真実への一撃
幾度目かに打ち込まれた剣を払った青の王子は、覇王と目を合わせ。その瞳に断固たる意志を見つけ、唇を噛んだ。彼は諦めそうもない。
「あなたがディアナを欲しがるのは──リルディカ殿の為ですか?」
セイの問いに、ヴァイスは低く笑った。
「いい加減、幼女趣味と言われるのも飽きたのだよ」
軽口を叩くが、その瞳に走るのは──動揺とも言えないほどのわずかな機微。セイはそれを見逃さない。
──そろそろ終わりにするべきか。
身体の正面で構えを取る。しかし近づく気配にセイはちらりとそちらを見て、溜息をついた。
「……まだ勝負は終わっていませんよ」
「その構え──本気で殺す気?あなたが後悔するようなことになるのは嫌よ」
ディアナは場違いなほどにゆったりと微笑んで、彼らの前に近づく。その手に握られた剣に、ヴァイスが訝しげに目を細めた。
「月の女神、あなたが俺の相手を?」
「私もヴァイス様と手合わせがしてみたくなったの。良いでしょう?」
まるでテーブルゲームに誘うような気軽さで言う彼女に、覇王は口元を歪めて嗤う。
「焦らずともあなたの相手なら、我が寝室でいくらでも」
あからさまな言葉に、セイが不機嫌そうにフォルレインで彼の足元に小さな雷撃を落とした。ヴァイスは一瞬ぽかんとして、それから大口を開けて笑う。
「はは!聖国の太陽は本当に嫉妬深いな!しかしこんな技が使えるのなら俺を負かすことなど容易かっただろうに」
「あくまでも剣の試合でしょう。小細工はしません」
そう言って、セイは愛しい婚約者の背後に回った。フォルレインを鞘に納める。そのまま彼は指を伸ばしたかと思うと、彼女の栗色の豊かに波打つ髪を器用に編み込んでいく。
世継ぎの王子で、しかも若い青年がするような真似ではないが、彼はディアナに対してのみ、こういうことをしたがる。初めは照れてしまっていたディアナも、もう今では彼の好きにさせていて、すっかり身を預けていて。その仲睦まじい様子に、見ていた若い騎士達は顔を真っ赤にして身悶えしていた。
「うわあああ、ヤバイ。見てる方がヤバイ!」
「さすがラセイン様。安定の激甘」
「モテる男はあーゆーのが嫌味なくやれるんだよなあああ」
……ラセイン様、内部に壊滅的なダメージ与えてます。
アランは苦笑を噛み殺した。
そんな外野になど構わず、セイは愛おしげに女神の髪に触れ、けれどその瞳は鋭く彼女の剣を見つめた。白銀のその正体に気づいたのだろう。シーファめ、と呟いてから、後ろからその耳に囁く。
「本気?」
「ええ。多分、私の方が向いてるわ」
「……気付きましたか」
冷静に相手の攻撃を先読みする彼と、本能と直感で戦うヴァイスは根本的に合わない。予測を覆してとんでもないことを仕掛けてくる相手に、計算など半分も役に立たないのだ。ヴァイスに対抗できるのはきっと、彼と似て非なる彼女だ。戦いの本能をもつ女神。
ディアナの髪から手を放す前に、王子はそこに唇を落として。
「無理は禁物ですよ。──僕にヴァイス殿を殺させたくないなら」
惜しむように指の隙間から零された髪が柔らかく落ちていった。その向こうで微笑む女神が頷く。
「だからあなたが好きよ、セイ」
結局は、ディアナを信頼してくれるのだから。
始め、と騎士から声が掛かった瞬間、ブワッと顔をなぶる風に、ヴァイスは咄嗟に剣を薙いだ。本能的に危険を察知した身体が勝手に動いたもので、何が起こったのか把握したのは、自分の腹に刀身がめり込んだ瞬間だった。
「がっ……!」
思わず衝撃に咽せる。片刃の剣だったため、斬られてはいない。おそらくわざとだろう。刃のない方を叩き付けられたのだ──あの女神に。ヒュ、と鳴った喉に構わず、追撃に備えたのは煌めく白刃が視界の端に映ったからだ。
ガキン、と剣が合わさって、その向こうに煌めく紫水晶の瞳が、ヴァイスを見つめた。彼の剣を避けながら、彼女は身を翻して更に剣を揮う。
「なっ──」
全く見えなかった剣筋に、一度間合いを取れば。ゆらりと剣を構えて立つ──月の女神に、ぞくりと背が粟立った。
なんて女だ。どこが可憐な少女なものか。艶やかで美しくて恐ろしい。ヴァイス以上に、戦いの為に生きる存在だ。
ラセイン王子とはまた違う手強さに、大公は漏れる笑いを抑えきれない──この女神ならばあるいは。
観客席では、レイトが茫然と戦いを見つめていた。
「化けもんか、あの女……」
戦う彼女は圧倒的に美しい。先程までの可憐さなどどこにもない。凛として、目を奪う闇夜に輝く月の光だ。が、美も過ぎればヒトではない──魔に近い存在のようで。思わず呟いてしまった彼に、
「ディアナはセインティアの護り神だ」
護衛魔導士のアレイルが、熱に浮かされたようにディアナに見惚れたまま答える。ハーフエルフの瞳には、人間の目に見えるもの以上が映っているのだろう。
リルディカは両手を握りしめて、彼らの戦いの行く末を見ていた。
そのとき。ヴァイスが確かに、巫女をちらりと見て──目が合った。
「ヴァイス様……?」
その瞬間に、女神の剣が大公の剣を弾き飛ばす。
“ガキィィィン──!”
大公の手から吹っ飛んだそれは、勢いづいたままリルディカとレイトの方へ飛んできた。小さな巫女はひ、と息を呑む。
あんなものが当たったら、死んでしまう!
一瞬の出来事が、まるでスローモーションのように巫女の目の前で繰り広げられ。
リルディカは青年の前に飛び出して両手を拡げた。自分が子供の小さな身体だということを忘れて。
「リルディカ!?」
驚きの色に染まったレイトの声が背中でして。白刃が目の前に迫った瞬間に、気付いた。
ああ、こんな身体では、彼を守れない。薄っぺらい小さな身体では、彼を覆い隠せない。
レイトを守ることが、私の──。
「守りの壁よ!」
銀の魔導士の弟子である少女が、呪文と共に魔法障壁を張る。幼い巫女を貫こうとしていた剣は、現れた光の壁に勢い良くぶつかって闘技場の床に落ちた。
「よくやった、リティア」
シーファが弟子の少女の頭を撫でる。杖を剣に変えてディアナに貸している彼は、その強大すぎる魔力ゆえに制御装置の杖無しで魔法を使うことを避けている。弟子の咄嗟の判断に満足げに微笑んだ。
「私はシーファの唯一の弟子ですから」
リティアは恋人でもある師を見上げて、にっこりと笑った。それを見届けて、セイはフォルレインを抜きかけていた手を戻す。魔法が間に合わなければ叩き落すつもりだった。彼同様に剣の柄に手を掛けていたアランも同じ考えだったに違いない。保安面で言うなら、王子、魔導師、魔導士、騎士、精霊と一流どころが揃っているここは一番安全だ。だからこそセインティア側の人間は今の出来事にも誰一人として動じていない。
少ない例外は──。
「……どうして、俺を庇った?」
レイトは目の前に立ったままの、幼い少女の姿をした巫女に問う。リルディカは硬直したまま動けない。命の危険はなくなったが、自分のしたことに気付いたのだ。
──動じてはいけなかった。彼と目が合ったのだから、気付くべきだった。ヴァイスはこうなると分かっていてわざと剣を飛ばしたのだ。試されたのはレイトなのか、リルディカなのか。
このままではレイトに知られてしまう。本当の心を。望みを。
「今更俺をかばったりしたって、お前の罪は消えない」
押し殺したように呟く、背後の青年の声に、もうリルディカは振り返れない。
「今更お前が何をしようと、俺はお前を許さない」
怒りと憎悪と困惑と悲しみ──彼の言葉に心を切り裂かれるような痛みを受けて、リルディカは目を閉じた。
泣いてはいけない。彼女にはその自由さえ許されない。裏切りの巫女なのだから。
傷つく心の陰に、それでも彼が憎しみとはいえリルディカに感情を傾けてくれることに、微かに昏い喜びを沸き起こらせているのも、事実。
薄紫の髪が揺れる小さな後ろ姿。レイトはリルディカの表情に気づかぬままに、その応えのない相手への絶望と焦燥を募らせて。
「何が、本当の望みだ……そんなもの俺が知るか。お前が何も言わないんだからな」
手ひどい言葉を投げつけるレイトの肩に、さすがにやめさせようとしてアランが手を掛けた。しかし青年の苦痛の叫びは止まらず。
「──俺の望みはお前の破滅だ!」
「それならもうすぐ叶うぞ」
響いたのは、覇王の声。
ディアナと共に、レイトの独白を聞いていたその男が。戦いの後とは思えない静かな瞳で、小さな巫女を見つめていた。
「……は?」
レイトと、一同の視線を受けてもう一度口を開く。
「もうすぐ、リルディカは消滅する。お前の望みは叶う、レイト」
リルディカが、消滅する?ヴァイスの言葉が、理解できない。
「……どういう、ことだ」
レイトは覇王を凝視しながら問いを紡いだ。彼はゆっくりと近寄ってくる。その目は怯える巫女を見つめていて。
「──2年前、暴走した魔竜を制御する為に、俺はリルディカの魔力を引き出した。その結果、リルディカは18歳の身体が10歳の子供になった。その意味をお前は正しく理解していたか、レイト?巫女は外見だけではない、その魔力と命も削ったのだ」
レイトは背を向けたままのリルディカを見た。彼女の肩が小刻みに震えているのに気づく。
「リンデルファが船を襲わせて肥え太らせた4匹の魔竜は、人間の命の味を覚えている。俺の支配は一時的なもので、そろそろその魔力も消えかかっている。次に魔竜が暴走すれば、俺は迷いなくもう一度巫女から魔力を引き出すぞ。なにせ俺は自国が大事だからな」
ヴァイスは挑むように軍服の青年を見て──。
「そうしたら、どうなるかわかるだろう?リルディカの魔力と命は残らず吸い上げる。その子供の身体は──赤子以前に戻って、塵となって消滅するだろうな」
リルディカの巫女の力は特殊なのだ。魔力を失えば、身体の組織すら保てずに作り変える。彼女が、無くなるまで。
あまりの言葉に黙していたセインティアの面々を見渡して、覇王は笑った。
「気付いていたのかな、王子は」
「我が近衛騎士は、リルディカ殿の魔力を感知していましたから。あなたに繋がれた糸から吸い上げられて、小さくなっている巫女の魔力が見えるそうですよ」
セイの厳しい顔に、レイトはハッとアランを見た。近衛騎士は眉を顰めて、事を見守っている。
彼が忠告したのは、このことか。亜麻色の髪をクシャリと掻きむしって、彼はヴァイスを睨みつけた。
「何故だ……あんたはリルディカのこと」
「何を勘違いしているのか知らんが、俺とこいつの間にあるのは取引のみだ。最初から、リルディカも承知の上だ。俺の巫女となり、その力を渡す。代わりに俺はリルディカの望みを叶える。まあ俺もリルディカの覚悟は気に入っているからな。何もせずに死なせるのはさすがに目覚めが悪いとこうやって代わりの巫女を求めたが、勝負には負けた。リルディカもディアナ嬢を次代の巫女にするのは反対のようだ」
リルディカはこのまま巫女として力を使い尽くすつもりなのだと聞かされて、レイトは思わずヴァイスに反論した。
「──待て、それでは矛盾する。リルディカの望みとは自分を助ける事じゃないのか」
覇王の巫女になってもいずれ死ぬしかないなら、リンデルファを滅ぼしてまで彼女が命乞いをする意味など無い。裏切り者と罵られ、自分の魔力と命を削られて、ヴァイスの命令に従っていたのは。自分から彼へと心変わりしたから、その隣で侍っていたのかと思っていた。そうでないなら──なぜ?
真実にたどり着きそうで、混乱する頭を抑えたレイトの前に、白銀の剣を携えた月の女神が近づいた。紫水晶の瞳を、彼のそれに合わせて。口を開く。
「私、あなたに言ったわよね。リンデルファの生き残りは、リルディカだけではないでしょう、と」
ひくり、と。
リルディカの喉が鳴った。




