第29話 イブリース
意識を失ったアンナは気がつくと裁判所にいた。
被告人として証言台に立たされており、その手足は鎖で繋がれている。
綺麗な黒髪が視界に写る。
アンナは自分がイブになっていることに気がついた。
ここが所謂『夢』の中であると自覚する。
アンナはイブの記憶を彼女の視点で追体験しているようだ。
断片的にイブの記憶が頭に流れ込んで来て、今の状況を理解できるようになる。
今は『聖暦』1900年。
まだ全人類に魔力が与えられる前の時代だ。
魔法使いは極少数しか存在しない。
「判決。魔女イブを死刑とする」
無慈悲に裁判長が槌を叩く。
それと同時に聴衆たちが歓喜し、「魔女を殺せ」と叫び出す。
魔女と蔑まれてもイブは俯いて何も言わない。
イブの弁護人が抗議した。
「彼女は魔神サタンを倒し、人々を救ったんだぞ!」
彼の言う通り、イブは人類を滅ぼそうとした魔神サタンを倒して世界を救った。
しかし、世界を救えるほどの魔法の力を持つ存在が怖くなった人々は、イブを魔女と呼び、排除しようとしていた。
冷徹な裁判長が弁護人に返答する。
「しかし魔女イブは悪魔リリスをはじめとする多くの異教の魔神と契約して魔法の力を得ている。これは極刑に値する重罪だ」
「彼女の魔法は全て人を助けるために使われた!」
「罪は罪だ」
裁判長や裁判官、聴衆の一部の人の目はどこか虚だ。
彼らは魔法によって洗脳され操られていた。
魔法使いも、非魔法使いも、イブの存在が恐ろしく、そして邪魔だった。
皮肉にも対立し合う両者はイブを死刑にするために結託し、この裁判をでっち上げた。
「イブ、もういい、こんな茶番に付き合う必要はない。君の魔法の力なら鎖なんて簡単に壊せるだろ。逃げるんだ!」
弁護人がイブの手を引く。しかしイブが逃げ出すことはなく、悲しそうに微笑んだ。
「この先の平和な世界に私はいらない」
世の中を平和にするため、人を助けるために戦ったのに、自分が新たな争いの種になることをイブは許せなかった。
自分の死で世界が平和になるなら、彼女は死を選ぶ。
ただ、一つだけ望みがあった。
現在、魔法使いが世の中に認知され、非魔法使いとの間で差別、格差が生じている。それを無くしたかった。
イブは無抵抗のまま断頭台に連れて行かれる。
聴衆たちが大声でイヴを罵倒し続ける中、裁判長が尋ねた。
「最後に言い残すことはあるか?」
「全ての人が魔法を使える世界になりますように」
祈るように目を瞑り、お願いした。
冷たい刃が魔女の首を刎ねた。
イブが死んだことで、アンナの視界も暗転した。
次に気がつくとアンナ──イブは静かな牢屋にいた。
牢屋には先住者がおり、声をかけてきた。
「莫迦な女だ。人間を救い、人間に殺され、終いに地獄に堕ちるとは」
声の主が暗がりから姿を現す。髭を生やした長髪の初老の男だった。
「サタン」
イブはその人物を知っていた。かつて世界を滅ぼそうとした魔神サタンだ。
「なんでここにいるの」
イブの質問に男は嗤う。
「お前に殺されたからだ、莫迦女。そもそも俺は地獄の王だぞ。ここにいることになんの問題もない」
イブはそうかと俯く。ここは地獄だ。もっと炎が燃えていて、鞭打たれながら重たい荷物でも運ぶ場所かと思っていたが、随分と暗くて冷たく、寂しい場所だ。
「地獄って暇だね」
「ああ、だから俺たちは人間を弄ぶし、現世で受肉を望む」
さてと、サタンが立ち上がる。
「現世の奴らが気になるんだろう。見せてやるよ」
現世の光景が牢屋の壁に映写される。悪魔が現世を観測する魔法だ。
「喜べ聖女イブ。お前の祈りは確かに届いた」
くくくとサタンが嗤った。
壁にイブが死んだ後の現世の光景が写る。
イブが死んだ瞬間、彼女の魔力が世界中に降り注いだ。
それによって全人類が魔力を得て、魔法が使えるようになった。
人類はこの出来事以降、暦を改めた。
『魔法世紀』の始まりだ。
人々が魔法を扱えるようになった光景を目にして、イブはぴょんぴょん喜んだ。
「これ本当!? サタンの嘘じゃない? 私の願い叶ったの?」
「落ち着け、全て事実だ。そう、全てな」
映像はリアルタイムで現世の光景を映す。
やることのないイブとサタンはずっとその光景を見続ける。
徐々に、徐々に、イブの顔から笑顔が消えていく。
魔法を得て人々は平等になったはずなのに、今度は魔法能力で人々に格差や差別が生まれた。
そして、魔法は戦争に用いられ、世界大戦と呼ばれるほどの大きな規模の戦争が勃発した。
世界中の怒りと憎しみと悲しみが地獄の牢屋に向かって木霊する。
「サタン、もうやめて。これはあなたの見せる幻なんでしょう」
「ならば己の目で確かめればいい。お前なら、その気になればいつでも現世に戻れるだろ」
イブは猫に憑依して人々が魔法を得た世界の光景を間近に見た。
人々の生活は魔法技術で格段に良くなった。それは事実だ。
しかし、魔法世紀になってから、新たな格差、差別、迫害が生じ、争いは絶えず起こり、世界の人口の3パーセント以上が亡くなる世界大戦が勃発したことも事実だった。
猫は世界中を歩き、肥えていく魔法使いと痩せ細っていく魔法弱者を見た。
魔法弱者への差別や魔法使いへの復讐を見た。
魔女狩りの再燃とその復讐を見た。
全てはイブの願いから始まった。
イブの願いが、人々を沢山傷つけて、殺したのだ。
願いは、祈りは、呪いに変わってしまったのだ。
猫は突然摘まれて籠に入れられた。
猫を捕まえたのは男の子で、彼は家の倉庫で猫を生きたまま解剖し、血肉を黒魔術の代償に使用した。
最後は魔力弾の的にされて、猫は死んだ。
イブが地獄の牢屋で目を覚ます。牢屋ではサタンが愉しそうに嗤っていた。
イブは崩れ落ちて涙を流すと地獄の底から現世を見上げた。
「人間を、滅ぼそう」
魔法という奇跡を凶器にしてしまう生き物なんていない方がいい。
人間にも善い人が沢山いることなんて知ってる。
でも、人類はその全てで人類なんだ。
もう悪性腫瘍は身体に回りすぎていた。
残された治療法はない。
これ以上苦しい思いをする前に死ぬことが、人類にとって一番幸せだ。
「サタン、契約して」
「何をくれる。お前に何がある」
「人間を滅ぼしてあげる。だから、わたしを悪魔にして」
「くくく、承諾した」
イブの魂は悪魔に創り変えられ、サタンの能力を獲得した。世界を滅ぼせる魔王よりも強い魔女が魔王の力を得たのだ。
「お前に俺の古い名を一つくれてやる、魔神イブリース」
その日、新しい魔神が地獄の底で生まれた。




