第十五話:潜入作戦
晴れることのない薄く黒い雲を抱えた空を背景にしてそびえたつそれは、夜という闇がそのまま暗さをおいて行ったかのように黒一色だった。城だけでない、城壁も、家も、人も、全てが黒い服を着ている。灰色と黒しかない、色覚を失ったのではと錯覚を引き起こさせる街、アングマル。追いかけている相手の終着地点へと、僕らは足を踏み入れていた。
「ついにここまで来てしまったか」背後でヘイルがぼそりと呟く。黒色の外套を着込んだヘイルは、フードを目深にかぶり、気落ちしたように肩を落とし、珍しく猫背である。それでも上背のある彼は、僕らが集団でいるのも相まってか、浮いて見える。
「なんだか不満そうね」独り言ともとれる呟きに、クリスが反応する。彼女も目立たぬようフードを被っているが、茶色の髪が少しだけはみ出ている。
「不満そうじゃない、不満なんだ。そもそも、この旅は奴がここにたどりつくまでに終わらせることが条件だったはずだ。なのに追いつくどころか、先に着かれた。最早これは潜入だ」話が違うと鼻を鳴らすヘイル。
「何も努力しなかったわけではないだろ。少なくとも、寄り道をしたとは僕は思わない」
「寄り道をしなかったことは認める。だが最速であったかといえばどうだ?行軍の足を速めることもできたろうし、必要なら馬も使うべきだったのではないか」
「そうかもしれないけど……」言葉尻が濁る。僕だって、それを思わなかったことはない。可能な限り早く先に進もうとしていたが、もっと急ごうと思えば急げたのではないかと。
「まぁまぁ、過ぎたことを悔やんでも仕方ないぜ。大事なのはこれからどうすべきか、ってことだろ?」僕らの間にガウェインが首に腕をまわして割り込む。
「足止めを食わせた張本人が言うんじゃない!貴様が私の財布を盗まなければ今頃は追いついていたのだぞ」苛立たしげにガウェインの腕を振り払うヘイル。
「それはあんたも悪いんじゃないの?あのとき盗んだのは俺だけど、俺がやらなくても絶対に別の誰かが盗んでいたことだろうさ。そういう街だしな、かえって俺が盗んだことに感謝してほしいくらいだ。他だったら今頃は転売に次ぐ転売で、取り戻すことはできなかっただろうな」俺のおかげだろ?と誇らしげに胸を張る。
「いや、そもそも普通の盗賊だったら今頃斬り伏せられていると思うけど……」
「とにかく、今俺らが悩むべきは、どうして追いつけなかったかじゃなくて」僕の言葉を無視し、ガウェインは城を指差した。
「あそこに、どうやって入るか、ということだろ?」
「そうね。流石に街にはいるようにはいかないみたいだし」小さくため息をつくクリス。先ほど城門の前まで行ったときにはちゃんと衛兵が立っていた。町の入口には誰もいなかったこともあって、かすかに望みを抱いたりをしていたが、やはりそううまくはいかないらしい。
「荷物に紛れて入るのはどうだ?荷馬車とかに乗ってとか」ガウェインは手を上げてこたえた。
「結構長い間通りにいるけど、城に入っていくのはみてないわね。第一、私たち全員が隠れるのは無理があるわよ」
「兵士になり済ますのはどうだ?」ヘイルが提案する。
「五人も兵士が入れ替わったら気づくでしょうが。大体、そんな都合よく人が捕まるとおもうわけ?」
「なら別の誰かになり済ます」
「誰かって誰よ」
「それは……」頭をひねるヘイル。眉間のしわがさらに深くなる。元々厳めしい顔が余計に険しくなって、睨みつけているようにさえ見える。
「あの……」皆がうんうんとうなっている中、二人よりも明らかに自信のない声で、
「なり済ます必要は、ないのではないでしょうか」一番確実な方法を、マリアさんが説明し出した。
アングマルは日中でも暗いことが多い。それはめったに晴れることがなく、曇りの日が多いせいだ。今日はそれでも明るい方で、うす雲からなんとなしに太陽を拝むことができるが、元々窓の少ない城内においては何の関係もなく、光度の足りない蝋燭が墨をまいたような壁を舐めるように照らしている。通るだけで人の気分を暗くさせる、間違っても心躍る場所でない城内を、俺は珍しく軽い足取りで歩いていた。おそらくそんな奴は城内でも俺一人だけだろう。
勿論、俺は普段からこんな上機嫌な奴ではない。陰鬱な輩が多いこの国では比較的明るい性格をしているとは自分でも思うが、それでも城内にいる時では気を張るし、しかも今は戦時下だ。他の兵士に見られたら間違いなく顰蹙を買うだろう。
にもかかわらず顔がにやつくのは、向かっている先があのグラムのところだからである。別にあいつと合うのが楽しみだからではない。寧ろ普段なら逆に足取りは重く、これ以上ないほどに陰鬱な気分に違いない。
だが今日は違う。名目としては奴が不在の間にたまった仕事の報告のためだが、実際は、あいつをからかうためにある。
三日前、唐突に戻ってきたグラムは、小さな女の子を連れていた。「ついてきた」とだけ答えていた。が、死神と恐れられ、堅物で知られ、噂すらされなかった男が、たかが小娘ひとりのために城内を駆け回った。あの時の取り乱しようはどう見てもただの連れとは考えられない。一体何があるのか、是非とも聞いてみたい。というか聞きだす。
最上階より二階下の居住区画にある、将軍の部屋にたどりつく。観音開きの扉は厚く、廊下は静まり返っている。兵士が噂するような声も物音もしない(最も、今は昼だからなのかもしれないが)。
ノックをしようと手の甲を扉にあてがう。が、逡巡した後、扉を叩かずにドアノブに手をかけ、目いっぱい扉を引いた。
「グラム将軍!約束通りたまった書類を持ってきまし……た?」奇襲のごとき来訪に、無駄に元気いっぱいのあいさつ。あわよくば、何か面白いものが見れたらと思っての行動だった。
そしてそれは成功した。しかし問題がひとつあった。
衝撃的すぎて、俺自身が事態を受け止められないことを視野に入れていなかったのである。
「ふん。相変わらず書類仕事というのはわからん。必要性が全く見いだせない」グラムは俺が持ってきた書類の束に一通り目を通すと、それらをテーブルに放った。書類はばらけて広がった。いつもの仏頂面をしたまま湯気の立つカップに口をつける。そこに慌てふためくとか、動揺といったものは見られない。寧ろ、俺の方が変な汗をかいていて、どうしても視線を別のほうに向けてしまうのを禁じ得ない。
彷徨った視線の先には、銀髪に緑と青の目を持つ少女。彼女は今、ベッドのシーツを敷き直しているところで。
なぜか、黒白のエプロンドレスを着ていた。
先ほど入ってきたときはグラムが少女に服をかぶせていた。驚いたのは俺と、少女だけだった。
視線をグラムに戻す。グラムは視線の意味が分からなかったのか、はたまたわからないふりをしたのか、
「なんだ?」とカップを下ろさずにつぶやいた。
「あれはなんだよ」別段やましい話ではないはずなのに、なぜか小声になりながら、視線をもう一度少女に移す。
「エレンだ」
「じゃなくて!あの恰好はなんだよ!」この野郎、わざとやってないか!?
「あれか。侍女たちに女もので、仕事ができる服をよこせと言ったら、あれを届けてきた。それだけだ」何を騒ぐ必要がある、ともう一口啜る死神。奴が飲んでいると水のように冷たいのでないかと錯覚してしまうが、つられて口をつけた瞬間に火傷した。何故飲めるのか不思議でならない。
特にさっきから気になっているのはベッドだ。部屋のどこを見ても一組しかない。布団も一組しかない。一体どうやって寝ているのか。からかってみようかとも思ったが、平気な顔して飛んでもない回答をしてきそうでならない。
「そうだ、渡すのを忘れるところだった」手にぶら下げてもってきたのに存在ごと忘れているとは、我ながらあきれてしまう。
「何だ、それは?」テーブルの上に置いた白い袋をいぶかしげに見つめるグラム。
「菓子折りだよ。目上の人には手見上げを持っていくのが常識だろ?」この国にそんな習慣はない。俺もどこでこの話を聞いたのか覚えてないが、多分どっか知らない国の面倒な儀礼といったところだろう。
「知らん。俺は甘いものは嫌いだ」
「あんたにじゃないよ。これはエレンちゃんにだ」聞こえていたのか、俺が視線を彼女に向けると、ばったりと目があった。そしてすぐにおびえた表情を浮かべてベッドの影に隠れた。気を利かせて笑いかけた俺にその対応は酷くなかろうか。
「エレン」グラムが一声かけると、彼女はゆっくりとだが、ベッドの影から出てきた。そのままこちらへと歩いて来る。
というか、聞いたこともないくらい優しい声がそんなものとは全く無縁の人物から聞こえた気がしたのだが。
「お前にだ」グラムは袋を無造作につかむと、少女に差し出した。少女は当惑しながら、まるで割れ物みたいにそうっと両手で受け取る。
「開けてみろ」言われるままに、白い袋を開ける少女。中に入っていたものを取り出して、小首を傾げた。
「クッキーだよ。心配しなくても変なものは入っていないから食べてご覧」不安げにグラムに目を向ける少女。グラムは小さくうなづいた。
少女は取りだしたもの、一口サイズのクッキーを恐る恐る小さくかじった。小さな音を立てて、飲み込むと少女の表情が変わった。下がり気味だった眉は上に跳ね上がり、目を見開いた。口の端が緩やかに弧を描く。
「うまいか?」俺の質問に笑顔でうなづくエレンちゃん。
「そりゃよかった。持ってきたかいがあったってもんだ、なぁ?」と視線をグラムに戻す。グラムはああ、と短く答えた。その視線は一つのクッキーを味わうために何度も小さくかじっている少女に向けられていた。
その顔が、ほほ笑んでいるように思えたのは、ただの錯覚だったのだろうか。
それを確かめることはできなかった。ちょうどその時に、礼儀正しい誰かが扉をたたいたからだ。
「グラム将軍、お時間です」
「わかった。すぐにいく」グラムはすくっと立ち上がった。そこに見間違えるような表情はなかった。
「何だ、もうそんな時間か。先に出ているぞ」グラムに倣い席を立つ。これから練兵場で集会がある。それには俺も出席しなければならないのだ。
外にはひとりの兵士が待っていた。俺に気付くと慌てて略式の礼をとった。片手だけで返礼をする。
ほどなくしてグラムが出てきた。全身に黒の甲冑を着込んだ姿は、こいつが死神であることを改めて実感させられる。
「さて、行くとしましょうか」先に立って歩き出して、グラムがついてきてないことに気付く。首を巡らすと、少女が戸口に立ってじっとこちらを見ていた。
細い体を縮めこませて。
今にも泣きだしそうな、儚い顔をして、グラムを見ていた。
グラムは少女のもとへとゆっくり戻り。
そうっと、少女の頭を撫でた。
「すぐに戻る」俺に聞こえないくらい微かな、だが毅然とした声で囁いた。
あいつは、笑っていた。
それが、なぜか。
いつかあった何かと――全然違うのに。
ともに在った誰かと――全く似ていないのに。
重なって。
あの子は彼女じゃない。
あいつは俺じゃない。
似ているところなんてどこにもない。
俺とあれとは、こんなじゃない。
なのに。
どうして。
こんなに、焼きつくほどに、ちらつくのか。
「どうした?」グラムに声をかけられる。目は覚めていたはずなのに、いつ目の前に来たのか分からない。
「すまない。違うものを見ていた」
「違うもの?」俺の言葉に、グラムは眉間にしわを寄せる。やはり見間違えだったのか、そこに俺が見た表情を持つ者はいなかった。
「何でもない。行こう、あんまりのんびりしていると遅れてしまう」
「意外とばれないものなんだな。少しくらいは疑われるかと思ったけど」
「当たり前じゃない、同じ顔なんだもの。あなたはあったことないからわからないだろうけど、並んでいたってわからないくらいなんだから」
「いや、確かに話は聞いていたけど、なんていうか、実際には半信半疑だったというのが本音なんだが」
「無理もないよ。僕だって自分のことじゃなかったら信じていなかっただろうし」
「静かにしろ!ここはもう、敵の懐なんだぞ」押し殺した声でヘイルに叱責され、僕らは口をつぐんだ。暗い廊下はしんと静まり返っており、松明の燃える音だけが聞こえる。すれ違うものはおらず、僕らの他に足音は聞こえなかった。
城内には何事もなく入り込めた。忍び込むことなく、堂々と、正門から。
マリアさんの言う通り、言い咎められることはなかった。少なからず疑われはしたのかもしれないが、兵士たちはすんなりと中に通した。
だが、考えてみれば当然のことなのだ。元々僕はグラムの一部であり、故に(少なくとも外見上は)全て同じである。仮に不審に思ったとしても、違う個所を見つけられないのなら意味がない。
「さて、どうやってグラムの部屋を探そうか」
「そんなの、人に聞けばいいじゃないか」何をばかなことを、といった表情でガウェインが答えた。
「な……!?」僕が言い終える間もなく、ヘイルがガウェインの胸ぐらを掴んだ。
「何を言っている!?将軍が自分の部屋の場所を聞くわけがないだろう!」
「馬鹿、声がでかい!」言われて、はっとあたりを見渡すヘイル。反対側の通路を一人が横切って行ったが、幸い声は聞こえなかったらしい。
「大丈夫だって。大事なのは、『何を聞くのか』じゃなくて、『どう聞くのか』さ」しぶしぶ手を離したものの、不満の残る顔をしているヘイルに、ガウェインは片目をつぶって見せると、今さっき通りすぎて行った人の後を追いかけて行った。
「行っちゃったけど、いいの?追っかけなくて?」とクリス。
「知らん。今更追いかけても無駄だ。待つしか無かろう」勝手な奴め、と鼻を鳴らすヘイル。それでも、いきり立って後を追いかけない辺り、少しは信用しているということなのだろうか。単にそんなことをしている余裕がないだけなのかもしてないが。
十分後。僕らは、大きな扉の前にいた。
「本当にここで間違いないのか?」とヘイル。
「教えてくれた人が嘘を教えてなければね。まあ、疑われた様子は皆無だったから、それはないと思うが」
「それにしても、どうやって聞き出したんだい?僕には怪しまれずに聞きだすなんてこと、全く思い浮かばないけど」
「別に特別なことはしてないぜ。ただ、『将軍の部屋が分からないのだが、本人には怖くて聞けない』とつけくわえただけさ」ガウェインはいささか得意げに答えた。……それくらいで本当に怪しまれなかったのだろうか。
「うだうだ言っても仕方ないか。……皆、準備はいい?」気を引き締めて、皆の顔を順々に見る。
ヘイルは利き手を外套で隠してある剣に添えている。
ガウェインは既に短剣を抜き、刃が見えぬよう手首を返している。
クリスは弓を取り出し、マリアさんは胸の前で手を握りしめている。
僕はうなづくと、扉に手をかけた。
どくどくと、心臓が脈打つのが耳に響く。鼓動が速いのが嫌でもわかるのに、腕は痺れたように感覚がなく、握っている取っ手の感触さえ希薄だ。足は鉛のように重く、膝を曲げるだけで座り込んでしまいそうだ。
この扉の先に、グラムがいる。もう一人の、いや、本来の自分。死神と恐れられる、自分とはまったく別の存在。
僕は、会ってどうする気なのだろう。自分の感覚にひかれるようにここまできていながら、こうして扉に手をかけている今でさえ、自分が何をしたいのかわからない。
戦うのか。話し合うのか。それすらも思い浮かばない。
それでも、思い切って扉を開け放った。
そうすることでしか、僕は前に進めないから。
「グラム!」
部屋に飛び込む僕に、皆が続く。足音高く部屋に乱入し、戦闘準備は万端。
だったのだが。
「……あれ?」呆気にとられたまま、部屋を見渡す。応接用の机と椅子、ベッドと衣装箪笥だけの、元々ふた部屋だったのを仕切りを取り除いたかのような、奇妙なだだっ広さを持つ部屋。それら家財の他に、個人を特定する物はなく、がらんとしている。
グラムはいない。いるのはひとりだけ。小さな女の子が、部屋の中心でポツンと座っているだけだ。
少女と目が合う。黒と白二色の給仕服を着込んだ姿が、肩まで伸びた銀色の髪に映える。僕をとらえた青と緑の瞳を見るだけで、少女が固まってしまっているのがわかる。かくいう自分自身もそうだ。
何故グラムの部屋に小さな女の子が?部屋を間違えたのか?でも彼女の格好を見るに部屋の持ち主に見えないし。ならここは誰の?仮にグラムの部屋だとしてグラムは……。
「貴様、何者だ」ヘイルの声で現実に引き戻される。ヘイルは既に抜きはらっていた幅広の剣を、座り込んだ少女の眼前に突きつけていた。
「ちょっとヘイ」
「この国の人間は子供でも戦い方を知っている、戦場では女の兵士に十人の兵が殺された」クリスの言葉を遮り、ヘイルは柄を握りしめた。
「言え。お前は何者だ。グラムはどこにいる」剣先が少女の喉元に触れる。
「やめるんだ、ヘイル」彼の肩に手を置く。
「止めるな、これは必要なことだ」ヘイルは僕に目もくれず、少女を睨み続ける。彼の背中はまるで燃えているように赤い靄が上がっている。
「いいから剣を引いてくれ。その子をよく見てみろ」肩から手を離し、少女を指差す。
「震えている。この子はお前が危惧するような女の子じゃない。普通の、小さな女の子だ」
ヘイルはしばらく黙していたが、やがておもむろに口を開いた。
「だとしても、ここにいると言う事実を無視はできん。少なからず、グラムのことを知っているだろう」
「だったら普通に聞きだすだけさ」
「……勝手にしろ」ヘイルは鼻を鳴らすと、剣を納めて後ろに下がった。炎はもう消えていた。
「おーし!それならおれに任せろ」パンパンと手を叩き、ヘイルと立ち替わりで前に進み出るガウェイン。
「なんであなたなのよ」
「おれは子供に懐かれることで有名なんだぜ?」
「初耳なんだが」
「いいから見てろって。ほらお嬢ちゃん、お腹空いてないか」ガウェインはポケットをまさぐると、中からビスケットを取り出して少女に差し出した。が、後ずさりされただけだった。
「物で釣ろうとするからよ。こういうのは安心させるのが大事なの」クリスは自信満々に言ってガウェインを押しのけると、少女の前にしゃがみこんだ。
二歩後ずさりされた。
「ぷっ!」思わず吹き出してしまう。
「ちょっとイェリシェン!」
「ご、ごめん。つい」
「あら。この子、随分とイェリシェンさんを見つめてますね」不意にマリアさんが言った。
成程、少女に視線を移すと、僕をじっと見つめていた。しかも不思議そうに、怪訝そうに眉を寄せて。
「む。すごい熱視線だ。まさかお前幼女に好かれる体質だったのか?」
「訳の分からないことを言わないでくれ。そんな体質なんてないし、そもそもどうやってわかるんだ、その体質」寧ろなぜ『子供』に好かれると言わないのか。が、確かに少女は僕に一番興味があるらしい。ならば僕が話を聞きだすのが道理だろう。
クリスに倣って屈んでみる。少女を刺激しないように、ゆっくりと。少女は逃げなかった。
同じ目線になって、改めてその顔をじっくりと見ると、なかなか可愛らしい顔立ちをしている。子供らしいどこか柔らかそうな頬とか、血色のよい唇をしているが、どこか大人びた雰囲気もあり、特に左右で異なる青と緑の瞳は深く、宝石のようである。
「えっと、君の名前は?僕はイェリシェンだ」僕の名前を聞くと、少女はぽかんと呆気にとられたような顔をした。
「もしかして、あなたをグラムと間違えているのじゃないかしら」クリスの言ったグラム、という単語にピクリと反応する少女。その予想は外れてないようだ。
「そうか。うーん、なんて言ったらいいのか。グラムと僕は、兄弟みたいなものなんだ。君はグラムを知っているかい?」少女は首を縦に振った。それも勢いよく、元気に。心なし顔も緊張から解放されたように晴れている気がする。
「彼が今どこにいるかわかる?」今度は少女は首を横に振った。対照的に表情も沈んでいる。
「ここは彼の部屋で間違いないかい?待っていればここに来るかな?」ゆっくりと頷く少女。それだけは間違いがないというように、重々しく、まっすぐと僕を見つめ返して。
「 」
「え?いまなんて?」ガウェインが聞き返す。少女が何かを言ったが、僕にも聞こえなかった。
「 」少女はもう一度、ゆっくりと口を開いた。が、声が聞こえない。聞き取れないのでない、音を認識できない。僕には少女が口をパクパクしているようにしているようにしか見えない。
いや、見えないのではない。僕らが聞き取れないのでなく。
「もしかして、君はしゃべれないのか」少女がコクリと頭を縦に動かす。そもそも、音を発してなかったのだ。
「成程。寡黙なのでなくて、文字通り無口というわけだ。そりゃ内気にもなるか」ひとり納得して頷いているガウェイン。
「しかし困りましたね。せっかく部屋を見つけ出したのに、当の本人がいないとなると」とマリアさん。
「部屋は間違ってないんだし、この子が保証した通り戻ってくるのを待てばいいんじゃないかな」
「待てばいい、なんて随分と気楽なことを言うぜ。その辺お前から何か言いたいことが……」ガウェインが固まる。意見を求めようと首をひねった形で、まるで石にされたかのように停止する。
それは僕らも同じだった。ガウェインと同じところに視線を向けたまま、正確には視線を向けた瞬間から、体も、思考も、一切が停止し、部屋の中に部屋の中に一瞬ではあるが完全なる静寂が訪れた。
その中でただ一人、時が止まらなかった人が、全員を石化させた原因を呟いた。
「あれ、ヘイルさんは?」
番人という仕事は、たとえそれがどんな物、または者のためであっても名誉ある仕事である。ましてや、その対象が王であるならば、これ以上名誉ある番人の仕事はないだろうと思う。
しかし、私はそんな仕事を退屈と感じている。
決して王に対して忠誠心がないわけでなく、むしろ人並み以上の忠誠心を買われてこそこの役職につけたのである。
であるのだが、番人という仕事は、簡単にはなることのできない割に仕事は少ない。ほとんどないと言っても過言でない。一日中扉の前に立ち、日に数度尋ねに来る相手を確認し、それを王に伝え、中に通す。
それ以外には何もすることがないし、何もしてはいけない。話してもいけないし、動いても、ましてや座り込んでもいけない。ただ黙って直立不動で立ち続け、交代の時間を待つのみである。暇な割に重労働なのだ。
元々私は最前線に立つ兵士の一人だった。その中で武勲を立て、番人に任命された。
が、どうやら私には不向きだったらしい。いつ来るかわからない、そもそも来ることさえないかもしれない相手を警戒して待ち続けるより、戦場で走り、叫び、剣を振るい、槍を突き出し、矢を放ち、傷つけ、傷つき、敵の首を取るほうが性に合っている。任命されて随分たつが、近々移動を願い出よう。鍛錬は欠かしていないが、こうしてただ立っているだけでは、腕は鈍る一方だ。
そんなことを考えていたからだろうか。それとも、本当に腕が鈍り、危機に対しての感覚が薄れてしまっていたのだろうか。
どちらにせよ、油断していたのだろう。廊下を一人の兵士が歩き、そして目の前を通り過ぎていくことに気付かなかった。視界に入っていたのに、意識に入らなかった。
だから、異常にも気付かなかった。通り過ぎて初めてそれに気付いたが、それは遅すぎた。
決定的に遅すぎた。
「普通の兵士の剣の大きさではない」という事に気付いた時には、まさにその異常によって、隣の同僚の首が兜ごと宙を舞っていた。
思考が瞬時に戦闘態勢へと切り替わる。同時に、右手にずっと握ったままの、石突きを地面につけていた槍を繰り出した。その動作は一瞬前まで考えていた心配を吹き飛ばすほど、自分でも鮮やかとも呼べる一撃だった。
それでも。自分の最高とも呼べる一連の動作でさえ、『意識の遅れ』を覆すことはできず。
槍が相手の胴を貫くよりも早く、規格外の剣が鎧を抵抗なく裂き。
まるで体内で爆発が起こったような衝撃が腹部から生じ、炸裂した痛みが全身を埋め尽くし、視界を白く灼きつくす。
火のついた紙のように自分があっという間に黒く燃えて消えていくのを感じながら、紙片となった思考で。
最高の動きでも戦いにすらならなかったのは油断したからであり。
そんな油断をしている時点で、私は戦士として堕ちていたのであろうと。
自分の劣化を嘆いて私は燃えた。
「フーー……」這いの空気を一気に吐き出すとともに固まった疲れ、緊張をも吐き出す。二人目の衛兵がこと切れる前に突き出した槍は腹部をとらえたが、鎧を貫くまでの力はなく、脇に伸びていく細い傷をつけただけだった。
それでも、鎧をつけていなければ危なかっただろう。流石はアングマルの精鋭、奪った鎧であっても、敵のものであっても感謝せずには居られなかった。一瞬の斬り合いだったというのに、兜を被った額から汗が噴き出ている。
額を拭って、扉に向き直る。
この中に王がいる。アングマルの王が。
何故今までこの思考に思い至らなかったのか。何故敵地にもぐりこみ、あまつさえ城内まで侵入せしめたというのに、思いつかなかったのか。
それほどまでにグラムとの決着をつけようとしていた自分を情けなく思う。いや、もしかしたらあの連中に感化されてしまっていたのかもしれない。イェリシェンという、もう一人のグラムに。
が、私は皇子だ。サン国の第二皇子、ヘイル・ファルゲオだ。皇子である私は、国のために戦う。
戦争を終わらせる。
アングマル国王を、暗殺する。グラムが兄を暗殺しようとしたように。
……。凄くお久しぶりです。
じょんです。生きてます。サボってました。すいません。
ほんとにどれだけさぼるんだ俺!と自分でも思ってました。別に鬱になってたとかそういうわけじゃないんですが、確かに忙しかった時もあったにはあったけどここまで休む理由にはならないというか。
……はい、ごめんなさい。次は頑張ります。といいところですが、毎回言ってくる癖に約束を破る辺りもう信用しなくていいです。そこ祖も自分が信用できん……。
とりあえず本をたくさん読もうと思ってます。ここ二年ほど本を読まなさすぎるので。二年で十冊くらいって……。そりゃ想像(創造)力もなくなるわな……。
いつも呼んでくれている皆様。期待せずに、気が向けば覗くくらいな気持ちでいいので、これからも読んでいただけると幸いです。それでは、次回お会いしましょう。その日が早く来ますように。