1話 嘘の真意は自衛のために?にて
――目が覚めた時、そこは真っ白な空間だった。
天井も、壁も、床も。境界すら曖昧な白。
広さはおよそ五十メートル四方。まるで、巨大な箱に放り込まれたような気分だ。
そして、その箱の中には――俺以外にも、人がいた。
視界の端から端まで、びっしりと。男女問わず、年齢もばらばら。ざっと見積もって、百人前後だろうか。
ただ、異様なのはその人数じゃない。服装だ。
紺と水色を基調にした制服。おおよそ百人くらいの全員が、全く同じものを身につけている。
そう、警察官の制服だ。
さっきまでバイトの服でレジに居たはずじゃ……?
そんな疑問が脳裏をよぎるが、一旦は「こういうオリジンを持った人間が運営側にいる」ということにしておこう。
再度辺りを見渡す。ここで初めて、この空間の音に意識が向いた。
「まだ準備できてねえよ!」「ここはどこだ!」
怒鳴る者、喚く者。焦りと不安に満ちた声が重なっている。この場にいる半数くらいはそんな様子だった。
馬鹿な奴らだ。自分がリンクを押したから、今こうしてこの場にいるはず……なのに、いざこうして訳の分からない空間に囚われてみれば、幼子のように騒ぎ出す。
ただの好奇心で来てしまったのか、誤って押してしまったのか。少なくとも、ここに立つ資格はない。
それに対して、残りの半数はというと――
信じられないくらい静かだった。覚悟が決まってるのか、はたまた場慣れでもしてるのか。こういう奴らは決まって真っ直ぐな瞳をしている。
騒いでも仕方がない。俺はそう思いながら、いつも通りの平静さを装っていた。――そう、装っていたのだ。
内心は冷や汗いっぱいだった。それを心の内で留め、いかにも俺はあいつらとは違いますよ、みたいな顔をしていた。
理由は、極めて明白。
(早く未来を見れないと……やばいか)
――クールタイムだ。全くと言って良いほど、未来が浮かんでこない。
原因は分かっている。リンクを押すか否か、その選択に心を奪われ、必要以上に未来視を重ねてしまった。普段なら抑えられるはずの衝動が、あの瞬間だけは妙に甘く、抗いがたかった。
そしてその代償が、今こうしてきっちり支払わされている。
普段なら三十分もすれば戻る。何度も繰り返してきた経験が、それを保証していた。
だが――
(……ここ、どれくらい経った?)
どれだけ眠っていたのかが分からない。時間の感覚が、すっぽりと抜け落ちているのだ。
さっきまでの出来事が直前なのか、はたまた十数分前なのか――その判断すら曖昧だった。
未来視がいつ戻るのかも、分からない。
この空間が何なのかも、分からない。
次に何が起こるのか――それすら、何一つ。
分からないことばかりだ。
思考を巡らせようとしても、指先から零れ落ちる砂のように、形を保てない。未来を読む力を失った今、自分は驚くほど無力だった。
いざという時、頼るべき"未来"が存在しないだけで、世界はこんなにも怖いものになるのか。
「……大丈夫か?」
不意に、耳元から声がしたような気がした。
――幻聴だ。
瞬時に、脳がそう結論づけた。
なんせ、こんな場所で俺に声をかけてくる存在など、いるはずがない。
たかだか未来が見えないだけで、ここまで参ってしまうものなのか。
「おい……本当に大丈夫か?」
また、声が聞こえた。何かがおかしい。これは――もしかすると、幻聴ではないかもしれない。
反射的に顔を向ける。すると、そこにはこちらへ向けて手を差し伸べている、見知らぬ男がいた。
年は同じくらいか、少し上。やけに人懐っこい笑みを浮かべている。
「顔色、やばいぞ」
男は苦笑まじりに言って、さらに一歩踏み込んだ。
「……別に、平気だ」
短く返す。事実、体調に問題はない。
ただ――状況が厄介なだけだ。
「強がるなって。こういう時は助け合い、だ」
男は軽く肩をすくめると、再度強調するように、手を差し出してきた。
距離が近い。初対面にしては、踏み込みすぎている。警戒心の薄さというよりは、意図的な“距離の詰め方”だ。
(……顔を売る気か)
そういう立ち回りの人間もいる。ここで関係を作っておくことで、後の交渉を有利に運ぶタイプ。
ならば、こちらとしても断る理由はない。
「分かったよ、ありがとう」
差し出された彼の手を取る。強くも弱くもない、曖昧な握り。立ち上がるなり、俺はその手をすぐに離した。
「元気そうで何よりだ。じゃ、また会う時があればな!」
男は満足げに笑うと、あっさりと背を向けた。躊躇いもなく、次の元へと向かう。
「おーい、そっちの人も大丈夫か?」
先程と同じようにして、また手を差し伸べている。最初から、俺に執着なんてなかったみたいだ。
(……なんだか忙しい奴だな)
それだけ思って、視線を外した。
騒めきが、じわじわと耳に戻ってくる。
誰かの怒鳴り声。不安そうな会話。壁を叩く音。さっきまでと何も変わらないはずの光景が、ほんの少しだけ現実味を帯びてきている。
――次の瞬間。
『みなさん、ご参加ありがとうございます』
甲高い子供の声だった。いかにもデスゲームのアナウンスに相応しいような。
どこから流れてくるかも分からない声に、周囲の騒めきが、一瞬だけ消える。
声一つで場を支配する、その静寂の作り方が、余計に気味悪かった。
『本日より、警察直属の異能部隊選抜試験を開始します。ここで脱落した者に待っているのは――死です』
「は?」「え……!?」「お、おい!?」
周囲に騒めきが戻る。混沌とした空間の中、俺は微動だにせず、ただ思考を巡らせていた。
まず、あり得ないくらい軽く言ってくれるなと思った。あくまでもこれは警察の選抜試験だ。それなのに、人の命をここまで蔑ろにしてしまって良いのだろうか。
――矛盾点が多すぎる。
警察が、人を殺す試験を行う?
法はどこへ行った。その責任は。
少なくとも、俺の知っている“警察”ではない。
本当に警察なのか。
それとも、警察を謳った何者かの犯行なのか。
あるいは――裏ではこれが許されている世界なのか。
どれも、ろくな結末にならない。そして、どれも明確な答えは見つからない。
そして、分からないものを考えているほど余裕はない。俺は再び、アナウンスの方へと意識を戻した。
『参加者の皆さんには、お名前とオリジンの名称を紙に記入して頂きます。詳細な説明は、また後ほど』
変わらず、淡々とした口調。それと同時、白い空間に一枚ずつ紙が降ってきた。ご丁寧なことに、ペンも一緒。
触れると、確かに紙の感触がある。VRなのか現実なのか分からない空間で、手渡された紙の質感だけが、妙にリアルだった。
ここでようやく、白一様の空間に騒めきが戻った。果たして、素直にこの紙に情報を書いて良いのか?みたいな顔を大半がしている。
名前を書くというところまでは、スムーズに手が進んだ。迷いはなかった。ペン先は紙の上を滑るように走り、いつも通りの筆跡で漢字が並んでいく。
続けてオリジン――というところで、手は速度を緩めた。その理由は、たった一つ。
《オリジンをお書きください。※自由記述。》
米印と共に付け加えられた、たった四文字の言葉。だが、その簡素な言葉が、この場にいる全員の思考を同時に歪ませていた。
自由記述――つまりは、強く見せることも、弱く偽ることもできる。自分という存在を、好きなように“設計”できるということだ。
(……まいったな)
本来であれば、ここで二択を使うべきだ。というか、ここで二択を使わない選択肢なんてない。しかし、当たり前のように未来視はクールタイム中で使うことはできない。
正直に申告すべきか、或いは――
ペン先が紙の上で止まり、じわりとインクが滲む。時間がないわけではないはずなのに、周囲の筆記音がやけに速く感じられる。自分だけが取り残されているような錯覚。
そして。
「賭けて……みるか。」
能力を運営に申告する以上、どのみち手の内は晒すことになる。それなら、最初から何も与えない方がいい。こういうゲームは、嘘をついてこそだ。
――こうして俺は、オリジンの自由記述欄を白紙で提出した。
紙が回収された瞬間、わずかな解放感が胸を抜けた。
正直に書くか、嘘を書くか。俺はそのどちらにも転ばない、第三の逃げ道を選んだのだと――その時は少しばかり優越感に浸っていた。自分は他の奴らとは違う、と。
だが、この選択が間違いだと気付かされるのに、時間は要さなかった。
これはあくまで、警察直属の、異能部選抜試験であるということを、くれぐれも忘れないように。
【設定資料】
今回開催されたデスゲーム。なぜ、公的機関である警察がこんな催しを行うのか。
ヒントは、この世界の時間軸は"少しだけ未来の日本"ということ。




