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三国志創生伝 ~砂塵の彼方に~  作者: 菊屋新之助
第十二章  追奔逐北
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第一一七話  奏曹史

 子義が知ろうと知るまいと、石真は(いびつ)な過去の真実には触れさせないつもりだ。

 

 奏曹史(そうそうし)に子義を推薦して就けたのは、郡から州に上がっていく書状を偵察させる為だった。


「で、その上書(じょうしょ)の根拠とする所は何だ? 黄巾賊の残党が紛れ込んでいるだなどと、俺の県尉としての地位を貶めたい奴の戯言(ざれごと)だ。それを上書しようとしているのは一体、誰なんだ」


「いや、そこまでは……。私の権限では大した情報を仕入れる事はできません。せいぜい、書類を盗み見するぐらいしか出来ませんので」


 正義感の強い子義が、書状の盗み見をしているのは理由がある。宦官たちの親戚縁者が高官として各地で配属され、賄賂や汚職を繰り返していたという世情から、石真は書状に不正がないか子義に調べさせていたのだ。


 だがそれはあくまで名目上の目的であって、真の目的は石真の保身のための安全策を講じているに過ぎなかった。


 自分が黄巾賊だった過去を上書するような訴状があれば、速やかに証拠隠滅を図らねばならない。


 二年前に先発で黄県を乗っ取った黄巾賊を討滅して、自分は官軍の討伐軍だと称してどさくさに紛れて黄県の県尉となった経緯は、極小数ながら知っている輩がいるかもしれない。


 黄巾賊の残党が黄県の官界に紛れ込んでいるという情報が訴状に上ってきているという事は、誰かが密告したに違いないのだ。


「そういえば最近、世平と士然の姿を見ないが、彼らは一体何をしているんだろうか?」


 ついに石真の疑心は暗鬼となって世平と蘇双に向けられた。


「さっき、世平様は、県城の郊外で咽び泣いてましたが、士然さんはこの数ヶ月お見かけしてませんね」


「世平殿が泣いていただと? 何をしているんだ。すぐにここへ呼んできてくれ。そういえば俺も士然の姿を一月近く見てない気がするな。それも含めて世平殿に聞いてみようではないか」


「は……」


 県城の外に出ると辺りはすっかり暗くなっていた。子義は城外にある世平の質素な屋敷へと向かった。


 向かう途中、先ほどの野原に世平が座り込んでいるではないか。夕方に咽び泣く世平の姿を見た場所と同じ所である。


「どうしたのですか、世平殿。こんな所に座り込んで。もう日が沈んでしまっていますよ」


「放っておいてくれ。何もする気がおきないのだ。せっかく、お主の母に命を救ってもらったのに、無駄にしてしまったな」


「な、何言ってるんですか。いや、何があったんですか? もしかして、士然さんを最近お見掛けしてないと劉県尉から聞きましたが、士然さんがいなくなったことが何か関係しているんですか?」


「士然……。士然か。そういえば、ここ数週間も彼の姿を見てない気がするな」


「では、世平殿も士然さんと数週間も会ってないという事なんですね」


「士然の身に何かあったのか? この十年近くずっと彼と一緒だったのに、ずっと私の面倒を見ていてくれたのに、いなくなっても気付いてやれなかった。自分のことばかり考えていた……。子義よ、一緒に探してくれ。彼の屋敷へと行こう」


 世平の憔悴しきった顔を見て、子義は子供をあやすように語りかけた。


「探してくれと言っても、もうすぐ夜になります。士然さんの屋敷には数日前に立ち寄って見たのですが人の気配はありませんでし、まるでどこかへ旅に出てしまったかのように整然としていました。彼の事は明日またどうにかするとして、先に私と一緒に県城に来て頂けませんか? 実は県尉が貴方をお探しのようなのです」


「石真が……」


 鬱状態で朦朧とした様子の世平だが、子義はやんわりと説き伏せて、石真がいる黄県城までどうにか連れてきてやった。


 世平とは数週間ぶりに会ったというのに、石真は怪訝そうな顔で出迎えてくれた。


「久しぶりだな、世平殿。悪いが子義よ、二人だけにしてくれんか。士然の事で世平殿と二人で話がしたい」


 子義は少し表情が固まっていたが、しぶしぶ部屋の外に出て行った。


「率直に聞くが、士然はどこで何をしている。ここ数週間もヤツの姿を見ていないのだが、世平さん、士然の行方を知っているんじゃないか?」


「実は私も彼の行方を知りたいと思っていた所だ……。恥ずかしい話だが、十年来の付き合いであるにも関わらず、彼がいなくなっていた事に気付かなかった……」


 石真はどうも世平を疑っているようだ。世平の顔を覗きこんでもう一度聞いた。


「何故だっ、なぜ気付かなかった。何か隠していないか? 正直に話してくれ。いいか、今の俺たちは同じ境遇にある。不穏な動きがないかを探るのに、子義を使って県の内外を行き来させていたが、黄巾賊の残党が潜んでいると噂する書状が出てきたらしい」


 世平はその話を聞いてもピンと来なかったようだ。蘇双がいなくなった事と黄巾族の残党が潜んでいるという事が、彼の中で話が噛み合わなかったからである。


「誰かが俺たちの情報の流しているに違いない。いいか、俺たちが太平道の信徒だった事を知っているのは、城外に駐屯させているオレの部下を除けば、ほんの数名だけだ。俺が何を言いたいのか判るな?」


 急に小声で話はじめた石真だが、空気感は先ほどよりさらに重く感じる。


「なるほど。私も士然も疑われているということか。知っての通り……二人ともとっくの昔に太平道から抜けているし、その過去を自分から喧伝するほど愚かではないぞ」


 世平にはまだ自分が疑われている実感が沸かなかった。石真は構わず話を続ける。


「それは俺も分かっている。しかしな、士然がここ数週間も姿を消しており、その数週間で黄県に黄巾賊が潜伏しているという書状が州の方まで届いているという事はだな、お前たち二人を疑わざるを得ないだろう?」


「ぬ。仮に、私達が何らかの情報を州に漏らしたとして、それが何の得になるのだというのかね?」


「そんな事オレの知ったことかっ。この状況で蘇士然がいないのは不自然だろうが。疑われたくないのなら、証拠を出してみろ!」


「証拠……? そんなものなどない……」


 世平は諦めにも似た虚脱感に、むしろそのまま飲まれたい気分になった。

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