第五十一話 山麓の宴
夕日が眩しく日が落ちるのにまだまだ時間があるというのに、みすぼらしい幕舎が数舎ほど立ち並んだ山麓で大宴会の様相を呈している。
張飛の部下達は自動的に劉備の傘下に入り、百人規模の部曲となった。まだ武器も馬もろくに揃ってもいない烏合の衆ではあったが、士気だけは旺盛のようだ。
文官気質で酒好きの簡雍、緱氏県から着いてきた若き田予も、この時ばかりは一緒に飲んではしゃいでいる様だ。
張飛と関羽は杯を交わしながらお互いの健闘を称え合い、そして語らい、たらふく飲んだ。
「そっがぁ。雲長は玄徳あにいのおっがぁさんを最後まで看取ってくれだんだな。あん人には俺も可愛がってもらってだんだ。俺からも礼を言わせてくれよ。本当に有難う」
「俺は玄徳殿に命を助けてもらっておきながら、せめて彼の母君に何かお返し出来たらと努めたつもりだ。しかし、お役には立てなかった。だからこそ、これからは玄徳殿に全身全霊を懸けてお仕えするつもりだ」
「おいらもおどぉとおがぁには何もしてやれでねぇ。家の仕事が嫌いでよぉ、ガキの頃に家を飛び出したまま帰ぇらなかっだ。おどぉとおがぁも疫病で逝っちまっだ」
「多くの者が天涯孤独の身となった。しかし、俺たちは兄弟になった。玄徳殿に付き従って功をあげ、この中華に我々の名を轟かせるんだ」
「おう。その日が来っのが、楽しみだなぁ」
関羽と張飛の二人は、互いに拳を交えあった者にしかわからない侠客の、そして彼らが主君と奉ずる劉備という存在が、その絆をより深くした。
一方、ふて腐れ気味の蘇双をよそに、張世平と劉備は、酒を酌み交わしながらしみじみと語り合っている。
「馬商人を生業にしているそうですね」
「ええ。こう見えても波乱の人生でしてな。いろんな事がありましたが、今はこうして商いを営む暮らしです」
「先ほどは楼桑の里について、何か知っておられる様でしたが」
「ええ。あの里に一際大きな桑の木があったでしょう。その巨木にちょっとした思い出がありましてな」
「ふむ。それは私もよく知っております。その木の側にある小さな屋敷が、私の生誕した場所なのですよ」
「はい。実は、存じ上げておりました」
「何ですと……。私の事を知っておられたのですか?」
劉備の持っている杯から少しだけ酒が零れ落ちた。
「ええ、その大きな耳。その長い腕。お変わりないですな。あなたの大きな志もお変わりはないようで」
「志……?」
酒を飲む手を止めて、じっと張世平の顔を見つめる劉備。張世平は酒を飲みながらまた語り始めた。
「私は長い長い旅路に就いていました。色んな土地を見て、人を見て、世を見てきました。旅の始まったばかりの頃に訪れたのが楼桑里。あそこだけは何も変わっていないと思っていた」
「私も、そう思っていました」
「天変地異が起こり、飢饉や疫病が蔓延し、人々は道に迷い飢えに苦しんでいる。なのに経世済民の道は廃れ、官は民から税を搾り取り、善は失せて悪が蔓延る世になってしまっている……」
劉備はぐいっと力強く杯の酒を飲み干し、そのまま杯を持った右手を空に掲げて言い放った。
「だからこそ、今、我らは起たねばならぬのです」
張世平は首を縦に振って、劉備の掲げた右手の杯に、同じく杯を掲げて言った。
「ふふ。やはり、少年の頃に描いた志は、少しも揺らいではおらぬ様ですな」
劉備は世平のゴツゴツした岩のような顔について、話をもっていく事はしなかった。それが礼儀だし容姿などで人の価値は計れないと思っていた。
しかし、長らく話し合ううちに、世平の顔が懐かしく思えてきた。
「そういえば、子供の頃にあの桑の木の下で、貴方のような顔をした不思議な老人に出会ったような……」
そこへ、酔っぱらってへべれけになった張飛と関羽が、肩を組み酒瓶を持って、劉備と張世平の間に割って入ってきて二人の会話に水を指す。
「何をしんみり飲んでやがんでぇ、兄貴よぉ。じゃんじゃん飲もうぜぇ。うぃ~~、ヒック!」
泥酔しきった張飛がしゃっくりしながら絡んでくる。張飛が酒好きなのはわかるが、いつも冷静沈着な印象があった関羽までもが、元々赤い顔をさらに赤みを帯びて酔っ払っている。
「え、益徳の言うとおりですよ、兄上。どんどん飲まないと。ささ、世平殿も遠慮なさらずにぃ、ガハハハ」
関羽は上機嫌で劉備と張世平に杯にこぼれるほど酒を注いでいる。こんな感じで宴会はさらに大騒ぎとなり、酒の弱い者から飲みつぶれて倒れていった。
劉備は自分が誰と何を話していたのかさえ忘れて、関羽や張飛、簡雍や田予らと共に輪になって地元の祭り唄を大声で歌った。
少し微笑んで見ていた世平はその場を離れて、一人で酒を飲む士然の側に行き、腰を下ろした。
「士然。一人で飲んでいたのか」
「世平さま。申し訳ないんですが、ああいう輩と酒を飲む気にはなれないんで。それに、今後の事を考えると不安で……」
「すまんな。私が不甲斐ないばかりに。だが、今日は全て忘れて、一緒に飲んでくれないか」
「ええ。一応、そうしてるつもりです」
二人ともそれ以上は言葉を交わさなかった。僅かな焚き木を見つめながら、ただ酒を酌み交わし続けた。




