第三話 張倹
張倹を乗せた馬は北の方角を目指していた。行く当ては無かったのだが、とにかく遠くに逃れたかった。
何の当ても無い逃避行の先に待つ目的地は、やはり何処にも無く、絶望から逃れるために走り続けているかの様であった。
あれからどれだけ走ったのだろうか。張倹もこの馬もほぼ飲まず食わずで荒野を走り続けていた。
先に力尽きたのは馬の方だった。突然、馬の前脚がガクンと折れ曲がり、張倹は受け身をとる間もなく前のめりに放り投げ出され、顔面から地面に強く叩き付けられた。
ドンっと鈍い衝撃が顔面と脳内にかけめぐり、口の中にじゃりっとした砂の味と血の味が同時に広がる。
巻き上がる砂ぼこりの中、強打した右半分の顔面と右腕から出血しているのを確認した。
倒れた馬の方に目をやると、口から泡に塗れた長い舌をだらりと垂らして痙攣している。
張倹の身体は小刻みに震え、血だらけになった自分の右手を見つめた後、ゆっくりと仰向けに地面に寝転がり、大の字に四肢を広げ空を仰いだ。
(もうどうにでもなれーー)という諦めからくる開き直り。いや、ただ身体が痺れてうごけないのだ。その場からピクリとも動かず、目を閉じてしまった。
その夜、熱発が始まった。寒さと震えが止まらない。喉が焼けるように渇き、体に力が入らない。
次の日の朝には立ち上がるのはおろか動く事も叶わなくなり、その日の昼にはすでに張倹は虫の息となっていた。
朦朧とする意識の中、候覧に対する恨みだけでなく、漢室(漢帝国)に対する恨み辛みまでもが降って湧いた。あれだけ国家の為に誠心誠意を尽くしたのに。
その微かな怒りの炎でさえも、すでに燃え尽きようとしていた。
冥府に辿り着く前に見るという夢。これが走馬灯というやつか。
中国後漢末期の建寧二年(169年)、第十二代皇帝の劉宏が、十二歳の若さで帝位に就いた翌年の事である。
この年、党錮の禁……と呼ばれる、弾圧と粛清が中原に吹き荒れた。
清廉潔白の名士として世に知られていた張倹であるが、実直公正で悪事を糾さずにはいられない苛烈な性格ゆえに、宮廷を牛耳る大物の宦官から恨みを買う事になる。
宦官とは、男人禁制の宮廷内に居座る皇帝近習の召使いである。男でもなく女でもない。男根を去勢された第三の性を持つ特殊な人種だ。近世の清時代まで続いていた中国宮廷の風習だ。
皇帝を除き男根を持つ者は後宮に入る事を許されない。宮廷御用人として皇帝と宮女の世話をするの宦官の役割だ。
常に皇帝の側で世話役をする為、いつしか宦官は相談役となり、さらには政にも口を挟む存在となっていた。
権力を握った宦官たちの狼藉ぶりが目に余る様になってくると、外戚(皇后の親族)や士大夫(豪族)からの不満が噴出し、やがて対立関係を生んだ。
そうした流れの中で清流と濁流という相対する政界の潮流が生まれてきた。
宦官たちを濁流と嘲り、反宦官の姿勢をとった官僚たちを自ら清流の士と呼んだ。
張倹はその潮流の中で、清い流れに身を浸しているという己の信念を誇りとしていたし、その信念は権勢を揮う濁流の宦官たちを前にしても揺らぐ事はなかった。
宦官たちの不正を糾弾し追い詰め、政界から葬ろうとした中常侍一派の宦官の長……侯覧に陥れられるまでは。
張倹と同郷の朱並という男が、侯覧に根も葉もない情報を流した。張倹に軽んじられた事を逆恨みしていた朱並は、侯覧に虚偽の密告をしたのである。
漢朝転覆を企む二十四名の頭目の一人とされ、張倹は中華全土に指名手配されてしまう。
四面楚歌となった張倹は、かつて自分が得た名声を糧にして、誰かに匿ってもらうしか生き延びる術がなかった。
張倹を匿おうという清廉な名士がこの中華に少なくはない事を、張倹自身も承知していたのだ。
彼が逃げた先で転がりこんだ屋敷で、己の名を口にすれば、その多くが身を挺して手厚く受け入れてくれた。
こうして匿ってもらう人々の間に身を潜めながら、追っ手から逃げ隠れる日々を続けた。
だが、こうして逃げ続ける日々にも疲れた。
自分の名声を頼みに、誰かに匿ってもらう日々に疲れた。
そう、私は「八及」の筆頭格である張倹。そんな名声も今やどうでもよかった。
生きることへの苦しみが、人を憎み恨むことさえ凌駕した。
今から冥府へと旅立つのだ……。今さら何をいわん。




