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恩寵眼の絵画修繕者   作者: あさぎかな@電子書籍化、コミカライズ連載準備中
絵画修繕:依頼者は吸血鬼と妖精女王
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41話 襲撃

 緊張の糸が解けた瞬間、僕は作業室で倒れるように眠ってしまった。それから数時間ほど仮眠をとり、軽い食事をご馳走になった後、僕と白李は教授の屋敷を出た。

 泊っていくことを進めてくれた教授の申し出を断ったのは、僕なりに二人の時間を捻出させようと配慮したからだ。それに家で待っている皇さんや白金たちも心配しているだろう。一応メールで連絡はしたが、顔を見せた方が安心するはずだ。


 すでに日が傾き、赤紫の空が広がっている。

 住宅街を歩いていくと川沿いに出た。

 桜は散ってしまったが、菜の花はまだ咲いていて、僕たちは川に沿って家に戻る。川と言ってもそこまで大きくない。小舟が二艘ほど通り抜けられる程度の幅だが、漕ぎ手は女性が多く着物姿に、襷掛けをしておりなんともお洒落だ。

 いつか白李と乗って祀戸をめぐるのも悪くないかもしれない。

 もっとも今は彼女の機嫌をどのように良くするかが先決だった。

 僕が目を覚ましてから白李は僕に引っ付いたままだ。美女に腕をつかまれて歩くのはなんとも嬉しい──いや、歩きづらい。

 白李からはいい匂いがするし、胸が腕に当たる。僕の身長があと十センチ高ければ、きっとつり合いが取れていただろう。

 白金と皇さんのように──。


(……でも、白李に心配かけたから、離れてとも言いずらい)

「フウタ、拙は怒っている」

「急に倒れてごめん」

「心臓が止まるかと思った」

「これから気を付けるって」

「だめ。しばらくは離れない」

「お詫びに、今日帰りに買うケーキの種類を五種類に増やすから」

「……」

「じゃあ、ゴールデンウィーク中に、こないだいけなかったクレープ屋と東京観光巡りをするのは?」


 白李の目がキラリを輝いたが、まだ怒っているようですぐに眉根も吊り上がる。


(うーん、今回は物で釣るのは悪手だったか)

「それでも許さない。フウタがいないと、美味しさが半減する」


 目を伏せると登良の後ろ姿を思い出す。いつも隣にいた親しい人がいなくなる恐怖。それを僕は知っている。だから、白李の言葉が胸にぐさりと突き刺さった。


「そうだよね。……僕も、置いて行かれるのは嫌だって、痛いほどわかっていたのに──」

「フウタ?」

「ごめんね、白李。──でも、僕は絶対に白李の傍からいなくならないから!」

「……うん!」


 ほんの少し白李の頬が赤くなったが──夕焼けのせいだろうか。

「明日は一日、のんびりだらだら過ごすぞ」と、言い切る前に──視界の真横から突如、黒塊が飛び込んできた。もちろん、僕に急接近してくるものを避ける身体能力はない。


「!」

「──ぐえ」


 白李がいち早く気付き、僕の後ろ首を掴んで引っ張ってくれたのでなんとか避けることができた。僕に当たらなかった黒い塊はバレーボールほどの大きさで、アスファルトに叩きつけられた。よく見るとピクピクと動いており──それが烏、小太郎だと気づくのに数秒かかった。


「え、小太郎!? 昨日から姿を見ないと思ったら、なんで死にかけているんだよ!?」

「風太……にげ……がっ」


 生きてはいるが、翼が変な方向に折れ曲がっている。痙攣した体は震えていた。


「そこの烏。ずいぶんとしぶとかったよ。……もっとも一昼夜逃げ回っていただけだけどな」

「誰だ!?」


 降りかかる声に顔を上げると、屋根上に佇む人影があった。小太郎が人の姿になった時の容姿にそっくりだった──が、その下卑た笑みはどう繕っても小太郎と別人だった。


「素直に情報を吐けばいいのに、骨を折っても逃げるばかりでね」


 男は屋根から飛び降りると、くるりと身を翻して僕たちの前に着地した。僕は小太郎を拾い上げると、両手で抱きかかえる。普段、ちゃらんぽらんで横着者な上に小狡い。けれど根は良い奴で、なんだかんだ言いながら仕事はきちんとこなす。

「ごめん……」と小太郎は絞り出すような声を出したのち、わずかに震え──息を引き取った。烏の体は金色の光に包まれ蛍火となって空に散る。


「小太郎……」


 柔らかな温もりが僕の中から滑り落ちて消えていく。本気で小太郎が逃げようとしたなら捕まらなかった筈だ。『高天原機関』に逃げ込めばいい。でもそうしなかったのは、相手の意識を小太郎に向けさせて、時間を稼ぐつもりだったのだろう。

 小狡いくせに、弱いくせに……仕事だけはやり通す。だから僕は小太郎が嫌いになれなかった。

 わずかに甘ったるい匂いが鼻腔を刺激する。

 嫌な予感がした。

 ぐおおん、と銅鑼を鳴らすような音が耳朶を刺激する。

 ぐっと、下唇を噛みしめる。得体のしれない違和感に耐え、男を睨む。だが次の瞬間、まるで体が落下するような──感覚に襲われ──意識がぶつりと、突然落ちた。



 ***



「……──に、なんの用ですか?」

「ほう。目がいいだけではなく、音と匂いによる幻術にも耐性があるようだな。俺は『PHANTOM(ファントム)』の一人、ナンバー十四──と言えばわかるか?」


 教授から聞かされた『PHANTOM(ファントム)』なる組織がこうも簡単に姿を見せたことに、()()はわずかに眉を寄せた。


「なんで小太郎を狙った? 『PHANTOM(ファントム)』は絵画に呪いをかけるのが目的と聞きましたけど」

「今回は組織としてじゃなく、俺個人の復讐だ」

「復讐? 対象は()()ですか? それともルーカスの絵画?」

「ルーカスの絵画を一つ残らず燃やし尽くす」


 ぞくりと背筋が凍るほどの冷えた声。

 濁り切ったその瞳は、復讐心に取り憑かれた悪鬼そのもののようだった。今にも爆発しかねない殺意の塊に、風太は後ろに一歩後ずさる。


「……だから、それを修復しようとするお前も消す。絵画は呪いを吐き出し続ける」


 向けられた殺意は肌がチリチリするほど痛い。

 言葉も、態度も本気で殺そうとしている。傍に控えていた白李が今にも斬りかかりそうな勢いだった。

 ヨクナイモノが相手ならいいだろう、だが人間を斬るのはいろいろと不味い。

 ふと、人ではない何かが、屋根の上を軽々と跳び映っている姿が一瞬だけ見えた。刹那であったが、それでも風太の瞳はそれが何者かすぐに気づく。


「吸血鬼? それもかなりの数……」

「ルフス・ウィア騎士(Rufus・Via Eques)を離反した──者たちにアディバルド教授の居場所をリークしただけさ」


 男の目的がトワイライト・ルーカスの絵画の消去だというのなら、教授の家も標的となる。そのための手駒だろう。彼らは絵画よりも教授の命が狙いだ。


「白李、教授の屋敷に向かってくれないか?」

「──だが、拙は」


 風太は振り返らずに白李の言葉を遮る。


「オレなら大丈夫。だから、頼むよ。──それに白李に人殺しはさせられない」

「!」


 風太は出来るだけ優しい声で、白李に告げた。

 絵画が完成した時点で依頼達成となり、その後の事は風太が追うべき責任ではない。けれど今回に限って、教授やエマが途中退場するのは、風太も困るのだ。だから面倒だけれど、引くわけにはいかない。


「わかった。拙は守るためにフウタの傍に居るのだから、フウタの守りたい者も守ろう」

「うん、助かるよ」

「行ってくる」


 白李は素早く身を翻し、屋敷へと飛ぶように駆けていった。それは疾風の如く、荒々しくも素早い。


「自分の命よりも絵画を優先するとは、恩寵眼(グレイス・アイ)保持者とは愚か者ばかりだな」

「いや、そんなつもりはない。オレは風太の命が大事だと理解している」


 男は挑発と受け取ったようで、殺気だった。


「ほんの少し目がいいだけのガキが、本気で俺に勝つつもりでいるのか?」

「まさか」

「クククッ、なら命乞いでもするのか?」

「一つ教えて欲しいのだが、『PHANTOM(ファントム)』は、なぜ呪いの絵画を生み出す。誰への復讐だ? 何のために生まれた? その辺がいまひとつ判然としない」

黒の年代記(ブラック・クロニクル)とは、まさに闇に埋もれた歴史の事実を意味する。それは敗者、力なき者たち、迫害された異端者の──負の感情と殺意と憎悪がない交ぜになった歴史の断片。これは過去からの報復をするために『PHANTOM(ファントム)』は設立されたと聞いている」


 せせら笑う男に風太は出来るだけ平坦な声で、慎重に尋ねた。


「なるほど。ではお前が美術館の配置を勝手に変えた人──で、合っているだろうか?」

「ああ、そうだ。アディバルド伯爵がトワイライト・ルーカスの絵画を隠し持っていたからな。利用できないかと考えた。……百年以上隠し持っていたんだ。今度こそ焼き払う。他の奴らは、あの絵の上に呪いを、黒の年代記(ブラック・クロニクル)を描き込むことこそが目的だと言うが、俺は違う。オレはトワイライト・ルーカスの絵画そのものに人生を滅茶苦茶にされた。だからあの絵画をすべて灰に還すまで終わらない。何度でも、何枚でも──燃き尽くす!」

「焼き尽くす……ね」


 風太の声は震えていた。恐怖からではない。しかし、眼前の男はそう聞こえなかったのだろう。

 舌に油でも塗っているのか饒舌に語る。


「ああ、創世記の第三章にも『汝は塵なれば塵に返るべきなり』とあるだろう。土は土に、塵は塵に、灰は灰に還す。忌まわしい存在は全て消し去るべきだ」

「そうか」


 風がざわつき、笹の揺れる音が耳に響く。笹薮が近くあるのだろう。

 赤紫の空が闇に染まる刹那。

 風太は伊達眼鏡を外すと、俯き気味だった顔を上げた。もうそれだけで決着はついたようなものだ。風太と目が合った男は、少しだけ怯んだがすぐに口元に笑みを浮かべた。


「まさか恩寵眼(グレイス・アイ)保持者というだけで、俺を止められるとでも思ったのか?」


 風太は答えない。答えるまでもない──結末はすぐに出るのだから。

 ただ普段の彼を知っているのなら、微妙な口調や一人称が異なることに気づいただろう。そしてそれが誰なのかも──。男は自らの術式によって呼び起こしてはならない類のモノを表に引っ張り出したのだ。ある種、白李よりも厄介な相手を──。

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