42話 紐解かれた嘘
屋敷は既に火の海だった。
あらかじめガソリンでも撒いていたのか、思いのほか火の手は早く逃げ場もない。さらに刺客によって脱出は困難を極めていた。
土足で踏み込んだモノたちは人の形をしているが、術式をくみ上げて生み出した使い魔たちだ。虎の四肢に、狼に似た顔、キマイラに近く、色は白クマのように真っ白だった。
──ガルルルッ!
一斉に鋭利な爪が床に転がっているアタッシュケースへと襲い掛かる。
「汚らわしい手で妻に触れるな」
アディバルド・ハインリッヒ──教授は的確に獣たちの後頭部目掛けて足蹴りを食らわせる。その威力は恐ろしく、隣の部屋の壁まで貫いた。
──グルルッ。
教授単体であるなら優勢ではあるが、相手は多勢に無勢。
倒しても、倒しても湧いて出てくる。
寝室にまで炎は広がり、厄介なことに出口は使い魔に押さえ込まれている。しかし教授にとって最も危惧していたのは『妖精女王』が敵の手にあることだ。
(くそッ)
絵画専用のアタッシュケースに入れているが、超合金であつらえた特殊なアタッシュケースは、砲弾に直撃してもびくともしない。呪術、魔術による耐性も強い術式も組んでいる。使い魔であろうとも、容易に破壊されない逸品だ。
だが、物には限度という物がある。教授は何度かアタッシュケースを取り戻そうとするが、そのたびに使い魔は執拗にアタッシュケースを狙う。
ガンガン、と嫌な音が教授に冷静さを奪っていく。
真祖吸血鬼である彼は、腕がもがれようと、心臓を貫かれようと、死にはしない。
だからこそ多少の無茶は出来た。また吸血鬼という種族は身体能力に優れており、怪我をしても超回復する上に膂力も常人の数倍の力を有している。だが──疲労しないという訳ではないのだ。
(よりによってこのタイミングで『PHANTOM』が動くとは──。真っ先に手を下すとしたら、昼川風太の方だと思ったのだが──甘かったか)
──ガルルッ!!
「ええい。無粋な輩だ!」
吐き捨てるように言いながら教授は戦った。せめて一瞬でも別の何かに意識を向けられなければ彼女を救い出せない。
ふとその時、閉じていた扉が音を立てて開いた。使い魔たちの視線も僅かに扉へと向けられる。
(──今だ!)
教授は使い魔たちの合間をすり抜け──全力でアタッシュケースへとたどり着く。彼女を抱えたまま窓から逃走しようとした。
刹那。
先に窓から飛び込んでくる人影があった。
「ひゃっはー!」と人間離れした脚力とパワーで、窓ガラスを粉々に吹き飛ばす。吸血鬼──だが、教授のような真祖吸血鬼ではない。百年未満しか生きていない吸血鬼だろう。外見は十代後半の若者。窓やドアから彼らはぞろぞろと姿を見せる。
「伯爵さま、Au revoir」
「Mouriravec fiert」
吸血鬼たちは手にしていた拳銃を真祖吸血鬼ではなく──アタッシュケースに向けて発砲した。
「エマ!」
銃声が不協和音の如く室内に響いた。ただの銃弾であれば教授には効かなかっただろう。だが穿たれたのは銀の弾丸。
教授の背中、腕、足に直撃する。
「があっ……」
赤黒い血が部屋を染め──アタッシュケースがトマトを潰したように真っ赤に染まった。だがそれでも教授は死ななかった。銀の弾丸の効果のせいか、体の再生がいつもよりも遅い。
「ああ、これでも即死はしないとか……バケモンか」
「伯爵。増援の期待はしない方がいいですよ。もちろん、『高天原機関』も事態を把握するまでに、今しばらく時間が掛かるはずです」
リーダー格の青年は嬉々として語る。あまりにも世間を舐め切った子どものような考えだ。何でもかんでも自分の都合のいいようにことが運んでいると信じて疑わない連中。教授は口元を歪めた。
「ほお、君らのような若い吸血鬼に、それほどの力を持っているとは思えないが……」
「ハッ、アンタらルフス・ウィア騎士(Rufus・Via Eques)よりも『PHANTOM』の方が金払いも、理想も、力もある! それにこういう事件の隠蔽も請け負ってくれるんだ! 最高だろう!」
「そうそう。古い掟などもう必要ないのです」
(人払いの結界まで用意してくるとは……。『PHANTOM』の中でも過激派が動いていると言うことか。エマを修繕するために派手に動き過ぎたか)
銀の弾丸は教授の体を内側から蝕み、肉を焼き、血を蒸発させた。赤い霧が部屋に漂う。
「ぐふっ」
「アナタ!」
妖精女王はアタッシュケースから姿を現した。
「星明かりの輝き」
エマは羽根の鱗粉を撒き散らして、若い吸血鬼たちに幻術をかけた。
彼女は血まみれの夫を抱きしめる。具現化は出来るがそれ以上の事は何も出来ず大粒の涙を零すばかりだった。
「エマ、出てきては……ダメだ。狙いは君だ……」
「喋らないで」
妖精女王は両手で夫の頬に触れると、そっと血を拭う。
彼の痛みを少しでも和らげようと彼女は虹色の羽根を広げて鱗粉を振りまく。ここで幻術を途切らせるわけにはいかなかった。
「無茶を。その力を使い続ければ、君がっ……」
「アナタだけ居なくなるのは嫌よ」
それは妖精女王としてはあまりにも稚拙な言葉だった。
けれど、それが彼女の本心だ。
教授は彼女の姿がいつもと異なることに気づいた。絶世の美女とは程遠いふくよかな寸胴体型、年齢も十代と幼くなる。
「エマ」
「あ……」
回復したとはいえ、彼女の力など吸血鬼の前では数分程度の足止めが限界だった。彼女は膝をついて縋るように教授に抱き着いたままだ。虹色の羽根が実体化出来ずに薄らいでいく。
その結果──幻術の霧も晴れ、ずっと守り続けていた秘密も教授に知られてしまう。
突如現れた妖精女王の姿に、若い吸血鬼たちはこぞって笑い声を上げた。
「なんだ、その姿は!? こんな外見なら幻術で騙していたのも頷ける」
「ハハッ、違いない。なんと非力な妖精だ。いや、低俗な霊か」
「こんなモノのために、自らを窮地に追いやるなんてな」
エマは涙目になりながらも、彼らが教授に近づかないように牽制をかける。
「エマ……」と掠れた声に彼女はビクリと肩を震わせた。
教授の失望する顔が見たくなくて背を向ける。
「もう一度だけ隙を作るから──逃げて。…………アディバルド、黙っていてごめんね」
エマは力の全てを解放しようとした刹那──教授が彼女の腕を掴んで後ろから抱きしめた。
「全部知っていたさ」
「え?」
「……知っていて、それでも私は君がいつか自分で話してくれるのを待っていた。私の愛しいエマ。私は君の笑顔にいつも救われていた」
「アディバルド」
「……すまない。君だけは失いたくなかった」
「馬鹿ね、そんなの私も同じよ。……もっと早く、そう言えていたらよかったのに」
すでに彼女の姿は透けており、実体化を維持するのも限界のようだった。今や声も出ない。それでも──エマは彼の傍に寄り添う。それを見て吸血鬼たちはこれ幸いと止めを刺そうと互いに目配せをした。
「今度こそ終わりだ!」
「死ね!」




