4 歴史のお勉強
「という事で、ルデルト様。今日からよろしくお願い致しますね!」
「いや、何がという事で、だよ……」
にこにことした表情を浮かべ手をポンッと叩いたエリッタに、冷ややかな視線を送るルデルト王子。
今日、エリッタがこの城へ来て三日目の午前。昨日までは忙しなく普通のメイド業をこなして居たエリッタが、不自然な程楽しそうな表情でルデルト王子の部屋へとやって来た。
その表情に嫌な予感しかしなかったルデルト王子は、口元を引き吊らせてエリッタを部屋へと招き入れる。
部屋へとやって来たエリッタは、小脇に分厚く大きめの何かを抱えており、そして冒頭の会話をする事となる。
「今日はまず、ルデルト様に私のご挨拶も兼ねた、このアルンド王国の歴史のお勉強をしたいと思い、ルデルト様の自室へと参上致しました!」
「いや、何でお前の挨拶を兼ねて、俺がこの国の歴史を勉強しなきゃいけないんだ…。オカシイだろ」
ソファに座ったルデルト王子の前に立ち、胸を張って堂々と言い切ったエリッタに、ルデルト王子は最早げんなりした様な表情でエリッタを見上げた。
「いえいえ! 此れからルデルト様を育成する者が、育成者様のお国の歴史も知らないと有っては大問題なのです! ですので、確認の為にも、どうか私にお付き合い願います」
「はあ……。聞いてれば良いんだろ? 勝手にしろ」
そう言ったルデルト王子は、ダルそうにソファに横になり欠伸をした。
そんなルデルト王子の態度もエリッタは気にして居ないのか、いそいそと嬉しそうに少し離れた所に有る丸いテーブルをルデルト王子が見易い様に前に運び、その前にそのテーブルとセットになっている椅子も持って来たエリッタは、それに腰掛け小脇に抱えていた大きめの分厚いそれを持ち、テーブルの上に置く。
「ルデルト様にも分かり易い様にと思いまして、私、夜なべをして紙芝居を作って参りました!」
「なあ、お前……俺を餓鬼か何かと間違えてねぇだろうなぁ?」
ジャジャンとルデルト王子へとその画用紙の束を見せるエリッタに、口元をピクピクと痙攣させたルデルト王子は、正にキレる五秒前。
「いえいえ! そんな事は御座いません。私はどんな育成者様にも、必ず紙芝居や絵本をお作りしてのお勉強を行って居るのです。ですから、例えもう三十代のお方だろうと、ルデルト様の様な思春期真っ只中のお方にも、私は此の様なお勉強方法を取らせて頂いております」
「思春期真っ只中って……お前だって俺と大して変わらないだろ!?」
「え……。ああっ、そういえばそうで御座いましたね! 私ったら、すっかり忘れておりました」
くすくす笑い「失礼を致しました」と謝ったエリッタに、ルデルト王子は溜め息と共に早くしろと呆れる。
「其れでは、僭越ながら、此方アルンド王国様の今日までの歴史を、紙芝居形式でお送りさせて頂きます」
「はいはい。さっさと始めろよ」
ごろりと寝返りを打ち、紙芝居が見易い様に横を向いたルデルト王子に、エリッタは其れではと紙芝居をテーブルの上に持ちながら置き、一枚目を捲る。
「アルンド王国がこの魔界に出来たのは、もう今から二千年も前になります」
ぺらりと捲られた画用紙には、色鉛筆等で鮮やかに彩られた今とは全く違う魔界の絵が描かれていた。
「当時魔界で最も大きかった国、イリュンザ王国は独裁的な国として有名で、とても恐れられておりました」
また捲られた画用紙には、立派な城とその前に偉そうに立って居る、角や牙の生えた国王がニヒルに笑っており、その周りには住人達なのか、小さな丘の様に山積みにされていた。
「民は日々国王の怒りに触れぬ様肩身の狭い生活を送っており、そして一番民を苦しめたのは税の高さでした。イリュンザ王国は、魔界で最も納めなければいけない税が高く、なのに給料は何処よりも低かったのです」
民達が必死に畑を耕したり、丸太や砂袋を額に汗を掻きながら運んでいる姿が有り、その絵は酷くリアルで、眺めていたルデルト王子は眉を寄せる。
「少ない給料の殆どを税に取られてしまい、その日その日の暮らしがやっとの生活を送って居たのです。そんな時、一つの軍がイリュンザ王国へと戦争を仕掛けて来ました。たった一つの軍、人数は凡そ一千という少ない人数で、二万人以上のも居る軍を持って居たイリュンザ王国に乗り込んで来た者達です」
ぱらりと捲られた画用紙、そこには城を背に自信満々の国王とその軍の者達。その国王達に牙を向けるのは、イリュンザ王国に乗り込んで来た者達だった。
「当初はイリュンザ王国が勝つとされて居ましたが、イリュンザ王国はたった二日間の間に、その一千程の謎の者達によって滅ぼされてしまったのです」
絵は変わり、イリュンザ王国の国王は謎の者達によってけちょんけちょんに倒されて居る描写に描かれて居るが、その絵だけが何故かギャグ漫画チックに描かれていた。
「その謎の者達は、イリュンザ王国のやり方に不満や反対をしていた者達が主で、その者達に闘い方と戦闘能力の上げた方を指南したのが、ある五人組でした」
「は? 五人組って何だ」
ルデルト王子は、其処で初めて口を挟んだ。エリッタはルデルト王子ならば口を挟んで来るのが分かって居たのか、直ぐ様説明し出した。
「ルデルト様がご存知無いのも無理は有りません。私の予想ですと、多分今この歴史をご存知な方は、余りいらっしゃらないと思います。ルデルト様がお勉強なさったこの国の歴史では、ある一人の人物が軍を率いてイリュンザ王国を滅ぼしたとなって居るでしょう」
「ああ。それがアルンド王国の初代国王――アルンド・アールだって、昔デルドアに教えられた」
ルデルト王子の話す事柄に、エリッタはふむふむと頷く。
「其れは其れで、丸っきりの間違いでも無いのですが、正しいとも言い切れません。其れには少々捏造が含まれておりますね」
「捏造…?」
ピクリと反応したルデルト王子に、エリッタはそうですと微笑む。
「はい。其れは紙芝居の続きを見て下されば直ぐに解けますよ」
「だったら早く続きを教えろ」
「畏まりました」
いつの間にかルデルト王子は、横になって居たソファから起き上がり、ソファの上で胡座を掻いて早く捲る様にと、エリッタに顎で紙芝居を差す。
「一人は武器の使い方に長けていた者。一人は魔術に長けていた者。一人は頭脳が優れていた者。一人はどんな傷でも癒せる者。そして、その者はその癒し方を教えた。その五人の中でも、司令塔として一千の者達を纏め上げていたのは、頭脳が優れていた者でした」
五人組が横に並んでいる絵だった。四人の男性達の中に、女性は一人だけ。その者達の絵は、さっきまでの紙芝居の中で、一番詳しく、そしてまるで見た事が有るかの様にリアルであった。
「その頭脳が優れていた者こそが、アルンド王国を作った初代国王――アルンド・ソゥダ。その方でした」
「おいちょっと待て」
「はい? どうか致しましたでしょうか?」
次に行こうと紙芝居を捲ろうとして居たエリッタは、不思議そうにその手を止めルデルト王子を見る。
「お前、間違えてるぞ。」
「ええ! ど、何処で御座いますか!? オカシイですねぇ、確かに昨日ちゃんと確認したのですが…」
慌てて紙芝居を高速で捲って、何処に間違いが有るのかを調べ始めた。
「初代国王の名前は、アルンド・アールだ。ソゥダじゃない」
「え…。ああ! 此れは間違いでは有りませんよ。アルンド王国を作った時は、アルンド・ソゥダだったんです。ですがその後、ユリーリア・アールと結婚した為、アルンド・アールになったのです」
「何でその女の名字になったんだ。普通はその女がソゥダになる筈だろ?」
眉を寄せ首を傾げるルデルト王子に、「確かに普通はそうで御座いますね」と答えた。
「ですがアルンド国王は、ご自分からアールと名乗ると仰ったのです」
「だから、何でだ」
「知りたいですか?」
エリッタはニタリとした笑みを浮かべ、ルデルト王子に聞いた。
「調子に乗るな」
「申し訳御座いません。ちょっと調子に乗ってみたくなりまして……」
ぎろりと睨んだルデルト王子に、エリッタはしゅんとしながら謝る。エリッタはたまにこうして、唐突にふざける事が有る。
「其れは……"ユリーリアにはソゥダという名字は似合わない。ユリーリアの美しさが削がれてしまう。そんな事は堪えられない。だから私がアールを名乗る。そうすればユリーリアは、此れからもユリーリア・アールと名乗れるだろう?"」
「……」
「だ、そうです」
その瞬間、ルデルト王子の自室には冷たい風が吹き抜けた。其れはさながらブリザード以上の寒さだったとか。
「どうか致しましたでしょうか? ルデルト様」
黙り込んでしまうルデルト王子に、エリッタは首を傾げる。
「くだらない。何だその男は……。頭脳が優れていたんじゃ無いのか!?」
「何でも、少々天然な方だった様ですよ?」
「"天然"!? 馬鹿の間違いだろう!」
有り得ないと呆れ返るルデルト王子に、エリッタは苦笑いを浮かべまあまあとルデルト王子を鎮める。
「その後、アルンド・アールはその優れた頭脳と、四人の仲間と共に民が安心して、苦労する事の無い国を作って行きました」
気を取り直して、ぺらりと画用紙を捲ったエリッタに、ルデルト王子は未だ不機嫌そうな表情を浮かべ腕を組んで見つめる。
画用紙には、今までで一番幸せそうに笑っている民の絵が描かれていた。
「そしてアルンド王国は、今日まで魔界でもっとも大きな国へと成長を遂げました。それから今日に至るまで、ずっとアルンド・アールの血を受け継ぐ者が、玉座へと座っていましたとさ。めでたしめでたし」
終わりと書かれた最後のページを最後に、エリッタは紙芝居を閉じた。
しかしエリッタの何気無い最後の言葉に、ルデルト王子は眉を吊り上げる。
「お前も、俺に王位を継げって事か」
ルデルト王子は、エリッタが言った"ずっとアルンド・アールの血を受け継ぐ者が玉座へと座っている"という、その言葉に腹を立ててしまった様だ。
「確かに私は、ルデルト様を立派な王様候補へと育成する目的で、此処へと派遣されて来ました。此れは事実で御座います。ですが、最終的に王位を継ぐか継がないかをお決めになるのは、ルデルト様、貴方様で御座います」
じっと、ルデルト王子の瞳から目を逸らす事も無く告げるエリッタに、ルデルト王子は其れでも不満そうである。
「私達は、確かに王様候補へと育成するのが目的ですが、過去に結局王位を継ぐ事をお選びにならなかった方も御座いました。其れでも、依頼主様にはご満足を感じて貰える事となったのです」
「何でだ、結局王位は継がなかったんだろ? だったら依頼した奴にとっては失敗だったんじゃないのか」
「そうで御座いますね。王位を継いで下さる事は叶いませんでした。ですが、育成者様は一月の間に、とても良い方へとご成長なさり、ご立派になられました。其れで良いのです。」
「良い?」
片眉を吊り上げ首を傾げたルデルト王子に、エリッタはこくりと頷く。
「心身共にご立派になられた育成者様のお姿に、依頼主様はとても感激し、ご成長なされた事にご満足しておりました」
「だが王位はどうするんだ」
「王位は結局、育成者様の弟君がお継ぎになられたそうです。そして育成者様は、ご自分のおやりになりたかった事をなさっているそうですよ」
エリッタはとても嬉しそうに、昔を思い出すかの様に話す姿に、ルデルト王子は其れでもまだイマイチ納得出来ずにいた。
「其れはそいつの父親が理解有る奴だったからだろ? ふんっ、親父は納得する筈無い」
「その様な事、分かりませんよ? ルデルト様が本当にお変わりになられれば、ソレイダ陛下も……」
「もう良い」
溜め息と共に吐き出されたその言葉の後、ルデルト王子はソファへと横になってしまう。
「今日はもう良いだろ。出て行け」
「ルデルト様……」
「出て行け!!」
エリッタへと背を向け横になったルデルト王子に、エリッタは傍に行こうと足を一歩動かした瞬間、其れが見えるかの様に突き放す言葉をぶつけたルデルト王子。
此れ以上は無理だと分かったエリッタは、「了解致しました。其れでは、何か有りましたらお呼び下さいませ」と一礼と共に、紙芝居を小脇に抱え、椅子とテーブルを元の位置に戻して部屋を後にした。
最初の授業となった三日目は、微妙な感じで幕を閉じて閉まった。しかし、部屋を後にしたエリッタの顔には、落胆の色は一切無い。
逆に、満足気な表情を浮かべ軽快に廊下を歩いて居たのだった。