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三国志創生伝 ~砂塵の彼方に~  作者: 菊屋新之助
第九章  権謀術数
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第九十七話  看過

「さすがは孔子の後裔ですな。だが、私が帝に上奏した論は至極当たり前の事です。実践なくして儒の道は開けませぬ」


 荀爽(じゅんそう)は若き頃に朝廷の風紀を正す為に、手厳しい改革を皇帝に上奏した。その上奏は無視され官界を去った。


 実質的な官僚生活は二年足らずで、党錮の災いを避ける為その生涯のほとんどを在野の士として、書を残す隠遁生活をしていたのだ。


「それより、文挙殿が何を言わんとしているのか、まだ要領を得ないのです。ハッキリと言っていただければ胸のつかえが取れるのですがね」


 不意にその深淵なる細い目が開き、荀爽の顔から笑みが消えた。この一見穏やかに見える剛直の老人には余計なお世辞など必要ないのだ。


「これは、失礼しました。以前から貴方にはお礼を申し上げておきたいと思っていたのです。決して(たぶら)かすような佞言(ねいげん)ではありませぬ。さて、私が申し上げておきたい事とは即ち、賊の頭目である四人の解放です。私見ですが、彼らは貴方と同じ党錮の禁で災禍を被った者たちではありませぬか? 余計なお節介だとは思いますが、内密に解放してやるという道もあると思うのです」


 言葉通り、孔融自身にも余計なお節介を焼いているという意識はあったが、その一方で党人としてかつての仲間が賊に身を費やした時、荀爽がどのような答えを出すか興味があったのだ。


「仮にその者らが私の友人であったとしても、漢室に仇なすような輩を放置など出来ませぬ。法に遵って処罰を受けさせるべきです。先ほど、文挙殿が申された私への賛辞は有り難く受け取りますが、その後の話は聞かなかった事にしましょう」


 予想通りの答えだった。荀爽が法を遵守すると言う事も、孔融の申し出を反故にする事も。


「さすがは、党錮の禁にも屈さず十数年も耐え忍び、碩儒(せきじゅ)(大学者)と謳われたお方ですね。私もかつて党人を匿っていた事がありました。あの時は……」


 急に荀爽の顔つきが変わって険しい表情になった。孔融の言葉に感情を高ぶらせたのか、話を遮って言い返した。


「張倹の事か。知っているぞ。君が奴を匿った為に、君の兄が処罰された事もな」


 今までの荀爽の喋り方とは明らかに違う。こみ上げた怒りを隠せない、といった表情を隠す素振りもなく話を続けた。


「世間では君を賞賛した者も多くいた。危険を顧みずに兄の親友である張氏を匿った義心は尊い。だが、自分の兄を失ってまで匿う価値のある男だったと言い切れるかね。彼は君の厚意を無下にし、兄上を無駄死にさせたのだ。君の兄上だけでない。多くの者たちを巻き込む災禍を招いた」


 孔融は決して顔色を変えない。張倹を匿った罪で代わりに兄が処刑され、また彼を匿った多くの人達が、その罪を問われて一族郎党が罪を背負ったのだという。


 とはいえ、孔融は張倹を匿った事に後悔の念はなく、誇りにすら思っている。ただ、兄に対する自責の念も消える事はなかった。


「すみません、ついまた余計な事を口走ってしまいました……」


 変わらない顔色のままだが少し項垂れているように見える孔融。


「同じ党人でも、その生き方が違えば、志の高さも天と地ほどに違う。残念ながら張倹は君の兄上の命に見合う男ではなかった。だが、君の義に準ずる行動や兄上の潔い態度は、孔家の名を汚すものではなく、かえって誇り高き血統を証明した」


 黙りこんでしまった孔融に、荀爽は怒りを沈め、諭すように語りかけた。


「よいかね、人は苦難を前にすると、変節を起こす輩も少なからずいるだろう。例え、同じ学び舎にて苦学を共にした者たちがいようとも、自らの命を惜しんで恩人を犠牲にしたり、現実の困難に耐え切れず、卑しき賊などに身を費やすような輩を、庇おうなどという感傷は一切ない」


 荀爽はそういうと孔融の肩を叩いて背を向けた。そして静かに言葉を残した。


「色々と苦言を呈したが、あの賊どもの頭目たちの処分は、文挙(孔融)殿にお願い致す」


 孔融は静かに礼をして荀爽を見送った。が、荀爽は数歩ほど歩いてから振り向かずに孔融に助言した。


「余計な事を言わせてもらうが、君は若くして聡明で威厳があり剛気な男だ。だが、口が軽すぎる。高貴な血筋が君を傲慢にさせるのか。その口がいつか災いを招くぞ。(しか)と心得ておくべきだ」


「ご忠告、有難う御座います。しかし私の舌先三寸、平原君(へいげんくん)毛遂(もうすい)を見誤っていたかの如く、百万の軍に匹敵する舌だと、人に言わせてみたいものです」


 孔融が言ったのは、戦国時代の趙の公子、平原君(へいげんくん)の食客であった毛遂(もうすい)という人物の事だ。


秦に攻められた趙は、楚に援軍を求める為に平原君の食客を遣わせた。それが毛遂で、彼の命がけの弁舌によってみごと同盟を纏め上げたという故事に(なら)ったものだ。


「ほっほっほ。へらず口も見事なものだ」


 荀爽はそのまま高笑いをしながら孔融の前から消え去っていった。


 翌日には早速、賊の首領である彭脱らの処刑が行われた。黄巾賊の残党に対する見せしめである。


 もちろん、彭脱と共に首領の幹部たちも処刑されたの。明朝に人数を確認した所、幹部の内、四人が行方不明になっていた。秘密裏に特別隊を編成して脱走した四人の捜索が行われたという。


 果たして、この件に孔融が絡んでいるかどうかは判らない。荀爽もこの件について追求する事はなく、逆に王允の耳に入らないように計らっていたようである。


 その四人は十年後に汝南や潁川郡にて、黄巾賊残党の頭目となりそれぞれ数万を率いる大軍勢となった。やがて曹操の軍に鎮圧されて戦死または投降したが、その後の彼らの消息は史書にはない。


 それはさておき、回復後すぐに討伐に出た孫堅の活躍により、汝南地方の黄巾賊はほぼ鎮圧された。


 結果的に官軍が挙げた賊の首級数万人、捕虜とした人数も数万人に昇ったという。


 潁川、汝南の州を鎮圧した事で予州の黄巾賊は沈静化した。


 これにより黄巾賊の反乱が勃発してから、初めての官軍による大勝利を迎える事となった。

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