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三国志創生伝 ~砂塵の彼方に~  作者: 菊屋新之助
第十章  一陽来復
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第九十八話  青磁

「董卓という涼州の田舎者は上手くやっているようだな。ただの武辺者かと思っていたが、ちゃんと大人しくしているそうだな」


 張譲は高価そうな青磁(せいじ)蓋碗(がいわん)(蓋付きの茶碗)を両手に持ちながら左豊と密談していた。


「ええ。董将軍は、広宋県の砦を前に陣取って居座り、毎日悠々と壁を眺めているだけです。貴方の言われた通り全てを遂行しました。まずは盧植に賄賂を催促し、見事に断られたので罪を着せて戦線から更迭させました。しかしながら、このまま董卓が動かないのであれば、彼も更迭を免れないでしょう。なんせ、何の戦果も上げていないのですから……」


 左豊(さほう)は張譲の(てのひら)で踊らされ、盧植を罷免に追い込んで以来、すっかり張譲の企みに加担するようになっていた。というよりは、半ば脅されての加担であった。


「貴様は余計な事を考えんでもいい。そして余計な事を他の誰かに話す必要もない。ただ、貴様の役割は董卓の戦果があるように上書する事だ。わかっておるな?」


 皇帝ゆずりの胡床(こしょう)(折畳椅子)に座っている張譲に対し、左豊は眼の前で正座して報告している。


「は、はい。すみません。よくわかりました。必ずやご期待に添えるよう尽力いたします。……そ、それにしても綺麗な茶杯ですね」


 話題を変えようと左豊は、張譲の手に持った蓋碗を眺めていた。顔を上げて目を合わすことは許されていない。


「ほう、貴様、この蓋碗の何が分かるというのだ?」


「え? いや、そうですなぁ。色が美しいです、こう、なんというか、薄茶色のようでなんとも言えない……」


「おい、薄茶色だとぉ? この美しい(ぎょく)翡翠(ひすい))のような陶磁を薄茶色だとぉ! 貴様に何がわかるというのだっ。南方の越州窯(えっしゅうよう)で作られた高価な代物だぞっ」


 急に張譲の声が裏返った。見上げると怒りの形相で額に血管が浮き上がり、目は真っ赤に充血していた。震える手に持つ蓋碗から茶が溢れている。


 雒陽から東南方にある()()は、春秋時代の越国があった州で、()()とも呼ばれていた。越州窯は青磁器の生産地として最も古い歴史を持つという。


 その翡翠のように美しい青磁の蓋碗を、無知な部下に貶されたように張譲は感じたのだ。それだけ張譲の心に余裕がなくなっているのを本人も痛感している。


「ひぃイ! 申し訳ありませぬっ。私のような無学な者が、高価なお椀を評しようもなく、ただただ語彙が足りなかっただけで、他意はありませぬっ。どうかご容赦を……」


 左豊は腰を低くして立ち上がり、怯えながら後ろ歩きで下がろうとした。


「待てっ。椀の件はもう良いっ。ただ……」


 突然、張譲が立ちあがって一喝すると、左豊はその場で平伏して次の言葉を待った。張譲が苛ついている理由は、左豊もわかっているが敢えて触れはしない。


「はい……」


「朱儁が南陽の宛県を落とせずままに、はや二ヶ月が経った。正直、朱儁が皇甫嵩や廬植と並ぶ宿将なのは否定できん。そろそろ彼奴を解任するように上奏するんだ。そして、皇甫嵩は兗州東郡の卜己を生け捕り、倉亭の県城を抜いたと聞く。このままでは董卓のいる広宋に辿り着いてしまう。何か策を練らないと董卓を差し置いて広宋が落とされてしまうぞ」


 左豊はさらに深く地に膝を付き、張譲の前で頭を下げて言った。


「は、はい。早速、朱儁を更迭するように上奏致します。そして皇甫嵩はすでに広宗に向かっていると聞いております。どうせなら董卓が解任される前に皇甫嵩と引き合わし、彼の自尊心を煽って仲違いさせるのは如何でしょうか」


 張譲の前では亀の子のように怯えた仕草を見せる左豊だが、その頭の冴えは中々のモノがあり、それを実行する力も備えていた。


「今の答えは少々ではあるが、余の気持ちを踊らせたぞ。早々に手を打って形を付けるんだ」


「ははぁっ。御意に御座います。それではこれにて……」


 再び左豊は腰を低くして立ち上がり、異様に素早い動きで張譲のいる部屋から退出していった。


「ふん……。くそっ……」


 張譲は得も知れない不安で浮足立っていた。先程の左豊の話では安堵する事ができなかった。


 予州の黄巾賊は蜂起の余勢が盛んで官軍を圧倒しており、そこに追い打ちをかけるように曹操を騎都尉に任命し、獅子身中の虫として戦地に送りこんだハズが、初戦早々に騎都尉である曹操が討ち取られた上、黄巾軍は大敗を喫してしまったからだ。


 おまけに、曹操が率いていた皇帝直属の精鋭部隊である羽林軍は、皇甫嵩の軍に吸収されてしまっていた。


(奴らがここまでの粘りを見せるとは。とんだ大番狂わせだ――)


 ガシャン! と磁器が割れる甲高い音が部屋に響き渡った。


 そう心の中でつぶやくと、張譲は高価な青磁の蓋碗を床に投げつけて、茶水の飛沫と共に粉々にしてしまった。


 張譲は予州の黄巾賊が皇甫嵩と朱儁が率いる漢軍によって平定されてしまうなど、夢にも思っていなかったのである。


 さらに、子飼いの将として将来有望だった曹操まで失ってしまうとは、予想だにしていなかった。曹操を失った悲しみなどなく、任務を遂行できずに死んだ曹操に対する鬱憤に、行き場ない怒りを覚えただけだった。


 だが、死んだ者を恨んだところで仕方がない。この苛立ちや不安を取り除く為に、あらゆる可能性を探り出すしかない。


(廬植の動きは封じた――。しかし、あの二人を食い止めねば、太平道の勝利はあり得ない――)


 張譲は砕け散った蓋碗を靴で踏みつけながら、目を釣り上げて歯ぎしりした。 

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