第7話 「アルバイト」
宿の朝食が、なかった。
正確には、宿代が払えなくて朝食をつけてもらえなかった。
マオは財布を眺めた。
中身はゼロだ。昨日確認した。今朝も確認した。ゼロだった。
「……働くか」
誰に言うでもなく呟いたら、全員が振り返った。
チトが耳をぴんと立てた。
ガレットが「はたらくーー?」とゆっくり言った。
メルが「当然じゃ」と腕を組んだ。
まりっぺが「あらあら、何をいたしましょうか」と微笑んだ。
マオはまりっぺを見た。
一秒、考えた。
「お前は何もするな」
まりっぺが首を傾げた。
「あらあら、なぜですか。わたくしも何かお役に立てますわ」
「頼む」
「でも洗濯でも、お買い物でも」
「頼む」
「お裁縫なら」
「頼む」
まりっぺがにこりとした。
「わかりましたわ」
返事が良すぎて逆に不安だったが、考えないことにした。
ギルドの掲示板。
魔獣退治の依頼が三件あった。
マオはそのうち一番金額の大きいものを剥がした。
受付の女が書類を確認して、少し止まった。
「……ご本人様で」
「そうだが」
「見た目が」
「そうだが」
受付の女が何か言いたそうな顔をして、黙った。
マオは依頼書を受け取った。
指定された森まで、半刻ほどの距離だ。
聖剣がチリチリと熱い。
腰に差した。いつもより不愉快な熱さがした気がした。
森の中。
魔獣は思ったより早く見つかった。
見つかったというより、向こうから来た。
でかい。四足。毛が逆立っている。体高はガレットより高い。
街道沿いに出没して、すでに三人が重傷を負っている。依頼書にそう書いてあった。
マオは足を止めた。
魔獣も止まった。
草が、風もないのに揺れた。
先に動いたのは魔獣だった。
地を蹴った。速い。爪が四本、まっすぐ顔面に向かってくる。
マオは動かなかった。
ぎりぎりまで待った。
躱した。紙一重で。爪が耳をかすめた。
すれ違いざまに、首筋へ拳を叩き込んだ。
手応えがあった。硬い。骨がある。
魔獣がよろけた。それでも倒れなかった。
(タフだな)
向き直った魔獣の目が変わっていた。
さっきまでの獣の目じゃない。怒っている。
来る。
今度は低く、速く、地面すれすれに。
マオは聖剣に手をかけた。
抜いた。
瞬間、頭の奥に鉛を流し込まれたような重さが走った。
足が沈む。視界が、わずかにぶれる。
(——なんだ、これ)
それでも、振った。
渾身ではなかった。いつもなら半分の力で済む踏み込みで、それすらままならなかった。
それでも、刃は走った。
魔獣が倒れた。
地面に伏して、動かなくなった。
静寂が戻った。
マオは聖剣を鞘に戻した。
すうっと、頭の重さが引いた。体が、自分のものに戻る。
(……魔王特効か)
見下ろした。白い刀身。チリチリと熱い。
持っているだけで削られる。抜けばさらに削られる。
魔族の力を殺す剣だ。よくできている。
よくできているだけに、腹が立った。
(人間たちはこんな武器まで…)
答えは出ない。
出なくていい。
マオは踵を返した。
草を踏む音だけが、森に残った。
ギルドに戻って報告すると、受付の女が少し止まった。
「……もう終わりましたか」
「終わった」
「お怪我は」
「ない」
受付の女が書類を確認して、もう一度だけ言った。
「……あの個体、Aランク指定なのですが」
「そうか」
「お一人で」
「そうだが」
「素手で、最初は」
「剣も使った」
何か言いたそうな顔のまま、黙った。
依頼達成の判定をもらった。
金貨二十枚。
封筒の重さが、手に馴染んだ。
マオは財布に入れながら、聖剣を横目で見た。
チリチリと熱い。
(こいつがなければもう少し楽だった。まあ——それはそれだ)
街の東側。
チトが屋台の前に立っていた。
「手伝いましょうか」と言ったら「ありがとう」と言われた。
それだけで話が決まった。
屋台の主人は年老いた男で、腰が痛いと言った。
スープの仕込みと、器の準備と、客への声かけを頼まれた。
「できますか」
「できます」
チトは鍋に向かった。
手慣れた配分で、野草と干し肉を合わせた。
少し迷って、屋台にあった香草を一掴み加えた。
主人が一口すすって、目を丸くした。
「……うまい」
「ありがとうございます」
昼前には椀が売り切れた。
主人が感謝して、銀貨数枚をチトに渡した。
チトは尻尾を揺らした。
少し照れていた。
街の北側。
メルが路地に立っていた。
「迷子の猫を探してほしい」という張り紙を見たのは、チトだった。
チトがメルに渡したのは、「猫に好かれそうだから」という理由だった。
「なんで妾まで」
「サキュバスは動物に好かれますから」
「……それは認める」
依頼主の老婆の家に行った。
猫の名前はシロ。白くて小さい。昨日の朝からいない。
メルは路地に入った。
三軒目の物置の裏で、見つけた。
白くて、小さくて、丸まっていた。
メルがしゃがんだ。
「こら、心配かけるな」
猫がメルの膝に乗ってきた。
「……重いのじゃ」
老婆に届けたら、泣いて喜ばれた。
銀貨を押しつけられた。
「いらん」
「受け取ってください」
「……まあ、いい」
受け取った。
街の南側。
ガレットが畑にいた。
農家の男が困っていた。
収穫の季節なのに人手が足りない、と言った。
「てつだえるーー?」
「助かります」
ガレットは畑に入った。
だいたい三メートルの体で、でも丁寧に、野菜を掘った。
根菜が面白いほど次々出てきた。
午前中で、三人分の仕事を終えた。
農家の男が目を丸くした。
「早い」
「ゆっくりやったーー」
「早い」
報酬の他に、野菜をひと抱えもらった。
かぼちゃが二つ、芋が六つ、葉物が束になって四本。
ガレットがそれを抱えて宿に戻ってきた。
両手に余って、胸で抱えていた。
「やさいーー」
「でかいな」
「かぼちゃもでかいーー」
「ガレットの方がでかいが」
「そうかなーー」
宿。
全員が戻った頃、宿の主人が出てきた。
「あの、少々よろしいですか」
にこやかな顔だったが、目が笑っていなかった。
「部屋のドアなのですが」
マオは目を閉じた。
「……いくらだ」
「金貨三枚ほどで」
「そうか」
「外れていたというより、その、額ごと」
「そうか」
「壁にめり込んでいたというか」
「わかった」
マオは稼いだ金を取り出した。
数えた。
払った。
ため息をついた。
深い、でも短いため息だった。
残りを財布に戻した。
十七枚、残っている。
(まあ、これだけあれば)
部屋に戻った。
まりっぺが窓際に座っていた。
外を眺めながら、にこにこしていた。
「あらあら、おかえりなさいませ」
「……ドア、壊したな」
「あらあら、少し力が入りすぎてしまいましたわ」
「気のせいじゃないが」
「気のせいですわ」
「あとこのマントほつれていたので裁縫しておきました」
マオはまりっぺを見た。
穏やかな顔だった。
悪意のない顔だった。
ただ、にこにこしていた。
(……まあ)
ため息をもう一つついた。
こちらは少し、軽いため息だった。
「まあ、いいか」
チトが鍋を出した。
「かぼちゃのスープ、作れます」
ガレットが「かぼちゃーー」とゆっくり言った。
メルが「腹が減った」と言った。
まりっぺが「あらあら、楽しみですわね」と微笑んだ。
いい匂いが、部屋に広がった。
財布の中身は、十七枚残っている。
ドアは、なかった。
まあ、それだけでも。




