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正義の本質は、デスゲームにて。ーそれは警察候補生による、文字通り命を賭けた戦いー  作者: やまだい


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9/9

8話 死

 ――何が起きた?


 両断されたミリアの身体。手首から先を失ったセイナ。返り血を浴びた寧。

 理解が、一切追いつかない。

 無論、誰が正義で、誰が悪か――そんなことを考える余裕は、もうどこにも残っていなかった。


 その渦中において、最初に動いたのは寧だ。一歩、また一歩。迷いのない足取りで、静かにセイナとの距離を詰めていく。

 

「おい……寧?」

 考えるより先に、口が先走っていた。今の寧を、セイナに近づけさせてはならない。

 理由なんて分からない。

 ただ、本能だけがそう告げている。


 だが――その声は、寧の足を止めるには至らなかった。

 

 まるで聞こえていないかのように、あるいは最初から無視するつもりだったかのように。一定の歩幅で、まっすぐに歩み寄っていく。

 乾いた土を踏む音が、やけに鮮明に感じた。


「や……め……」

 セイナの喉から、小さな音が漏れる。

 彼女は、地面に膝をついたまま、肩で息をしていた。視線は彷徨い、焦点は合っていない。自分の身に何が起きたのか、まだ理解が追いついていないみたいだ。


 寧は、彼女の言葉にも耳を貸さなかった。


「おい!寧……!寧ってば!!」

 もう一度、叫んだ。聞こえていないはずがない。

 それでも、彼女は振り返らなかった。まるで、俺という存在がこの場から切り落とされているみたいに。

 

 止めなければ。今すぐ寧を抑え込まなければ。

 頭の中では、何度も同じ言葉が反芻される。

 ――なのに、足が動かない。

 

「……痛いよね」

 虚ろな声だった。ただ、事実をなぞるだけのような乾いた響き。寧はそのまま歩みを止めず、セイナの目の前まで来ると、ゆっくりと屈んだ。

 次の瞬間、自分の袖を迷いなく引き裂いた。それを、セイナの傷に当てて、きつく縛る。


 ――止血だ。

 その手際は、妙に慣れている。無駄な動きが一つもない。

 最早、彼女の考えていることは、全くと言って良いほど分からなかった。

 寧はその手を止めることなく、静かに口を開く。

「貴女の痛みは分かるよ。でもね……」

 少し、間があった。そして。

 

「あの茶髪の子の痛みは、こんなもんじゃなかったんじゃない?」

 

 セイナの体が、ぴくりと跳ねる。


「……は?寧、お前何言って――」


 思考が止まる。体温がやけに煩い。汗が異常に冷たい。

 今の寧の言葉は、明らかにおかしい。

 だって、それじゃ――


「貴女がやったんでしょ?」


 寧は、顔も上げずに言った。手を動かしたまま、あまりにも自然に。あまりにも当たり前のように。まるで、最初からそうとしか考えていなかったかのように。


「な、何言ってんだよ……!」

 否定は反射だった。セイナが何かを口にするより早く、俺の口から出た言葉だった。

「違うだろ……だって、セイナは……」


 言葉が続かない。


 視界の端に、ミリアの身体が映る。

 その横に、セイナの震える肩。


「ねえ、答えなよ。なんで殺したの?」


 問いは柔らかい。が、逃げ場を与えない。


「……っ、ちが……」


 掠れた声が、地に落ちる。

 セイナのものだ。否定の言葉――そのはずだった。


 けれど、その響きはあまりにも頼りなく、芯を失っていた。まるで誰かに向けた言葉ではなく、自分自身に言い聞かせるための、空虚な音のように。


 寧の手は止まらない。

 淡々と、無駄のない動き。指先に迷いはなく、そこにあるのはただの作業に等しい。


 それ以上、彼女は何も聞かなかった。


 寧が縛り終えると、セイナはその場に崩れるように、両肘を地面に落とした。浅く荒れていた呼吸が、少しずつ、少しずつ整っていく。

 青ざめていた頬にも、微かな血色が戻り始めていた。


 沈黙が落ちる。


 誰も言葉を発さない。

 吹き抜ける風だけが、木々の葉を揺らしていた。さらさらとした音が、やけに穏やかで――この場の空気とは、どこか噛み合っていない。


 その不自然な静けさを、寧の声が裂いた。


「……なんで殺したの?」


 先ほどと同じ問い。

 だが、今度は逃げ場を完全に塞ぐように。

 深くて、重い――そんな雰囲気を纏っていた。


 セイナは答えない。


「助かるため?」


 沈黙。


「それとも……見捨てた?」


 その一言で、セイナの肩がわずかに落ちた。

 張り詰めていた何かが、音もなく緩んでいくように。

 糸が切れたみたいに、力が抜けていく。


「……こ、怖かった」

 絞り出された声は、あまりに小さい。

「何が?」

 寧は間髪入れずに問う。その声音には、責める色も、慰める色もない。ただ事実だけを掬い上げようとする、冷たい静けさがあった。


「……死ぬのが」


 セイナが、ゆっくりと顔を上げる。

 赤く充血した瞳が、こちらを捉えた。


 泣いていたのか。

 それとも、まだ泣いているのか。

 ――判別なんて、できるはずがなかった。


 ただ、一つだけ確信的なことがあるとするならば。

 その目に宿っていたのは、取り繕うことすらできなくなった“恐怖”だけだということだ。


「……ミリアのオリジンじゃ、この先、勝てないと思ったの」

 ぽつり、と零れた言葉は、風にさらわれるでもなく、その場に重く沈む。

「一緒にいたら――私も死ぬなって、思った」

 

 誰に向けたものでもない。

 ただ、逃げ場を失った心が、ようやく外に滲み出ただけの告白だった。


「それで、殺したの?」

 寧の声は、相変わらず静かだった。

 責めるでも、咎めるでもない。ただ、その事実の輪郭を確かめるように。


「……殺そうとした時、迷った」

「迷ったけど……怖くて」


 言葉を継ぐたびに、呼吸が乱れる。胸の奥に押し込めていたものを、一つずつ引き剥がしているみたいに。


「でも、二人で生き残っていける自信も……なくて」

 そこで、声が途切れた。

 沈黙が落ちる。

 風の音さえ、今は遠い。


 セイナは俯いたまま、指先を地面に押し付けていた。爪が土に食い込むほどに力を込めているのに、その身体は、どうしようもなく弱々しい。

 

「でも……あの子、六点だったから」

「二時間後の位置情報で……死ぬって、思っちゃったんだ」


 その“思っちゃった”が、あまりにも軽くて。

 けれど、その軽さこそが、取り返しのつかない事の重さを生んでいる。


「……だから、切ったんだ?」

 寧の問いは変わらない。

 どこまでも静かで、どこまでも逃がさない。

 セイナは、答えなかった。

 答える必要がないことを、自分でも分かっていたのだろう。


 悪意じゃない。怨恨でもない。

 そんなものは、どこにもなかった。


 ただ、怖かっただけだ。

 ただ、生きたかっただけだ。


 ――ミリアは、セイナの“弱さ”に殺された。


 でも、それでは一つだけ、納得がいかない。

「お前は、そんな弱い奴じゃなかっただろ……?だって、あの日の夜も――」


 そこで止まった。口に出して、初めて気付いたから。

 

 あの夜、廊下で剣を構え直した時のこと。襲撃犯目掛けて、真っ直ぐに立ち向かっていった時のこと。

 迷いのない目だと思っていた。強い奴だと思っていた。


 でも今思えば、あの夜だってあいつの手が一番震えていたではないか。


「あの時は……レイジも隣に居たからね」


 ――あぁ、そうか。

 

 あの震えに。あの目の奥にあった、必死さに。

 気づいてやれなかったのは――他でもない、"俺"だ。


 ◇


 どれくらい、こうしていただろうか。

 端末には、何十件もの通知が溜まっている。


 ――やがて、寧がゆっくりと立ち上がった。


 崩れたままのセイナを見下ろし、その視線はどこまでも静かで、どこまでも無機質。

 責めも、憐れみもしない。ただ、冷徹に現実を見据えるだけの目。


「……人は、選ぶの」


 ぽつり、と落ちた声は、誰に向けたものだったのか分からない。セイナに向けたのか、それとも、この場にいる"全て"に対してなのか。


「助けるか、見捨てるか。逃げるか、立ち向かうか」

 淡々と、言葉が積み重なる。

「みんな、いつも選んでる」

 風が吹く。木々が騒めき、その音だけが妙に大きく聞こえた気がした。


「貴女の選択は――理にかなった正解だったんじゃない」


 ――もし、それが正解だったら。

 そんな考えが、ほんの一瞬だけよぎって。

 セイナは、ゆっくりと首を横に振った。

 

「……間違いだよ」


 小さく告げられた、短い言葉。


 俺は、何も言えなかった。

 何を言っても、この場の重さを変えることはできないと悟っていたから。


「でも……レイジは、ちゃんと選べるよね」


 不意に、セイナがこちらを向いた。

 赤く滲んだ瞳が、淀みなく俺を捉える。

 その表情は、さっきまでの怯えとは違う。


「全部――見えてるもんね」

 そう言って、セイナは微笑んだ。

 その笑顔が――彼女の全てを許してしまいそうで。


「……ああ」

 反射的に、口から出た言葉。セイナの表情を見て、肯定しなければいけない気がした。

 

 ――でも、違う。

 本当に、俺が言いたかったことは。


「俺達と過ごしてみて……どうだった」

 一拍空けて、静かに問う。

 

 口が言うことを聞かない。いや、口だけではない。心も体も、全てが嘘を吐いている。


 本当に俺が伝えたかったこと。

 それは、たった一文の短い言葉。


 ――"俺は、何も見えてなんかないよ"。

 

 セイナの怯えも、ミリアの死も、この結末も。

 見えているものなんて、一つもなかった。


 そのことを、セイナは知らない。彼女は何度か考え直すような素振りを見せて、ようやく口を開く。


「最っっっ高に楽しかったよ。ありがとう!」


 ――見覚えのある、いつもの笑い方だった。

 

 特別な意味などない。日常の延長線にある表情。

 腕相撲だとか、ジャンケンだとか。そんな些細な勝負のあとには、きまってこうして笑っていた。


 その強気な姿勢からは想像もつかない、可愛らしい笑みだった。もうこの景色も、何度見てきたか分からない。


 寧が、足元に転がっていた短剣を拾い上げる。

 血の跡が乾きかけた刃。さっき、空を裂いたあの軌跡が、まだ目に焼き付いている。


 彼女は、それを軽く投げた。

 放物線を描いた短剣は、俺の足元へと転がってくる。

 

 セイナは逃げなかった。抵抗もしなかった。

 ただ、目を閉じた。

 

 ――それが、答えだ。


 ◇


「強いね、レイジは」

 俺の背中に向けて、言葉が投げかけられる。

 それに、何かを返すことはなかった。

 

『[脱落]美剣セイナ――死亡』

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