決闘
一方セイはヴァイスと話をしていた。国の統治について、貿易について、お互いについて。
知れば知るほど、大公が有能で、勇敢な人物であるのは間違いない。リンデルファこそ滅ぼしたが、列島全体で見ればかなり彼のおかげで潤っているはずだ。武力で押さえつけるそのやり方とディアナのことさえなければ、決して嫌いではない相手だ。そしてそれは、大公の方も同じだったようだ。
「あなたは良き王となるな、ラセイン王子。これほど充実した議論は初めてだ」
「あなたも、ヴァイス殿」
握手を交わした二人は、けれど見つめ合ったままお互いの思考を探る。
窓の外は美しい晴れた空が広がっていて、爽やかな風がふわりと薔薇の香りを運んでくる王城に、見目麗しい王子と精悍な大公が笑顔を向け合っているのに。その穏やかな光景はひどく緊張を孕んでいて。主の気分を感知した精霊が怯えを浮かべて空気に溶けて隠れた。
セイの腰に下がる、退魔の剣フォルレインが、わずかに震え、主にしか聞こえない声で囁く。
『ラセイン、イールから魔法の声が届いた。キャロッド大公の狙いは、やはり月の女神だ。あの娘の代わりに次の巫女にするつもりだ』
その言葉に、セイは笑顔の色を変えて。一気に冷ややかになった彼の表情に、ヴァイスが気付く。セイはアクアマリンの瞳を氷に変えて、握手の手をゆるやかに解いた。
「──残念です、ヴァイス殿。あなたとは友人になりたかったが、あなたは僕の何よりも大事な人を狙っているようだ」
──動いたのは、同時。
ヴァイスは、傍らにあった椅子を蹴り上げ、掴むと王子に向かって振り降ろした!
セイは目にも留まらぬ速さで抜いたフォルレインでそれを薙ぎ払う。バラバラになったそれが二人の視界を遮った次の瞬間には、ヴァイスはその破片を掴みセイに向かって突き出し、セイはその手に蹴りを放って破片を吹っ飛ばして。
ヴァイスの膝がセイの腹に決まるかと思いきや──王子はそれを躱して剣の柄でヴァイスの顎を殴りつけた。衝撃に体勢は傾いたものの、彼は倒れることもなく、セイの顔めがけて拳を振る。
が、聖国の太陽は──にこりと微笑んだのだ。
至近距離で鮮やかに微笑まれて、同性と言えど見惚れてしまい、一瞬躊躇ったその隙を、セイは見逃さない。しまった、とヴァイスが気づいた時には、その喉に退魔の剣が突きつけられていた。
「っと。やるな、王子様。結構えげつない手を使うじゃないか、そのように上品な顔をしておいて」
「この見た目に騙されてくれる方で安心しましたよ」
さらりと言ってのけた青の王子に、ヴァイスはニヤリと笑うと、口の端に滲んだ血を拭う。
「だが、もうその手には乗らん」
ヴァイスはセイを見て傲然と言い放った。
「改めて勝負をしようじゃないか、ラセイン王子。俺が勝ったら女神は貰って行く。あなたが勝ったら女神は諦める」
『何を言っているのだ、このロリコン大公は。幼女趣味なら幼女だけを愛でていれば良いものを』
彼の勝手な物言いに、フォルレインがカタカタと怒りに震える。精霊の声は大公には伝わらないが、セイも冷たい視線で否を告げた。
「何を言っているんです。僕の愛しい女神は物ではない。そんな勝負など受けるわけが無い」
大公はちらりと扉の方を見て。
「そう言わず、茶番に付き合っては貰えぬか」
「は……?」
セイは息を整えて、未だブツブツと文句を言い続けるフォルレインを鞘に収める。
部屋の中で起きた物音に、戻ってきたアランが顔を覗かせたが、主に大事無いと分かっているために特に部屋に入って来ることは無かった。フォルディアス城内で、フォルレインを持つ王子が、誰かに遅れをとるはずが無い。
けれど彼はぎょっとしたように二人の足元に無惨にも散らばる、椅子だったものの残骸を見て叫んだ。
「ああっ、ちょっとちょっと!それ超高級な家具ですよ、もー!侍従長に怒られちゃうじゃないっすか!ケンカは外でやって下さい!」
「ほら、あなたの近衛騎士もそう言っていることだしな」
ヴァイスは面白そうに笑う。
「決闘といこうではないか、セインティアの王子。月の女神を賭けて」
王宮敷地内、騎士団訓練所の闘技場には、どこから聞きつけたのか、多くの人が集まってきていた。
当然、当事者であるヴァイス大公とラセイン王子。近衛騎士のアランと護衛魔導士のアレイル、セアラ姫、イール、覇王の供のレイト、リルディカまでは当然としても。
「……なんでお前まで居るの」
アランの呆れた声に、銀の魔導士がそれはもう素晴らしく美しい笑顔で親指を立てて、
「厄介事の早期解決の為に状況を確認しにきた」
と言い放ち、弟子の少女が
「ええとつまり、『面白そうだから観に来た』って言ってます」
とこれ以上無い完璧な通訳をしてみせた。しかし見学組は彼らだけではない。
「おお!ラセイン様と東の覇王の決闘だってよ」
「我らが聖国の太陽が負けるはずが無いだろ!ラセイン王子、頑張って下さい!」
「ワクワクすんな、ラセイン王子の剣技!」
「お前ら仕事しろ!!!」
アランの叫びも虚しく、城内の手があいている騎士がことごとく来たらしい。美しく国一の剣の達人でもある王子は大人気で、それゆえのセインティア騎士団は世界一の結束を誇ると言われている所以の一つなのだから。
「……大変な人気で結構なことだ」
ヴァイスの言葉に、セイは笑顔を凍り付かせたまま。
「……まったく、どこから情報が漏れたんでしょうね?」
と呟く。本人達の緊迫感などをよそに、外野は盛り上がっているが、その中に浮かない顔が一つ──いつの間にか賞品にされていたディアナだ。
闘技場に現れた彼女に気付くと、ヴァイス大公は目を見開いて女神を眺める。差し出したセイの手をとって彼の前まで来たディアナは、ヴァイスに礼をした。簡易なドレス姿だが、婚約期間に身につけた貴族の娘の所作で優雅に微笑む彼女は美しい。
「初めまして、キャロッド大公。ディアナ・アルレイと申します」
「俺のことはヴァイスと。しかし話に聞いていた戦いの女神とは思えぬ可憐さだな。ラセイン王子が夢中になるのも分かる」
彼の言葉を肯定するように、セイはディアナの腰を引き寄せてそのこめかみに口付けた。
「そうですよ。ですからあなたに渡すわけにはいきません」
大公の前だからと、イールやアレイルが邪魔しに飛んで来れないのを良いことに、人前で堂々といちゃつく婚約者に、ディアナは皆から見えないようにこっそりセイを押し返す。けれどもちろん彼は全く離れようとしない。ディアナ自身もこれだけのギャラリーの前でセイを突き飛ばすわけにもいかず、諦めてヴァイスへ向き直った。
「私をご存じないのに巫女にと欲されたのですか?もしあなたのお気に召さないような娘だったらどうなさっていました?」
彼はディアナの言葉に興味深げに笑って。
「あなたが月の力を持つ戦いの女神だと知っている。外見はまあ、今度は幼女趣味と言われはしないだろうと思っていたが、予想以上に美人で驚いた」
その瞳に嘘ではない好意が見え、セイはますますディアナをその腕に強く囲い込む。
「僕の月の女神を口説くのは止めて頂きたい。これでも独占欲は強い方なので」
にこりと微笑む彼に、ヴァイスはにやりと笑みを向けた。
「今はまだ、あなたのものかもしれんが──勝負次第では」
彼の挑発に、ディアナはセイを見上げる。王子は冷静さを失ってはいない。戸惑いを怒りを含んではいるが、その瞳は大公の真意を探ろうとしている。
──大丈夫。
ディアナはそう確信して、婚約者へ微笑みかけた。
「信じてるわ」
セイはしっかりと頷いて。ディアナの額へ口付けた。
「それでは両者、位置へ」
審判を仰せつかった騎士団長があげた声に応え、セイは移動を始める。しかし、大公は観客の方を見つめて、口を開いた。
「……月の女神、リルディカが俺に何を望んだか、あなたは聞いたか?」
ふとヴァイスが彼女へ問いかける。
彼の視線の先には──リルディカとレイト。巫女姫は真っ青な顔でこちらを見つめていた。レイトは相変わらずサングラスをしているから表情は分からない。
ディアナは首を横に振って。
「いいえ。それは教えてくれませんでした。けれど」
紫水晶の瞳は切なげに歪んで。
「──私が思っている通りだとしたら、リルディカは」
彼女の言葉を最後まで聞くこと無く、ヴァイスは闘技場の中央へ歩き出す。その態度で、ディアナは推測でしかない己の考えが真実に近いのだと確信した。
「……リルディカは、悲しいひとだわ」
向かい合わせになった二人が手にしたのは──真剣。
「後悔召されるな、ヴァイス殿」
「その言葉、お返しする。ラセイン王子」
──そして、剣の合わさる激しい音がその場に響き渡った。
ほんの様子見のつもりで、けれど重量に任せて仕掛けたヴァイスの一撃は、セイの持つフォルレインによって派手な音を立てて阻まれた。剣を合わせたのは一瞬で、次の一撃を振り上げる。
が、セイは離れたその腕を引かず更にもう一撃を薙ぎ、ヴァイスはそれをかろうじて避けながら内心、その速さに舌を巻いた。
ヴァイスの鍛え上げた腕で、力任せに振り下ろす攻撃は、生半可な剣で受け止めるとビリビリと腕を痺れさせてしまう。ならばなるべく受けず、彼が攻撃するより早く攻撃を仕掛けるのが有効だ。青の王子は部屋での一撃と、今の一撃でそれを見極めたのだろう。
けれどそれを知っていても、ヴァイスの剣技は遅くは無い。彼の剣について行くことはできても、先回りしてみせる技量を持つ者はなかなか居ない。冷静に相手を分析して先読みするセイならではのもので、青の聖国の王子が剣の達人というのは過大でもなんでもない、彼の正しい評価だと知る。
ただヴァイスも、キャロッド大公位をその武力で奪い取った海賊の一族だ。作法も何も無い命がけの戦いをくぐり抜けて来た、本能と経験でセイの攻撃を防ぐ。ヴァイスは打ち下ろされたフォルレインを力任せに跳ね飛ばした。
が、セイはその衝撃にも剣を手から放すことなく、空中でくるりと一回転して床に降り立つ。緊迫感の中で、覇王の目にそれはひどく優雅に映った。
「なるほど。侮れないな」
「褒めて頂いて光栄ですね」
ふたたび構えた彼に、精霊の声が耳に届く。
『ラセイン、雷撃魔法は使わぬのか』
フォルレインは魔法剣だ。セイ自身は魔法をほとんど使えないが、フォルレインの魔力をいくらでも引き出すことが出来る。その力を引き出せばとっくに勝負はついているというのに。
けれどいつものようにその刀身に魔法を発動させない彼に、精霊は訝しげに問いかけた。
「駄目だ。彼を傷つけるな」
セイの微かな声に、フォルレインは不満そうに唸る。
『分かっているだろう。キャロッド大公は強いぞ。このままでは勝てない』
相棒の声に、彼は口元を歪めた。
「それが問題なんだ。ディアナを渡すつもりなどない。けれど彼を殺さずに勝つ方法を思いつかない」
「このままじゃどちらも勝てないわ」
ディアナは彼らの戦いを見つめながら、呟いた。レイトとリルディカが彼女の方を見る。その視線に応えて、ディアナは説明した。
「大公は強い。彼の剣を受けるのは危険ね。だからセイは受けずに避けて、攻撃に転じてる。でもヴァイス公はセイの攻撃を止めてしまう。このままじゃ堂々巡りね。体力が奪われたらセイには不利だけど、彼もそれを分かっているから、先に仕掛けるはずだけど──」
「……ラセイン様は、殺し合いをするつもりはないんでしょう。大公の真意を探ってる。大公は大公で、時間稼ぎをしているように見えますね」
彼女が切った言葉の先を、アランが継ぐ。細められた目が、レイトを見た。彼はそれに気付くが、視線を逸らす。
「あら、じゃあこのままでは決着が着きませんわね」
セアラ姫が頬に手をあてて微笑んで──シーファを見た。銀の魔導士は彼女の視線に眉をあげ、自分の持つ白い杖を正面に掲げる。
「我が杖よ、女神の刃となれ」
彼の手元から光が溢れ、長い杖は形を転じてゆき──ひと振りの白銀の剣となった。シーファはそれをディアナに差し出す。それに戸惑いの目を向けた女神に、金の薔薇は微笑んだ。
「ちょっと行ってらっしゃいな、ディアナ。皆にあなたの麗しい姿を見せてあげて、たまにはラセインを焦らせておやりなさい」
彼女の言葉に、レイトはギョッとしてそちらを見る。
彼の目には覇王と王子の戦いは他人が入り込めるようなものではない。あまりにも高レベル過ぎて、横槍など入れた瞬間にヴァイスに首を落とされそうな勢いなのだ。
戦いの女神といっても可憐な少女が、ラセイン王子以上の腕力があるとも思えないし、大けがをするのが目に見えている。
「ちょっと待った。そんなお嬢さんにあいつの相手なんて出来るわけが」
「あらだって、後少しでお茶の時間ですのよ?わたくし今日のお茶菓子を楽しみにしてるんですの。遅れたくないわ」
絶世の美女がさらりと言い放った言葉に、東方の軍人は凍りついた。
「セアラ姫、私はセイの戦いに手を出すつもりは」
断りかけたディアナだったが、珍しくもイールが彼女に異を唱えた。
「勝手にキミを巻き込んだのはあいつらだよ。キミの身はキミが守っていいんじゃない?」
白い鳥の目は呆れたように光る。どうやらイールは、彼らが女神の身柄を好きに取り沙汰したのが気に入らなかったようだ。ボクの相棒を勝手に賞品にするな、という気分なのだろう。
「……それもそうね」
呟いた女神に、レイトが目を見開く。
「おい、正気か」
止めようとした彼の前で、ディアナは剣を手に取った。リティアがパチンと手を鳴らすと、彼女のドレスは女性騎士の服に変わる。動きやすくなった身体で、彼女は剣を握り直した。
信じている。セイは負けない。でもヴァイスを傷つけたくないという彼の気持ちが伝わってくる。
しかし大公は諦める様子もなく、剣を揮い続けている。ならば──覇王が考えもしていないような布石を投じてみるのも良いかもしれない。
不安そうなリルディカと視線を合わせて、頷いてみせる。
そして。
月の女神が闘技場へ降り立った。




