第一四四話 昆嵛山
青州東莱郡黄県を離脱し、多くの部曲を引き連れた石真と世平は、東隣の県である牟平の山中に潜んでいた。
石真らが潜んでいたのは昆嵛山の奥地だ。山東半島で一番高い山で、この界隈百里に渡って雄々しく山々が聳え、麓に群生する林の奥を移動しながら暮らしている。
東莱郡は海にも山にも恵まれ、海の幸と山の幸に溢れ、冬は厳寒がなく夏も酷暑がない、そんな長閑な気候にある。
昆嵛山は、かつて始皇帝や漢の武帝が、長生の秘薬を探しに来たとこともあり、また、文人が詩を作り碑を刻んだりする天然の文化遺産でもあった。
数千年の古木が原生する林が奥深く続いており、透き通るような清い泉から落ちる滝が、光の粒子を輝かせながら木々や草花に恵みを与えている。
こういった自然の恵みに溢れているが、人里からは少し離れているから、隠棲するなら調度良い土地だ。
隠れ潜んでいるとはいえ、石真が率いる軍勢は兵の家族も含めると一万人以上にも膨らみ、未だに飢えた人々や流民が寄ってくるという有り様である。
石真は彼ら流民たちに食料を与える代わりに、戦える男たちは全て厳しく統制し日々鍛えあげており、いつ攻め寄せてくるかもしれない外敵に備えていた。
女子供らには山から降りて平地にも田畑を作らせ、その為の見張りも置いて自給自足できるように農作業を促した。
山では罠を張って食料にする動物を捕らえ、または害獣や外敵の備えとした。清水が湧き出る綺麗な川があり、水に不自由しなかったが、それでもやはり一万人規模の食料を毎日確保するのは至難の業である。
田畑を作ったとはいえ農地に適していない場所なので、今は自然の幸が豊富な海の方で食料を得なければ間に合わない。
特に夏の時期ともなれば、魚介類を干物にして保存食を作っておくのも、冬を越す為の重要な手段ともなる。
しかし、海岸線まで進出すると、賊軍討伐の官軍がやってくる可能性が高い。
海には漁場を巡っての既得権益があり、地元の豪族も幅を効かせているから、たとえ官軍が来なくともなんらかの衝突はあるはずだ。
張世平は官軍や土豪の軍勢との厄介事は、避けねばならないと思っていた。それ故、彼は自己流ながら黄老の教えを人々に施し、集団生活における暮らしの規則を作って説いた。
「食う物がなければ、どのみち死ぬのだっ」
これが石真の口癖で、張世平とは度々口論となったが、二人とも頑として譲らない。
二人が言い争っている時に、常に調整役として間に入ったのが、牢屋を脱出する時に助けてやった玉夷だった。
石真と行動を共にするようになってからというもの、就寝も共にしていたほどだった。
男同士で就寝を共にするのは特に珍しい事でもなかったが、石真の玉夷に対する扱いは妙な関係を疑わざるを得ないものがあった。
玉夷の容貌は背丈は普通で肌は浅黒いが見るからに若々しく、髭はまだ生えていないが目鼻立ちが整った端正な容姿の持ち主だった。
それだけではない。華奢な身体つきだったが、運動神経は抜群で頭脳も明晰だった。例え石真であっても歯に衣着せぬ物言いで、嘘などつけない性格であった。
「またそんな不毛な言い合いしとんのかいな。ええ加減にせなアカンで。あんたら二人に皆ついて来とんやからな!」
少年らしい高い声で南方の訛りを喋る玉夷。何故この少年を石真が買っているのか、世平はいちいち玉夷の素性について詮索したりはしない。
石真のお気に入りだから、誰も玉夷について詮索する事はなかった。ただ、黄県を出奔する時についてきていたのだけは確かであった。
短気な石真も、玉夷の言葉には不思議と素直に応じた。
「ちっ、じゃあ、ジジイの方は何か良い案でもあるのか、言ってみろよ」
世平は石真からジジイと呼ばれているが、尊敬の念は一応は持っているようだった。
「海に出て食料を調達は、仕方ないかもしれん……しかし、この林にもそれなりの食料が採れるじゃないか。お主の言い分では、まるで最初から戦に行くような考えに思える」
「考えが甘い! 一万人を食わせていくのは、この林の中では無理だっ。体勢もまだ整っていない! 安定した食料を確保する為には、海に出る危険を侵さねばならん。だから、いついかなる時でも戦いに備えておかなければならんのだ!」
「ほらほら、また話が戻っとるやないけ。二人とも頭冷やさんかいな。親分もじいさんの話を先に最後まで聞こうやないかい。それからまた意見したらどないや?」
玉夷は立ち上がって二人の前に立ちはだかった。そして石真だけでなく世平をも捲し立てた。
「それに、じいさんの方も代案があるんやったら、納得のいく説明せんかいな。親分の言う通り海にでも出えへんかったら、みんな飢え死にやで」
二人は玉夷の言葉には妙な説得力がある。世平は自分も叱られた事に素直に頷いていた。
石真の部下には東莱郡出身の者が多く、沿岸地域で育った輩が多かった。山や林の奥で暮らす事に耐えられず、海に出たいと考える者がいるのも当然だ。
「そうだな。少し意固地になっていたかもしれんな。食べる物が足りなければ飢えて死んでいく。見栄や道義だけでは、飢えた民は付いて来ぬだろう」
「ようやくわかったか。生きるためには戦わねばならぬのだっ。その為に俺は部曲を日々鍛え武具を揃えている」
「生きるために戦いがあるのではないぞ。武具を揃えるのは賛成できんが、もしもの時に備えるだけにしてくれ。戦いが避けられぬ事態もあるやもしれぬ。だが、できるだけ争いごとは控えるんだ」
玉夷が二人を取り持ってくれた甲斐もあって、世平は渋々ながらも合意した。
目当ての海岸は、牟平県城から近い養馬島の向かいにある海岸である。
養馬島とは海岸からの距離がわずかに二~三里(約一キロ)、南西から北東に十里ほど細く伸びたような形をした島で、古くから島の周りは漁場として栄えていた。
かつて始皇帝がこの近辺を巡幸した際に、景色や風景を気に入って、この地で皇帝が飼う馬を育成していた。
この辺りは茅などの草が繁茂し、当時は野生馬が群を成して走っていたので、育成に向いていた。養馬島の名はこの時についたと言われている。
養馬島と陸地の岸が並行してしている為、そこの辺りだけ川のような細い水道になっているから、魚介類も豊富に捕れて良い漁場だった。
昆嵛山からの距離は百里ほどなのでなんとか日帰りできる距離ではある。とはいえ、海で得た魚を山に持ち帰っても保存できるのは冬の間くらいであろう。
だから、夏季の間は海と山に分かれて暮らす事になる。海に囲まれた東莱郡には漁業経験者も多かったので、船や網などの道具があれば問題なく漁が出来る。
先発隊として海へ出て行くのは、長年の間、石真の腹心として仕えている莉旋に任され、二百人ほどの漁業経験者を募って仕事に当たらせた。
莉旋自身も若いころ、海で漁師をしていた経験がある。久々だとはいえ、海に出る事に対して腕が鳴る思いだった。
まずは船の調達だが、小型の船なら自分たちで作れた。林で家屋用に乾燥させておいた木材を沿岸部まで運び、そこで簡易的に船を作った。
また、漁具としての釣竿や、網漁をする為の魚網類の道具も用意させたりして、小舟が完成するまでの間の繋としての海岸での漁をさせた。




