第一一四話 酒
それから数ヶ月が経った頃、曹操は東平国の郡治(郡の首都)である東平陸県での祠を視察した。そこで劉章を祀っている祠が、次々と破壊されていると耳にした。
曹操としても不要な祠をできるだけ破壊し、無用な祭祀を廃止するのは、願ってもない話だ。
とはいえ、どうも気にかかる。黄巾賊の乱は終息したが、その残党は各地で未だに蠢動している。
この青州もまだまだ黄巾の残存勢力が多いと聞く。青州は主力の討伐軍が到来しなかったのだから、当然の話だ。
首領の張角が病死し統制がとれなくなった黄巾賊は、主だった活動はしていない。だが、彼らが危険分子である事は間違いない。
未だ、黄巾を頭に巻いた輩たちが、山中や海岸沿いに居座り、徒党を組んでいる。ただし、今のところ彼らがしている事と言えば、祠を破壊して回っている事くらいだ。
曹操は直接的に彼らと話を交える事はなかったが、彼ら黄巾賊が無秩序に暴れているのではなく、しっかりとした信念に基づいて行動している事に気付いた。
「ふふふ、黄巾の残党も案外使えるじゃないか。賊は賊なりの信義をもって行動しているようだな」
「そうでしょうか? 賊というのは、漢室に仇なす厄介者でしかありません。見つけ次第、その残党も一掃すべきですよ」
劉繇にとっては黄巾賊も排除すべき反勢力でしかない。もちろん曹操も同じだが、以前とは少し捉え方が違うようだ。
曹操が劉繇と共に邪教弾圧を成し遂げた済南国において、租税を貪っていた宗室関係の官吏を数多く免職させ、無駄に贅沢な祭祀は全て禁止された。
それに付随して横行していた賄賂や汚職もピタリと行われなくなった。
これだけの成果を上げたにも関わらず、済南国に赴任してから僅か一年で、曹操は兗州東郡の太守として統治を任され異動を余儀なくされる。
兗州東郡と済南国は、山陽郡を隔てた向こう側にある。それほど遠い距離ではない。済南国での功績を買われてか、若しくは煙たがられての左遷かもしれない。
後ろ髪を惹かれる思いもあったが、曹操は済南国での最後の政務を終えた夜、劉繇と酒を酌み交わし語り合った。今までも劉繇とは度々一緒に酒をあおったが、それも今日が最後である。
「正礼(劉繇の字)、ほら、飲め。今日は飲み明かそう」
「孟徳どのは、相変わらずお酒が強いですなぁ。私は、もう飲めませんよ、ははは」
「しかし、あれだけ賄賂やら何やらを取り締まっても、人の欲というのは留まる所が無いのだな。また次から次へと人々は過ちを繰り返す。東郡に赴任しても同じ事の繰り返しだ」
曹操は酒を呷りながら愚痴をこぼした。劉繇は酒を注いでやり、自分も酒を飲んだ。
「何を弱気な事を。孟徳どの、貴方ならどこへ行こうとも、必ずや貴方の理想とする政治を行う事が出来きる」
「昔から、ある思いが湧き出ては消える。君だからこそ話すが、全てを最初からやり直すべきなんじゃないかと思うんだ。皆の信ずる価値観が崩れ去り、創造すべき時代が訪れるのではないかと」
「新しい時代、価値観が崩れ去る。まさか、それは漢室の落日を意味しているのですか……?」
「いや……、それは勘繰り過ぎだ。言葉通りの意味で、それ以上も以下もない」
「失礼しました。酔いが回ってつい余計な事を言ってしまいました」
もちろん、
「それはそうと、新しく済南に赴任してくる相は、中常侍の栗嵩の養子だと聞いた。十常侍にまともな奴は一人もいない。その一族も同じだ」
「心配はご無用です。私がここ済南にいる限り、例えどんな相が派遣されて来ようと、政を放り出して道を踏み外すような真似はさせません。どうかご安心を……」
劉繇の力強い言葉を聞き、静かに曹操は頷いた。済南国を去るにあたって後顧の憂いはない。心配なのは次に赴任する東郡での行く末だ。
深読みのし過ぎかもしれないが、これも張譲の陰謀なのではないかと、そんな恐れを曹操は抱いていた。
あの宦官たちは皇帝の信頼を損ねたとはいえ、未だに権力の中枢にのさばり、のうのうと陰謀を張り巡らせている。
張譲と黄巾賊の繋がりを示す書簡を、皇帝の眼前で披露したにも拘らず、張譲は罪に問われなかったのだ。
その張譲を裏切ったのだ。いや、正確に言えば違う。皇帝に背信していた張譲こそが裏切り者で、曹操はそれを食い止めようとしたのだ。
しかし、張譲を失脚させる計画は、黄巾の乱と共に潰えた。結果として最も危険な宦官を敵に回したのだ。
曹操の心の奥底には常に漠然とした不安を抱えている。酒だけが彼の憂鬱を吹き飛ばしてくれる唯一つの慰めであった。
否……もう一つ、彼の苦しみを紛らせ心躍らせる愉しみがあった。
「今日はだいぶ酒が回ってきたぞ、ヒック……。気分が良くなったので詩でも歌おうか」
曹操は部屋の片隅に置いてあった胡琴(琵琶)を手にし、玄の調整を終えると徐ろに弾き始めた。
「胡琴を弾かれるのですね。それも一興。ぜひお聞かせ願います」
「うむ、それでは……
対酒当歌 酒を前にするなら歌うべし!
人生幾何 人生どれほどのものだというのか
譬如朝露 言ってみれば朝露のようもの
去日苦多 過ぎ去る日々だけが多くなる
慨当以慷 なんと嘆かわしい事だろうか
幽思難忘 憂鬱は断ち切りようもなく
何以解憂 どうすればこの憂いを晴らす事ができようか
唯有杜康! そう、ただ杜康(酒)があるのみだ! ヒック……」
劉繇は立ち上がって手を叩き、曹操の歌を賞賛した。
「実に素晴らしい四言詩でした。それだけでなく声の響きも美しい。まさに杜康の如く心と体に潤いを齎す。貴方の生き様のように豪快で爽快な歌です」
杜康とは酒を生み出したという神。曹操は照れることなく劉繇の賞賛を受け入れて喜んだ。四言詩とは古代からある漢詩の型である。
後漢時代は、五字から成る五言詩が流行りつつあったが、曹操は伝統的な四言詩で豪放磊落に詩を創作しては自身が詠った。
「ははは。お主、歌心というものがわかっているな。もちろん、この詩には続きがあるのだが……実は、まだ出来上がっていない。漢室に仇なした逆賊の王莽だが、一つだけ名言を残しているぞ。『酒は百薬の長』と言ったそうだ。言い得て妙だと思わんか? 話は戻るが、この歌はただ酒の事を歌っている訳ではないぞ。深淵なる意味を後の文に託しているんだ。まぁ、飲め。これからゆっくりと話してやる」
二人の話はさらに盛り上がって、酔い潰れるまで飲み明かした。
それから数日後に曹操は済南国を去り、兗州東郡へと赴く。残された劉繇は曹操に対して誓った通りの政治手腕を発揮した。
後任である中常侍の養子は、二人が予想した通りの人物だった。
養父の権威を笠に着て、影に日向にと汚職や賄賂を繰り返した。もちろん、劉繇は臆することなく証拠を掴んで上奏し、中常侍の養子を免職に追い込んだという。
曹操がこの劉繇の活躍を耳にするのはずっと後のことである。




