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メルセルヴィーテ帝国の裏歴史  作者: 木月橘
1.皇子の失恋
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①疼く右腕

短編『皇太子の教訓』のアシルの末弟の話です。




 失恋した。これは紛うことなき失恋である。

 相手は兄の婚約者だからフラれると分かっていた。それでも想いを伝えずにはいられなかったのだから、失恋したのは仕方が無い。

 けれど。でも。だからって。


「もう結婚してるとか何々だよーー!!」


 皇宮の一角、自身の宮の中庭でヴァロンタンは力の限り叫んだ。

 つらい。あまりにもつら過ぎる。

 大国を統治する次期皇帝のくせに、婚約者が好き過ぎて他は後で良いからとりあえず……なんて理由で書類上では婚姻していたってなんだ。どういう事だ、兄上。

 大丈夫、成婚パレードも聖堂での式もきちんと来年やるから。準備はしているから大丈夫。とかほざいていた兄上に問いたい。


 何が大丈夫なんだ?


 この暴挙を許した父上も父上である。

 アシルに逆らったら後が怖いからってなんだ? 遠くを見るな、遠くを。目の前に居るヴァロンタンを見ろ。理由になっていない。

 我が子にも勝てないとか本当に皇帝なのか。なんで我が子をそこまで恐れているんだ。

 世界唯一の帝国の皇帝がこれとは笑わせる。

 おっとりふんわりしていて穏やかなあの兄上の何が怖いんだ。父上は腑抜けか。今度から腑抜け上と呼んでやる。


 絶対におかしいと他の兄上達に味方になってもらおうと長兄の非常識さを訴えたが、次兄も末兄も顔を見合わせて苦笑するばかり。どうやら知っていたらしい。なんてことだ。

 年齢的に問題は無いとか、それ以外は問題だらけではないか。主にヴァロンタンの心情的に。

 長兄が心穏やかならそれでいい世界平和に繋がるとはどういうことか。駄目だ、洗脳されている。

 ヴァロンタンは二人の兄達も見限った。


 姉にも泣きついたがここで驚愕の事実が発覚する。

 まだ結婚は早い、婚約もその家の娘はちょっと……と渋る皇帝を始めとした重鎮達の言葉を無視し、内密に、けれど迅速に婚姻を済ませるよう助言し助力し手引きをしたのは姉だった。

 これだから長兄と姉は。兄弟の中で見目が最も似ているだけでなく思考も似通っている。

 姉上が兄上の後ろについているせいで、腑抜け上も何も言えないから本当にずるい。狡猾だ。


 だが、ヴァロンタンにだって知っていることはある。母上には文句なんて言えない。言ってはいけない。

 そうなの。実は娘が増えていたのよ、うふふ。と可愛く笑う母には何も言えない。

 だって母上って怖いんだ。怖いんだぞ。


 家族達の所業はヴァロンタンへの酷い裏切りではないか。

 ヴァロンタンはやさぐれた。

 僅か七歳にして心底やさぐれた。ここには味方などいない。

 子供のままごとのように好かれたと思って、少し困ったように振ってくれれば良かったのに。ヴァロンタンはそれで良かったのに、それなのに。


「うわあああん! ブランシュおねえさまあああああああ」

「私のブランシュを呼んだ?」

「ブランシュおねえさまは呼んだけど兄上は呼んでないっ!!」


 どっか行け! 変人!






 ヴァロンタンが七つで失恋してから七年が経った。やさぐれてから七年が経った。

 人生の半分をやさぐれているヴァロンタンだが、勿論今でもやさぐれている。全く立ち直っていない。

 兄嫁に横恋慕などもうしていないが、酷い失恋をした傷が未だに痛くてどうにも出来なかった。

 大国の皇子がこれでは示しがつかないが、幸いな事に皇太子である長兄には既に子が四人いる。

 帝国の血を簡単に外部へ持ち出さないよう皇族の婚姻には慎重過ぎるくらい慎重に、厳重に管理されているので、例えヴァロンタンが婚姻を結べずとも何の問題も無い。次代は安泰だ。

 むしろしない方が良いだろう。

 どうせ自分なんか。へっ。兄上は姉上の力を借りて学生婚していたくせに。けっ。

 今日もヴァロンタンはやさぐれている。


「ヴァン、何をしているんだ? 皆探していたんだぞ」


 今日も今日とてやさぐれて、週に一度の家族全員が揃う食事会を前にヴァロンタンは雲隠れをしていた。正しくは自身の宮の中庭の生け垣に身を潜めていた。

 あっと言う間に見付かったけれど、これでも隠れていたつもりだ。

 ヴァロンタンが悪いのではない。生け垣が悪いんだ。


「あーあ、世界が滅びれば良いのに」

「バカ言うな。そんな事が出来るのはシャーロットくらいだ。そのシャーロットが帰って来てんだ、さっさと出て来い。行くぞ」


 二番目の兄のエミリアンは口調こそ些か乱暴だが、いつも末子のヴァロンタンには優しい。


「だめ。今動いたら鎮めた右腕がまた疼く」


 だからこうしていつも我儘を言って甘えてしまう。


「おっ、お前それは…………いや、いい。聞かなかった事にしておいてやる。だけどそれを誰かの前で言うなよ。良いか? 絶対にだ。直に夜も眠れぬほど後悔する事になる」

「えっ……あ、兄上、それはどういうこと?」

「多くの人間が通る道だ……。けれどあまり大っぴらにはしないに越した事はない」


 意味が分からない。分からないけれど、今エミリアンが言っていたことは何だかかっこよくなかったか? 中々いい気がする。


「分かった」


 だから素直に頷いた。

 頷いてからもっと他の理由を付けて仕方無く納得した振りをすれば良かったとも思ったが、それはまたの機会にとっておこう。何かかっこいい言い訳を考える時間も欲しい。


「悔いる事が出来ればまだ良いが、慢性化して成長しても繰り返す方が厄介だな。あまり続くようならシャーロットに一言もらうからな。それでも駄目なら兄上に出て来てもらうから、嫌ならしっかり勉学に励んで、きちんと人間関係を構築しろよ。お前の侍従達が泣きながらお前を探していたぞ」

「……ごめんなさい」


 困った時のシャーロット。皆ヴァロンタンの一つ上の姉ばかり頼りにしている。

 ヴァロンタンだって皇子なのに、頑張って勉強しているのに、末子だからか頼られた事など一度も無い。


 ヴァロンタンにとってシャーロットは彼が憧れているものを全て持っている存在だった。

 物心ついた頃には姉は既にその美しさだけで世界を支配できるとまで詠われており、吟遊詩人も脚本家もこぞって彼女を讃えた。見たことも無いくせに。

 姉は滅多に人前に姿を現さない。それがまた神秘的だと人々を虜にしている。なんだそれ羨ましい。


 ヴァロンタンだってあまり表に出ないようにして神秘性を高めようとしたことがあった。風邪をひいたのかと疑われて担ぎ出され、医師の元へ連れて行かれた。

 何故、医師の方が来ないかと納得できなかったが、仮病の子に医師の手を煩わせるわけにはいないとか言われた。あの時に受けた屈辱をヴァロンタンは忘れない。許すまじ、末兄テオ。


 シャーロットは家族にすらどこか距離を置いていて、そんなどこか孤高を感じさせる姿もかっこよかった。

 何故そんな事になっているのか、いつからなのかヴァロンタンは知らないが、彼が物心ついた頃にはシャーロットは帝国の最北の僻地に住んでいた。帰宅は週に一度。

 世界一のど田舎住まいだとは本人の言。

 意味が分からない。分からないけれど、その謎がまたどこかかっこよく思える。ずるい。


「でも、食事会には行きたくありません。姉上には会いたくない」


 だけど今ヴァロンタンは姉に怒っている。

 先週の食事会の際に食後のコーヒーを出された時、ヴァロンタンは姉のように優雅にブラックコーヒーを飲んでいた。それなのに、彼女はいつも通りヴァロンタンよりも数段(もしかしたら数億段)優雅に微笑んだまま、そっと角砂糖を差し出してきたのだ。

 いつまで子供扱いするつもりだろうか。心外だ。心外。だからヴァロンタンはあれから姉と口を利いていない。

 角砂糖は入れても美味しいから六つ入れた。ヴァロンタンは味の違いの分かる男である。


 その前の週の食事会後は一緒に書庫へ行った。そこでもヴァロンタンは憤慨した。

 ヴァロンタンが今どこまで勉学が進んでいるか聞いてきた上に、数学の教え方が合っていないとか言って指導方法を変えさせたのだ。何様かと思った。……姉上様だけど。

 今最もヴァロンタンが気に入っている教育係のバーネット夫人に文句を付けたのだ。許せなかった。

 ヴァロンタンは数学に対して今はちょっとやる気が出ていないだけで、本気を出せば何でも出来るのだから憤慨も当然である。

 指導方法に悩んでいたのです、ありがとうございます、とバーネット夫人が泣いていたからシャーロットは有罪だと思う。ギルティだ、ギルティ。姉上ギルティ。

 その後ヴァロンタンの数学の成績がめきめき上がったのは、遂にヴァロンタンが本気を出したからだ。きっと。


 更にはその前の週も彼女は失礼だった。

 まるで未来が見えているようだと学者達がこぞって姉を褒めるので、ヴァロンタンにだってそれくらい出来ると申告したのだ。この力を世界の為に使ってやっても良いと言った。

 ヴァロンタンは鷹揚な男である。

 姉一人では荷が重いだろうから隠していた力を教えてやったのだ。感動してくれていい。

 それなのに頭は大丈夫かと真顔で心配してきた上に、必要で付けていた眼帯も包帯も取り払われた。怪我をしていないのなら付けるのは止めようねと強奪された。

 きっとかっこいいから羨ましかったのだろう。真似たいのなら許してやったのにヴァロンタンの装備を奪うとは何事だ。憤怒である。


 だからヴァロンタンはあれ以来、手紙も出していない。毎日届いていたヴァロンタンからの手紙が来なくなって、姉はさぞや寂しい思いをしているだろう。

 癖でつい手紙を書こうとしてしまうので、便箋は引き出しにしまって鍵をかけた。完璧だ。

 ふとした瞬間に頭の中で姉への手紙の内容を考えてしまうが、それにもすぐ気付ける。気付いたら頭を振ればどこかへ行く。問題ない。またすぐに戻ってくるけれど。



「なんでだ? 病気や虫歯が心配だから糖分の摂り過ぎ防止の為ヴァンにはあまりコーヒーを出さないよう言ったからか? 怪我もしていないのに眼帯や包帯をしてかぶれて薬を塗られて染みたからか? それとも分数の基礎からもう一度やり直しをさせられたからか? あれはお前がバーネット夫人相手にかっこつけて、理解していないのに理解しているフリを強引に押し通して、結果的に因数分解で躓いているから……」


 ヴァロンタンは怒りで震えた。


「兄上まで意地悪をするんですか! 絶交です、絶交!!」

「……お、おう」


 後悔したってもう遅い。ヴァロンタンはとても怒っている。

 許さないぞ、許さない。絶対に許さない。

 ヴァロンタンの数々の偉業をそんな風に言うなんて。そんな風に捉えていたなんて。次兄にはがっかりである。


 だからヴァロンタンはエミリアンを許さない。

 そんなちょっと珍しい剣を見せられたくらいで……ああ、かっこいい。その装飾はとても心をくすぐる。

 いや、ヴァロンタンは絆されない。

 そんなちょっと怪しい本を渡されたくらいで……ああ、なんてことだ。この世にはこんな摩訶不思議な出来事があるのか、なんて心が踊る。

 いや、ヴァロンタンは絆されない。

 そんなちょっと城下町に連れて行ってくれたくらいで……。


 仕方ない。エミリアンはヴァロンタンが大好きなのだ。今回だけは許してやろう。


「兄上ー! 兄上、エム兄上! 見て下さい、苺!!」

「お前は本当に可愛いな」


 心外である。かっこいいと言え。






ヴァンくんの言動は実弟の思春期の頃を参考にしています。

内容を確認してもらった上で本人からは「どう参考にしても良いけど今後はもう確認はしない。好きにして」と許可を得ています。ご安心下さい。

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