第十七話:対決
ドッペルゲンガ―という言葉がある。鏡のように全く同一である自分を幻視してしまう現象のことだ。どうしてそんな知識が自分の中にあるのかは知らないが、不意にその言葉を思い出した。
僕が彼と出会うのは二度目だった。いや、初めてというべきか。あの時は、真っ暗で何も見えなかったし、あれを出会いと言うのは憚られた。
だから、初めて。初めて僕は、『僕であったもの』と対峙した。
何度この場面を夢想しただろう。別たれた自分自身と対面することを。
その時の僕はどんな顔をして。
相手はどんな顔をして。
僕は何を想い。
彼は何を想い。
どちらが口を開くのか。
放たれる言葉は何なのか。
そんなくだらない空想を抱いていた。彼と会って、何か特別な感情が沸き起こるのだろうとか、いったいどんな話をすることになるのだろうとか。
僕は相手がどんな人物か知った上で、それでもどこかで期待してしまっていたのだ。
元は一人の人間、わかりあえるだろうなんて、思っていたのだ。
グラムの首を刈るような刃が空を切る。のけ反ったから体を反動にして、空間を詰めるように一歩を踏み出し切りこむ。焼き増しのような斬撃は、しかし空振りし、グラムはさらに二歩三歩と間合いを空ける。
一瞬の攻防。腕は緊張に震え、心臓が早鐘を打つ。額を気持ちの悪い汗がこぼれる。体は蒸気を上げ手もおかしくないくらいにかのように熱い。グラムの打ち込みは軽々と振るわれているように見えて、重く、柄を握る手をしびれさせる。少しでも気を抜けば、剣はあっけなく僕の手から弾き飛ばされるだろう。
呼吸を乱した僕に対し、グラムは涼しげだ。無表情と言っていい。
ただ、その体を、黒い靄が覆っていた。他の人には見えない、感情の色。それが、まるで実体があるかのように濃く、グラムの体を覆っている。
それは、殺意。相手を殺すという、圧倒的なまでの殺意。相対しているだけで膝が震えてくる殺意。
会話なんてある筈もなかった。グラムは一目見て僕がだれかを理解し、僕は彼がどうするかを理解した。それが今の攻防である。
グラムの口がおもむろに開く。
「グラム!」
が、声を発したのはでなく。
僕の横合いから飛びだし、大上段に大剣を振りかぶるヘイルだった。
ヘイルは飛び込むと同時に必殺の一撃を振りおろした。
ヘイルの大上段からの一撃。それがどれだけの威力を持つのか、僕はこの目で見ている。それは、文字通り相手を一刀両断する一撃だ。例えグラムと言えど、まともに受け止めてしまえば防いだ刃ごと、鎧も一緒に砕かれるだろう。
そのヘイルと、グラムの間に何かが割って入った。
打ち合いの次元を超えた音が鼓膜を震わせる。残響が鳴り響き、糸を引くように消えていく。
「すげえ打ち込みだな。あんたがヘイル皇子か。成程、噂にたがわぬ一振りだ」そいつは口笛を吹いて、不敵に頬を釣り上げた。
片刃の大剣。幅はヘイルのと同じほど、刀身は尚長い。ヘイルより頭一つ背の高いそいつは、自分の身の丈とさほど変わらない大剣で以て、ヘイルの一撃を受け切っていた。
「俺はラキ。トロール殺しのラキだ」ラキと名乗る巨漢がヘイルの剣を受けたまま大剣を横に薙ぐ。ヘイルは剣ごと弾かれて後退した。その顔には明らかに驚きの色が混じっている。
「万事休す、って言うのかね、こういうの」ガウェインがため息をつくように呟く。
前には巨人兵、後ろにはグラムとラキ。僕らは部屋の中心で、退路を断たれていた。
「お怪我はありませんか、陛下」ラキはふざけた口調をやめると、玉座に控えるアングマル王に尋ねた。
「見ての通りだ。私は息災だが、貴重な兵を失った」王は哀れんだような声を上げたが、相変わらず笑っているような含みがある。恐らく未だ不敵な笑みを浮かべているだろうことは容易に想像できた。ラキも不思議に思ったらしく、眉根を潜めたが、それについては触れようとしなかった。
「ご安心ください。この場は私たちが。陛下はお逃げください」その言葉に、僕ら全員が身構える。その口ぶりからして、どうやら僕らが入ってきた以外に出口があるらしい。ここで逃げられたら厄介だ。それどころか、増援を呼ばれたらそれこそふくろのねずみになってしまう。
しかし、王の発言は僕らを更に驚かせた。
「いや、私は逃げぬ」
「は?」予想外の答えだったらしく、ラキは聞き返していた。
「陛下、ここは我々に任せて、増援を呼んでいただきたい」グラムが目線を僕らから離さず言う。
「なぜ私が逃げ回らなければならぬ。敵はたかだか五人ぞ」王は変わらず動こうとしないらしい。が、見る事は出来ない。グラムの視線が、そんな余裕を与えてくれない。
「し、しかし……。」食い下がるラキを、王は片手を振って遮った。
「それに、ここには貴公らがおるではないか。まさか、万の軍勢をも恐れぬ貴公らが、五人の敵に恐れをなすというのか」
「陛下」
「二度言わすな、グラム。私を失望させてくれるな」それは、有無を言わさぬ口調だった。
予期せぬ展開に戸惑いを隠せない。
が、チャンスだ。王が慢心している今なら、増援を呼ばれる心配はない。安心、とまではいけないが、目の前の相手に集中できる。
「ヘイルはあのラキとかいうやつを頼む」小声で傍らのヘイルに言う。
「何?貴様、私に指図するつもり……」
「まぁまぁ。あんたのほかにあんな奴相手にできる人はいないのよ」ガウェインが割り込む。
「で、お前がグラムとなると……。俺はデカブツを相手にせにゃならんわけよね」
「すまない」
「いいっていいって。ここまで付いてきた時点で貧乏くじ引いているのはわかってるよ。でも、貸し一つだぞ」と、軽い調子で言って短剣を構える。
「ヘイル……」
「わかった。貸し一つだ」ヘイルは唸るように答えると、剣を構えなおした。後ろでガウェインが小さく笑った。
「クリスとマリアさんは援護を」二人は素直に頷いてくれた。その表情は強張っている。
当然だ。ただ僕の旅についてきてくれただけだというのに、気付けばこんなところで戦争を左右する状況に立たされている。
「イェリシェン」名前を呼ばれて、顔を上げる。知らないうちに、俯いてしまっていた。
クリスが僕を見ていた。
「私たちは大丈夫。だから、
「頑張って」
「おい、やっこさんやる気になっちまったぞ」ラキが言う。
「お前は皇子をやれ」
「あんたがやらなくていいのか?因縁の相手だろ、そもそもあいつのせいで長い時間かけてここまで戻ってきたんだし」ラキは驚いて声を上げる。
「別に。いつでも倒せる相手だ。それよりも」目線をヘイルから、もう一人へと移す。自分と瓜二つ、いや同一の人物へと。」
ラキがため息をつく。
「一体どうなってんだ?あんたは自分そっくりな奴にご執心だし、陛下はなんか変だし」
「……悩むのは後にしろ。油断してかかると首が飛ぶぞ」
「誰に言ってんだ。それよりいいのかよ。エレナちゃん、ついてきてるぞ」ラキがあごで後ろを指す。
「構わん」俺は振り返らなかった。
「構わん、ってあんた。危ないっていうか、見せていいのか。仮にも殺し合いだぜ?」
「アングマルの将とは思えない発言だな」
「でも、あの子はアングマル生まれじゃない、だろう?言わなくてもわかるぜ」
「別に初めてというわけでもない」
「あっそう。でもよ。あんまり見せるべきじゃないと思うぜ。大切だと思うなら、尚更」大事にするべきだ、と巨漢がこぼす。
「似合わないセリフだな」ハッと声を上げてラキが笑う。
「そのセリフ、そっくりそのまま返すぜ」ラキはそれで会話を切ると、クビカリを肩に担いだ。
「じゃあ、ちょっくら相手してもらおうか、おうじさまぁ!」そして突然飛び出していった。俺も並んで駆けだす。
確かに、王の様子はおかしい。あの近衛兵も、俺が謁見した時にはいなかった。こうしている今も、謎めいた笑みを浮かべて、玉座に足を組んで座っている。俺が知っているあいつは、あんな事をしなかった。少なくとも、玉座に足を組んで座るなんて真似はしなかったはずだが。
俺自身の分身は、俺と同時に飛びだしていた。
髪。瞳。顔。背丈。体つき。全てが俺と同一の存在。俺から分けられた、俺の残滓。
後ろで剣戟の音が響く。時々床や壁を砕くような音が聞こえるのは、ヘイルの方だろう。イェリシェンの方からは、前の打ち合いの残響が消える前に新たな打ち合いの音が重なり続けている。
「まったく、どいつもこいつも……ここは化物の見本市かよ」呟きながら横に大きく避ける。自分が立っていた場所にハルバードが突きささり、石造りの床があっさりと砕け散る。破片が視界に入るのを無視して、懐に文字通り飛び込む。
狙うは足首。さっきの戦いで、その部分が薄いのは証明済み。
と。その狙う足首が視界から消える。
足首だけでない。巨人は懐に入られると、その巨体には似つかわしくない跳躍力で飛び上ったのだ。
「な……!」思わず声を上げている間に、巨兵は俺の反対側に着地した。軽やかな跳躍に対して着地は重々しく、凄まじい重低音と震動が部屋を揺らす。
「のわ!」思わずバランスを崩す。やばい、この隙を突かれたら……!
体勢を立て直すと、素早く身構える。それでも十分付け入るすきを与えてしまっていた。
が、巨人兵は攻撃してこなかった。ただ着地した姿勢のまま屈みこんでいる。
不審に思っていると、巨人兵が体を起こした。
その手には、もう一対のハルバード。死んだ巨人兵の物だ。
巨兵は今や形見となったハルバードを左手に、右手に自身のハルバードを持って諸手を振りかぶる。
「おいおい嘘だろ!」右か、左か?前か後ろか?どこに避ければいい?
俺の答えなど待たずに、巨兵は両サイドから凶刃を振るった。
鋼が弧を描いて袈裟がけに切りつけられる。それを真っ向から受けるでなく、刃を滑らせるようにいなすと、返す刃で相手の胴を薙ぐ。が、トロール殺しのラキは焦ることなく剣を素早く引き戻させて何なく受け、反撃に頭上から大剣を振り下ろした。
「くっ……!」かろうじて受け止める。が、衝撃までは殺せず、上げた腕がグンと下がり兜の外れたむき出しの頭に触れそうになる。
「どうしたどうしたぁ!そんくらいの威勢で王さま殺すつもりだったのかよ!」ラキは薄ら笑いを浮かべながら、両腕にさらに力を込める。受け止める刃は重みを増し、更に下へと下がる。首を反らして何とか耐えるも、このままでは力でねじ伏せられてしまう。
「このままつぶしてやるよ」
ラキが押しつぶすように体重をかける。重みはさらに増し、ついに膝が折れる。
瞬間、床を蹴る。前にでも後ろにでもなく、体を回転させるために。
「何!?」ラキの大剣は私の支えを失って床にたたきつけられる。ラキの体に密着しながら回転し、後ろを取る。
回転の勢いを生かしてラキの背中に切りつける。鋼を打ちつける重い音がした。
しかし、鎧はただ切れ目をつけただけで叩き斬ることはできず。
私は踏み込みの足に鋭い痛みを感じてよろめいた。
その隙を突いてラキが大剣を後ろ手に薙ぐ。それを剣で受けるも、踏ん張ろうとした足に激痛が走り、勢いを殺せずに弾かれ、さらに二歩、三歩とよろめく。
「あぶねぇあぶねぇ。今のは死んだと思ったぜ。てっきり力押しだけの筋肉バカかと思ったが、意外と技巧派なのな」ラキが軽口をたたきながら向きなおる。刃が届いていたら間違いなく絶命していたというのに、笑みを崩さない。
大剣を正眼に構える。対するラキは相変わらず肩に担ぐという、構えとはとても呼べない体勢を取る。
「それとも、技で補わなければならないほどに深刻なのかい?あんたの足」
「……!」
「気付かれないとでも思ってたか?生憎、それくらい気付かないようじゃアングマルの将は務まらなねえよ。大方グラムじゃなれば勝てると踏んだんだろうが、」ちらとグラムと斬り合うイェリシェンを横目で指す。
「そいつも勘違いだ。全力でも俺に届くと思うなよ!?」大剣を肩に担いだまま振りかぶる。
あの構えから来るのは振り下ろしのみ。奴の全力を込めた一撃は脅威だが、何処から来るか分かっていれば避けるのは容易い。寧ろかわせさえすれば、その隙をつける。
と、突然ラキが背中を向ける。それが何を意味するか頭が理解するより早く体が反応する。
咄嗟に右に構えた刹那、回転して勢いを増したラキの横薙ぎが見舞われる。不完全な防御では押さえきれず、踏ん張りの効かない体は宙に浮き、一メートルほど真横に弾き飛ばされて壁にぶつかる。
「がは!」ぶつかった肩から全身にだるさをもたらす痛みが広がる。
「ピよってる暇はねぇぞ!」 間髪いれずラキの大剣が振り下ろされる。
「っああ!」斬りあげで応戦する。崩れた姿勢では当然力負けするも、逆に弾かれた勢いを利用して間合いを取る。
守りに徹していてはやられる。そのまま下がらずに、むしろ前に出て迎え撃つ。居をつく動きのつもりだったが、ラキは動きを読んで既に大剣を振りかぶっていた。
再度鋼がぶつかり合う。今度は互いの刃が弾かれる。
構わず次の一撃を繰り出す。ラキも一歩も引かずに打ち合いに乗ってきた。
「いいねいいねぇ!そうこなくっちゃ!だらだら避けるのはやっぱちがうよなぁ!」ラキは吠えるように声を荒げて、次々と斬撃を放つ。それは一つ一つが必殺の威力を秘めていて、とてもじゃないがいなせるような攻撃じゃない。自然互いに全力の一撃を放ちあうようになる。
鋼が空気を震わせる。火花が目を焼く。ぶつかり合う刃からはどちらのか知れず、小さな破片が飛び散る。
「あんた最高だ!こんなに楽しいのは久しぶりだ!」ラキが獰猛な笑みを顔全体に浮かべて笑う。こっちは笑う暇などなかった。
打ち込みの度に右足に激痛が走る。先程くじいたような痛みは既に熱を持って燃え上がるようだ。感覚さえ鈍くなり、ただ「痛い」という信号だけを送ってくる。
「おらぁ!」ラキが全力で大剣を振り下ろす。左右対称の動きでこちらも打ちおろす。
鋼が弾きあう。右足から電撃が頭の先まで駆け抜ける。ラキは既に地面を削りながら斬りあげてくる。
電流が走り続ける右足で踏み込む。
躊躇いなく、迷いなく、加減なく。
先の見えている戦いだ。ラキとはほぼ互角に近い。あいつの言う通り、万全であっても互角の勝負になる相手だ。
なら、終わりは決まっている。俺が右足の痛みに耐えかねて緩んだ瞬間、大剣ごと斬られるだけだ。これは、ただその決定的な瞬間を先延ばしにしているだけだ。
それでも。
「はああああああああああああぁぁ!」次なる一撃を放つ。ただ刹那の、決定的な時間を先延ばしにするために。
それでも、この状況を打開する事があるとすれば。それは、仲間たちが勝利し、加勢してくれる事でのみ起こり得る事。
私は戦場になど行ったこともないが、実際こんなところなのだろうと思った。
絶え間ない斬撃の音。砕け散る地面。汗に交じって漂う鉄の臭いは血か。
それに、あいてをころそうという、圧倒的な殺意。
今まで囚われた事もあるし、殺されそうになった事もある。
でも、ここまで絶望的なのは初めてだ。
あの強い三人が苦戦している。どころか、押されている。それが、戦いなど何もわからない私にもわかる。
ヘイル皇子様は多分右足を痛めている。
ガウェインさんは破片で顔をたくさん切って、たまたま当たった大きな破片が眉の上を深くえぐっている。
イェリシェンさんの手からは、血が絶え間なくぽたぽた垂れている。
皆、怪我している。なのに、私は何もできない。癒す事だけが取り柄の私は、ただ何もできずにこの場に立ち尽くしているだけ。皆の無事を祈るだけ。
だって、助けられない。今、かれらの傷をいやしている暇はない。そんな事をしている間にやられてしまう。
不甲斐ない。情けない。ただ、こうして皆が傷を負うのを見ているしかできない。
「泣かないで、マリア」クリスの言葉に、はっと顔を上げる。いつの間にか私は俯いて、そして泣いていたのだ。
「泣かないで、マリア」クリスがまた口にする。
「でも……!」言いかけて、気付く。弓を握るクリスの指は、血を失って白くなっている。クリスの女性らしいほっそりした肩が、小刻みに震えている。
クリスの矢はあの巨人兵の鎧を貫く事は出来ない。王は挙兵に遮られてねらえないし、他の二人は近すぎて当たってしまう可能性がある。邪魔になるか、逆に巻き込まれるから、ここから動く事も出来ない。
私たち二人は部屋の真ん中で立ちつくすしかない。
それでも、クリスは私と違った。
「耐えて。あなたがいるから、皆全力で戦えるのよ」小さな肩を震わせて、私と同じ女の子は、同じ苦しみを味わいながら私を励ましてくれていた。
視界で光が弾ける。それはどの火花だったか。次の火花が前のと重なり合う。それは数を増して大きくなり、次第と花の形をなす。
今の一撃はどうやって放たれた?僕はどうやってそれを防いだ?
答えが出る前に次の一撃が放たれ、かと思うと二太刀目が眼球めがけて突き出されている。
それらを意識せずに全て打ち払う。同時に三度もの斬撃を放つ。僕の目には同時に放たれたかのように見えたそれを、グラムは事もなくかわす。
「……どういう事だ?」鍔迫り合いになったグラムが、初めて僕に話しかける。額を擦り合う距離で、殺意しかなかった彼に疑念が浮かび上がっているのが表情でわかる。
「何の事かわからないな?」全く息を乱す事のないグラムに対し、僕はもう肩で息をしていた。肺が締め付けられるようだ。腕も痺れる上に手が痛い。柄頭を伝って垂れる血が絨毯にしみを作る。柄は既に朱に染まり、ぬるぬるとして気持ち悪い。
それでも、ついていけてる。あの、死神と恐れられたアングマルの将軍に、互角の戦いを繰り広げている。かつてグラムを内に秘めていたあの時ならいざ知らず、分かたれて満足に人とも呼べない存在になり下がった僕が、だ。
グラムが一歩踏み込み僕をつき離す。下がり際に斬撃が放たれる。目に見えたのは三つの黒。が、打ち落としの音は五つ響いた。
グラムも僕が付いてこれている事に明らかに不愉快な顔をする。それはそうだ。フェイントさえも、知っている事のようにかわしてくるのだから。
久々に剣戟の手が休められる。つかの間の休息だが、貴重な時間だ。乱れた呼吸を整える。
この短い間に、一体いくつかわし、防ぎ、また反撃したのか。十回?百回?わからない。考えている余裕がない。
「なぜ生きている」不意に。何の前触れもなくグラムが言った。それは殺意のこもったものでなく。全くの疑念から起こる言葉だった。
「なんでって。それは、キミにも言えるじゃないか。半分になった君が生きているのなら、僕が生きているのも道理だろうに」
「違う。貴様に半分も残すか。貴様はただ俺が捨てようとしたものが自我を持っただけの、仮初めの存在なはずだ。貴様は魂も何もない、ただの虚ろな、残りかすだ」
その言葉が、何より深く僕の体を貫いた。
「魂もない?そんなバカな。だって僕はこうして」
「だからおかしいと言っている。貴様はあの時消えていなければおかしいのだ。お前という存在は元来存在しない。ただ俺が作りだした別の人格に過ぎない」
「そんな……」思わず言葉を失う。何がもう一人の僕だ。僕は、グラムと対等でない。虚ろな、作りだされた人格。
「理屈はどうあれ。目障りだ、幻影」グラムはこれまでに比べてゆったりと構えると、無造作に僕の首を刈りに来た。もう技など必要ないというかのように。
実際そうだ。僕は半身を求めるようにここまで来た。それこそ本能に従って、もう一人の自分に引き寄せられるように。
笑い話だ。その感覚で気付くべきだった。そうしたら、グラムもまた僕を求めるはずだというのに。僕はただ、グラムと言う磁石に引き寄せられる砂鉄のような、価値も何もない空っぽの存在だという事に……。
「イェリシェン!」
鋼と趣の異なる音が響く。先程まで意識しなかったが、僕とグラムの剣は普通の物でないために違う音がするらしい。
そう。違う。僕と彼の剣は違う。彼の剣は黒く、僕の剣はさざ波を打つ。
それと同じだ。僕と彼は違う。彼はグラム。死神と呼ばれる、アングマルの将軍。僕は……。
「僕は、イェリシェンだ。どれだけ見た目が同じでも、キミから生まれたとしても。もう同じじゃない。僕にはクリスが、マリアさんが、ヘイルが、ガウェインが、仲間がいる。僕は君の半身でも、残りかすでもない。ソースウッドのイェリシェンだ!」グラムの剣をはじくと同時、間合いを詰める。
そのまま二撃、三撃と打ち込む。グラムは平然とそれを防ぐ。
いつの間にか、あれほど感じていたグラムの結びつきを感じなくなっていた。
グラム自身がかすんでしまう殺意の靄も、今は見えない。
先程までの、技の切れもない。
なんでぼくがグラムの剣を全て受け切れていたか。それは単純だ。ここまで僕を導いてきたグラムとの結びつきが、相対するほど近づいた事で強くなった。彼の技に体が勝手に反応し、次の動きがわかるほどに。ただ、それだけのことだったのだ。
それも今はない。それはきっと、僕とグラムが、完全に別の存在になった証拠なのだろう。
構わない。僕は僕を見つけた。簡単なことだったんだ。それは既に見つけてもらっていたんだ。あの日、あの時、彼女に助けられた時から。
悪寒が全身を駆け抜ける。反射的に剣を構えて飛び退く。
それでも、グラムの刃が数太刀、体を掠める。
「っがああああああああああああああ!」激痛!?違う、そんな感覚じゃない。血がなくなるような、力が抜けるような。考える間もなく膝が折れて地面に着く。
「ふん。どういうからくりかは知らないが、よくやったと褒めてやる。だが、これで終わりだ」グラムが先程と同じように首を狙う。感覚でそれを感じ、膝をついたまま防ごうと剣を振るう。
キン、と。呆気ない音がした。
ダマスカスの剣が折れて、宙を舞った。
切っ先は弧を描いて飛んで行った。
時間が止まった気がした。
不思議と、皆がそれを見ていた。
それは僕の命を奪うのに十分な時間だったというのに、グラムでさえ、それを見ていた。
或いは、彼はわかってしまったのかもしれない。その切っ先が、何処へ向かうのかと。何処へ向かっていくのかと。
折れたダマスカスは、大きく放物線を描いて巨人兵を通り越し、玉座に座る王の脳天に深々と突きたった。
……みなさんこんにちわ。じょんです。……お久しぶりです。すっごくお久しぶりです。もはや存在を忘れられてもう読んでねぇよって方が多数かと思いますが、お久しぶりです。前回から時間たち過ぎて酷過ぎる。富樫かおれは。そんなこんなの17話。色々言いたいこともあるでしょうが、作品については次回お楽しみに。作者へのブーイングは直接連絡ください。読んでくれている人いるのかなぁ……?
追記1ツイッター始めました。更新報告もそこでするのでよかったら覗いたって下さい⇒@iamroricon
追記2こちら⇒http://www33.atpages.jp/hotelk/でもゲストで書かせていただくことになりました。友人達のサイトで、彼らの作品も載ってます。僕以上に面白いのでぜひ読んでください。