第一五一話 道中
ひょんなことから雒陽で出会った曹操と劉備の一団は、短いながらも奇妙な旅路に就いている。
この一行は朝廷の命で、予州へ徴兵の為に向かっている。曹操は故郷の沛国で兵を集める事にした。
一人では行かせられないという袁紹の気遣いで、劉備と彼の部曲は曹操の護衛団の如く後を付いてくる。
「なぁ、玄徳。曹典軍という呼ぶのは止めてくれ。むず痒くなる。私の字は孟徳だ。そう呼んでくれ」
「では、お言葉に甘えて。孟徳どの」
「ふふ。字に同じ『徳』があると、妙に親近感が湧くな」
曹操のざっくばらんな振舞で、すぐに劉備たちを和やかな雰囲気にさせた。お互いの自己紹介はすでに終えているが、言葉少なかった劉備は少しづつこれまでの半生を語り始めた。
劉備は安徽県で督郵を縛り出奔するまでの経緯を、手短に話した。
出奔後、大将軍何進の命により、徴兵が各地で行われていた。都尉の毌丘毅は揚州丹陽郡にて徴兵し、劉備はそれに応じた。
その後、下邳県で賊軍と遭遇した折に、手際よく鎮圧した。功績により、劉備は青州の下密県の尉となった。
と、劉備一行の身の上話を聞かされた曹操だったが、話を聞くのが少々辛くなってきた。
話を続けるが張飛だったからだ。張飛は黄巾の乱を鎮圧した英雄、皇甫嵩を助けた若き武官と、曹操を讃えた続けた。名士に羨望を抱いていたのだ。
対する関羽は、立場を弁えて自分から喋りかけるような真似はしなかった。
そして、劉備はというと相変わらず口数少なかった。だか、問われた事には常に的確に返答し、お茶を濁すような答え方はせず、鋭さと潔さを感じさせた。
中山靖王の子孫だと嘯くが、その真否は別として、ある種の風格を備えている男であることは間違いない。
さらに関羽と張飛の存在がその風格を際立たせている。二人は長身で武官然とした出で立ち、常に劉備の左右を守っている。
曹操は正装でも赤を基調とした官服を着るのを気に入っている。普段の着物でも赤色を好んでいた。傍から見るとかなり派手に見える。
しかし、劉備たちの普段着もかなり派手で、色んな彩色が施された錦を纏っており、それでいて威厳がある。
彼らの話しぶりも今の所、粗野な面は見られない。劉備と張飛は幽州の出身で、本来は強い北方の訛りがあるが、将来を見据えて訛りを直したという。関羽はもともと雒陽に近い河東郡の出身だから訛りは少ない。
正直な所、曹操はこの劉備を筆頭とする部曲を、そのまま自軍に引き入れたいと思った。
如何にも戦慣れしていそうな部曲たちの風貌とは裏腹に、派手で立派な出で立ちをしている三人が首領格だ。しかも、この三人こそが部曲の中で一番の猛者である。
沛国には曹操の故郷、譙県がある。そこで兵を集めれば、事は容易く進むだろう。が、何進と蹇碩のいざこざに、曹操は巻き込まれたくなかったので、わざと徴兵を遅延させようかと考えていた。
また、曹操の部曲は、親族で構成された頼れる弟達が、劉備の部曲を受け入れるかどうか。仲間意識と郷土意識の強い弟たちの事だから、何があってもおかしくはない。
曹操はその事で、沛国に向かうのは少々気が引けた。
沛国に入る手前の陳国に陳県に立ち寄り、ここで一晩過ごしてから譙に向かった。
陳県の県令は、天子の命で徴発に来た曹操と劉備を歓迎したが、出せる兵はないとして断りを入れてきた。
曹操も最初から当てにしてなかったが、県令はそれなりの誠意を見せるため、酒宴をひらいて曹操と劉備らと酒を飲む事にした。
「天子の勅命だって事わかってんのか? あの県令はよ。ぶん殴ってやりゃぁ良かったぜ」
「まぁ、そういうな益徳。こんなご時世だ。自分の県に兵を確保しておかなければ、何が起こるかわからんからな。酒宴を開いてまで饗してくれてるんだ。好意に甘えようじゃないか」
劉備が張飛を宥めるのを聞いて、曹操も頷いてその通りだと言った。そのうちに歌妓が数人登場し、酒宴を盛り上げた。
「こういうのは久しぶりですな。特に真ん中の娘は、私の好みですよ」
上機嫌になっている劉備を見て、曹操は率直に聞いた。
「そうか。ところで君は、妻を娶っているのか?」
「いえ……。妻はいたのですが、死別しました。それも二度も。今は放浪の生活が多くて、新たに妻を娶る気にはならんのです」
「それなら、妾として娶ればいいじゃないか」
曹操も元歌妓の卞氏を側室としていたので、軽い気持ちで劉備にも勧めた。歌妓では正式な妻にはなれないが、妾として娶る事はできる。
劉備がお目当てにしている歌妓の名は、甘珱琳といった。沛国の出身だが、故あって陳国へ逃げてきたのだという。美貌と舞の技を認められて歌妓となった。
「そうだよ、兄貴。もらっちまえよ。俺もいい子がいたら、もらっちもうかな。へへっ」
張飛もかなり酔っ払っているようだ。関羽は酒が入った事で少し心を開いたようで、曹操と楽しそうに酒を酌み交わしている。
酒宴が終わったあとで、劉備は席を外し甘珱琳を呼んだ。
「君も故郷を捨てて、ここに流れ着いたと聞いた。私も故郷を捨てて、居場所を転々とする流浪の身よ。もし良ければ君も一緒に来ないか?」
正直な所、劉備の風変わりな容姿に驚いた珱琳だが、傭兵として中原を渡り歩いている話は、魅力的に感じた。
芸姑としてやっていけるのは、せいぜい若いうちだけ。それよりは、皇族の末裔だと嘯き、猛者どもを引き連れて流浪する男の妾となった方が楽しそうだ、と思った。
「ただ、沛国にだけは帰れません」
劉備たちが、曹操と共に沛国に行く途中なのだ、という話を聞いて珱琳は言った。
出身国を捨ててここに流れ着いた彼女がいうからには、人に言えぬような事情があるのだろう。劉備もその理由を深くは尋ねなかった。
そしてその夜、二人は結ばれた。甘珱琳は劉備と共に、宛のない旅を共にする事を誓った。
次の日の朝、劉備は沛国には立ち寄らず、さらに東側にある下邳に向かうと言い始めた。
「下邳での、我らの奮戦を目にした者らは、その場から逃げ出すか、我らの熱狂的な支持者になったかの、どちらかでしょうな」
だから下邳での徴兵が容易いのではないかと、劉備は言う。沛国からはさほど遠くない距離だ。
曹操が聞かされた張飛の話では、関羽と二人で、万人に匹敵する賊を蹴散らしたと言っている。多大な誇張があるにしても、この二人ならやりかねない。それほどの武威を感じる。
「それでは、下邳に行く前に、故郷の譙に寄っていかないか?」
「じゃあ、そうさせてもらおうぜ。なぁ、大兄!」
曹操は一応、社交辞令で言ったのだが、張飛は遠慮無く甘えさせてもらおうという魂胆だ。まぁ、予想通りではあるが。
「いや、お気持ちは有難いのですが、我々は下邳へ向かいます。一刻も早く兵を集めて京師に戻らねばなりませんゆえ」
劉備は前のめりになっている張飛を、手で遮るように押しのけた後で、そう言った。
「え? せっかくのお誘いなのに……」
張飛は全身で落胆した。普段の所作も大袈裟な男だ。
劉備は、曹操の微かな心の揺れを感じ取ったのだろう。言ってみれば一人になった曹操を無事に故郷まで護衛する為に、劉備たちはここまで来たようなものだ。
張飛は後ろ髪を轢かれる思いだった。劉備は軽く諭して曹操に別れを告げ、下邳へと向かって行った。
「何でせっかくの誘いを断ったんだよ、大兄。ちょっと寄るぐらいいいじゃねぇか」
「いいか、遊びじゃないんだぞ。迫りくる国難に備える為の徴発なんだ。譙は孟徳どのの故郷なんだから彼に任せとけばいいんだ。それに、俺たちの部曲をもっと増やす必要がある」
張飛は劉備の言う事には逆らえない。劉備がそうだと言えばそれが張飛にとっての現実なのだ。




