海の魔女タキの話
海には、さまざまな妖しのものが出るという。
たとえば、こんな話がある。
沖合を船が進んでいると、遠くに、ひとすじの白波が見える。水平線にずうっと沿ったような、長い長い波頭である。
水面は凪いでいるのに妙だと思っていると、どんどん近づいてくる。しかし、波にしては様子がおかしい。
よく見ると、白いうさぎの群れが、水面を走っているのだ。
兎の群れは、船を飲み込むように、まっすぐこちらに向かって来る。ぶつかる、と見えたところで、ヒュウと大きくはねて、次々に甲板にとびこんでくる。
あっというまに、船の中は白うさぎに埋め尽くされて、大騒ぎだ。
そうして、船の中をめちゃくちゃにかきまわしてから、反対側に飛び出してゆくのだという。
気がつくと、甲板はぐっしょり濡れている。まるで、大波をかぶったように。
また、こんなこともある。
船のゆくさきに、水面からコウ、すらりと背筋を伸ばしたような、なんともいえない美人が立っているそうだ。
きまって、月夜。
満月の光がまっすぐさした下に、影絵のようにたたずんでいる。
ただ、立っているだけで、害はない。また、こちらから声をかけても、けして口をきくことはない。ときには、小さく手をふってこちらを呼ぶようなしぐさをすることもあるが、相手をせずに通り過ぎてしまえば、それまでだ。
ふつう、船乗りは男であるから、女の姿に見えるが、不思議なことに、女の目からはきれいな若い男に見えるらしい。
さて、こうした海の怪異のうちいくつかは、タキという魔女のしわざであるそうだ。
タキは、もともとは海辺の街に住む少女であったが、父親と折り合いが悪く、嵐の日に海に落とされたので、魔女となったのだという。
船乗りがまぼろしを見るのは、たいてい、タキがいたずらをしているのだと云う。
害はないが、あまりにしつこいときは、大声で、
「タキやあ。面白いけども、今日はもう沢山だあ。続きはまた次にしてくれやあ」
などと叫ぶと、すっと幻は消えるという。
晴れた満月の日には、月を横切るようにタキの飛ぶ姿が見えることもある。機嫌のよいときは、こちらを見て、けらけらけら、と高い声で笑うそうだ。
いまでも、南方の漁師たちは、タキの死んだ日には漁を休み、海に花を撒いてとむらいをするという。また、タキの誕生日には、かならず家に帰って、家族と食事をすることになっている。




