イレーネ、ルクスガルドに着く。
白々と明けてきた朝霧の中、イレーネとルイーザはルクスガルドの城壁門にたどり着いた。寄ってくる門兵にバルドルから預かった銀の札を見せると、すぐに先触れを出してくれる。
休息を、と言ってくれるが、イレーネは弱く首を横に振った。
「手紙を……直接届けなければ……」
バルドルからの手紙はなんとしても領主、又は領主に近しい者に届けなければ。
「では、せめて手綱を。誘導します」
「……お願い、します」
ぐっと進みが速くなり、ありがたくも身体に響く。が、その痛みも鈍く感じるほど身体は疲弊していた。
空堀を渡り城門へ入っていくと、ルイーザを預かってくれ、すぐに応接へと通してくれる。
間を置かずに部屋へ入ってきたのは、プラチナブロンドの髪を一つにまとめた美青年。切り揃えた前髪から覗く一重のスカイブルーがイレーネを見て、鋭く細まった。
「あなたが……領主さま……?」
明らかに高位貴族だとわかる立ち姿に、会ったことのない婚約者はこの人なのだろうか、とつい口に出た。
「マナーがなっていませんね。貴女の今の立場では先に話すのは私の方では?」
「……失礼しました」
「すぐに謝ってしまうのです? いえ、それが正しいのですが、そんな事ではこのルクスガルドでは……いえ、今論じる事ではありませんね。私はルーカス・ヨハンセン。ルクスガルド領主ラインハルトさまの補佐をしております。バルドルからの報告を持っているとか」
「はい、こちらに」
腰に携帯したポーチから手紙を取り出し、手渡す。ルーカスはすぐに開封して目を通すと、頷きこちらを見据えた。
「すぐに援軍を向かわせますのでご安心を。貴女は休息を取った後、ノルダンにお帰りなさい」
「……え?」
「ここまで戦火は及びませんが、大切なお客人をもてなす状況ではないのです。厩務研修及び視察は中止とします。お引き取りを」
「そんなっ……わたしはすぐブーレルに戻って後方支援を……!」
「させられますか!! そんな顔に怪我までしてっ!!」
「お……かあさま……?!」
ばん! と扉の音を立てて部屋へ入ってきたのは、ノルダンにいるはずのイレーネの母、サーネだった。
「親子だとすぐにわかりますね、マナー知らずとはこの事」
「マナーよりも大事な事があります! 貴方も人の親になってみればわかること。控えなさい、入室の許可なしに入るのも違反であるが、そちらが先に物申すのもいかがか」
「確かに。ノルダン・ラースの輝きサーネ・ラ・ノルダンさまに謝罪致します。大変失礼致しました」
深々と礼をする姿は見惚れるほどの高貴。しかし母、サーネは鼻にシワをよせて息を鳴らす。
「そこまでされると嫌味よ。許します。普段通りになさい」
「話が分かる方だ。ありがとうございます」
「一言余計なのね。理解したわ」
バチバチと火花が立ちそうな応酬に目が回りそうだと思っていたら本当に目眩がしてきた。ふらついたイレーネに気づいたルーカスがさっと身体を支えるが、痛めた肩をつかまれ、堪えるがうなり声が漏れてしまった。
「イレーネっ!」
「……落馬しましたか。医務官を呼んでくれ!」
「だいじょ」
「「大丈夫なものですかっ!!」」
両側から異口同音を叫ばれあっけに取られていると、咳払いをしたルーカスがひとまずこちらへと長椅子に座らせてくれる。サーネは隣に座り、滲み出てきた額の汗をハンカチで吹いてくれた。
「こんなすり傷を作って……あとに残ったらどうするの、お嫁にいけないわ」
「そのような事を気にする御方ではありません」
「では言わせてもらいますけれど、このような事になっているのが許せないのよ。なぜ娘が前線に連れて行かれるのです、厩務の視察ではなかったのですか」
「もちろんそのつもりでしたが、思いの外優秀なお嬢様でしたので帯同してもよいだろうと」
「何を無茶な……反対する者はいなかったのですかっ!」
「もちろん反対しました。が、前線の匂いも感じた方が良いと望まれましたので」
「嫁いでからでも間に合うものを」
「望まれましたので」
「すでに囲ったと?」
「ご随意にお考え頂ければと」
耐えきれず、長椅子の背もたれに沈み込むように座っているイレーネの両側で言葉の応酬が始まる。座った事によりほっとしたのか意識ももうろうとして二人の言葉がうまく耳に入ってこない。
「とにかく連れて帰ります。身体を休ませなければ」
「最善かと。ここにいると回復したらすぐにでも前線へ飛び出していきそうですので」
「え……? ……かえ……? い、いや……」
「イレーネ、このような有様の貴女をここに居させるわけにはいきません。帰りますよ」
「い、いや…………わたしは……ライのもとに……うっ……!」
母の手を振り切って立ちあがろうとしたイレーネはひどい目眩に襲われ、身体が前のめりに倒れていく。それを受け止めてくれたのは素早く立ち上がったルーカスだった。
「失礼を。御身に触れることをお許しください」
背中と膝を抱えて横抱きにすると、寄り添ったサーネに頷く。先ほどまで激しい舌戦を交わしていた二人は、意見の相違を得た途端に粛々と移動する。
「横たえられる馬車を用意しましょう」
「すでに持ってきてるわ。この子のことだから、万一を考えて」
「さすがです。その他留意すべき事も教えて頂きたい」
「わたくしはまだ許しておりませんよ?」
「承諾なくこちらにみえたときの為に、としたら?」
サーネはため息をついて額に手を当てた。ありえる未来だからだ。
「……まずは謝罪を求めます。先読みをして可能性の段階でこちらを呼ぶ手腕は認めますが、それならば行軍する前にイレーネをラースに戻す事もできたはず。今後の事も申し開きを待って父と共に考えますが……その前に飛び出していきそうならば早馬で知らせを出すわ」
「ありがたく、よろしくお願い致します。私どもにとっても尊い御身ですので」
馬車だまりにつけられた大型の馬車に乗り入れ、イレーネを横たえると、ルーカスはサーネをエスコートしてイレーネの向かいに座らせる。
息を切らして来た医務官に事情を話して屋敷での休息ではなく移動させる事を伝えると難色を示したが、目が覚めたらおそらく戦火に飛び込んで行ってしまう事と天秤にかけて欲しいと告げると、仕方がないと頷いた。
「骨に異常はないようですが、何分強打しているので発熱したら途中の宿でも留まって休息させてください。痛み止めと睡眠を誘発する薬を渡します。飛び出すご気性ならば、うつらうつらと眠っている間に移動するのがよろしいでしょう」
「まるで誘拐するみたいね」
「手口は一緒かと」
「そうでしょうね、この子の意思とは別の行動をするのだから」
サーネは苦笑すると、医務官とルーカスに承諾の頷きを返した。クッションを敷き詰め、簡易ベッドのように室内を整えて、二人は馬車を降りる。
窓越しに挨拶をとルーカスが顔を上げた時、サーネはまた額に手を当て、今度は謝罪をしてきた。
「ごめんなさい、父からの伝言をお伝えるのを忘れていたわ。明日、着きます。停留せずすぐに動きたいようなので、ご準備頂ける?」
「委細、承知しました。ちなみにいく人ほど」
「中隊は来ると考えてちょうだい。少なかったかしら」
「いえ、十分です。ありがたき幸せ」
胸に手を当て、最敬礼をするルーカスに、サーネも目を伏せて受ける。
「最後に、大切な王女殿下をお怪我をさせてしまい申し訳ありません。主人も謝罪に向かう気持ちだと思いますが、おそらく文での申し開きになるかと思います。重ねてお詫び申し上げます。必ず直接謝罪に向かわせますので、その時はお取次願えればとお願い申し上げます」
「相変わらず口が上手いこと……直接会わすかどうかは父と相談するわ」
「無作法にならぬようこちらも留め置くので、正式に伺った時の門前払いはご容赦頂きたい」
「この子の気持ちにもよると思うわ。わたくしから言えるとしたら、なるべく早くラースに来ることね」
「伝えます。お気をつけて」
「ありがとう。ごきげんよう」
サーネは合図を送り馬車を出し、ルクスガルドの門を抜けてしばらく走った所で大きくため息をついた。
「はぁ、ルクスガルドの梟と対峙するのは疲れるわね。この子に御せられるのかしら……」
長椅子に座っていた時は苦しそうな顔をしていたが、横になったことでほっとしたのだろう。今は寝息も整い、顔に赤みも出てきた。サーネもほっとして、乱れた前髪を整えてやる。
「まぁ、この子の事を心配してくれてるのは確かだから、御するというよりか振り回していきそうだけど。でもね、イレーネ。私たちも振り回されたからにはお仕置きしますからね? ちゃんと淑女教育を修めないとルクスガルドには行かさないわよ?」
飛び出していきそうなほど親交を深めたのは上々、それならばきちんとした立場で向かわさなければならない。よかったわね、でも覚悟しなさいな、と母は優しく愛娘の頬をつまんでそっと撫でるのだった。




