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三国志創生伝 ~砂塵の彼方に~  作者: 菊屋新之助
第一章  望門投止(ぼうもんとうし)
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第一話  李篤と毛欽

張倹ちょうけん、 張倹っ! おとなしく出てこいっ」


 とある邸宅の門前には数十名もの兵士が松明をかざしてしてざわついており、闇夜の門前を炎で赤く照らしながらにわかに殺気づいた。


李篤りとく、お前が党人とうじん張倹ちょうけんかくまっているのはわかっているのだぞ!」


 隊長のような男が大声で叫び、それに同調して兵士たちも声を張り上げる。するとゆっくり門が開いていき、闇夜の中から李篤と思わしき人物が物怖じする事なく現れた。


「貴方でしたか。久しぶりですな、毛県令もうけんれい。何を騒いでおるのですか」


「しらばっくれおって。今から貴様のやしきくまなく調べるぞ!」


「ふふ、鼻息が荒いですなぁ……。何があったか知らないが、久しぶりに会ったのだから少し中で話しませんか?」


 毛欽もうきんは少し李篤の顔を睨みつけてから、サッと力強く右手拳を顔の高さに掲げて、背後でどよめく兵士達に向けて合図を送った。


 東莱郡とうらいぐん黄県こうけんれい(知事)である毛欽は、直々に兵を率いて李篤の邸宅へとやってきたのだ。


 兵士に向かって振り向きもせずに送った合図だが、両足を一斉に揃えるザッという音と共に、兵士一同が直立不動となり彫像の如くピクリとも動かなくなった。


「お前達はここで少し待っていろ。すぐに戻る。それまでは何があっても動くな」


 兵たちを外に置いて、ただ一人毛欽だけが李篤の屋敷へと入って行く。質素な屋敷の中は薄暗うすぐらかったが、燭台しょくだいともされた蝋燭ろうそくが煌々《こうこう》と輝いてた。


 毛欽は怒気を発していた先ほどの態度を一転して改め、深く静かに息を吐いて語り始めた。


「用件はすでに伝えたであろう。貴方とは旧知の仲だ。手荒な真似はしたくない……」


「私は、元節げんせつどのを天下の義士だと思っています。今、彼は無実の被りそれを晴らそうと逃げ延び生き長らえているのです。もしも仮に、私が彼を匿っているとしたら、貴方は彼を如何するつもりでしょうか?」


 元節……とは、毛欽が必死になって探している張倹という男の「あざな」である。当時の中国では成人すると「あざな」を各人が名乗り、「名」を他人から呼び捨てにされる事を嫌った。


 名指しで「名」を呼ぶのは、自分の親、師匠、そして自分と敵対する者ぐらいであり、「名」を呼ぶのは、相手を侮辱しているのと同等である。だから人々はみな「あざな」で呼び合った。


「君にだから言うのだが、実は、私も……君と同じ気持ちなのだ。部下の手前だから悪態をついたが、どうすればいいのか自分でもわからん……」


 知っていたよ、とでも言いたげな微笑を見せたあと、李篤は小さく頷いた。


「私は、自分の心に、そして道理に……遵って行動したいと、いつも思っています」


 薄暗い蝋燭の光に照らされた二人の間に、少しだけ沈黙が漂った。そして静寂を破って毛欽が口を開いた。


「君も蘧伯玉きょはくぎょくは知っておろう。孔子も尊敬したというほどの賢人だ。彼は大義を世に知らしめる偉大な功績を残したにも関わらず、自分だけ聖人のように扱われるのを恥とした。今、君は危険をかえりみずたった一人でその仁義を貫き通そうとしている……」


 李篤の表情は相変わらず優しいままであった。死を恐れる様子など微塵も感じられない。


「だからこそ今日は、この仁義を貴方と二人で分かち合おうと思っているのですよ。そして、貴方にはすでにその半分を担って頂いております」


 李篤の表情を見た毛欽は少しだけ微笑むと、目線を下に落として悲しげに肩をすくめ、そのまま兵士たちが待つ門前まで戻っていった。


 門前を出ると兵士たちに「誰もいなかった」と一言だけ告げ、彼らを引き連れて静かに李篤の邸宅の前から去っていったのである。


 この挿話そうわを最後に、李篤と毛欽の二人は歴史の闇へと消え去っていった……


 同じ頃、漆黒の闇夜に灯る月明かりを頼りに、草むらの間を静かに小走りする数名の一団があった。事前に李篤から逃亡する事を促されていた張倹の一家である。


「まさか、黄県の令(県長官)が直々に私を捕らえに来るとは。このまま皆と一緒にいるとすぐに見つかってしまう。これからは別々に逃げるしかない。今生の別れになるかもしれんな……」


 その言葉を聞いた若者が、ぶわっと涙を流した。その若者は張倹に似た顔つきだが、まだ幼い泣き顔にあどけなさが残る。


「父上、死ぬのであれば一緒にお供します…。私も天上の母上の元に一緒に逝かせて下さい」


「馬鹿を言うな!こんな不法な、こんな理不尽な、こんな出鱈目でたらめな裁きで、我が一族を滅ぼされてたまるか! 連綿れんめんと続いてきた由緒ある趙王ちょうおうの血筋なのだぞ。れん、お前たちもなんとか生き延びるんだ。仲節ちゅうせつよ、廉を頼んだぞ」


 息子の廉は長男だが「(あざな)」を名乗れる年齢には達していない、つまりまだ成人ではないという事だ。


 もう一人の(あざな)で呼ばれた「仲節」という男は張倹と年の近い弟で、その容姿と顔つきはよく似ている。


 張倹はありったけの金銭を入れたのであろう大きな革袋を、弟の仲節と息子の廉にそれぞれ手渡した。


「兄上。兄上はどうされるのですか?」


「私は中原(ちゅうげん)(中華の中心地)に残り、まだ果たさなければならぬ事がある。お前たちは江南(こうなん)に逃れるがよい。またいつか、会おう。廉よ、仲節よ、皆の者よ……」


「ううっ、東部とうぶ(張倹の官位。山陽さんよう郡の東部督郵とうぶとくゆう)さま。しばししの間、お別れ致します」


 召使いたちは張倹に挨拶を済ませると仲節と廉と共に、別の道を急いで走り去っていった。


「息子よ、逞しく生き抜いてくれ。仲節よ、息子を頼んだぞ。それにしても、侯覧こうらんめ。この恨みを晴らすまでは絶対に死ねぬ!」


 張倹の潜伏していた山東半島の一帯は、漢の時代から東莱とうらい郡となり、黄県は東莱郡の北西に位置する小都市であった。


 ここに潜んでいれば見つからないと思っていたが、それは大きな間違いだった。

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