012-2 ゼーラーン将軍
部屋の中では、エディシュが両手で蓋を押さえ込み、古びたチェストをぎしりと鳴らしながら閉めていた。木板の継ぎ目からこぼれる埃混じりの匂いが立ちのぼり、蝋燭の甘い煙と絡み合って、薄く白い層となって漂う。
炎は細い舌を震わせるように揺らめき、ぱちりと爆ぜる音が、静まり返った空気を小さく撫でた。
長い沈黙を割るように、シルヴァは胸の奥を探り、ようやくすくい上げた言葉を唇にのせる。
「実はディランのことで。今回、エル・カルドに同行してくれるよう、親父から手紙が来ているかと……」
ゼーラーン将軍は背もたれに重みを預け、ゆったりと腕を組んだ。革張りの椅子が呻くように軋み、室内の空気が押し広げられる。
「いいんじゃないか? 本人さえ良ければ」
「それが、どうなのかと思って。俺は、来ない方がいいんじゃないかって……」
シルヴァの膝の上で指が絡み合い、やがて拳となって強く握りしめられる。白く浮き上がった節が、ためらいと焦燥を物語っていた。
「どうやら、親父たちは聖剣の行方を聞きたいらしくて。あ、別にフォローゼルにあるものを取ってこいとかいう話ではないんですけど」
「セクア殿が持っていた聖剣か? 行方不明になっていると聞いているが……。もしかして、ローダインが隠していると思われているのかな?」
将軍の目が、鋼のような強い光を帯びる。
「だが、それはディランに聞いてもわからないかもしれないな。セクア殿が亡くなった時、彼は親元を離れて――儂の家にいた。大陸ではな、十二になれば子を帝都に送り、優れた師や親類に預けるのが慣わしだ。だからあの時、彼は何も知らなかったはずだ」
シルヴァは大きくうなずき、唇をかすかに噛んだ。
「聖剣の話になると、どうしても両親の話になるし、他人がおいそれと立ち入るような事じゃないと思って……。たとえ、血のつながった身内だったとしても」
将軍の頬が和らぎ、目尻にかすかな皺が寄った。膝の上に乗せていた小さな子供が、こうして逞しく言葉を返す姿に、懐かしさが混じった笑みを浮かべる。
「う〜ん。盗まれたっていう可能性もあるしな。やっぱり本人に聞いてもわからないかな」
シルヴァが思案に沈むと、控えめなノックが扉を揺らした。蝶番が軋み、コンラッドが姿を現す。部屋に漂う緊張を感じ取ったのか、腕を組んだまま向かい合う二人を見て、首をかしげる。
「どうしたんだい、シルヴァ? 難しい顔をして」
「いや、ちょっと」
口ごもるシルヴァを横目に、将軍は深く息を吐き出した。
「ディランは、エル・カルドへ行くかどうかと話していてな」
「行くんじゃないですか? さっき丁度、そんな話になって……」
コンラッドは床石に靴音を響かせ、部屋の中央へと歩み出る。その話にシルヴァは困惑を隠せず、視線を泳がせた。
「本当か?」
「ああ、七聖家から呼ばれているとか言ってたけど……。すぐ来ると思うから、本人に聞いたらどうだい?」
シルヴァの表情がたちまち曇る。
「ええ……。聞いて大丈夫かな。怒られないかな」
エディシュは畳んでいた服を手に取り、ぱたんと揃え、チェストにしまいながらシルヴァに向き直った。
「何いってんの。そんなこと聞いたぐらいで怒りゃしないわよ」
「そんなことないだろ。俺、いっつも怒鳴られてるぞ」
エディシュはすっと近寄り、鋭く指先をシルヴァの鼻先に突きつけた。
「それは、あんたが怒られるような事するからでしょ。いきなり『髪を切ってやろうか』とか」
シルヴァは慌てて首を振る。
「あの時はエル・カルド人には『戦士の証』は関係無いと思ったんだよ」
「妙なもの飲ませようとしたり――」
エディシュの迫力に、シルヴァはがっしりとした体を縮めた。
「疲れたって言うから、うちの秘伝の飲み物を……」
エディシュは腕を組み、鼻を鳴らす。
「お陰で飲み食いするものをやたら警戒するようになっちゃったんだけど」
「俺は、調理場を出禁になった」
「出禁に比べたら、聞くぐらいどうってことないでしょ」
軽口が交わされていると、再びノックの音がして、外から低い声が入室の許しを求める。コンラッドが扉を開き、招き入れると、そこにはディランが立っていた。
「おお、来たか」
ゼーラーン将軍は手を上げて呼び寄せ、ディランはためらいなくシルヴァの隣に立った。
「遅くなりました。御用は?」
「お前、エル・カルドからの招待はどうするつもりだ?」
将軍はシルヴァの逡巡など意に介さず、あっさりと本題を切り出した。
「行くことにしました。シルヴァ、返事が遅くなって悪かった」
「いや、それはいいんだけど。本当にいいのか? 無理しなくてもいいんだぞ」
「別に、無理はしていない。面倒だとは思ったけどな」
「面倒だと思ったら行かなくてもいいんだぞ」
「来て欲しいのか、来て欲しくないのか、どっちなんだ。あれこれ詮索されることを心配しているなら大丈夫だ。知らんことは知らん」
ディランは冷ややかに言い放ち、そっぽを向いた。その横顔に影が落ちる。将軍は満足げにうなずき、コンラッドとディランを側へと呼び寄せた。
「お前たち二人は〈聖剣の儀〉が終わったらアルドリック陛下の所へ来るようにと、直々のお達しだ。いいな」
陛下直々の名を聞いた途端、二人の表情に硬さが走り、視線が逸れる。
「二人とも、そんな顔をするな。……まあ、気持ちはわからんでもないが」
将軍は肩をすくめ、口元をゆるめた。
「あ、ちょっと待って。トーマはどうするの? あたしたちが、みんなエル・カルドへ行ったら、あの子一人ぼっちになっちゃう」
シルヴァは、笑みを浮かべてエディシュに答えた。
「連れてくればいいじゃないか。数人増えたところで、どうってことない。なんなら、うちに泊まればいいんだし」
「そっか、シルヴァの家があるんだ」
「心配しなくても大丈夫だよ。トーマは、もともと行く人数に入れている」
コンラッドは優しく微笑んだ。
その時、扉を叩く音が再び響き、一人の武官が顔をのぞかせた。
「用意が出来ましたが」
一瞬、場に張りつめていた空気がふっと緩む。
「さあ、それではそろそろ行こうか」
ゼーラーン将軍は立ち上がり、重々しい声で皆に部屋を出るよう促した。
「え? どこに?」
「ここでの夜は今日で最後だ。ささやかだが宴の席を設けている。シルヴァ、君も来なさい」




