第六十二話 東阿県
程立は一呼吸も置かずに自分の思いを吐露した。
「王度が反乱を起こし、賊どもを城内に引き入れたら……戦いを知らない県民たちは一目散に城外に逃げ出る。逃げる場所は恐らく東にある渠丘山。しかし、王度は軍を率いた経験など皆無の文官でしかない。空になった城内に賊軍を引き入れても持て余すだけで何もできやしないでしょう。だが、城から五、六里ほど西にある砦が守り易く、そこは元々が太平道の住処だったと聞く。そこへ賊軍を駐屯させるに違いありません。そうなれば、空になった城内に県民たちを呼び戻す事が出来き、同時に賊に備えて守りを固めて反撃も出来るのです」
そこでまた蘇双は水を差すような事を言ってくる。
「王度がせっかく手に入れた城を手放して城外に軍を駐屯させる? 城内の県民が城を守らずに外へ逃げ出す? 貴方の予想通りに都合よく事が運ぶと思えませぬが」
「では、見ているがいい。俺が一人で実際に城内へ入って行って証明してやる」
世平は再び手を上げて話に割って入った。
「いや、待ってくれ。私と子然も一緒に偵察に行こうじゃないか」
「なっ……なんで我々も城へ行くのですか」
蘇双は立ち上がって大声をあげた。世平は蘇双を宥めるかのように背中を軽く叩いて言った。
「仲徳殿が一人で城へ戻るのはやはり無謀だ。それに、仲徳殿の読み通りならば、王度の賊軍が西の砦に行き、県民が城外に逃げ出す。であれば、城内に再び県民を呼び戻す為には、仲徳殿に何かあっては、県民たちを説得できる者がいなくなる」
「ありがとうございます。しかし、貴方たちを巻き込むつもりはありません。私一人でもやれます」
「やるかどうかは別として、まずは県城に偵察だけでも一緒に行こうではないか」
程立は少しだけ考えてから答えた。
「まずは偵察ですね。それなら、一緒に行きましょう」
蘇双は腕を組んでそっぽを向きつつも、世平に減らず口を叩いた。
「はいはい。わかりました。一緒に行けばイイんでしょう。それにしても、本当に色んな事に首を突っ込む人だな」
最後はボソボソと小声になっていたが、相変わらず世平には蘇双の愚痴が耳に入っていない。
陽の光が山々の間から漏れ始めると共に、張世平、蘇双、程立の三人は身支度をして、県城の偵察に向かった。
「朝日が眩しいな。今日は雲一つない晴天ですね」
蘇双は平野の向こうに見える朝日の斜光を右手で遮る。世平と程立は太陽の方向から少し外れた県城の方を見つめている。
城壁は二、三里(約一キロ)ほど続く土塁だが、遠くから見ても粗雑な作りなのは明らかである。これでは守りに適さないと考えるのは不思議ではない。
中国の城は古代より、街を城壁で囲んだ城郭都市である。県城というのはだいたい小規模で、城壁すらない街もあった。
目を凝らしてよく見ると城壁の上には、黄色い旗がいくつか目立つようにはためいているのが分かる。
「黄色い旗か。黄巾賊の仕業に違いない。あの旗が上がっているという事は、もう県城が落ちたのか。思ったより早かったな……」
張世平は程立の方に顔を向けた。程立の顔は県城の方を向いたままだ。城内にも黄色い旗が数旗なびいているのが見える。
「王度の野郎は、太平道の連中とずっと前から内通していたのです。奴が賊軍を招き入れたのでしょう。士大夫や県民たちは戦いもせずに裏の門から逃げ出しています。すべて予想通りだ」
程立の言う通り、数カ所ある裏口の門や高さの低い一部の城壁などから、蜘蛛の子を散らすように城からワラワラと逃げ惑う人々が出てくるではないか。
その中には子供の手を引いて、或いは子供を背負い走る母の姿や、老婆を背負って逃げる息子の姿などもあった。実に痛ましい光景である。
「確かに其方の言う通りだ。しかし、その王度とかいう男は本当に城を捨てて西の砦に軍を移すのか?」
「その砦は岩山を要塞化した簡素なものです。そこなら小規模の軍勢での守りに適している。王度ごときに民のいない県城を維持できません。ましてや彼奴が率いているのは雑兵を集めただけの賊軍。財宝目当ての無計画な反乱に過ぎません」
「では、もう少し様子を見るか」
「いえ、私は逃げた県民たちの後を追います。彼らを連れ戻して守りを堅めなければ、王度と黄巾賊には勝てません。必ず城を空にするハズなので、そこで連れ戻した県民たちと共に県城を取り戻すのです」
張世平は静かに頷いて蘇双の顔を見た。蘇双は不機嫌そうな表情で少しだけ頷いてみせた。
「よし。それでは、私たちはここに残って様子を見よう。何か動きがあればすぐに知らせを出そう」
「世平殿。何から何まで本当にありがとうございます。必ずや県民たちを連れて戻ります。くれぐれも無茶だけはなさらぬようお願い致します」
「わかった、仲徳殿も気をつけてな。策が上手くいくよう祈ってるぞ」
程立は軽く会釈をすると城とは反対の方向へ走り始めた。




