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三国志創生伝 ~砂塵の彼方に~  作者: 菊屋新之助
第十章  一陽来復
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第一〇五話  閻忠

 光和(こうわ)七年、十一月。遂に皇甫嵩(こうほすう)は黄巾賊の本拠地である()州を制圧した。奇しくも朱儁(しゅしゅん)が荊州の南陽郡の黄巾賊の残党を一掃した同月である。


「お見事でした、皇甫左車騎(さしゃき)将軍。遂に黄巾賊を全て討ち取って、漢室に再び安寧(あんねい)の日々を取り戻したのです」


 すでに皇甫嵩は左車騎将軍に昇進する事が決定しており、昇進前にも拘わらず郭典(かくてん)は皇甫嵩を左車騎将軍と呼んだのだ。


 郭典の言葉に、普段から表情を変えない皇甫嵩も、さすがに口元が綻んだ様子だった。


「いえ、今日この日を迎える事が出来たのは一重に、盧中郎将が先端を切り開き、数多くの兵が漢の為に奮戦した。そのお陰です」


 皇甫嵩の言葉に、郭典も力強く頷いた。そして、表情を一変させた。


「それにしても残念でならないのが、あの董卓という西涼生まれの田舎者です。并州刺史の頃、羌族を相手に百戦練磨の強者だったと聞いてましたが、県城を前にして悪戯に時間を過ごすのみでした。 攻める為に囲塹(いざん)(城を囲む堀)を作ろうとした時も、董卓の強硬な反対に遭い断念せざるえを得なかった」


「郭太守、その件に関しても聞いてます。もちろん、貴方の奮戦で張宝に好き勝手を許さなかった事も。しかし、盧中将(廬植)の不可解な更迭の件といい、董中将(董卓)が動かなかった件といい、何か途轍(とてつ)もない陰謀が渦巻いている様に感じます」


 郭典は盧植の更迭や、董卓の怠惰について、関心を持って皇甫嵩の言葉に聞き入った。


「話は逸れますが、広宗県に向かう途中に立ち寄った(ごう)県で、不快な物が目に飛び込んで来た。以来、胸騒ぎというか……心の奥底で沸々と湧き上がってくる憤りを拭い切れないのです。それは朝廷に巣食う奸物である趙忠(ちょうちゅう)の邸宅……」


 趙忠といえば、同じく中常侍の地位にある張譲と共に宮廷内外で皇帝以上に権勢を振るっている宦官だ。


「あの邸宅はまるで宮殿でしょう。あれだけの建物を建設すのに、どれほどの民草の血税を搾り取ってきたのか」


 冀州では見物客が多く訪れるほど話題だったと、郭典も説明しながら呆れていた。


「乱の平定後には、色々と上書すべき案件がありますが、趙忠の邸宅もその内の一つです」


 皇甫嵩は上書するつもりの案件を、郭典に延々と語り始めた。


「皇甫将軍。貴方は高潔なだけでなく、真実を見極め未来を見通す力をも備えておられる。ぜひ、貴方に会わせたい人物がおります。信都(しんと)県(冀州安平国)の閻忠(えんちゅう)という者です。一度会っていただけませんか?」


「閻忠……」


「はい。彼自身も是非お会いしたいと。私が最後まで戦えたのは彼の助言があっての事。今後、何かと皇甫将軍のお役に立てるのではないかと」


 皇甫嵩は何故か気乗りしなかったが、断るのは失礼だと思い、閻忠に会う約束をした。


 翌日、下曲陽県の城下では朝から戦勝の宴に酔いしれていた。皇甫嵩も疲れを癒すつもりだったが、まずは閻忠に会って話を聞く事にした。


 実際、閻忠に会うと穏やかで好印象な男だった。


「……ですね。いやはや、飛ぶ鳥を落とす勢い、というのは皇甫将軍の事を言うのでしょうな。ハハハ」


 酒を酌み交わしながら二人は密室で話している。閻忠が人払いして欲しいと頼んだからだ。皇甫嵩が感じた胸騒ぎは、単なる徒労だったのかと思った。


「ただ一つ、私は皇甫将軍に聞きたい事がありまして。今、二度と得られない天機を貴方は得ました。私ならこの千載一遇の好機を有効に使いますがね。皇甫将軍、このままでは反乱を鎮圧した功のある将軍、というだけです」


「仰ってる意味がよくわかりませんが……」


 ここで皇甫嵩は初めて不可解な表情を見せた。閻忠は構わず話を続けた。


「天道は別け隔てなく民は優秀な指導者に従う、と昔から言います。将軍は、今春に(まさかり)(軍権)を授かり、初冬には全土の賊を鎮圧しました。軍を動かせば鬼神の如く、謀は深遠にて未来を見越す力に長け、嘗てない規模の大軍勢を打ち破り、雪に湯水が流れるかのように敵陣を飲み込みました。さらに、中原の七州を席巻し、賊を血祭りにすること数十万、その(むくろ)で塔を作り、石碑に名を刻み、遠く南方まで威名は鳴り響いております。これだけの偉業を成し遂げた貴方が、何故あの凡庸な君主に仕えるのですか。このままでは、いずれまた大規模な反乱や蜂起が起きるに違いありません。中原の安寧の為、立ち上がろうとは思いませんか?」


 閻忠の語気は荒く、皇甫嵩を圧倒するほどの勢いだった。


「昼夜を問わず公職に就き、忠義を貫き通す、そんな自分の信条に従っただけの事です。今回も漢室の社稷を護る為、民草の平安を齎す為に、兵士たちと共に戦ったのです。これ以上、私に何を為すべきだと」


 それでも閻忠の勢いは止まらない。


韓信(かんしん)高祖(劉邦)を超える権勢を誇るも、大将軍に抜擢された恩義を忘れず、素直に主従する道を選んだが、結局は高祖に処刑されました。 もはや天子の威光は高祖や項羽より弱く、将軍の権威は韓信を抜いています。今や風雷を巻き起すほどの権勢です。冀州の人士を集めて七州の軍勢を動かし、宦官を誅殺する為と大義名分を謳えば、女子供までもが貴方の為に集うでしょう。将軍の威名は、それほど鳴り響いています」


 さすがの皇甫嵩も息を呑んだ。閻忠の言わんとする所とはつまり……


「天下の人民は将軍に注目しております。これは天命なのです。天地を一つにまとめ、天子に代わって神命を引き継ぐのは将軍……貴方をおいて他はありませぬ。今、覚悟を決めねば、後々、必ず後悔する事になりますぞ」


 漢朝に対し反旗を翻し、皇甫嵩に今の皇帝と取って代われ……と、閻忠は暗に薦めているのだ。


 それに対し、皇甫嵩は毅然と答えた。


「若輩者の私が何を成し得るというのですか。黄巾賊は天下の大逆だが、秦や項羽の災禍に並ぶものではない……所詮は烏合の集。人々は漢朝の威光や恩恵を忘れず、天道には逆臣を助けるような輩に導きを示しません。貴殿の助言は、不逞(ふてい)の逆臣として晩節を汚し、梟雄(きょうゆう)として歴史に名を刻む(はかりごと)だ。漢朝に忠誠を尽くし、臣下の節義を守った男として歴史にこの名を刻むのが、私の望みです」


 閻忠は押し黙った。皇甫嵩の信念は揺るぎなく、それは変わらないと知ったからだ。


「ふふ、さすがは皇甫将軍。やはり私の見込んだ通りでした。軽々しく私の口車に乗るような方であれば、仕えるつもりはありませんでしたよ」


 誤魔化しで当座を凌ごうとする閻忠に、皇甫嵩は少し呆れた表情で言葉を返した。


「なるほど、私は試されたという訳ですか。ご冗談が過ぎる。正直言うと良い気分ではない」


 閻忠は即座に皇甫嵩の足元に平伏し、丁重な謝罪した。


「今になって度が過ぎていた事を深く反省しております。本当に申し訳御座いませんでした。繰り返し陳謝致します」


「私が不快に感じたのは貴方の言葉ではありません。盧中将の更迭に董中将の職務放棄、そして閻県令の私を誑かす佞言。果たしてこれは偶然なのでしょうか?」


 確信を突いた皇甫嵩の言葉だったが、閻忠はたじろぐ様子を見せなかった。むしろ異様なほど冷静である。


「はて、私が将軍を不快にさせた言葉の数々は、重ね重ねお詫び致しますが、正直、先ほど皇甫将軍の仰った疑念に関しては、質問の意図が判りかねます」


 皇甫嵩は、盧植の更迭と董卓の不始末に、閻忠の関わりを勘ぐったが、それ以上は追求しなかった。


 その後すぐ閻忠との会談は終わり、皇甫嵩は下曲陽の城下へと降りていった。


 数日後、閻忠は狂人を装って下曲陽から姿を消した。やはり皇甫嵩が感じた胸騒ぎや勘繰りは間違っていなかった。黄巾賊の反乱を裏で手助けしていた者が朝廷内にいたに違いない。


 その内通者の手引きを受けたのが閻忠なのであろう。皇甫嵩を誑かそうとしたが、彼の思惑通りにはならなかった。


「まさか、あの閻忠が。今になって思うと黄巾賊を足止めできたのも頷ける話です。閻忠の策略通りに全て事が運んだのですから」


 郭典も落胆の色を隠せない。未だ確たる証拠はないが、閻忠が下曲陽から消え去ったという事実がだけが虚しく二人の心に去来していた。

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