第一七三話 乱痴気
慌ただしい皇帝の即位式を映し出すかのように、宮廷内でも慌ただしい日々が続いた。
特に北宮では、毎晩のように乱痴気騒ぎが起こっていた。董卓が入京して以来、静かな夜を迎えることはなかった。
袁紹らが宦官を殲滅したので、侍中や侍郎(皇帝の身辺官)が禁中に出入りしている。彼らはもちろん男性であるが職務のため、緊急措置と称して出入りせざるを得なかった。
董卓はそれに乗じて男子禁制の北宮に出入りし、宮女に手を出すようになったのである。
「さぁて、今日はどの娘にしようか。とりあえず、三人くらい選んでおくか。奉先、今日はお前も一人選ばせてやるぞ」
呂布を身辺警護と称して同席させた。父子の契りを結んで信愛し、後には中郎将に昇進させた上、都亭侯に封じている。
「あざっす。じゃ、遠慮無く」
北宮内にある巨大建造物の徳陽殿に董卓と呂布が現れると、逃げ惑う女、身が竦んで動けぬ女、董卓が権力者だと知って自ら擦り寄ってくる女など、宮女らは様々に動いた。
「はぁっ、はぁ……。逃げる女を追うのも乙なもんだが、最近は少々身体が鈍ってな」
「父上の気に入った女がいたら、俺が連れてきますよ」
「ん?」
紅晶と女装をした蘇脩は、宮女が寝泊まりする部屋の付近で給仕の仕事をしていた。
不運にもこの二人は、呂布の目の前を通りがかってしまった。
「おいっ、そこの二人。ちょっと待てっ」
天を衝くような巨躯の男が眼光鋭く睨んでいる。思わず紅晶は悲鳴をあげた。
「きゃぁあ!」
最近は男が徳陽殿内に入り込むのが珍しくないが、呂布の巨躯はそれだけで威圧感を放っていた。
「こんな上等な女がまだいたのか。たっぷり可愛がってやる」
紅晶は呂布に手を掴まれ、物凄い力で引き寄せられた。回りにもいた宮女たちが、一斉に悲鳴を上げて騒ぎ始めた。
「きゃああ!」
「紅晶っ! 手を離せ!」
側にいた蘇脩が呂布に掴みかかり、紅晶の手を引き離そうとした。
「おお? 粋の良い女だな」
呂布は蘇脩を軽く突き飛ばした。
「ああっ!」
よろめいて地面に倒れ手を付く姿は、女性の動きそのものだ。
「ふ、こっちの大柄な女でもいいな」
「おい、コラァ!」
そこへ董卓が現れ、女を手篭めにしようとしている呂布を叱り飛ばした。
「おい、きさん。なして、オイばおいて先に行くんじゃ。横取りしちゅうっち魂胆か?」
呂布に先を越されたと勘違いして、董卓は思わず怒鳴りつけた。
「父上、すいませんっ。横取りするつもりは毛頭ないです」
怒れる董卓を目にした呂布は、すぐに膝を地に付き謝罪をした。
「ふん、まぁいい。つい興奮してしまった。じゃ、デカイ女はお前が連れて行け。そっちの女はワシのだ」
最近の董卓は疑心暗鬼ぎみだった。突如、怒り出すことも度々あり、呂布はその空気を薄々感じ取っていた。
「紅晶っ、紅晶! うっ」
蘇脩は起き上がって紅晶を助けようとしたが、呂布に羽交い締めにされた。
「きゃああ! うっぐ」
今度は董卓が紅晶の髪を引っ掴んで自分の手元に引き寄せた。
紅晶は悲鳴と呻き声を上げたが、董卓の腕力で首根っこを掴まれると声が出なくなった。喉を圧迫されたのと同時に恐怖で声が出なくなったのだ。
「可愛がってやるから、心配するな」
董卓は無理に紅晶を引っ張って後宮の奥へと入っていった。蘇脩は董卓に追いすがろうとするが、呂布に羽交い締めにされて動けず、名を呼ぶことしか出来なかった。
「紅晶っ」
「静かにしろっ!」
叫び喚く蘇脩の鳩尾に、呂布が一撃をお見舞いすると、激痛で動けなくなり声すら出ない。
「ガタイもいいが、声もうるせぇな。あっちの女の方が好みだが、しかたねぇ」
蘇脩を大柄な女と思っている呂布は、そのまま肩に担ぎ上げて、後宮内にある邸の寝室に適当に担ぎ込んだ。
「まだ気絶してんのか、このデカ女。胸はあんまり無さそうだな。どれ、ん……? ないっ、ないぞっ」
服を引っ剥がして胸を露わにすると、目当てであった乳房が見当たらない。
「ああ!」
そこで目を覚ました蘇脩が奇声を上げた。呂布も驚いて後ろに一歩下がった。
「なんじゃこりゃっ、乳がねぇぞ!」
蘇脩ははだけた平らな胸を顕にしたまま項垂れた。
「宦官なんです、私は……」
「かっ、宦官……。くっ……クソがぁ!」
呂布は怒りのあまり蘇脩を殴り飛ばした。ふっ飛ばされて地面に転がった蘇脩を叩き起こしてさらに殴った。
「ひぃ!」
うずくまって必死で耐えている蘇脩に呂布は執拗に蹴りを入れた。
「くそっ、クソッタレが!」
宮殿内に怒声と物音の激しさが響き渡るのを聞きつけてか、一人の男が駆けつけた。
「奉先っ、いい加減にしろっ」
「ああ!?」
呂布の暴行を静止させたのは尚書令の王允であった。呂布の怒気にも勝る覇気がある。
「おう、オッサンか。何の用だ?」
バツが悪そうに呂布は生返事をした。王允がすぐ駆けつけたのは、董卓と呂布が後宮に入ったという報せを聞いての事である。
「何の用だ、じゃねぇだろ。ここが男子禁制と知っての狼藉か? 宮女を血まみれにしやがって」
歳の差はあれど、呂布と王允は同じ并州の出身だ。雒陽には各地方の出身者が集まる。その分、同郷意識も強ることが多い。
「ここにいるのは親父のお墨付きだ。それに、男は俺だけじゃねぇ。他にもいるし、アンタもそうだ。言っとくが、こいつは女じゃねえ。宦官の生き残りだ」
「宦官の生き残りだと? 奉先、お前まさか、そういう趣味があるのか?」
「ばかっ、宦官が女装してたんだよ! 知らなかったんだ。騙された腹いせに今からぶっ殺すとこだ」
「待ってくれ。この宦官は私が預かる。今後は宦官が必要だ」
「宦官が必要だと? なんでだっ」
血まみれになった蘇脩を突き放して、呂布は頭上から王允を睨みつけた。
「北宮内に男がうろつくなど、陛下に対する不敬の極みだ。それをお前にわかってもらおうなどとは思わん」
王允も下から睨み返した。呂布は王允の胸ぐらを掴む。
「なんだとぉ? 俺を馬鹿にしやがって。いくらアンタでも容赦しねぇぞ」
「やるならやれ。お前には武人の誇りがあるかと思っていたが、違うようだな。女やか弱い者を甚振って何が楽しい?」
呂布は胸ぐらを掴み上げたまま、しばらく睨みつけていた。
しばらくすると王允の眼光の奥に、自分の情けない姿が見えた気がした。
「ちっ……」
王允の胸ぐらから手を離して舌打ちすると、呂布は肩を怒らせてその場を去った。
(武人の誇りか――)
歩きながら呂布は自問自答した。王允に図星を突かれたのだ。
王允は今回の事態を憂慮して上奏し、侍中や侍郎、黄門の職にある者を出入り禁止とした。
宦官増員の為に各都市から宦官を募集しているが、今は唯一の宦官である蘇脩が頼りだ。
蘇脩を中心に宮女たちで北宮内の政務を回すしかなかった。
そしてこの上奏は董卓の北宮の出入りを、暗に黙認した形となった。
剛毅な王允でも董卓への諫言はできない。董卓の逆鱗に触れれば、官界追放どころか死罪は免れまい。
(漢室を救うためには、今は耐えるしかない――)
恥を忍んで道化を演じよう、王允はそう自分に言い聞かせた。




