第五十〇話 馬商人
一方、その様子を見ていたもうひとつの集団、馬商人に偽装した張世平と蘇双は彼ら二人の戦いぶりを岩場の陰から見ていた。
「見たか、士然よ」
「ええ、世平様。さっきの張飛という男、凄まじい豪傑ですね。あんな奴と言い合いしてたなんて、自分が恐ろしいですよ……。それにしても、相手の長い髯の大男も劣らぬ強さでした」
「ああ、そうだな。それにも増して驚嘆なのが、あの二人の豪傑を意図も簡単に手懐けてしまった、後から来たあの男だ」
「確かに、凄いですね。体格はあの二人に劣るが、傑物に違いないです」
「二人の豪傑を虜にするなんらかの魅力が、あの男にはあるのだろう……。少し彼らと話がしてみたい」
「やっぱり、そうきましたね。いつもの悪いクセが……。この隙に逃げ出すべきだったんでしょうけど、貴方がそうする訳がない。まぁ、いいでしょう」
蘇双は頭を掻いて落胆の表情を見せつつも、やはりいつもの様に張世平に付き従うのであった。
劉備が引き連れてきた部曲と、張飛の悪ガキ軍団が、一堂に会し和気藹々とした雰囲気になってきていた頃、張世平と蘇双が二人で数頭の馬を引きながら彼らの目の前にやってきた。
「お二人の闘う姿を遠くから拝見させて頂きました。『天下無双』という言葉があるが、天下に二人といないであろう豪傑が、三人も一緒におられるとは……」
「三人?」
張世平の言葉を聴いた劉備が後ろに振り返ると、関羽と張飛も一斉に振り返えった。
「あ、さっきの馬商人……」
張飛は少し申し訳なさそうに頭を掻きながら、笑って何かを誤魔化している風だ。
その様子を見た劉備は不思議そうに張飛を横目で見つつ、張世平と蘇双の方に向き直り、丁寧にお辞儀をして挨拶をした。
「さっきの兄弟喧嘩を見られてしまいましたか。これはお恥ずかしい」
劉備は状況を把握できないまでも、この二人と張飛との間で何やらやり取りがあったのであろう事は察知していた。
「ほう、ご兄弟でございましたか」
張世平は三人に対して満面の笑みを浮かべて話しかている。劉備もさらっと和やかに答える。
「血の繋がりはないのですが、たった今、侠によって血を結びました」
「たった今……?」
「はい。それより、義弟の張飛とはお知り合いでございますか?」
そこで蘇双は、余計な一言を言い放つ。
「さっきまで、そこの山賊紛いの男に絡まれてましてね」
張飛はその言葉を聴くと、髪の毛を逆立てて怒りの表情を顕にし始めた。まさに怒髪天を突くといった具合だ。
しかし、劉備の手前で暴挙に出る訳にはいかない。歯軋りしながら目をひん剥いて蘇双を睨み付けている。
「それは物騒ですな。おい、益徳。本当なのか?」
「いやあ、そのぉ……」
悪鬼をも恐れぬ剛勇を持ちながら、劉備の言葉には茶を濁す事しかできない張飛。逆立っていた髪の毛も段々としなりだす。
「いやいや、こちらの勘違いでした」
張世平は蘇双の頭を笑いながら杖で小突いて、彼の失言を訂正した。
「私は張世平という者です。こちらは蘇士然。私どもは馬商人をしておりましてな。中山の方からやってきております」
「そうでございますか。私は劉玄徳といいます。この近くの楼桑里の生まれです。弟の張飛がご迷惑をお掛けしたようで、申し訳ない」
「こちらこそ玄徳殿。そういや、出身はこの楼桑里と申しましたか?」
張世平の脳裏には、あの日の光景がよみがえっていた。十年近くは経ったであろうか。あの大きな桑の木を思い出していた。
「はい。それが何か」
劉備はとっくにあの頃の事など忘れて、憶えてはいやしない。だが、世平は憶えていた。耳の大きかった少年に、神聖な巨木の下で出会った事を。
「いや、貴方はもしや……」
張世平、いや、張倹は、この立派に成長した劉備の姿を改めて見詰め直し、そして確信した。あの日、巨大な桑の木の下で出会った、耳の大きな少年だった。
「おおい、もう、めんどくせぇ話はよすべ。今日は皆で飲み明かそうぜ。オイラのねじろに酒をたんまり確保してんだよ。な、いいだろ、兄貴ぃ」
何の脈絡もなく酒宴を開きたがる張飛。しかし、その場にいた多くの者が張飛の意見に賛成の様子であった。
「ん、おお。では、世平殿と子然殿も一緒にいかがでしょうか?」
「いいですなぁ。お言葉に甘えて、久しぶりに頂きましょうか」
蘇双は酒宴にはまったく興味などなく、すぐにでもこの場から立ち去りたいらしい。小声で世平に出発を促す言葉を送る。
「もういきましょう、世平様。こんな所にいてはロクな事ありませんよ」
「久しぶりの再会なんだ。少し祝わせてくれ」
「再開ですって? 玄徳どのとは知り合いだったのですか?」
驚いた表情で蘇双は聞き返した。
「私もさっき思い出したのだ。彼が少年の頃に一度だけ出会っている」
「それじゃ、知り合いじゃないんですね。だったら……」
「先を急ぐ事もあるまい。送り届ける馬はどうせ足りてないんだ」
世平の言葉に蘇双は戸惑った。確かに送り届ける馬は足りていない。どちらにしても今回はなんらかの処罰が下るかもしれない。たまに骨休めをしてもいいではないか、そう思った。
「まぁ、それなら……」
心に迷いはあったが、酒宴に付き合おうと蘇双は決めた。




