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三国志創生伝 ~砂塵の彼方に~  作者: 菊屋新之助
第十二章  追奔逐北
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第一一九話  劈開

 子義は、石真の厩舎(きゅうしゃ)から活きの良い馬を連れ出すと、馬上に鞍を着けて飛び乗った。一路……京師――雒陽を目指し、馬尻に鞭打ち走り始めた。


 だが、馬は長距離を長時間走り続ける事はできない。大柄な体格をしている子義を乗せての移動では尚更である。途中で馬を交換するならまだしも、与えられた馬一頭を休ませながら移動するしかなかった。


 州の奏曹史(そうそうし)たちは緊急の所要がある場合、要所要所で替え馬を用意しておき、途中乗り換えながら最速で移動する。


 ところが子義は、わかっていながら間違いを犯した。気が焦るあまり、一頭しかいない馬を酷使し過ぎたのだ。


 最後には馬の足は歩くことも覚束無(おぼつかな)くなり、自らの足で歩いた方が早いくらいであった。


「ここからは走り続けるしかない……」


 石真から金はもらったが、金があれば食料が賄えるかといえばそうでもない。雒陽のような大都市でなければ、それもなかなか手に入らない。


 空腹感と疲労はかなり溜まっていたが、二十代の若さと持久力で昼夜を問わず走り続けた。


 ようやく数十里ほど先に雒陽城が見える所まで辿り着いた。ここまでに二週間くらい経っただろうか。青州の黄県を出発してから正確に何日間を過ぎたのか定かではない。


 本来の目的すら何なのか忘れるほど只々走った。もしかしたら、州の奏曹史がもう上奏しているかもしれない。そもそも彼を探し出す手立てすらない。


 ただ、一刻も早く雒陽に向かわなければならない。その思いだけが彼の両足を鞭打たせ、なんとか走り続けた。


 その甲斐もあってか、ようやく地平線の向こうに雒陽城と周辺の集落が朧気に見え始めた。いつ見てもこの世の物とは思えないほど巨大な都市だ。


 背の高い楼閣(ろうかく)がいくつも見えるので、遠目から見るとちょっとした丘にさえ見えてくる。


 雒陽城が近づくにつれて人の往来が目につく。東側の城下街である馬市の入り口付近に着いた頃には、正午の時間帯だった事もあり、人々の活気に溢れて賑わっていた。


 数年前に中原を揺るがせた黄巾賊の大乱があったとは思えないほどの華やかさだ。


 あの時、雒陽での反乱は未然に防がれたという話は、風の噂で伝え聞いていたが、当時の雒陽の民衆たちは騒然として戦々恐々の面持だったのだろう。


 雒陽城東面の城壁に辿り着くと、南東にある秏(こう)門へと向かった。その向こう側にはすぐに三公府があり、そこを通り過ぎると南宮の南門に辿り着く。


 州の奏曹史が通るのなら、南宮の南の門である公車(こうしゃ)門の付近で待ち伏せしていれば、必ず州の奏曹史はやってくる。まずはそこへ上章を届けるのが規則となっている。


 秏門では郡の奏曹史である割符を見せれば、難なく通過できるが、公車門ではそう簡単にはいかない。


 公車とは、各地からの上章や献納物を検閲する為の役所である。この付近で人の往来を注意深く見守り続けるしか無い。


 心が落ち着かないまま、人々の往来と時の流れだけが過ぎて行く。結局、その日は何の手掛かりもなく門前の側に半ば身を隠すようにしゃがんで踞(うずくま)っていた。


「既に上奏されてしまったのか、それとも何かがあって到着が遅れているのか――」


 と考えあぐねていると、そのまま気を失ったような眠りについてしまった。


 ウトウトと深い眠りから覚めて気が付くと、朝焼けが眩しく瞼の隙間に射し込んできていた。門前に目をやると数人の門番も壁に寄り掛かったまま居眠りしている。


 もう一度うしろに振り向くと、朝陽を背に一人の男がこちらに向かって来るのが見えた。朝陽が眩しくて黒い影にしか見えないが、体格の良い男性であることはハッキリとわかった。


 こちらに近づいて来るにつれて、その男の顔がぼんやりと見え始める。


「あ……。そ、蘇、士然っ! 士然殿っ! 士然殿じゃないですか。何故こんな所に……」


 なんと、そこには数ヶ月もの間ずっと行方不明だった蘇双(士然)が、目の前にいるではないか。


「……子義。お前こそ何で此処に?」


 蘇双は咄嗟に右手にしていた何かを、左腕の袖の奥に隠した。子義はその動きを見逃さなかった。


「この数ヶ月、一体何をしてたんですか。世平さんもずっと心配してたんですよ。今、何か隠しましたね。もしかして……」


 子義は蘇双の左腕を掴もうと素早く手を伸ばしたが、蘇双の反応はそれ以上に素早かった。逆に返し手を取られてしまい、子義はうつ伏せの姿勢で地面に押し倒されてしまった。


「ぐっ、何をするんですかっ!」


 地面に押し倒されて顔や服が砂だらけになっても威勢の良さは変わらない。蘇双は子義の背に押し乗って手を捻り上げて言った。


「お前の方こそ、こんな所まで何しに来た!」


「うぐぐ、わ、私は……」


 上章の件について触れるのはまだ早いと子義は考えた。どういう経緯でそうなったのか判らないが、蘇双こそが青州の奏曹史として、この雒陽にやってきたに違いないのだ。


「あなたを、士然殿を探して遥々(はるばる)と雒陽までやって来たんですよ。劉県尉は心を病んでしまったのか、とにかく疑心暗鬼に陥ってしまい、遂に世平さんまで獄に繋いでしまったのですっ」


 蘇双は地面に押し倒した子義の手を離すと、すぐ側で立ち上がって呟いた。


「石真が……。あの馬鹿めっ。何で世平様を獄に繋ぐ必要があるんだっ」


 うつ伏せに倒れていた子義も、顔を上げ上半身を起こして胡座をかいた。


「だから、誤解を解くためにも、劉県尉の疑心を晴らすためにも、士然殿を連れ戻す必要があったんですよ!」


「石真が私を連れ戻せと言ってるのか? 此処に来たのはなぁ、石真の正体を暴くためだっ」


「そりゃぁまたどういう事ですか? 劉県尉の正体って、一体なんですか? それを証明するための……何か上章でも持っているというのですかっ!」


「ああ、ここに上章がある」


 そう言うと蘇双は、左腕の袖の奥に隠した上章の紙を取り出して子義に見せ付けた。


 当時、多く使われていた木(・)簡(・)ではなくて紙だった。紙なら証拠が残らないほどに破り裂く事ができる。


「あっ!」


 子義は先ほど見せた動きとは段違いの素早さで、蘇双の手から上章を掴み取り、その勢いを借りて蘇双の身体に体当たりしてふっ飛ばした。子義の巨体の前に為す術もなく宙を舞ってしまう蘇双。


 最初に蘇双の腕を取ろうとした時は、何を隠し持っているか確信が持てなかったので、ワザと返し手を取られるような動きをした。

 

 が、石真を弾劾告発する上章を持っていると知った以上、持てるだけ全ての力を振り絞って奪い取ったのだ。


 受け身を取り打撲を最小限に留め、地に尻をついた蘇双。その目の前で何の躊躇も無く、子義は上章をビリビリと細かく破った。


「ああっ! なんてことを!」


 蘇双は素早く立ち上がり、腰の左右に背負っていた鞘から刀を二本を抜いた。


「なんてことをしてくれたんだっ。この上章が何かわかってるのか!? もう我慢ならん、ぶっ殺してやるっ!」


 これほど物騒な罵倒を放ち、怒りを露わにする蘇双を、今まで見たことがなかった。だが蘇双がいくら殺気だっていても、子義の表情には余裕すら漂っていた。


「そんなのは嘘っぱちの上章だっ!」


 蘇双に殺られてしまうほどヤワな鍛え方はしていない、という自負があった。子義は蘇双の膂力を多分に侮っていた。

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