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三国志創生伝 ~砂塵の彼方に~  作者: 菊屋新之助
第四章  極秘任務
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第三十〇話   蹇碩

 一夜が明け、北の門で起こった事件の噂は、早朝の北宮の中を駆け巡り、宦官や高官達を震撼させるほどに浸透していった。


 曹操が、皇帝の寵愛を受けた宦官である、小黄門(しょうこうもん)蹇碩(けんせき)の叔父を突き殺したのだ。


 大長秋・曹謄(そうとう)に世話にならなかった宦官は、若い者を除けば皆無と言っていいほど影響力の強かった人物で、また、父の曹嵩も司隷校尉として雒陽で働いている。


 曹操は皇帝以外の者がおいそれと手出しできない立場であったと言えるが、皇帝の寵愛を受けている蹇碩にも実力行使できるほどの権力はあった。


「許せん。何よりこの私の名誉を傷つけた事がどうしても許せぬっ」


 蹇碩は鼻息荒く昼間から宮廷内の端の方で酒をあおって息巻いていた。


(けん)……黄門(こうもん)(蹇碩の官職名)殿、いかがなされた? 宮廷内で昼間から酒などと。少々度が過ぎておりますぞ」


 そこへ同じく宮廷内で絶大な権力を誇る宦官の一人である、張譲(ちょうじょう)が話しかけてきた。


「張中常も噂を聞いておられるであろう。叔父が曹の若造に撲殺されたんですよっ。実際、私の叔父がどうなろうと知った事じゃないが、私の名誉に傷をつけた事が許せんのですよ」


 張譲は酒の杯を蹇碩から優しく取り上げて、諭すように言った。


「蹇黄門の名に傷など付いておりませぬ。叔父様は気の毒で御座いましたが曹の若造に落ち度は無く、また城内の治安も回復しております。彼に罰を与えるのは至難かと思われます」


「わかっていますよ。だからこそ余計に腹が立つ。あの若造がこの北宮の周りをうろついていると想像するだけで腸が煮えくり返る思いだっ」


「貴方だけではありませんよ。多くの近習(きんじゅう)寵臣(ちょうしん)が曹操を鬱陶しいと思っているようです。だが、彼奴に罰を与えるのは難しくても、昇進させて僻地へ追い払うという手段があります。空いている小さな県令の役を与えてやるのです」


「甘すぎる。そんなもんじゃ、私の怒りは収まりませんな」


 蹇碩は憤懣遣(ふんまんや)(かた)無いといった風に張譲を(まく)し立てるが、張譲は全く動じる様子がない。


「怒りが収まりませんか……。それは仕方ありませんね。それにしても、貴方の叔父は夜中にどこへ行くつもりだったのでしょうか?」


「え? いやぁ…さぁ、私もそこまでは……」


 先程までの蹇碩の怒りは一転して、戸惑いの表情が顔を覆った。


「まさか、貴方の叔父が夜分に門を通ろうとした事、何かご存知なのでは?」


「知らんよ、そんな事は。と、とにかく……、張中常の言う通り、曹操の左遷を進めて頂けますか?もう二度とあの顔を見たくない」


「了解しました。すぐに手配いたしましょう」


 張譲は横目で蹇碩を眺めつつ、取り上げた酒杯を持ったまま退出していった。


 そのすぐ後に、反対側の回廊からもう一人別の宦官が現れた。


「蹇黄門殿。何故にあのような守銭奴(しゅせんど)とお付き合いするのですか?」


 その聞き慣れた声に振り返った蹇碩は、顔を戻して下を向き、申し訳なさそうな声で言った。


「呂中常侍ですか。今の話を聞いておられたのですね」


「このような所で話していたら聞こえますよ。聞かれたくない話なら場所を選んで慎重にされた方がよろしいかと」


 蹇碩の目の前に現れたのは、中常侍として宮中でそれなりの地位にある同じ宦官だった。


 姓は(りょ)、名は(きょう)、字は漢盛(かんせい)といい、賄賂や不正が渦巻く宦官の住処(すみか)である後宮にあって、数少ない清廉潔白で尽忠報国(じんちゅうほうこく)を体現する宦官である。


 天子に対して恐れることなく数々の諫言を上疏(じょうそ)し続けているが、そのすべてを尽く退けられてまだ挫けることなく上疏する。そういう真っ直ぐな男らしい宦官であった。


「いや、別に聞かれても何の問題もない話ですよ。むしろ皆に聞いてもらいたいくらいだ。夜分に城門を潜ろうとしたという理由などで、年端も往かぬ若造が私の伯父を無残に撲殺したのですよ。これで不満がない方がおかしいでしょう」


 蹇碩は再び溜まっている鬱憤を吐き出すように呂強に対して曹操への不満を撒き散らした。


「貴方の伯父上が亡くなったのは不幸でしたが、そもそも法を破った事そのものが問題ではないでしょうか? 年々と治安が悪化してきているこの雒陽にあって、夜間に城門を通過する事はご存知の通り大罪でございます。着任早々と若い北部尉が自身への遺恨や怨恨を恐れる事なく、厳格に法を遵守し実行した事を、まずは褒め称えるべきだと私は思います」


 呂強は臆することなく寧ろ誇らしげにさえ思えるほど言い放った。蹇碩は心中では仰天していたが、気持ちを抑えて言い返した。


「そんなに法が大事ですか。北部尉だか何だか知らんが、刑の執行で殴り殺すなど行き過ぎも甚だしいとは思いませぬか?」


「それでは、張譲や趙忠たちが数々の不正や賄賂で私腹を肥やし、その為に人民の血税を搾り取っている事こそ、甚だしく行き過ぎているとは思いませぬか?」


「く、それとこれとは全く別の話だろう。こんな話を君と言い合っていても仕方がない。私はそろそろ行くよ」


 蹇碩はその場を立ち去ろうとしたが、呂強は引き止めるように力強い言葉をぶつけた。


「蹇黄門! 貴方は他の宦官たちとは違う。立場や考え方は違えど陛下に対する忠誠心は人一倍にある。その強健な身体は皇帝陛下の為にあるのではないのですか? くだらない虚栄心の為にではないハズだ」


 数歩ほど足を進めたが、呂強の言葉を耳にして足を止めた。蹇碩の心を揺さぶるには十分な言葉だったからだ。しかし、振り返る事なく再び歩き始めた。

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