③運命の出逢い
台詞の中で少しだけ人の死についての話があります。
この世界特有のへんてこな設定が出てきます。分かりづらかったらすみません。
ヴァロンタンの筋肉痛がいくらか改善されてからしばらく、彼は悔しさと反省を胸に鍛錬を増やした。
その間にも甥っ子達は肩車を強請ってくる。味をしめたらしい。
落とすといけないからと週に一度にすると、代わりに膝へ登ってくるようになった。素晴らしい。これだこれだ、ヴァロンタンが求めていたのはこれだ。
つらい。
何これつらい。
子供が膝によじ登って来て、膝の上で遊ばれるのつらい。
何故こんなにも不安定な場所なのに全力で遊べるのか。エミリアンとテオも加わって三対三で遊ばせているのに、三人とも疲労困憊で虫の息だ。
勘弁してほしい。
子供の全力は恐ろしい。どこにそんな体力があるんだ。
どうして全身を委ねてくるのだろうか。怖くないのだろうか。一歩間違えたら落ちて頭を打つのに凄まじい体勢だ。
これを一人でにこやかに受け止めていたシャーロットは化け物なのではないか? ヴァロンタンは恐怖で震えた。
可愛い甥っ子達に鍛えられていたそんなある日、その出逢いは訪れた。
「お久しぶりです、皆様。お出迎えありがとうございます」
ヴァロンタンの理想がそこに居た。
運命の出逢いだった。
「大変な時によく来てくれた。自分の家だと思って寛ぐといい」
「いらっしゃい、リリーフローレンス。待っていたわ! 本当に久しぶりね。体調はどう?」
「とても良いです。想像していたよりも回復が早くて安堵しております」
慎ましやかな言動も儚げな風貌も何もかもがヴァロンタンの理想そのものだった。
バーネット夫人には申し訳ないが、彼女も既婚者だし致し方ない。諦めてもらおう。だってヴァロンタンは運命に出逢ってしまったのだから。
「……エムお兄様、テオお兄様」
「ん?」
「なんだ?」
「ヴァンが恋に落ちました」
「は!?」
「いつ? 今? 今か!?」
「誰……まさか、リリーフローレンスか?」
「おそらく。ご覧下さい、あの顔」
「…………ブランシュ義姉さんやバーネット夫人の時と同じだな。何だってあいつはいつもいつも……」
「バーネット夫人はどうなりました?」
「問題ある言動は受けていないようだ。想像だけでどぎまぎして何も出来ていないんだろ」
「安心しました。では、今から護衛対象をリリーフローレンスとします」
「うん……ん、分かった」
エミリアンとテオとシャーロットが何やら話し込んでいるが客人の前で失礼では無いだろうか。その点、ヴァロンタンは黙って出迎えている。
褒めてくれても良いし感動してくれてもいい。何なら惚れてくれたって問題ない。
……三人で話すな。ヴァロンタンを忘れるんじゃない。
「シャル……」
「フロー、お元気そうね」
「ええ、貴女も。また会えて嬉しいわ」
「こちらもよ。シェイデン殿下はどちらに?」
「ディランと少しお散歩を……。ごめんなさいね、泣き止まなくて」
困った様子のリリーフローレンスの言葉に喜色を浮かべたのは皇后だった。
「あら。良いのよ、良いのよ。今は彼が最優先だわ。部屋は用意してあるのよ、いらっしゃいな! 可愛いが増えるわー! 最高の気分よ」
「ありがとうございます、皇后様」
なんだ、どういうことだ。ヴァロンタンには意味が分からなかった。
皇帝とその一家が出迎えに来ているのに散歩だと? リリーフローレンスの連れとやらは犬でも連れて来たのだろうか。失礼な。
「リリーフローレンス様、お久しぶりです」
「お久しぶりです、ブランシュ様。ブランシュ様の結婚式以来でしょうか。シルリアナ様のご誕生、おめでとうございます」
「ありがとうございます。リリーフローレンス様もおめでとうございます。そちらへは式にすら伺えなくてごめんなさい」
「とんでもないですわ、お気になさらないで下さいな。こちらの方がエルヴィーノ様のご出産と重なってしまって申し訳ないと思っておりましたの」
「それこそお気になさらないで。種々の事情がありますもの。それと、アシル様がお出迎えに来られなくてごめんなさいね。国境沿いが騒がしくて、今そちらに」
「私達の訪問の為だと理解しております。格別のご配慮に心より御礼申し上げます」
女神と天使が会話をしている。なんだ、ここが天国か? 神界か?
ヴァロンタンは遂に神界へ辿り着いたらしい。己の優秀さが憎い。いや、もっと増してくれて構わない。
「リッ……」
麗しの天使に挨拶をしようとしたら、にこやかな笑顔のままテオがヴァロンタンの口を塞いだ。次いでエミリアンがヴァロンタンを引っ張って兄二人が壁となってヴァロンタンに立ち塞がった。
なんだこれは。どういう事だ。
「さあさー、行きましょうかー」
ああ、ほら。皇后が皇帝と共に天使を連れて行ってしまったではないか。女神も行ってしまった。
不満だ、不満。ヴァロンタンはご不満だぞ。
「……なんのつもりですか、兄上」
「お前こそ何のつもりだ? 陛下ならともかく、俺達ですら声を掛けていないのに何を言おうとしていた」
「何って、ただの挨拶ですよ。客人に挨拶もしないなんておかしいですよ」
「おかしいのはお前だ。おい、ルートオーリ。ヴァンの教養とマナー教育はどうなっている。講師は誰だ」
挨拶の言葉すらかけていない非常識なのはエミリアン達の方なのに、兄達は揃ってヴァロンタンの従者に詰め寄った。
「イライル侯爵です」
「何故その方が? アシルお兄様が許可されたの?」
「いいえ。皇帝陛下がお決めになられました。皇太子殿下による選別中でしたが、シルリアナ皇女殿下のご誕生と皇太子妃殿下の体調不良が重なり暫く頓挫しておりまして、その間に」
「その前はどなた? 幼子向け教育から成人向けの教育に上がったのは何も昨今の話ではないでしょう」
「ラジダ伯爵でした」
こめかみに手を当ててシャーロットが大きな溜め息を吐いた。珍しい姿だった。
「なんだ、どうした?」
「シャーロット?」
「……エムお兄様、ラジダ伯爵はニノ様のご父君です」
「んっぐえ! ……え、ええ!?」
エミリアンが人体から発せられたとは思えないような音を出した。空気と唾液が喉で出会い頭の粉塵爆発でも起こしたかのようだ。痛そうである。
ヴァロンタンは少し次兄の喉を心配した。
「そのまま伯爵に続けて頂けていられれば良かったのですが……」
「す、すまん……」
「シャーロット、そのイライル侯爵というのはそんなに芳しくない人物なのか?」
「母方ですから姓は異なりますが、デボラ様の伯父です」
「あああああ!! くそっ、また俺か! ここで繋がるか!?」
遂にエミリアンが壊れた。
「まだ人目があります。落ち着いて下さい、お兄様」
「ルートオーリ、イライル侯爵は解雇だ。皇太子がお戻りになられたらお伝えしておいてくれ。陛下には俺から伝える」
「畏まりました」
「いや、そこは俺が……」
「いいえ、兄上は出ない方が懸命かと。無駄に皇帝に絡まれますよ」
「うっ……。すまん。頼む」
「なんですか? 何の話ですか?」
「……ちょっと……俺とこじれたご令嬢が居てだな……」
「こじれた?」
「男女間の事ですよ。詳しい話は聞かないでやってちょうだい」
「あ、はい」
ちょっとドギマギした。エミリアン兄上は兄弟の中で最も恋多き人物だ。
詳しい話を聞きたいけれど聞きたくないような、どこか面映い。
「ニノ様の時は全面的にお兄様に非がありました。父であるラジダ伯爵がお怒りで講師を下りたのも致し方の無い事でしょう」
「面目無い……」
「デボラ様の場合はあちらにも非はありますが乗ったお兄様も最低でした。まとめて処分です」
「非常に。申し訳無かったと。反省している」
「新旧教養の講師がまさかそのお二方とは……。ニノ様のご父君は問題ありませんが、デボラ様の方はいけませんね」
「いいか、ヴァン。この場で教えるから覚えろ。我が国の守護神はやたら貞節に煩い。それは男女問わず、婚姻前だろうと後だろうとだ」
「でもエム兄上は遊んでいらっしゃいますよね」
「ぐっ……」
それくらいヴァロンタンの耳にだって届いている。
「遊ぶなら婚姻と守護神からの加護は諦めろという事だ。それは個々の自由だし、守護神もそこまでは束縛してこない。けれどその守護神への礼節として、公の挨拶の場では異性である未婚者と既婚者は言葉を交わさない。礼をするのみだ。例外は陛下のみ」
「なんですか、その訳の分からない風習は」
「守護神のご機嫌取りの為に始めた事が長い歴史の上で少しずつ形を変えてこうなったんだ。おかしくとも今はこれが我が国のルールでありマナーなんだ。覚えておけ」
なんだそれ。聞いていない。聞いていないぞ、ヴァロンタンは。
小さな頃に他国の王侯貴族を出迎える際は礼を取り黙って微笑んでいろとだけ習った。けれど挨拶の仕方も最近習ったから実行しようとしたのに。
公の場で挨拶してはいけないならどこでするんだ。
あれ。待てよ。今テオはなんと言った?
「え、既婚!?」
「お前……まさか本当に知らなかったのか? 従姉だぞ。結婚式にも参列しただろうが」
「え、え、リリーフローレンスは……既婚者?」
「そうだ」
「シェイデン第二王子殿下の妃、リリーフローレンス妃殿下だ。失礼のないように」
「待って下さい、待って下さい……じゃあ、ディラン様というのは……」
「二人のお子だ」
「ディラン王子?」
「いや、シェイデン王子は現国王陛下の第二子だ。その子には殿下の称号は与えられない。王太子殿下が即位されて初めて殿下となられる。今はまだシェイデン王子が持たれている爵位の方で呼ばれるのが一般的だが、久方ぶりの王族男児だからな。あちらの民は貴族と同じ呼び方をしたくないようだ」
リリーフローレンスはヴァロンタン達の従姉妹だ。ヴァロンタン達の叔父が運命的な大恋愛をして隣国へ婿に行き、生まれたのがリリーフローレンスとその兄である。
だから他国には平等に接している帝国ではあるが、叔父の居るステア王国には多少の融通を利かせる。その融通欲しさに帝国には縁談が多く舞い込むが帝国は守護神のこともあり滅多に皇族を外へ出さない。
叔父は例外中の例外だ。
彼の婿入り騒動時には流石のあのアシルですら生まれて初めてドン引きしたと言っていた。何があったのか物凄く気になる。
「いやだって、とし、とし……じゅうろくって……」
「王族では珍しくもあるまい」
「あちらは王太子妃殿下が王女殿下を御出産の際に身罷られている。王太子殿下は側室も愛妾も要らんとの婚姻前から言葉通り、今でも後妻を探そうとすらしていないから……その辺の事情もあるだろうな」
「もう五年になるか。久方振りの王家の子、それも男児。だが未だ王太子殿下に取り入ろうとしている不埒な輩がいてな、ディラン様を亡きものにしようと狙っているらしい。だから王子殿下と妃殿下は避難して来たし、彼らを追って来た刺客の国内侵入を禦ぐ為に兄上は国境に赴いている」
「そんな……王太子殿下は後妻を娶るつもりは無いのでしょう? それならば唯一の国の跡継ぎではありませんか。そんな存在を狙うなんて」
「ヴァロンタン、人は如何ようにもなれる。覚えておけ。お前の常識に世界は合わせてくれない」
突然の情報量にヴァロンタンは目眩がした。
隣国でそんな事が起きているなんて知らなかった。けれど、知らない事こそが大問題だということは流石に理解したから、その日の内に教養と現代史の講師が解雇された事に文句は無い。
明日からまた気持ちを新たに勉学に励む所存だ。
どちらの講師も皇帝が招いたと知った長兄は、国境で刺客相手に一戦繰り広げて来た直後の帰城だと言うのに、その足で事態の収集に向かってくれた。申し訳なくて泣きそうだった。
尚、やらかした父は地獄の番犬のような顔をした母に何かしら何かされたらしい。詳しい事をヴァロンタンは聞かなかった。
流石のヴァロンタンにもそれを聞く勇気など持ち合わせていない。