四章「神と騎士と人と」-②
山を降りておよそ五分。
閑静な村の中で異彩を放つ盛り上がりを魅せる中央市場を横切り、慣れたような手つきで雑木林を抜ける。
自宅ほどではないが高い丘の上にあるその家は、見下ろせばアネモスの町を周囲まで隈なく見渡せる程の景色を露わにする。
どこまでも広がる蒼い海原...
活気立つ漁師の声...
風にそよぐ緑...
「サトゥルさん、いるか?」
村長【ムラオサ】という肩書きの割に質素な家に住む家主を求めて、リラは扉に付けられたドアノックを優しく叩く。
「...リラか...
入れ。」
数秒の後、声の主に屋内に招かれる姿がひとつ...
「リラ!?
なんでここに...」
「よう、さっきぶりだな。」
再びの邂逅。
ユノは困惑しながら、リラとサトゥルの背中を不安そうに見送る。
客間兼リビングとして使用している部屋に通される。
木造築四十年は優に超えている家とは思えないほどに、机や椅子、細かな雑貨品から細部の装飾まで、埃一つないほど丁寧に掃除が行き届いている。
「紅茶でいいか?」
「あぁ、ありがたく。」
ハチドリの装飾が施されたティーカップに入った紅茶を手渡される。
互いに一息をついたあと、サトゥルは顎にたっぷりと蓄えた髭を触りながら溜め込んだ息を大きくひとつ吐く。
「手狭ですまん、リラ。
長旅ご苦労と労いたいが、簡潔に述べなさい。
王都で何があった。」
一瞬意表を突かれる。
話題に出すつもりのなかったトカゲの一件も、村長なら知っているということか...
「あぁ...」
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「そうか...」
サトゥルは頭を抱える。
トカゲによる襲撃は何も王都だけの被害には収まらない。
交易を主体とするのはアネモスも同じだ。
故に、サトゥルは今回の一件を村の危機として受け止めているのだろう。
「...最近、村におかしな連中が出入りするようになってな…
蘭風様にも頼み神騎の常駐人数も以前と比べて増えたが...」
「そのおかしな連中は、何してるかわかるか?」
「...」
妙に引っかかる。
神騎の常駐人数が増えても現状が変わらないのか...
それともなにか...
「リラ、逃げッ」
「お邪魔しまーす。
サトゥルさん。」
焦る形でこちらの部屋へ飛び込んできたユノ。
その後ろから、半ばユノを突き飛ばす形で男が乱入する。
咄嗟にユノを抱きとめ、男の方に視線を移す。
見ると、男の顔と鎧には見覚えがある。
鎧の左胸元に描かれた風花...
憎たらしく脳裏から消えない顔...
「...お前、神騎になってたのか...」
男の名はシオン・レベリオ。
かつて、リラやトレーネに対する虐めや差別において同年代における主犯格だった男...
その男が、どうしてか風花を胸に目の前に立っている...
「あの話...
いい加減ケリつけたくて、押しかけて来ちゃいました。」
薄気味悪く、笑顔などと口が裂けても言えない悍ましい表情を浮かべながら...
まるでリラのことなど視界にも入らないかのようにシオンはサトゥルに詰め寄る。
「...言ったはずだぞシオン...
次にうちの敷居を跨げば殺す...と...」
サトゥルの手が壁に飾られた直剣に伸びる。
柄を握り、抜き身の刀身をまるで品定めするかのように眺める。
丁寧に磨き上げられた銀鏡のような刃に、その輝きすら燻むほどの鋭い狩人の瞳が映る。
「そう殺気立つなよ。
岳父の居ない式なんて、花嫁が可哀想だろ。」
ゾクリと、背筋を嫌な冷汗が流れるのを感じる。
全身に嫌な緊張が走り、自分の筋肉の拘縮を肌で感じる。
「神騎を滞在させるための条件は提示した。
あとは、あんたが約束を守るだけだ。」
ひとつ、滞在中は生活にかかる必要物品また兵装の点検に村からの補助金が降りる。
ふたつ、滞在中の神騎に対し基本報酬とは別に特別手当を付与する。
「そしてみっつ。
滞在中の神騎に対し滞在期間中の市民権を与える。」
(...考えたな...)
本来、アネモスは正式な移民手続きを行っても尚市民権が認められることはない。
この村特有の閉鎖主義に加え、絶対的な主権を神ではなく村民が握っているためだ。
だからこそ、正式にこの村の一員に加わるためにはこの村の者と婚姻を交わし、子供を作る必要がある。
(子供がいれば、いつでも人質として活用できて、例え市民権を持っても無理な行動は取らない...
閉鎖環境にあるからこそできる手法だが...)
みっつめの約束。
市民権を契約として主張するということは、村人による静観を無効にする。
つまり、村人は守護がほしければ、自らの意思で神騎を村民として迎え入れるという建前を作らなければならない...
子供のいる家庭はこの風習を悪しきものと弾圧するだろうが、古株や子供のいない家庭はそれに異を唱える。
「あんたほど権力のある人間が率先して責務を全うすれば、有象無象も黙ると思うんだよね。」
瞬間。
黒光りするマチェットがシオンの喉元...
頸動脈を沿うように突きつけられる...
パリンという窓を割る質素な音が響き渡る。
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「...何のつもりだ...」
瞬きの間に、リラはシオンに距離を詰める。
あと数ミリ刃を動かせば、この家の貴重な調度品の数々も全て緋色の装飾に早変わりする。
「バアル。」
「冷静なクセに、カッとなって頭に血が上るのはいただけねぇな、リラ。」
リラが刃先を突きつけるのとほぼ同時...
それよりもなお早く、突如として現れたバアルがリラの顳かみに竜の意匠が刻まれた回転式拳銃【リボルバー】を突きつける。
「おいおいリラ、うちは確かに反抗期は上等だが...
他所ん家で流血沙汰【ブラッドバス】は勘弁だぜ。」
野外からニンリルの声が聞こえる。
声を合図に、サードの全員がリラを取り囲む形で獲物を構える。
...
言葉の無い緊張だけがその場の空気を支配する。
張り詰められた糸に四肢を支配されたように…
ただ音はなく、窓から微かに吹くそよ風だけが自由気ままに駆け抜ける。
「なんだ。
居たのか、リラ。
お前にまだ言ってなかったな。」
流血をものともせず、シオンは首元に添えられた刃をなぞるようにリラの耳元に優しく息を吹きかけるように呟く。
泣くほど良かったみたいだぜ...
お前の居ない乱交パーティ──────
瞬間、リラの殺気が膨れ上がる。
まるで深淵に誘い込まれるように、するりと...
目を離さなかったはずのダムとピグの視線すら掻い潜り、シオンを抱き寄せる形で喉仏に当てた刃に力を込める。
「遺言にしちゃ品がねぇぞ。
シオン。」
「野郎に掛ける言葉に、品なんて大層なもん勿体ねぇだろ。」
刹那遅ければ、互いに命はなかっただろう────
曲がりなりにも神騎【ナイト】相手に、六名とはいえ学徒のみで対処するには些か荷が重すぎる...
というニンリルの即時判断は正しかった。
「場所を変えろ。
馬鹿二人。」
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昨日の闘技場に足を運ぶ。
中心に風花の意匠を刻むこの円形の闘技場は、日頃から神騎の訓練や村の子供たちの遊び場など様々な用途で使用される。
中心からの半径二十メートル。
直径にして四十メートルの広さを誇り、その大きさはユノス学園にある「パレス・アテナ」にも引けを取らない。
「殺しは御法度。
それ以外は基本何をしても自由。
どちらかが戦闘不能と判断した時点で決着。
いいわね?」
蘭風の号令に双方頷き、距離を取る。
「なぁ、賭けようぜ。
リラ。
お前が万に一つでも勝てたら、ユノにもトレーネにも今後一切手を出さない。
お前の視界からも一生消える。
この風花に誓ってやる。」
「...万に一つ、お前が勝ったら...?」
二本の短直剣【ショートソード】を抜きながら、少し考える素振りを見せる。
口角を上げ、狂ったような嬌声を上げながらシオンは答えにもならない答えを叫ぶ。
「まずはニンリルをいただく。
肢体を弄び、言霊を潰し、二度と俺に刃向かえない従順なオンナにしてやる。
次にそこの金髪、黒髪、長髪のチビ...
てめぇの周りの雌という雌を俺好みの淫乱女に変えてやる...」
開始の合図すら待たず、シオンに肉薄する。
陽光を等しく黒に染め上げる刀身は的確に頭部、喉元、丹田の順に...
切っ先は砂埃を巻き上げながら、丁寧に、鮮やかに、然しながら僅かな怒気を感じる震えを纏う。
「馬鹿!
乗せられちゃ駄目だって!」
「リラ、落ち着く!
バアルも!」
殺気を纏うヒノを宥めるピグ...
今にも飛びかかりそうなバアルを羽交い締めにするイザベラ…
両者の叫びも虚しく、シオンの頭部と胴部は綺麗に泣き別れる。
...はずだった...
クスリと嘲笑う影がひとつ...
砂煙に紛れぼんやりと...
然しその虚像ははっきりと、みなの眼下に映る...
「良いねぇ...
壊しがいのある玩具だ...」
影は揺らりと蠢き、ただそこに立っていた...




