第8話 「東の村」
街道を歩いていた。
特に何もない道だった。
草が生えていた。空が青かった。聖剣がチリチリと熱かった。
いつも通りだった。
そのとき、上空が光った。
『あー困ったなあ』
「……」
『おやおや、これは偶然にも勇者パーティーの皆さん』
チトが耳を倒した。「おやおやってねえ、聞いてくれるう?無視?」
マオは空を見上げた。
「なんだよアル」
『いや呼び捨ては酷くなーい?』
「用があるなら早く言え」
『はい』
アルが咳払いをした。雲の上で。
『えーそこから東に向かったところにある村が魔獣に襲われてて困ってるので助けてあげてください』
「それだけか」
『それだけ』
「わかった」
『よろしくー』
光が消えた。
チトが尻尾を揺らした。「……現れてすぐ消えましたね」
「用が済んだんだろ」
「薄情ですね」
「神様なんてそんなもんだ」
まりっぺが微笑んだ。
「あらあら、困っている方がいるのですね」
「ああ」
「では参りましょう」
一歩、前に出た。
歩幅が、少し広い気がした。
(……やる気だな)
マオはため息をついた。
東の村は、半刻ほど歩いたところにあった。
村の入口に差し掛かると、見張りらしい男が飛び出してきた。
「あ、あんたたち、勇者か?」
「そうだが」
「よかった、来てくれた」
男が顔をくしゃりとさせた。
「三日前から出てるんだ、でかい魔獣が。夜になると村の端を壊して、家畜を攫っていく」
「今はどこにいる」
「森の東側に巣を作ってるらしくて。昼間は動かないが、夜になると」
「わかった。案内してくれ」
森の手前。
村人の男が足を止めた。「ここから先は、俺には」
「いい、ここで待て」
一行が森に入った。
しばらく歩いた。
下草を踏む音。鳥の声。風の音。
それだけだった。
(……静かすぎる)
マオは足を止めた。
全員が止まった。
チトが耳をぴんと立てた。小声で言った。「……います」
「どこだ」
「上」
木の梢が、揺れていた。風はない。
次の瞬間、何かが落ちてきた。
でかい。四足。全身を青白い毛に覆われて、背中に雷光のような紋様が走っている。着地の衝撃で地面が割れた。
低く、唸った。
その声だけで、空気が震えた。
「……でかいな」
「ぼくよりでかいねーー」
「でかいな」
ガレットが動じていない。
マオも動じていない。
チトが音もなく木の上に跳んだ。
メルが小さな体で腕を組んだ。「……強そうじゃ」
まりっぺが前に出た。メイスが現れた。
「あらあら、立派な魔獣ですわね」
「まりっぺ」
「はい?」
「後ろにいろ。俺たちでやる」
「でも」
「村が後ろにある。お前が振ったら村ごと消える」
まりっぺが少し考えた。
「……わかりましたわ」
メイスが、消えた。
(珍しく素直だな)
嫌な予感がしたが、前を向いた。
魔獣が動いた。
速い。地を這うように低く、一直線に。
ガレットが前に出た。
大盾を構えた。でかい盾だ。ガレット自身がでかいから、盾もでかい。
魔獣がガレットに激突した。
どすん、と重い音がした。
ガレットが、動かなかった。
三メートルの体が、盾ごと踏ん張っていた。足が地面にめり込んでいた。
「……おもいねーー」
「よく止めた」
魔獣が退いた。今度は距離を取って、周囲をぐるりと回り始めた。獲物を測っている。
チトが木の上から短剣を投げた。
一本目が右肩に刺さった。二本目が後ろ脚に刺さった。
魔獣が動きを乱した。
そこへマオが踏み込んだ。
聖剣を抜いた。頭に鉛が流れ込む感覚。足が重くなる。視界がぶれる。
それでも振った。
刃が背中の紋様をかすめた。
魔獣が吠えた。電撃が散った。地面が焦げた。
重い。体が言うことを聞かない。
聖剣を鞘に戻した。頭の重さが引く。体が戻る。
魔獣がまた向き直った。今度は目が変わっていた。怒りではなく、警戒だ。逃げる気だ。
「逃がすな」
メルが前に出た。
小さな体で、どこからともなく取り出したのは、星形の飾りがついた細いステッキだった。見た目は可愛らしい。
光った。
「魅了」
一言だった。
魔獣の目が、ゆっくりと変わった。
怒りが消えた。警戒が消えた。
とろん、とした目になった。
「……今じゃ」
マオが踏み込んだ。
今度は聖剣を抜かなかった。
素手で、首筋に手刀を叩き込んだ。
渾身だった。
魔獣が崩れた。
地面に伏して、動かなくなった。
静寂が戻った。
チトが木から降りてきた。
ガレットが盾を下ろした。足跡が地面に深くめり込んでいた。
メルがステッキをどこかへ仕舞った。
マオは手を払った。
(今回は、まともに終わった)
振り返った。
まりっぺが、森の端に立っていた。
メイスを持っていた。
「……あらあら、終わってしまいましたわね」
目が、少し残念そうだった。
(危なかった)
「よく待った」
「……そうですわね」
納得はしていなさそうだったが、黙った。
そのとき。
魔獣が、動いた。
目が戻っていた。
とろんとした目ではない。追い詰められた目だ。
最後の力を振り絞って、跳んだ。
森の外へ。村の方角へ。
(まずい)
マオが走った。
間に合わない。距離がある。
チトが短剣を投げた。届かない。
ガレットが盾を投げた。それでも届かない。
メルがステッキを向けた。「魅了——」
魔獣がもう一度吠えた。電撃を纏って、全力で跳ぶ。
(そっちはダメだ)
「まりっぺ」
振り返った瞬間。
まりっぺが、そこにいた。
メイスが、あった。
「あらあら」
ごぉん。
ドゴオオオオン。
白煙。
静寂。
「……終わった」
チトが呟いた。
誰も返事をしなかった。
煙が晴れるのを、全員で待った。
煙が晴れた。
魔獣は、倒れていた。
動いていない。
村の端の家が、三軒。
壁にひびが入っていた。
一軒は屋根が半分、消えていた。
チトが耳をぺたりと倒した。「……村が」
「村がな」
「待っていたのに」
「待っていたのにな」
ガレットがのそりと眺めた。「こわれてるねーー」
「こわれてるな」
メルが腕を組んだ。「……結果は同じじゃったな」
「同じだったな」
まりっぺが首を傾げた。
「あらあら、でも魔獣は止めましたわよ?」
「止めたな」
「お役に立てましたわ」
「……まあ、そうだな」
誰もそれ以上は言わなかった。
村長が出てきた。
魔獣が倒れているのを見て、深く頭を下げた。
「ありがとうございます。本当に、助かりました」
「いや」
「ただ、その」
村長が村の端を見た。
「家の修繕費なのですが」
「払う」
「……本当ですか」
「請求書を作ってくれ。宛名はマオ様で」
村長が少し不思議そうな顔をした。
それ以上は聞かなかった。
村を出た。
夕暮れだった。
チトが小声で言った。「……また請求書が増えましたね」
「増えたな」
「マオ様宛てで」
「そうだな」
「……魔王城に届くのでは」
「届くだろ」
「セバス様が」
「知ってる」
ガレットが「たいへんだったねーー」とゆっくり言った。
「大変だったな」
メルが鼻を鳴らした。「次は最初から使え、妾を」
「今回も使った」
「もっと早く」
「肝に銘じる」
まりっぺが微笑んだ。
「あらあら、村の方々、喜んでくださいましたわね」
「喜んでたな」
「お役に立てて何よりですわ」
「まあ、そうだな」
マオはため息をついた。
軽い、ため息だった。
聖剣がチリチリと熱い。
財布の中身は変わっていない。
請求書が一枚、増えた。
空が、夕焼けで赤かった。
まあ、それだけでも。




