2026年9月10日
# ふたり日和
## 2026年9月10日
「……暑い」
朝。
教室に入って最初にそう言ったのは、ありさだった。
ブロンドのショートヘアーを揺らしながら自分の席まで歩いてくると、鞄を机の横に置く。
そして、そのまま椅子に座った。
「九月だよ?」
向かいの席から、ゆいが言った。
黒髪を整えながら、いつものように落ち着いた様子で教科書を机の中へしまっている。
「知ってる」
「じゃあ、なんでそんなに暑がってるの?」
「九月なのに暑いからだよ」
「……それ、さっきから何の解決にもなってないよ」
「だって暑いんだもん」
ありさは机に突っ伏した。
「九月って聞いたら、もっとこう……涼しい風が吹いて、ちょっと寂しくなって、秋だなぁって感じになると思ってた」
「どんな九月を想像してたの?」
「なんか、こう……」
ありさは顔だけを上げた。
「風がサーッて吹いて」
両手を横に広げる。
「落ち葉がヒラヒラ~ってして」
手をひらひらさせる。
「私が窓の外を見ながら『秋だね……』って言うの」
「ありさが?」
「うん」
「似合わない」
「ひどい!」
ゆいが小さく笑った。
その笑いを見て、ありさも笑う。
「でもさ」
ありさは窓の外を見る。
青い空。
まだまだ夏の名残が残っている。
「こういうのも嫌いじゃないけどね」
「どっちなの?」
「暑いのは嫌い」
「うん」
「夏っぽいのは好き」
「なるほど。面倒くさい」
「ゆいまで!」
二人で笑った。
そのとき、教室の前の扉が開いた。
担任の先生が入ってくる。
「はい、席ついてー。朝のホームルーム始めるぞ」
「ほら、ありさ」
「分かってるって」
ありさは慌てて椅子に座り直した。
先生が黒板の前に立つ。
「今日は連絡が一つある」
教室が少し静かになる。
「来週、体育の授業で体力測定をするから、忘れ物のないように」
「体力測定……」
ありさが小さくつぶやいた。
ゆいが横を見る。
「嫌なの?」
「いや」
ありさは真剣な顔をした。
「これは勝負だよ」
「誰と?」
「去年の私」
「去年の自分と?」
「そう」
ありさは拳を握った。
「去年より成長した私を見せる!」
「去年も同じこと言ってなかった?」
「……」
「言ってたよね」
「覚えてない」
「私は覚えてる」
「じゃあ去年のゆいに聞いて」
「去年も私だけど」
「じゃあ聞いてみて」
「話をややこしくしないで」
ホームルームが終わり、一時間目の授業が始まった。
午前中の授業は、いつも通りに過ぎていった。
ありさはノートを取りながら、時々窓の外を見た。
そして休み時間になるたびに、ゆいに話しかける。
「ねえ、今日のお昼何?」
「お弁当」
「それは知ってる」
「じゃあ聞かないでよ」
「ゆいのお弁当って毎日おいしそうじゃん」
「ありさのも普通においしそうだけど」
「交換する?」
「嫌」
即答だった。
「まだ中身も見てないのに!」
「昨日も同じこと言ってたから」
「昨日は昨日!」
「昨日も今日も同じこと言ってるから信用できない」
「じゃあ今日は本当に交換しない」
「うん」
「絶対に」
「うん」
「……一口だけ」
「やっぱり交換する気じゃん」
昼休み。
二人はいつものように並んでお弁当を広げた。
ありさのお弁当には卵焼きが入っている。
ゆいのお弁当にも卵焼きが入っている。
ありさはそれを見比べた。
「……」
「何?」
「ゆいの卵焼き、ちょっと大きくない?」
「同じくらいでしょ」
「いや、絶対こっちのほうが大きい」
「そんなに変わらないよ」
「じゃあ交換しよう」
「なんで?」
「公平に」
「何が?」
「卵焼きの公平」
ゆいは少し考えた。
そして、自分の卵焼きを見た。
「……まあ、一個くらいなら」
「やった!」
ありさが嬉しそうに自分の卵焼きを差し出す。
二人はそれぞれ卵焼きを交換した。
ありさがゆいの卵焼きを一口食べる。
「おいしい!」
「そう?」
「うん。甘い!」
「ありさのは?」
ゆいも一口食べる。
「……」
「どう?」
「おいしい」
「でしょ?」
「でも」
ゆいは少しだけ笑った。
「ありさの卵焼き、ちょっと塩辛い」
「えっ」
「味濃い」
「うそ」
「本当」
ありさも自分の卵焼きをもう一度食べる。
「……」
「どう?」
「……」
「ありさ?」
「ちょっと濃いかも」
「でしょ」
「でも、ご飯には合う!」
「それならいいじゃん」
「うん!」
ありさは満足そうにご飯を食べ始めた。
そんな二人を見ていたクラスメイトが、
「二人っていつも楽しそうだよね」
と声をかけてきた。
ありさは顔を上げる。
「そう?」
「うん。朝からずっと喋ってるし」
「だってゆいが面白いから」
「私?」
ゆいが驚く。
「そう!」
「ありさのほうがよっぽど面白いと思うけど」
「え?」
「だって毎日何か起こすじゃん」
「それって褒めてる?」
「……半分くらい」
「半分かぁ」
ありさは笑った。
午後の授業が終わる。
ホームルームも終わる。
教室に残っていた生徒たちが少しずつ帰り始める中、ありさは鞄を持ち上げた。
「ゆい、帰ろ」
「うん」
二人で教室を出る。
廊下を歩き、階段を下りる。
昇降口で靴を履き替えると、外から少し暖かい風が入ってきた。
ありさが空を見上げる。
「まだ暑いね」
「朝からずっと言ってるね、それ」
「だって暑いもん」
「はいはい」
二人は校門を出た。
少し歩いたところで、ありさが突然立ち止まる。
「ねえ、ゆい」
「なに?」
「コンビニ寄っていい?」
「また?」
「今日は暑いから」
「暑いのとコンビニに何の関係があるの?」
「アイス」
「……」
「お願い!」
ありさが両手を合わせる。
ゆいはため息をついた。
「一個だけね」
「やった!」
「走らないでよ」
「分かってる!」
ありさは駆け出した。
「走らないでって言ったでしょ!」
「分かってるってー!」
ゆいは慌てて追いかける。
校門から少し離れた道に、二人の声が響いた。
九月になっても、まだ夏の暑さは残っている。
でも。
そんなことも、二人にとっては今日一日の出来事の一つにすぎない。
そして明日もきっと、何かくだらないことで笑っている。
そんな気がした。




