エピローグ:スキャンダル、そして日常
大雅によって催されたあのデスゲームから一ヶ月以上が経った。俺や結愛、ゾンビとなったサークルメンバーたちは、香椎製薬の擁する長野市内の医療施設へと搬送され、無償での治療を受けていた。
柊夜をはじめとし、あのゲームで命を落としたメンバーについては、社長である貴成が各家庭へと赴き、謝罪と補償を行なったという。
また、俺のようにゾンビになりながらも生き残ったメンバーについては、香椎製薬の技術力のすべてを注ぎ込んで治療を施された。治療に際して、俺に関しては完全なゾンビになる前に感染が止まった稀有な例として、香椎製薬の研究員たちに血液やら皮膚組織の一部やらを採取された。
大雅のしでかした事件の被害者たちの治療といった形を取った臨床試験が急ピッチで進められ、『リワインド』という名の治療薬が薬事承認されたのがつい数日前の話である。病室のベッドでごろごろしながら斜め読みしたネットニュースにそう書いてあった。
ゾンビと化したサークルメンバーたちが生前の姿を取り戻し、続々と退院していく中、俺と結愛だけが退院できずにいた。
俺の場合は、ゾンビになりかかった状態から元の身体に戻ってからも、様々な検査や臨床試験への(半ば強制的な)協力のため、この病院に留め置かれていた。一方の結愛は、最後の死闘で凌悟に負わされた傷が酷く、香椎製薬の最先端の医療技術をもってしても回復に時間がかかっていた。しかし、彼女もようやく昨日でギプスが取れたらしいと、今朝、俺の様子を見に来た看護師が言っていた。
入院中に結愛は貴成と話をし、大雅にされていたことをすべて伝えたらしい。それにより、貴成によって結愛のレイプ映像はクラウド上に点在していたバックアップを含めてすべて削除され、更に彼は大雅が結愛にもう二度と接触することがないように取り計らってくれたのだという。何日か前に談話スペースで顔を合わせたときに結愛はそのことを教えてくれ、俺はこれで結愛は大雅から解放されたのだと安堵した。
そんなこんなで俺と結愛は今日をもって長かった入院生活に終止符を打つことになっていた。俺は、チャコールグレーのボストンバッグの中にパジャマや洗顔セットなどといった入院中に使っていたものをぞんざいに放り込み、都内の自宅へ帰るための支度を進めていく。
特にもう何も忘れ物はないかと個室の中を見回すと、備え付けのテレビ脇のコンセントにスマートウォッチの充電器が刺さったままになっていた。最近のスマートウォッチはバッテリーの持ちがいいし、入院中に一回充電したきりだったから、充電器の存在を完全に忘れていた。危ねえ。
昼食の後に、退院書類へのサインは済ませてある。荷造りも終わったし、結愛とここを出る予定の十四時をあとは待つばかりだ。現在時刻は十三時四十二分、もうやることはない。
暇を持て余した俺はごろんとベッドに横たわる。腐っても天下の香椎製薬なだけあって、このベッドの寝心地は高級ホテル並みだ。まあ、高級ホテルなんて昔父親の社員旅行について行ったとき以来だからよく知らんけど。
俺は左手首に巻いたスマートウォッチの大きく亀裂の入った盤面を右手の指先でタップする。一応使えているので不便はないが、東京に帰って少し落ち着いたら、後期の授業が始まる前に修理に行っておきたい。結愛を誘ったらついてきてくれないだろうか。デートも兼ねて。無理か。いや、無理じゃない。と思いたい。
俺は文字盤を指先でなぞって暇つぶしにニュースアプリを起動させると、めぼしいものに目を通していく。俳優の誰それが不倫しただとか、都内のどこぞで放火があったらしいだとか、週末に台風が来るらしいだとかといった記事を読み終えた俺の目はとある記事の見出しに吸い寄せられた。
rotten-32治療薬開発の香椎製薬、CEO辞任か。見出しにはそう書かれていた。俺はその記事をタップし、自分の目の前の空間に表示させる。
まず目に飛び込んできたのは、あのゲームが終わった翌日に行なわれたという謝罪会見の映像だった。香椎製薬のCEOである貴成が、息子である大雅の愚行を詫び、被害にあったサークルメンバーに対しては最大限の補償をするといった旨を述べていた。カメラのフラッシュがあちらこちらで光り、記者たちが詰めかけてくるのを眺めると、俺は記事を下へスライドし、内容を読み進めていく。
貴成は大雅のしでかしたことの責任をとり、今月末付けで香椎製薬のCEOを辞職するとのことだった。次のCEOは彼の甥で、現在の取締役の一人である香椎煌也に決まっているとのことだ。
ふうん、と興味を失った俺は記事を閉じる。父親の貴成が金の力をもって警察を無理やりとりなしたことによって、大雅は逮捕こそ免れたものの大学を退学することになったらしいと結愛から聞いていた。結愛によれば、大雅は香椎製薬の取締役としての内定も取り消され、今後は本州から遠く離れた孤島の別荘で隠居している彼の厳格な祖父で香椎製薬の会長職にある豊久の元で監禁に近い生活を送ることになっているらしい。大雅がもう俺や結愛の人生に二度と関わってきさえしなければ、誰があの企業の次のCEOやら役員やらになったところで、俺には関係ないし興味もない。というか、もうどうでもいい。
適当に指先でニュースアプリのタブをめくっていき、俺はなんとはなしに目についた星座占いの記事を開く。五月生まれの俺は牡牛座だ。牡牛座、三位、一歩を踏み出すチャンス。ラッキーカラーはブラウン。
(ブラウンかあ……)
俺はサックスブルーのTシャツを見下ろした。ラッキーカラー云々はともかくとして、もうすぐ夏休みも終わるというこの季節にこの格好は夏っぽすぎるか。もう少し落ち着いた色――ブラウンのクルーネックニットが確か荷物の中にあったはずだ。
別に占いなんかに影響されたわけじゃない、と自分に言い聞かせながら俺はボストンバッグからブラウンのクルーネックニットと白シャツを引っ張り出した。
俺はTシャツから両腕と頭を引っこ抜くと、代わりにクルーネックニットとシャツを纏っていく。今しがたまで着ていたTシャツは適当に丸めてベッドの上に放り投げた。
俺はスマートウォッチのミラーアプリを起動させると、インカメラに自分の全身を収める。すると、ベッド脇の窓で波打つ白いカーテンにもう一人の俺の姿が投影された。
七分袖の洗いざらしの白いシャツ。半袖のブラウンのクルーネックニット。ブラックのテーパードパンツ。
悪くないな、と独りごちながら俺は乱れた髪を引っ張って申し訳程度に直していく。にんまりと目を細めていると、ガラッという音を立てて病室のドアが開いた。
「あっ……」
俺は固まった。頬や耳がかっと熱くなっていくのを感じた。自分の姿を見ながらにやにやしてるなんて、絶対にナルシストだと思われたに違いない。恥ずかしい。
「成瀬くん、何してるの?」
そう言って可愛らしいベージュの花柄のスーツケースを転がしながら病室の中に入ってきたのは、白いレースのブラウスに茶色いチェックのスカートという秋めいた姿の結愛だった。両耳の上で丸めた羊のツノのようなお団子ヘアの根元ではサテンのベージュのリボンが控えめに存在を主張している。
「もう、お昼ごはんのときに、十四時に出るから支度しておいてねって言ったはずなのに、何でまだ準備できてないの?」
結愛は呆れたようにそう言いながらベッドに近づくと、脱ぎ捨てられたままの俺のサックスブルーのTシャツに手を伸ばす。彼女は俺の服を手早く畳むと、口が空いたままのボストンバッグへとしまった。
「ああもう、成瀬くん、こんなところに忘れ物してるよ」
結愛はサイドテーブルのティッシュの箱の影からメタリックなブルーグリーンのBluetoothイアホンを見つけ出すと俺へと渡す。入院して一週間くらいしたときにどこかに行ってしまい、紛失したものと思って諦めていたけれど、まさかこんなところにあったとは。
「ありがとう」
俺はイアホンを受け取って、ズボンのポケットに入れると、自分のボストンバックを肩にかける。結愛は部屋の中の忘れ物の最終チェックを済ませると、俺を振り返り、
「それじゃあ、成瀬くん、行こう。あんまりのんびりしてると、新幹線の時間過ぎちゃうから」
結愛とともに病室を出て、廊下を歩いていると、この一ヶ月と少しの間に顔見知りになった看護師の人たちの何人かと俺たちはすれ違った。「あ、今日退院だっけ」「お大事にね」そう口々に声をかけてくる彼らに、お世話になりましたと俺は会釈をすると結愛とともに入院病棟を出た。
もうすぐ九月も終わる。頭上の青い空からは夏の力強さが薄れ、透明感のある秋の色に入れ替わりつつあった。肌に触れる風も夏とは打って変わって湿度が低くなり、からりとしたものへと変化している。
俺は結愛と並んで病院の前の坂道を最寄りのバス停を目指して下りながら、さりげなさを装って話を切り出した。
「あのさ……俺、入学したころから結愛ちゃんのこと、好きなんだけど。よかったら俺と付き合ってくれない?」
結愛が大雅との関係をどうにか断つことができた今だからこそ、改めて口に出す気になれたのだが、結愛は俺の言葉にラメの光る大きな目を見開いた。結愛は苦笑混じりに、
「成瀬くんって、物好きだね。わたし、かなり自分勝手な人間だよ? あのゲームのときのこと、まだ覚えてるでしょ?」
「そういう部分も含めて、結愛ちゃんは結愛ちゃんだろ。可愛いところも、ちょっとずるいところも、優しいところも。それを全部ひっくるめて、俺は結愛ちゃんのことが好きだよ」
そう、と秋の初めの日差しに目を細めながら結愛は頷く。
「わたし、大雅先輩とのことがあったから、今は誰かと付き合うとかってことはまだ考えられないかな。
でも、わたし、成瀬くんのことは嫌いじゃないし、成瀬くんのことは信頼できるって思ってる。だから、まずは友達から始めたいな。わたし、まだ少し時間が欲しいの。それじゃだめかな? ――蒼生くん」
不意打ちで呼ばれた名前に、一瞬俺の心臓は動きを止めた。ずっと苗字で呼んでたくせにそれはずるいって。
「いいよ、それでも。これからもよろしくね、結愛ちゃん」
「改まって言うのも変な感じするけどね。よろしくね、蒼生くん」
彼女と付き合うには至らなかったが、彼女にとってのその他大勢から友人になれたのは進歩だ。これのおかげだろうか、と俺はさっき見た占いの内容を思い出しながら出際に着替えた茶色のクルーネックニットに視線をやった。
今週末は秋のお彼岸だ。柊夜が眠っているという杉並区の寺まであいつに会いに行こう。気が付かなかくて無我夢中だったとはいえ自分がやってしまったことの謝罪だとか、結愛との関係の進展だとか、長年の親友であるあいつと墓前で話したいことは山ほどある。
結愛は歩きながら、手元のスマートウォッチを音声入力で操作して、駅へと向かうバスの時刻表を調べると、
「ほら、蒼生くん。あと三分でバス来ちゃうって。早く行こう」
結愛は俺の右の手首を掴むと引っ張った。秋、冬、と時間を重ねていけば、いつかは俺が彼女の手を握り返せる日も訪れるのかもしれない。
するりと爽涼な風が頬を撫でていくのを感じながら、俺はちらりと背後を振り返る。遠くに見える長野の山々は秋めいた日差しを受けながら、白い鰯の群れが泳ぐ空へと聳え立っていた。
お読みいただきありがとうございます!
これにて今作は完結となります。
短い話と長い話が混在していて、読みづらい部分もあったかと思いますが、
ここまで拙作にお付き合いいただきありがとうございました!
※評価等いただけますと、今後の励みになります。どうぞよろしくお願いいたします!




