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三国志創生伝 ~砂塵の彼方に~  作者: 菊屋新之助
第一章  望門投止(ぼうもんとうし)
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第四話  大賢良師

 それからは夢なのか現実なのか。自分では何も判断がつかなかった。


 過去の映像が脳裏を止めどなく流れて行くが、すべてがぼやけたままだ。


 ふと気付くと横になったま馬車に乗せられている様な、心地良い揺れの感覚の中で少しだけ意識を取り戻した。


 しかし、視覚も聴覚もぼやけていて、未だにおぼろげな夢の中にいるかの様であった。馬車の音と人の話す声が聞こえてくる。


()先生、本当に助かるんですか?」


「黙ってワシの言うとおりにやれ。そうすれば助かる」


 遠くから聞こえる声なのか、それとも近くで聞こえる声か。黄泉の国での出来事なのか、それとも現世にいるのか。


 意識がはっきりとしないまま、張倹はまさに生死を彷徨(さまよ)っていた。


 次に意識が戻った時は、光り輝く真っ白な世界の中だった。何も見えず、ただただ世界は(まぶ)しかった。あまりの眩しさに、張倹は(まぶた)を閉じ顔そむけた。


「おお、目を覚まされた様だ」


「本当だっ。おい、大賢良師(たいけんりょうし)様を呼んで来いっ」


 人の声はハッキリと聞き取れた。自分が生きているのは朧気(おぼろげ)にわかった。


 目が少ししか開かぬ為に視界は(かすか)でしかないが、朝なのは感覚でわかる。


 (まばゆ)い光の正体は、窓からこぼれ落ちる外からの光だった。ちょうど張倹の(まぶた)を捉えたのだ。


 どこかの部屋の、寝台の上に寝かされているらしい。誰かが付き添いで看病してくれていたようだ。


 負傷した腕や顔の傷も手当てされている。巻かれた包帯から草、そして酒の匂いがする。


 左目も包帯を巻かれていたので、右目しか視界がない。


 そのうち扉が開く音が聞こえ、誰かが近づいてくる。


「目を覚ましたようだな、張元節。ここに運ばれた時は虫の息だったぞ」


 ついに官兵に捕らえられたのだな、と張倹は思った。観念するとともに、逃避行の苦しさから解放された、という妙な安堵感に包まれた。


「ついに、捕らえ……られたか。それも、よい……」


「はは。何か勘違いしている様だな。まぁ、無理も無い。今や君は天下のお尋ね者だからな」


「何?  だ、誰だ。 私を、助けたのか」


「その通りだ。七日もの間、君はずうっと死生の間を何度も彷徨っていたぞ」


「眠っていたのか……」


「危険な状態だった。九死に一生を得るとはまさに君の事だな。峠を越えてからも意識は無かったが、汁物を口に運ぶと不思議と飲んでいた。下の世話もこの者らがしたのだぞ。感謝したまえ」


 白地の着物に長い黄色い布を纏った、使いの巫女二人が張倹がいる寝台の前で跪いている。


「君が、私を呼び寄せた。いや、その力で引き寄せたのは、()()()()


「貴様、一体、何者だ」


「私かね。私は医者だよ。ただし、治療を施すのは身体だけではない。心を癒やし、道理を説き、未来を指し示し、生きる力を与え、さらに民を導く術を伝える。これこそが民を救う真の治療だ。人は私の事を『大賢良師(たいけんりょうし)』と呼ぶ」


 張倹は回復したばかりの右目で、声の主を睨み付ける様に見上げた。


 黄色の着物を羽織り、呪文の様な文字が細かく刻まれた装飾品を身につけ、頭上には仰々しい被り物を乗せ、右手には節がある木の杖を握っていた。


 九つの節がある杖は、神仙の修養を積んだ者にしか持てぬ特別な杖である。


 大賢良師と名乗る男の髪と髭は長く波打っていたが、決して不衛生な印象はない。寧ろ清潔感を感じさせるほどで、まるで輝いているようにも見える。その佇まいは神々しささえ感じさせるほどの男だった。


 気になるのが彼の顔と声で、以前どこかで出会ったような気がした。視界の悪い張倹の右目でも、何故か大賢良師の顔だけは鮮明に見えた。


 鼻は高く堀は深い、大きな瞳は薄茶色に澄んで輝きを放つ。声は太く響き滑舌の良い言葉が詩のように聞こえてくる。


「どこかで会った事が、ある……」


「ほう、憶えていてくれたか。キミは令聞のある男だからな。私を覚えていてくれた事を光栄に思うよ」


 名前や素性は思い出せないが、やはりどこかで会った事がある。


「また、ゆっくり話そう。まだ無理はせんほうがよい」


 そう言うと、大賢良師というその男は、張倹に黄色に濁った液体の入った茶碗を差し出した。


 茶碗の底には奇妙な文字が書かれた小さな布が沈んでいる。


 付き人と思われる男達が張倹の上体を優しく起こしてやり、茶碗を彼の口に近づけた。


 張倹は喉の渇きもあってか、何の疑問も持たずゆっくりとその液体を飲み干した。


 その途端、大賢良師は手にした杖を振りかざし、聞き慣れない言葉を仰々しく大声で発し始めた。


 空に杖で何かの文字を何度か描いた後、張倹の額に杖の先をゆっくりと当てて、また何か言い出した。


 張倹は緩やかに襲われる心地よい眠気に抵抗できず、張倹は再び意識を失った。




 次に意識を取り戻した時は、意外にも軽やかに起き上がる事が出来た。


 窓からは夕日が差していたが、さほど眩しさは感じない。寝台からはすぐ起き上がったものの、少しだけ目眩がした。


「まだ無理はなさらぬ方がよろしいと、大賢良師様が仰っておりました。もう少し横になっておいで下さい」


 先ほどの白地の布を纏った道士が優しく諭す様に言った。


「いや、大丈夫だ。色々と有難う。またあの人に会えるか、大賢良師に」


「もちろんですとも、元節(張倹)様。すぐにまたお会いになってくれます」


「そうか。聞きたい事が山ほどある」


「私が答えられる範囲でしたら、今、お伺いになります」


 張倹はまず、何故に虫の息だった自分を助けたのか、そしてあの大賢良師という男の素性について聞いてみた。


「貴方には特別な力が宿っていると聞きました。無人の荒野で倒れていた貴方を導いたのは貴方自身だと、大賢良師様は仰ってます。そしていつかは貴方が太平道(たいへいどう)をお救いになると……」


 信じられない話だ。ただ、この道士が発した言葉で気になったのが『太平道』の事だ。


 少々、戸惑いを憶えながらも根掘り葉掘り聞き出す事にした。


「『太平道』とは、何かね?」


 太平道という教団は、黄老(こうろう)道から派生した新興宗派だ。


 伝説上の賢帝である黄帝と、伝説的思想家の老子を始祖とするその思想および宗教を黄老道と呼ぶ。


 黄老道は太古より自然宗教的に発生し、発展……変遷を経て、前漢の時代には広く民衆に信仰されていた。


 光武帝(こうぶてい)が儒教を国教として制定して以来、学問の系譜は儒教一色となっていたが、黄老思想もまた民間に流布していたのだ。


 また、先帝である桓帝(かんてい)が黄老道に傾倒していた為、政界にも信仰者が少なからずいた。


「黄老の教えはかじった程度だが、少しは理解できる」


 張倹は彼らを黄老道の一派だと思っていた。だが、その道士は似て非なるもの、黄老の教えをさらに飛躍させた教えだと説明した。


 太平道の開祖である大賢良師は、于吉(うきつ)という方士(ほうし)(仙人)から「太平(たいへい)清領書(せいりょうしょ)」という経典を授かり、祈祷などにより病人を治癒し、貧しい者達を救っているのだという。


 もちろん太平道の布教も精力的だ。ゆくゆくは中華全土に太平の道を教え広めるのだという。


 とにかく、もう一度あの大賢良師という男に会って、彼の器量を計りたいと思った。そして何より見覚えのある彼の顔を、然とこの目で拝むためにも。




 翌朝には寝床からすっと起き上がる事が出来た。数日前までは死界の淵を彷徨っていた張倹が、その後すぐに脅威的なほどの回復を見せた。


 当初は痛みで右肩を動かせなかったが、鍼灸の技術を持った道士の尽力により、すぐ痛みは引いた。多少の不自由はあるが、日常生活に支障はない。


 身体は良くなったが、相変わらず左目は包帯はとれなかった。多少の不自由は残るが、右目は頗る良好であるから、生活する分にはなんとかなりそうだ。


 数日後に包帯は取れたが、やはり左目の方は視界が悪く視界が霞んで見える。それでも見えるだけマシだ。

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