぶし。」

 レイトワの心は充実して張っていた。潤いのある張り。思いがけずコージャと出会い、どん底から救い出されたものの連れ子のアニーとしっくりいかず思い悩んでいたのがノイレンのおかげですべてが丸く収まった。彼女は今まで生きてきた中で一番の充足を得ていた。

「スープはなんにしようかしら。口に入ればなんでも、か。」

 レイトワは今までに口にしてきた様々なスープを思い出しては首をひねっている。

「そうだ! 干し肉なら手に入るかも。それを入れてあげましょう。お肉入りのスープなんて食べたことないだろうし。」

 レイトワはアニーを連れて買い物に出かけた。

「何買うの?」

 手を繋いで一緒に歩くアニーは笑顔でレイトワを見上げた。

「うふふ、クルミと干し肉よ。でもノイレンには『しーっ』だからね。」

 伸ばした人差し指を口の前に当ててアニーに口止めした。

「わかった、『しーっ』だねっ。」

 アニーも人差し指を口の前に当てて真似をする。二人の様子はもう母子(おやこ)にしか見えない。

 二人はにこやかな笑顔で市場へ向かった。

次回予告

アニーに文字を教えたノイレン。レイトワの言動に不可解さを感じつつも二人が仲良くしていることが嬉しいノイレンはアニーにサプライズを用意させた。期限の3ヵ月が経ちコージャが辺境から戻ってきた。彼らに挨拶をして師匠やシャルキーの待つ街区に帰るノイレンはそこで非情な現実を突きつけられる。

君は彼女の生き様を見届けられるか。

次回第八十話「お父さんとお母さん。」

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