20 メイドの含み
「帰る、ので……御座いますか?」
「ああ」
ルデルト王子の帰宅宣言に、エリッタはポカンと口を開けた。まさかルデルト王子がこんなにもあっさりと、素直に城に帰ると言い出す等思わなかったのだろう。
「本当、で…御座いますか?」
「嘘吐いてどうする。其れ共、お前は俺に城に帰って欲しく無いのか?」
「いいえ! その様な事は御座いません! ですが、本当にもう家出は宜しいので御座いますか? ご満足致しましたか?」
「ああ、もう良い。街に居るのも飽きたからな、仕方ないから城に帰ってやるよ」
疑って居る様な、心配して居る様な、そんなエリッタに、ルデルト王子はふっと笑みを溢しつつ周りに目を向けた。周りは朝の朝食ピークが治まったのか、先程よりも大分人数も減り、騒がしさも無く皆普通に雑談して居る。
別にルデルト王子は真実、街に飽きた訳では無い。只、やはり街は自分には合わないのだと改めて分かってしまった。皆あの騒がしさの中で普通に、何事も無く、何時もの事だと言う様に自分達の食事に集中出来る所や、街の人の多さだったり、一晩寝ただけで体の痛くなるベッドだったり。
改めて、自分は今此処に居るどの者達よりも良い暮らしをして居たのか思い知らされた。たまにふらりと街に下りて来て、其処から辺の女と一緒に寝て居た時も、宿は此処よりももっと良い所に泊まって居たし、食事等も何時も城で食べる様に静かな空間で食べて居たのだ。
だから今回、街の者達と同じ様に一晩街に居て、ルデルト王子は自分の今まで当たり前だと思って居た事が、どういう意味を表して居たのか分かった。自分は此の国の王の息子で王子で在り、そして次期国王として此の街を治めなければいけない。
国の為に、其処に住む国民の為に、自分はこうしてずっと良い暮らしを送って居たのだ。其れも此れも、全ては国民の生活と命を背負って行かなければいけないから。
だがまだルデルト王子は、王位を継ぐ気は無い。しかし、ソレイダ陛下の為では無く、此の国に住む国民の為ならば、もし王位を継がなければいけない状況になったら、継いでやらないでも無い。そう、些か上から目線では有るが、ルデルト王子はそう思える様には進歩した。
「そうで、御座いますか…。ですが、もしまた家出をしたいとお思いになられました時は、私も喜んでお供致しますのでっ」
「何メイドが家出する事を進めてんだ、よ!」
「あたっ」
ルデルト王子はエリッタの形の良い頭にチョップを喰らわせた。しかし、その表情は呆れては居る物の、ルデルト王子を思って言ったエリッタの言葉に嬉しそうに口元は緩んでおり、ルデルト王子にチョップをお見舞いされたエリッタが涙目で頭を擦って居る姿を愛おしそうに見つめて居た。
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「ランジェ、元気でやれよ」
「ありがとうございます、ルデルト様」
その後、城へと帰る事をランジェへと伝えると、ランジェは態々まだ忙しいにも関わらず見送りをしてくれ、出入り口でルデルト王子の言葉に笑みを浮かべ頭を下げて居た。
「まぁ……また、来てやるよ」
「ご無理は無さらないで下さい。ルデルト様が此の様な騒がしい所が苦手な事位、私は存じておりますので」
「そう、か…」
「勿論で御座います」
気まずそうに頬を掻くルデルト王子に、ランジェは気分を害して居る様子も無く、ルデルト王子のその姿に笑って居た。其れをルデルト王子の斜め後ろで控えて居たエリッタは、微笑ましそうに眺めて居る。
「其れじゃぁな、ランジェ。たまには城に遊びに来いよ、デルドアもあの親父も喜ぶだろうしな」
「勿体無きお言葉、感謝致します。機会が有りましたら、伺わせて頂きますね」
ランジェのその言葉に、ルデルト王子はランジェは城へと遊びには来ないだろうと思った。軽くかわされた様な気もしたが、其れでもルデルト王子は特に怒りも感じる事は無く、仕方ない事だと割り切りお辞儀をして居て表情が分から無いランジェへと背を向け歩き出した。
エリッタもランジェへと頭を下げた後、歩き出したルデルト王子の後を追う様に歩き出したエリッタだったが、其れはある者の声によって止められる。
「お嬢ちゃん」
その声にエリッタが振り返れば、振り返った先に居たのは神妙な面持ちのランジェで在った。エリッタはくるりと振り返り、「どうか致しましたでしょうか? ランジェ様」と笑みを浮かべる。
「アンタは…何者なんだ」
「どういう、意味でしょうか? 私はメイドのエリッタで、其れ以上でも其れ以下の存在でも御座いませんよ?」
「そういう意味じゃねぇ。頭の良いアンタなら俺が言いたい事位、分かってるんだろ?」
ギロリと睨みエリッタを見下ろすランジェに、エリッタは其れでも臆する事は無く、飄々と笑みを浮かべたままだ。その張り付けられた様に変わらない笑みに、ランジェは不信感が募る。しかし突如、ランジェを見上げて居たエリッタがくすくすと笑い出した。此れにはランジェも頭に来たのか、怒りを露わにした。
「何笑っていやがるっ。おちょくってるのか!?」
「いいえ、ふふっ。申し訳有りません。決して、ランジェ様をおちょくって等おりません。本当に、そっくりだと思いまして」
「そっくり…?」
可笑しそうに笑うエリッタは目尻に溜まった涙を拭い、怒りの形相を浮かべて居るランジェへを見つめる。突然そっくりと等と言うよく分からない事を言われたランジェは、訝しげに首を傾げた。
「ええ。デルドア様は狙ったかの様に正反対でしたが、ランジェ様はとてもあの子に似ております。何千年の時が経っても、やはり血の繋がりという物は素晴らしい物で御座いますね? 何だかランジェ様のあの警戒心剥き出しの態度に、私ったら懐かしくなってしまいまして」
「突然笑い出してしまい、申し訳有りませんでした」と頭を下げたエリッタに、ランジェは未だにエリッタが何を言って居るのか分からず見下ろす事しか出来ない。だが、もしかしたらという、ずっと有り得ないとは思って居たが、其れでもそうかもしれないという事柄が頭に浮かぶ。
有り得ない。そんな筈が無い。でもエリッタは自分で言ったのだ、何千年も前と。
「アンタはやっぱり、俺や陛下達の祖先が恩人だと、恩師だと言って居た――」
「ランジェ様。世の中には、知らない方が幸せな事も御座いますよ?」
「じゃぁ、やっぱりそうなのか!? アンタがあの書物の四人組の一人だと言うのか!? 何千年も前だぞ!?」
エリッタのその意味深な、肯定にも聞こえる言葉にランジェは有り得ないと顔を青褪める。ランジェのその驚きの声は大きかった為、道行く人は何事かとちらちら二人に視線を向け始め、注目し始める。其れにしまったと思ったのか、ランジェはハッと我に返り口元を手で覆う。
「おいエリッタ! お前何やってんだ!! さっさと来ないと置いて行くぞ!?」
「はいっ、只今!」
自分に着いて来て居ない事に気付いたルデルト王子は、数メートル先で立ち止まりエリッタへと声を荒げて呼ぶ。其れに返事をしたエリッタは、ルデルト王子の元に行こうと歩き出すのだが、又もやランジェに止められる。
「待ってくれ! まだアンタには聞きたい事が――」
「ランジェ様、貴方はもう血に縛られる必要は無くなったのです。ですから、もう祖先の方達等気にせず己の好きな様に生きて下さい」
「しかし――!」
「魔術に長けていた――ラジュッサ・ミューレの血を受け継ぐランジェ様、どうか此れだけは誤解致しません様に。あの子達は、自分達の血を受け継いで行く方達を、縛り付け様とした訳では御座いません」
「どういう……」
「呪い(・・)では無く、あの子達の――願い(・・)なのですよ、あれは」
困った様に一笑した後、混乱して居るランジェの己を引き留める為に掴んで居た手を振り払い、待って居るルデルト王子の元へと走って行った。残されたランジェは、エリッタの告げた言葉の意味を理解出来ず、暫くその場に茫然と立ち尽くして居た。
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「お前、ランジェと何話してたんだ…」
「いえ、大した事では御座いません。只……」
「只?」
「懐かしい昔のお話を、少しだけ」
自分の元へと急いで駆け寄って来たエリッタと共に並び歩きながら、ルデルト王子は先程の事を聞いたが、エリッタは言葉を濁す。ムッと来たルデルト王子は、更に追求し様と思ったのだが、そのエリッタの表情を見て止めた。
余りにも嬉しそうに、悲しそうに、懐かしそうに遠くを見つめるエリッタの姿に、仕方ないとルデルト王子は溜息混じりに此れ以上聞くのは野暮だと思い、そっとしておく事にしたのだった。




