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三国志創生伝 ~砂塵の彼方に~  作者: 菊屋新之助
第十二章  追奔逐北
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第一一八話  上章

 疑心暗鬼にかられた石真は、何も知らない世平にも容赦ない。


「信用出来ぬなら斬ってくれ。私はどうせ老いぼれた爺だ。好きにすれば良い」


 世平のゴツゴツとした岩のような顔に、表情を見て取るのは難しい。


「調子にのるなよ、ジジイ。貴様をしばらく拘束する。望み通り死なせてやってもいいが、楽に死ねると思うなよ。……子義よ、来いっ、用事が出来たぞ!」


 石真に呼ばれた子義は、すっ飛んで部屋に戻った。


「図体がデカい割には早いな、子義。まさか隣で聞き耳を立てたんじゃないだろうな」


「まさか、そんな訳ないでしょう。で、どうかしましたか。何かあったんですか」


「大した事じゃない。世平を牢まで案内してやれ」


「え? 牢、牢屋ですか。なんでまた?」


「いいから黙って早く連れて行け。このジジイが目の前にいたら邪魔でしょうがねぇ」


「邪魔って……、劉県尉が連れて来いって言うから……」


「やかましい! 早くジジイを獄にぶち込んておけっ」


 石真の怒鳴り声に、子義は首と肩の辺りを捻って動かした。彼のデカい図体から骨の鳴る音がバキバキと聞こえてくる。


「劉県尉、アンタに取り立てもらったのは感謝しているが、筋が通らない事は殺されたって出来ねぇ。それが俺の生き方だ。どういう理由で世平さんを獄につなぐって言うんですか。教えてくださいよ!」


 子義が珍しく怒りの表情を露わにして石真に怒鳴り声を上げ放った。


「糞面倒くせぇ。おい子義、てめぇ、俺に楯突くのか?」


 石真は鞘に手をかけ、今にも刀を抜こうとせんばかりに殺気を放った。


 世平は慌てて両手を拡げ、二人の間を割いて仲裁に入った。


「待つんだ、石真……。子義よ、彼の言う通りに私を獄につないでくれ。どうなろうと一向に構わん。こんな所で血を流す必要などなかろう。ただ一つ言っておくが、私は本当に何も知らん。どんなに拷問されようと知らない以上は何も出やしない」


「拷問するかどうかは後で決める。とにかくこの部屋を出ろ」


 子義も石真も怒りが収まらぬが、世平の執り成しでこの場は一旦収まった。これから獄に繋がれようという本人が場を執り成すのも変な話だが。


 すっかり暗くなってしまった外を歩きながら、子義はしぶしぶと枷に嵌められた世平の手を引いた。


「世平さん、一体どうしたっていうんですか。獄につながれるなんて……」


「仕方がない。石真は、私と士然を疑っているらしい」


 子義に対しては口が裂けても明かせない因縁がある。世平や蘇双、石真らの三人が嘗て太平道信者、いわゆる黄巾賊であった事を。


「何を疑われているんですか。まさか、黄巾賊が県城内に潜んでるって話ですか」


「士然が行方不明でな。彼と何か企んでると疑われている。石真は疑心暗鬼にかられ、私の話は耳に入いらんようだ」


「それだけじゃありません。どうやら劉県尉は郡の県令ばかりでなく、太守や都尉にも貢物を送っているようです。日増しに彼らからの要求が激しくなり、その事で頭を悩ませているようです。本当に情けない話ですよ」


「そうか、石真がそんな事を……。実は、私からも君に士然の捜索を頼みたいのだ。私が獄に入れば何もできない。すまんが、頼む」


 子義は手枷が填められた世平の両手をしっかり握って力強く頷いた。


 かくして世平は夜中に獄へと繋がれる羽目になった。子義は次の日の早朝から石真に願い出て、蘇双の捜索を自ら願い出た。


 石真は子義の申し出を却下して蘇双の捜索は自分でやると返事をした。子義には引き続き彼自身の奏曹史としての仕事に専念するように言って聞かせた。今何より必要なのは情報だからだ。


 またしても渋々と公務に戻った子義だが、よく考えると蘇双を探す手掛かりなど何もないのだ。


 奏曹史として仕事をしている方が何か情報を掴む切っ掛けがあるかもしれない。


 それから数日も経たずに、子義は目を疑う書状を見つけた。


 ――東莱郡黄県の県尉は黄巾賊の残党であり、前の県尉を殺害して自身が成り済まし、黄県を乗っ取った――


 掻い摘むとそのような内容の訴状だ。この訴状は郡から州へと届けられる。


(なんて事だ。この上章(訴状)が州の奏曹史に渡れば、京師に届けられて劉県尉は一巻の終わりだ――)


 しかし、上章を勝手に持ち帰る事は出来ない。奏曹史といえども上章を扱うが故に、常に監視の兵が付き添う。


 上章は他の奏曹史によって馬で臨淄県へ運ばれる。子義はその過程を見ている他なかった。


 もし出来る事があるとすれば、すぐ石真にこの事実を伝え、本人が上章の取り消しを直訴するしかない、と子義は思った。


 子義は仕事を途中で放り投げ、石真のいる宮城へ向かい緊急報告した。


「それは本当か! こうなったら、世平を取っちめて白状させてやる。奴が仕組んだに違いない!」


 石真から返ってきたのは怒鳴り声だった。子義も負けじと怒鳴り返す。


「何言ってるんですかっ、世平さんを責めても何も出てきやしませんよ! 彼は本当に何も知らないんですから。それより、このまま放おっておくと、あの上章は京師に送られてしまいますよ!」


「ならば貴様っ、どうすれば俺の無実を晴らすことができるというのだっ」


「州の奏曹史に直談判しに行きましょう。直接会って話せば判って頂けますよ、きっと何かの間違いだと」


「馬鹿野郎っ、分かってもらえるだと。どうせまた莫大な賄賂を要求してくるに違いない。しかも払わなければ有無を言わさず監獄に送られるに決っている!」


「こうやって話してる間にも、京師へ上章の手続きがなされてしまう。要はその書類が京師に送られなければ良いのですよね」


 子義は独り言のように呟いたが、その表情は決心に満ち溢れたように凛としていた。


「おい、子義。どうするというのだ。何か考えが浮かんだのか?」


「劉県尉、考えたって何も思い浮かびませんよ。だからオレ、体を張って止めてきます。その間、世平さんには手を出さないで下さい」


「身体を張るとは、どういう意味だ? 子義」


 石真は子義の肩に手をかけて止めようとしたが、子義は自分の肩にある石真の手を跳ね除けた。


「こんな所でグダグダ話してる暇はありません。早くしなければ臨淄(りんし)に上章が届いてしまう」


 臨淄県は隣の北海国を西へ跨いだ斉国にあり、そこは青州の州治。一旦は州の奏曹士が精査して刺史の命で京師へと上奏される。


 東莱郡の黄県から西へ北海国を跨いで二百五十里もある。馬で行っても三日はかかるだろう。


「いや、まてよ。どうせ今から臨淄に向かった所で追いつけない。臨淄で一度その上章を県令や刺史に上奏し、確認してから京師に送られる筈だ。手順に掛かる時間を踏まえ、今から京師に向けて出立すれば先廻りできるかもな……」


 石真は急に振り返ると、何やら棚をいじり始めた。しばらくして、麻の袋と干物の食料を出してきた。


 麻袋の中は、大量の銭が擦れ合いジャラジャラと音がする。麻袋に干物を突っ込んで、そのまま子義に渡した。


「その袋には、数百銭入っているから好きに使え。それと、俺の馬舎にいる馬を一頭貸してやる。お前は仕事で何度も京師に行ってるから、早く着けるだろ? さぁ、今すぐに出立するんだっ」


「わ、わかってます。もちろん行きますよ!」


 黄県から雒陽へ行くとなると、馬で急いでも最低二週間はかかる。突発的な石真の命令に面食らうが、今考えられる手段といえば、確かにそのくらいだ。

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