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メルセルヴィーテ帝国の裏歴史  作者: 木月橘
1.皇子の失恋
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②世界への抵抗




「まあ。ヴァンはそんなことで先週の食事会を欠席したの?」

「そんなこととは心外です、母上。これは不自由な世界からの支配に対する抵抗です」

「こっ、これは……」

「…………」

「…………」


 堂々と言い切ったヴァロンタンを見て、誰もが皆言葉を失っている。

 この一週間、考えに考えて辿り着いた答えだ。さぞ驚いたことだろう。驚嘆してくれて構わない。

 ヴァロンタンは今、とてもいい気分だ。ふふん。


「……えー、これは。うん。これはこれは」

「お年頃、かしら……」

「…………そうですね。その歳の頃ですね」

「どうする?」

「放置が一番だと相場で決まっています」

「では、しばし様子見ということで」


 ようやく口を開いたと思ったら訳の分からない事を言い合って一様に頷いている。

 皆、驚き戸惑っているようだ。ふふん。


「エムお兄様の頃に比べたら可愛いものです」

「止めてくれシャーロット。あの頃の事は何度でも謝る」

「謝罪は不要です、お兄様。責めておりません」

「そうか……」

「事実を述べたまでです」

「……おうっふ、心が痛い…………責めてくれた方が楽になれる気がする」

「シャーロットはこれ以上お兄様を責める術を持ち合わせておりません」

「いっそ怒られた方が楽になる時もあるんだ」

「あれは兄上が悪いから仕方ないよ。これからもネタになってくれ」

「テオ貴様……お前にだって黒歴史の一つや二つあるだろうが」

「懐かしいわねえ。貴方は暴れる子だったわ」

「ソ、ソウデスネ……」

「余の執務室は三回ほど破壊されたか」

「四回ですよ、あなた」

「ソ、ソウデシタッケ……」


 ヴァロンタンが話の中心だったのにいつの間にかエミリアンで遊ぶ空気になっている。ヴァロンタンには分かる。だってヴァロンタンは空気の読める男だ。

 だからこれは姉上のせいだということも分かっている。解せぬ。


 欠席したのは先週だけで、今週はきちんと参加しているヴァロンタンを皆もっと敬っていい。

 決して一人の食事が寂しかったわけでも姉上と食事をしたいわけでもない。姉上がヴァロンタンと食事をしたいから、優しいヴァロンタンは折れてやったのだ。

 あ、人参は要りません退けて下さい止めて止めて助けて姉上、給仕のフリした侍従が苛める…………人参をちゃんと食べたヴァロンタンを姉上はとことん褒めるべきである。もっとお水を下さい。


「今回もアシルは不参加か?」

「義姉上が臥せっているのに兄上がお傍を離れるわけがありません」

「そうか……そうだな」

「ぼくはいますよ!」

「ぼくも!」

「も!」

「孫かわいい」

「あ、そうだ。シャーロット、アシルとブランシュちゃんから手紙を預かっているの。今読んでみて」

「はい。……お義姉様からは食事会欠席に対する謝罪、お兄様からはお義姉様を診て欲しいとのことです。お義姉様はまだ体調が思わしくないのですね」

「改善はされておるそうだ。引き続き診てやってもらえんか」

「畏まりました、陛下。後程伺います」

「そうね、是非行ってあげてちょうだい。アシルってば、いくら産後の肥立ちがよくないからってまだ皇太子宮全体を立ち入り禁止にしていて許可が下りないのよ」

「甥っ子達が出て来るのを待つしかないつらい」


 食事会は強制ではない。現にヴァロンタンだって先週は欠席した。

 一時期エミリアンの不参加が続いた事もあったし、母が腑抜け上を閉め出した事もあった。

 家族は皆、あのアシルに嫁いでくれたブランシュを崇拝している。心から感謝している。

 女神でも出来ない所業だ。今世で徳を積み過ぎているので、そろそろ神界から褒美が与えられてもおかしくないと誰かが言っていた。その言葉を思い出す度にヴァロンタンは同意している。


 だから皇室一家はとても皇太子妃を大事にしていた。彼女には絶対に常に幸せでいてもらわねばならぬ。これは最優先事項だ。

 そうでなくとも気が乗らない程度の理由で不参加でも良いのに、ブランシュは毎回こうして謝罪の手紙を認める。律儀である。

 素晴らしい。素晴らしいお人である。ヴァロンタンはいつも尊敬している。


「ちゃるちゃまー、おたあちゃまだいおぶー?」

「大丈夫ですよ。すぐ元気になりますからね」

「シャルあねちゃま。おとうさまがおかあさまから一瞬たりとも離れたくないってお仕事をサボっているの、良くないと思う」

「お部屋でお仕事をして頂きましょう」

「あんねあんね、おとうちゃま、まいんちだっこちてくれる! うれちい」

「そうなの。嬉しいね。きっとお父様も毎日エルを抱っこ出来て嬉しいですよ」

「カルロとはね、一緒に寝てくれますよ! 毎日ですよ。毎日!」

「ルネもいっしょだよ!」

「も!」

「そう。皆一緒は良いですね。あったかいね」

「うん! でも、うで、かったい!」

「あはは。そうね、強いもんね」

「うん! おとうたまつおい!」


 三人の甥っ子達がシャーロットに纏わりついて離れない。

 ヴァロンタンには滅多に抱っこさせてくれないくせに、叔母の膝を取り合って一人登っては一人降ろされ、降ろされてはまた登ろうと奮起している。何あれ可愛い。ヴァロンタンの膝でもやっていい。ヴァロンタンの膝の上はいつでも準備万端だ。

 腑抜け上を操るあの長兄ですら姉を頼りにしている。羨ましい。ヴァロンタンがあんな風に頼み事をされた事なんてないのに。



「甥っ子が可愛過ぎる問題について」


 末兄のテオが突然そんな事を言い出した。挙手までしている。

 今日の議題はこれらしい。


「何だよ、テオ。どうした」

「俺はカルロが生まれてからずっと悩んでいる。甥っ子が可愛い」

「ぼく?」

「可愛いな」

「可愛いわね。孫、最の高」

「ルネが生まれて可愛いが増えて、エルが生まれて可愛いが増えて、リアナが生まれて可愛いが増えた」

「ぼく?」

「る?」


 甥姪は四人。上からカルロ、コルネリオ、エルヴィーノ、そして先月生まれたばかりのシルリアナ。

 もれなく全員可愛い。

 シャーロット以来の皇女シルリアナには誰もが既にめろめろだが、アシルの許可が下りないので誰も会えていない。手形足形だけ送られてきた。それだけで十分めろめろだ。

 だけどヴァロンタンは知っている。シャーロットだけは毎週の帰宮時にこっそり許可されていることを。


 酷い差別だ。

 ヴァロンタンだって毎日のように贈り物をして、毎日のようにアシルの宮を眺めて、毎日のように身体にいい食べ物を探しているのに。

 先日、ブランシュが美味しいと言って気に入った果実は、ヴァロンタンが直々に市場まで探しに行って見付けたものだ。

 アシルからはすぐに手紙が届いた。謝意とまた買ってきて欲しいなんて要望は、手紙じゃなくて直接顔を合わせて言って欲しかった。

 毎日届く兄からの御礼の記されたメッセージカードばかりが溜まっていく。

 尚、例の果実は買い占めたら叱られた。納得はしていない。


 兄上だけでもそろそろ会ってくれても良いと思うのは、ヴァロンタン一人ではない筈だ。そろそろアシルに乗馬を教えて欲しいのはヴァロンタンだけではない筈だ。

 あとそれから手合わせもして欲しいし、お喋りもしたいし難解な本に優しく解説を入れながら一緒に読み解いていって欲しいし一緒にお茶を飲みたいし子煩悩なのはいいことだけどたまには弟とも遊んで欲しいし遠乗りにも行きたいし久しぶりに旅行にも行きたいし何なら城下町に行く程度でも良いし最近ヴァイオリンとピアノを教えてもらっていないし前に解けなかった数学の問題が解けたから解説してあげたいしそう言えばあの地図の解読がまだ終わっていないから見てほしい。だからアシルはもっとヴァロンタンに時間を割いていい筈なんだ。

 そう思っているのはきっとヴァロンタンだけではない。きっと。


「増えたわねえ」

「増えたなあ」

「どうしたらいい」

「存分に愛でればいい」

「どうすればいい」

「心ゆくまで愛でればいい」

「孫可愛い」

「子供は可愛い。分かっていた。子供は可愛い。だけど甥っ子姪っ子は特別に可愛いんだ」

「そうだな」

「そうだな」

「そうね」

「あの兄上の子なのにだ」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」


 沈黙が落ちた。

 困った。誰にも解決案が出せない。互いに顔を見合わせるばかりで言葉が出てこない。なんという議題を出してくれるんだ。困った。

 最終的に皆でテーブルを眺めた。


「…………」

「…………」

「…………」


 大人達が突然黙り込むから子供達も不思議に思って黙ってしまった。

 きょとんとしていて可愛い。

 アシルに似ているのに可愛い。

 いや、アシルに似ているというのはそれはつまりシャーロットにも似ているという事で、それならば可愛くないわけがないのだが誰も言葉が出てこない。ヴァロンタンにだって出てこない。

 遠くで鳥が鳴いている気がする。

 平和だ。

 長閑な昼下り、実に平和ではないか。穏やかな気候も相まって少し眠い。


「…………」

「…………」

「……ブランシュお義姉様の子だからですよ」

「それだ」

「それだ」

「それしかない」


 長年の悩みが解決したようで何よりである。

 だけどヴァロンタンは悔しい。シャーロットが言わなくてもその解決策は後三秒したらヴァロンタンが言おうとしていたし、ヴァロンタンだって思い付いていた。

 ちょっと眠くて言葉を発するのが遅れただけだ。これは釈明ではなく事実である。

 ヴァロンタンが本気を出す前でシャーロットは救われたな。ふふん。


「それだそれだー!」

「どれだどれだー?」

「だーだー!」


 大人達が時を取り戻したので子供達もはしゃぎ出した。

 その場に居なくても人々の時を止めてしまう長兄は本当にどうかしていると思う。

 それにしたって甥っ子達はシャーロットに纏わりつき過ぎではないか。ヴァロンタンだって膝どころか全身空いているぞ。いつでも出迎え姿勢は万全だ。ほっぺたむにむにさせてほしい。


「懐かしいわね。ヴァンも昔ね、こうしてアシルから離れなくてね」

「僕が覚えていない頃の話は止めて下さい!」

「ま、怖い」

「……ばんちゃま、おこった」

「ヴァンちゃま、なんで怒ってるの?」

「う、うわあー……」

「お!? お、おおお怒ってない怒ってない! 泣かないで!? ほーらほら、肩車だぞ〜」

「うわあ! しゅごい、しゅごいばんちゃま!」


 そうだろう、そうだろう。ヴァロンタン叔父ちゃまは凄いんだ。

 もっと褒めてくれていい。


「ヴァンちゃま、ルネも! ルネも!」

「カルロも、カルロも!!」


 そしてもっと懐いてくれていい。肩車くらいいくらでもしてやろう。

 華奢なシャーロットには出来まい。

 これは男性でないと無理だものな。どうだシャーロット。にこにこ微笑ましいものを見る目をしているが悔しいだろう。本当は悔しいんだろう?



「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い! 痛いっ! あー、痛い!! もう無理。つらい。しんどい。動けない。何も出来ない。終わりだ。僕はもう終わりなんだ。まだ世界が僕を待っているのにこんな所で僕は」

「準備運動も無しに過酷な遊戯をするからですよ」

「従者のくせに優しくない!」


 人参の恨みをヴァロンタンは忘れていない。


「すぐ行方不明になる主に優しくなんて出来ません」

「クビだ、クビクビ! お前はクビだ!」

「私の雇い主は皇太子殿下です。貴方では解雇できません」

「なんで兄上なんだよ!! 腑抜け上は何をしているんだ!」

「……まだその呼び方をしているんですか? 絶対に外では使わないで下さいよ」

「従者が冷たい!」

「えい」

「んぴゃー!! 湿布も冷たいっ!」

「んぴゃって、ちょ、笑わせないで……」


 肩と背中と腰を痛めた上に全身を筋肉痛に襲われて、ヴァロンタンはその日から数日まともに動けなかった。

 脆弱な己が恨めしくて悔しかった。




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