第九話:国境
カランカラン。扉に取り付けた鐘が客の入店を知らせる。私は読んでいたチラシから顔をあげて、入ってきた人物をみた。
「いらっしゃいませ。」入ってきたのは男だった。それも子連れの、小さな子をおんぶしている。
ボロボロの外套を羽織って、フードを目深までかぶっている。背は平均より少し高いぐらいで、体格も普通だ。なのに、彼の影は不思議と長く、濃く感じられ、店の中が暗くなった気がした。
男は黙ったままカウンターへと歩いて来る。店内に置かれている商品には一瞥もせずに。そしてカウンターまで来ると、口を開いた。
「闇の中で剣を執る。影を従え、突き進む。」突然の、意味不明な言葉。人が聞けば、こいつは頭がいかれていると思うかもしれない。
だが、言葉の意味を知る者にとっては違う。そして私は、その意味を知っていた。
「向かう先は?」と返す。相手は正しい合言葉を口にした。
「太陽の国。」男はフードを下ろした。私はすぐに誰であるかわかった。彼が有名であるからでも、私の記憶力がよいわけでもない。彼はそこまで特徴的な顔立ちをしていない。ただ、遠目に何度か見たことがあり、一度はあったことがある。
墨のように黒い髪。そして何より、影よりも、夜よりも、闇よりも暗い瞳。
「あなたは、グ……!」思わず名前を口にする。が、その言葉は彼の手、アングマル将軍グラムの手によって遮られた。
将軍は私の口をふさいだまま、小さく首を横に振った。私が小さくうなづくと、将軍はゆっくりと手を離した。
「あなたが生きているという話は本当だったのですね。一体どうやって?」
「話せば長くなる。今は一刻も早くアングマルに戻らねば。国境を越えたい。」
「そのための私です。しばしお待ちを。」私はその場に屈みこむと、敷いていた布をずらした。その下には何もない。ただ木の板の床があるだけ。
私はそこに指を走らせる。目に見えないとっかかりを見つけ、それを引っ張る。
板の一部が回転し、その下にある木箱から、一枚の紙を取り出す。
「どうぞ、通行証です。」
「……偽造でもなさそうだ。どうやってこれを?」将軍は渡された紙を注意深く読んでいる。そこにはこの街の領主公認である印が押されている。
「領主には愛人がいるんですよ。お隣からわざわざ呼ぶ愛人が、何人も。」私はみなまで言うことはしなかった。言う必要もなかった。
将軍は鼻で笑うと、通行証を懐にしまった。
「……それはそうと、その少女はなんですか?病を患っているように見えますが。」私はさりげない風を装って尋ねた。だが、実は彼が将軍だと知ってずっと気になっていたのだ。
死の恐怖と恐れられ、命を吸い取り力とする魔剣を振るう。ついた名が死神グラム。情けも慈悲もない、優しさなど露ほども見せぬ、味方にさえ畏怖の対象である将軍。
将軍は枷を嫌う。行軍の際、遅れるものは待たず、場合によっては切り捨てる。私はそれを見たことがある。
その将軍が、女の子を連れている。それも病気の、足手まといでしかない少女をおぶって。明らかに異常な行動だ。
「何の因果かついてきた。それだけだ。」将軍は何でもないと、平然と答えた。だが、それは本当に何でもないのか。彼は装っただけではないだろうか。そもそも答えになっていない。私の知っている将軍は、絶対にこんなことはしない。
「……最近、国境を通る人の流れが遅いです。聞けば、通るもの一人一人の顔を、確認しているとか。その子供は、邪魔になるのではないですか。」だが、そんなことは言えない。らしくない、あなたらしくないと。それが死神と恐れられるものかと。
ただ問うた。連れて行くのかと。邪魔だというのが分かっていながら、あなたはその少女を見捨てないのかと。
将軍は答えた。先ほどと同じ調子で。
「それならこいつを使って一芝居うつ。必要なら捨ててでも。」踵を返して扉へと向かう。
カランカラン。鐘が客が帰ったことを告げる。将軍がいなくなると、店は明るさを取り戻した。昼の日差しが心地よい。アングマルでは知らなかったことだ。
だが、なぜか。この日差しの暖かさを、少女を必要なら捨てると言った将軍の目に、垣間見た気がした。
北の風が全身を吹き抜け、服をはためかせ、髪をぼさぼさにさせ、耳を覆う。
「これ以上走らせたら、馬が持たないぞ!」風に負けぬよう声を大にする。だが、それも大地を駆る音と、僕ら四人を乗せて半刻以上も走り続けている馬の激しい息遣いにかき消される。
「あともう少しだ、頑張れ!」ヘイルは尚も馬に拍車をかけ続けながら、愛馬を励ましている。そこには愛馬を案じている優しさがあったが、それ以上に、間に合わないことに対する焦りがあった。
馬はいなないて、遅くなりかけていた足を速めた。馬の筋肉が躍動しているのが腰から伝わってくる。風景が矢のように飛んでいく。僕ら四人を乗せながら、普通の馬の倍以上の速さで駆けている。だが、その分負担も倍以上だ。今や馬の呼吸音は耳を覆う風の音すら凌駕している。
無謀すぎる速さ。だが、それをやめさせることはできない。ヘイルはやめないだろうし、僕自身、やめてもらうと困る。
そうでないと追いつけない。急がなければグラムが国境を越えてしまう。
正午前に街についた僕らは、街を歩いて店を回りながら補給をし、宿に泊まるか、先に進むかヘイルと(主にクリスが)議論していた。
「まだ日は高い。明るいうちに少しでも進むべきだ。グラムは先を進んでいるんだぞ。」
「数日ぶりに街についたのよ!少しは休んでもいいじゃない。」
「そんなことを言っているうちに、グラムが国境を越えてしまっては元もこうもないではないか。急ぐべきだ。」
「急ぎすぎてへとへとになったら戦えないじゃない!ここは休むべきよ。そうよね、イェリシェン?」と、突然僕に回答を求めるクリス。ヘイルも僕のほうを見る。
「急ぐべきだ!」
「休むべきよ!」
対極の意見を、全く同時に述べる二人。そして睨みあう。
「仲がいいですね、二人とも。」一人のほほんと呟くマリアさん。
「「よくない!」」いや、いいと思う。なんて言えなかった。矛先が僕に向く未来を予測できるのに、あえてその道を行こうとは思わなかった。
「で、どうなの!?」それでも、矛先は向いたりする。
「え~っと……。」二人に睨まれ、言葉尻を濁しながら目を泳がせる。その目が、奇妙な人物と合う。
立派な口髭を生やした、三十代くらいの顔。別段奇妙なところはない。顔だけは。背丈は妙に低く、手足も相応に短い。まるで、大人を子供の大きさにまで無理やり縮めたような、そんな容姿。
そんな奇妙な男は、街の衛兵らしき男たち二人と何やら家の前で興奮した様子で話している。というより、憤りをぶつけているようで、話を聞いている衛兵も、「そんなことを我々に言われても」といった顔をしている。
その男と、目が合う。無論、覚えはない。だが、あっちは僕の顔を見るなり、激しくまくしたてていた口をあんぐりと開けたまま、僕を指差し、衛兵のズボンの裾を引っ張った。
「あいつだ!あいつです、私を監禁したのは!」
「え……?」通りを歩く人皆に聞こえるような大声で犯人にされてしまった僕は、ぽかんと口を開けて立ち止まってしまった。それは他の三人も同じだった。
周りの人の視線が僕らに集まる。衛兵たちが駆け足でこちらにやってきた。
「すいません、少し話を聞かせてもらってもよろしいですか?あの方は先日賊に押し入られたらしく、犯人があなたといっているのですが……。」僕らの様子を見て犯人なのか半信半疑なのか、下手に出てくる衛兵。
「私たちはさっきこの街に来たんですけど……。」マリアさんが一歩進み出る。その胸には、癒しの協会のしるしである薬草袋のブローチがきらめいている。
「とにかくお話だけでも。変な事件でして。盗まれたと言っているものも、ただ食料の一部と、服が一着だけで。監禁されたと言っても、彼の自宅ですし、本人はいたって無傷でして……。」ブローチに気付いたもう一人の衛兵が、説明をする。だがそれを遮って、小さな大人が割って入ってきた。
「何をしているですか。早くつかめるなり縛り首にするなりしてください。確かに、この男が、私を脅したんですよ!」僕の顔を指差し、衛兵二人の足元から現れる男。だが、僕ら一行を見て、首をかしげ始めた。
「おい、女の子はどうした?」
「女の子なら目の前にいるじゃない。」クリスが鼻を鳴らして言った。
「違う、もっと幼い女の子だ。左右色違いの目に銀髪の女の子。その子を助けるために貴重な薬を使ったというのに。まだあの子は治っていないぞ。それより治療費を払いたまえよ。」まくしたてる小人。だが、僕は聞いていなかった。
「色の違う瞳に、銀髪の女の子……!?」それは確か、いなくなった女の子。グラムが殺した場面に、居合わせたはずの女の子。その子を連れた、僕の顔をした男……。
「そいつは!そいつはどこへ行ったんだ!」僕は思わず小人の肩をゆすった。
「わわ、わかるか!お前ののこととだろろ!」小人は僕の腕を払うと、首を軽く振った。
「自分のことじゃないか!朝起きたらいなくなりやがって。まだ治療費払ってもらってないんだぞ!」
「これで充分だろ。」ヘイルが男に金貨十枚を投げ渡した。
「こ、こんなに!?」
「情報量だ、とっておけ。」それだけ言うと、ヘイルは馬に飛び乗った。素晴らしい体躯の馬へと。
「早く乗れ!追いかけるぞ!」
「え、何、どうしたの?」ヘイルの突然の行動が理解でき無いクリス。
「ここから国境まで一日もかからない!国境を超えられたらもうどうしようもない!」ヘイルはそれだけ答えた。そしてそれで十分だった。クリスはヘイルの後に乗り、その後ろにマリアさん。最後に僕が後ろに乗る。正直ぎゅうぎゅうだが、追いかけるなら、この馬に頼るしかない。
「飛ばすぞ、振り落とされるな!」ヘイルは馬に拍車をかけ、手綱をぴしゃりと打った。
馬がいななき、走り出す。一瞬のうちに風となる。残されたのは、呆けたように立つ衛兵と、小さな大人だけだった。
並び始めてから十数分。国を渡ろうとする者たちの列はいまだ絶えず、俺はその中間辺りにいた。後ろに並んだ商人風の男が不満を漏らす。
「おいおい、なんだって今日に限ってこんなに遅いんだよ。こっちは急いでるってのに。」
「いやいや、どうも今日だけじゃないらしいぞ。このところずっとこうらしい。」俺の前に並んだ、これまた商人風の、どこか異国の服装をした男が言った。どうやら南から来たようで、薄い生地の服を重ね着しているが、それでも寒そうに身を縮こませている。
「へぇ、それはいつからの話だい?」
「昨日宿で聞いた話じゃ、ひと月くらい前かららしいが。罪人を探しているって、もっぱらの噂よ。」
「罪人?」
「ほら、見てみろよ。」異国の商人が、国境の証である分厚い門の前に立つ衛兵を指差す。
「一人一人の顔をわざわざ確かめてるだろ?」
「ああ、確かに。だが、一人の罪人に随分だな。今までこんなこたぁ、俺の知る限りではなかったがなぁ。」
「それは俺も同じよ。……あまり大きな声では言えんが、戦時下だというのにのんびりしてるこの国が、血眼になって探してるってんだがら、相当な相手だと俺は思うわけよ。」
「国を揺るがすような、か?」
「おうよ。兵士たちも妙に殺気立ってる気がするしな。」
列が動き出す。列を詰めた後も男たちは話し続けていたが、俺は聞くのをやめた。
前方を見る。商人の言う通り、衛兵が紙を手に、一人一人の顔を確認している。
彼が言っていたのはこのことだったのだろう。確かにすんなり通してくれる雰囲気ではなさそうだ。これなら商人の荷物に紛れ込んだほうがましだったかもしれない。
気付かれたらどうするか。駆け抜けるか?実際、一瞬でも騙すことができれば、そこでばれようが切りぬける自信はある。国境さえ抜けてしまえばあとはどうにでもなる。
一人なら。そう、俺一人ならわけの無いこと。一人なら、国境など簡単に越えられる。
一人なら。だが、一人じゃない。
肩ごしに振り返る。頬を赤く染めている銀髪の少女。顔には玉の汗が浮かび、額に、頬に髪が張り付いている。首筋に当たる顔が熱い。それでも、前より熱は下がったらしい。呼吸も小さいが穏やかだ。
こいつがいるから、強行突破は無理だ。逆に言えば、こいつがいなければいいだけの話。邪魔なのだから捨ててしまえばいい。荷物は置いていくべきだ。
本能が声高に叫ぶ。
そうだ、捨ててしまえ。置いて行ってしまえ。必要のない、枷になるもの全てを。今までそうしてきたはず。それこそが俺。それこそがグラム。
捨てろ。置いていけ。こいつごと、つまらないしがらみを捨ててしまえ。
少女が小さく身じろぎする。ずり落ちかけた体を、背負いなおす。小さな揺れに目を覚ましたのか、まぶたを重たそうにゆっくりと持ち上げる。メノウとエメラルドの瞳が俺をとらえる。
「しっかりつかまってろ、エレン。」エレンはこくんとうなづくと、首にかける腕に力を込めた。小さな体が背中にしっかりと触れる。首筋に当たる顔は焼き鏝のように熱い。触れる体は氷のように冷たい。両腕はエレンの足を抱えてふさがれている。
重い。こんなにも小さく、軽いのに、重い。腕は痺れない、足腰にも応えない。鎧に比べれば、衣服のようなもの。
なのに、重い。心が重いと叫んでいる。本能が重いと叫んでいる。
重いから、捨ててしまえ。
邪魔だから、捨ててしまえ。
枷は、捨ててしまえ。
「ああ、重いな。」知らず、呟いていた。誰にでもなく、自分にでもなく。ただ、呆れたように。嘆息するように。
「見えたぞ!」ヘイルが叫び、前方を指差す。街の入口である門が見えた。
一瞬でたどりつく距離。だが、体力を使い果たしたこの馬には、はるかかなたに見える。
最早風を感じることはなく、全身から湯気が出るほど汗をかいている。馬首は垂れて、今にでも倒れこみそうだ。
何とか走り切り、門の中へと入る。とても走るとは言えない速度。それでも、ついてみれば一時間もかかっていなかった。
そして限界だった。
足がもつれ、ふらつく。僕らを乗せたまま、倒れかかる。しかし、最後の力を振り絞って踏ん張る。
「早く降りろ!」ヘイルの言葉に、半ば飛び降りるようにして馬から降りる。瞬間、黒い巨躯が大地に倒れこむ。
「おい、どうした。なにがあった?」衛兵が尋常でない様子を見てやってきた。だがヘイルは一言だけ残して走り出した。
「馬を頼む!」
「あ、こら!」僕らも後を追いかける。馬は気になるが、今はグラムのほうが先決だ。これだけ急いで間に合わなければ、何のために頑張らせたのか分からなくなってしまう。
「間に合ってくれ……!」
「次。」通行証と顔の確認をして、商人を送り出すと、後ろに並んでいた人物に目を向ける。
「?」無言のまま、差し出される左手。それはじっくり見なくても、ちゃんとした通行証だ。だが、通行証をさし出す人物は、フードをかぶって俯いたまま顔をあげない。見えるのは、背負った女の子の顔だけだ。
「すまないが、顔を見せてくれないか。」男は首を振る。
「申し訳ないが、お見せできません。」男は低い声で告げる。仲間たちに緊張が走る。
「……なぜだ。ただ顔を見せればいいだけだ。それとも、やましいことでもあるのか?」手にもつ槍に自然と力がこもる。声は緊張で上ずってしまう。まさかこいつが……!?
「違います。お見せできるような顔ではないのです。」男は首を振ってこたえた。
「つべこべ言わず顔を見せ……。」同僚が我慢できずに男のフードに手を伸ばす。
「触るな!」突然、男が一喝する。同僚の手が止まり、思わずあとじさる。
「怒鳴ってしまい申し訳ない。ですが、触れてほしくないのです。いや、できれば近寄ってほしくない。」
「どういうことだ。」
「この子を見てください。」と、男は自分の背中におぶる女の子をさした。よく見れば顔色が悪い。
「この子は病に犯されています。原因不明の。しかもこの病はうつります。症状はまちまちですが、家族は皆発症しました。一人は血を吐き、一人は下痢を起こし、一人は全身に奇妙なあざを残して……死にました。」男は、低く小さな声で語った。感情の無い、まるで他人事のように。だが、それが余計に真実らしく、ぞっとしてしまう。同僚が後ずさり、男の後ろに並んでいたものたちも下がった。
「そして私も……。」男がフードを少しだけ傾ける。男の左目だけが見える。
「ひっ……。」息をのんだ。男の顔は、まるで、まるで……。
ここが賭けだ。片目で衛兵を睨みつけながら、術を紡ぐ。恐怖という、ひどく曖昧なものを媒介にして。
今、この男は恐怖している。語りによって、もしかしたら俺の顔が病でおぞましいことになっているかもしれないと思っている。
かける魔法は、『悪夢の具現』。相手の心に映る恐怖をさも目の前にあるかのように見せる、幻惑の呪文。といっても、無詠唱な上に魔剣の補助がほとんどない今では、暗示くらいしか効果がない。生粋の魔法使いでもない俺には至難の業だ。だが、他に方法がない。これで通れなければ、後は特攻するしかない。
頬を冷たい汗が伝う。
「どいてくれ!」先を行くヘイルが叫びながら人ごみをかき分け、疾走する。こちらも全力だというのに、一向に追いつけない。
「イェリシェン!マリアが……!」後ろを遅れてついて来るクリスが呼びとめる。足を止めずに振り返ると、マリアさんがふらふら走っている。無理もない。門から既に結構な距離を走っている。
「二人は並んでいる中にいないか探してくれ!僕らは一番前を!」
「わかった!」クリスは足をとめ、マリアさんと合流する。僕はわき目も振らず走る。
「間に合え……間に合え……!」
「どいてくれ!」列の中を走りながら左右に眼を走らせる。道を譲る中に奴の姿はない。見落としさえないのなら、奴は前にいるはず。
「どこだ……どこにいる……!」
国境に辿りついた。そこには一足先にヘイルが待っていた。ヘイルは僕がつくなり、衛兵に僕を指差して言った。
「この男と同じ顔をした奴が来なかったか!?」息を切らしながら、凄まじい殺気に満ちた顔だった。衛兵は少し怯えている。
「い、いえ。みてはおりません。」
「見落としたのか……?それとも追い抜いたか……?ここじゃないのか……?」ヘイルはぶつぶつと呟く。そこに、クリスたちが追いついた。
「列の中にはいなかったわ!」尋ねるより先に、クリスが報告する。
「おい、本当に見なかったのか!?」ヘイルは衛兵に食って掛かった。ヘイルの剣幕に圧された衛兵は憐れなほどおびえている。
「は、はい!確かにみていないです!」
「じゃあ、まだなのか、それともここじゃないのか……?」そこで、あることに気がつく。
「女の子!そうだ衛兵さん、女の子を見ませんでしたか?銀髪で、両目が色違いの瞳の。」
「女の子、ですか?銀髪の……?」衛兵が首をひねる。
と、衛兵の口がぽっかりと開く。
「いました。目はどうかわかりませんが、銀髪の、肌の白い女の子を背負った男が。」
「いつだ!いつの話だ!?」ヘイルが衛兵の肩を揺さぶる。
「ほ、ほんの少し前です。二時間も経ってないかと……。」ヘイルは手を離した。
「そうか……。」がっくりとうなだれる。
間に合わなかった。ほんの少し、遅かった。そしてそれは、決定的な遅れだった。
沈黙が広がる。誰ひとりとして、何も言わない。旅が、無駄になってしまった。
「あ、あの……。」衛兵が困ったように声をかける。だが、誰も、ヘイルもクリスもマリアさんでさえ応えない。
その時、列が急に騒がしくなった。カツカツと、聞き慣れた音がする。
顔をあげる。ヘイルの馬が、そこにいた。
「お前……。」ヘイルがつぶやく。まだ息も絶え絶えで、蒸気の息を絶え間なく吹き出している。膝が震えており、本来の力強さはどこにも見当たらない。
それでも、こうしてここに来た。主人のために全力を尽くして、なおもついてきた。
そうだ。この馬でさえ諦めてないのに、人があきらめてどうするのだ。
「お、おい、何を……。」ヘイルは荷物を下ろし始める僕に呼びかける。
「追いかける。」それだけこたえる。
「追いかける、だと……?国境を超えるつもりか?無駄だ、この先は治安の悪いことで知られているユピテル国だ。この国の犯罪者が普通に街を歩くような国だ。そしてアングマルの友好国だ。敵の中に飛び込むようなものだぞ!」
「それでも行く。僕の選ぶ道は一つだけだ。あいつを追いかけ、会って、話をして。後は、それから考える。」荷物を背負う。ヘイルに振り返る。
「僕は行く。君はどうする?」
「どうする…だと……?私を誰だと思っている。私はこの国の皇子だ。これ以上のことはできん。」
「そうか。じゃあ、さようならだ。……短い間だったけど、一緒に旅ができてよかったよ。」踵を返し、国境へと歩き出す。
国境を、超える。
振り返らない。ただ、前だけを向いて、これまでと同じように、歩き続けるのみ。
背中を見つめる。あるいて行く男の姿を、イェリシェンの姿を見送る。
ためらいはなかった。国境を超える足に、戸惑いはなかった。どうすると尋ねる瞳に、迷いはなかった。
簡単に言ってくれる。俺は皇子だ。サン国第二皇子、ヘイルだ。この命は、国のために。この旅でさえ無茶なことだ。これ以上は、我儘だ。ただの意地を張るだけになる。
自分の足を見下ろす。さっきまで、全力で走った足。軽かった足。今は、こんなにも重い。
がさごそと音がする。二人が、荷物を背負っている。
「行くのか。」自分でも、驚くほど落ち着いた声。心を燃やす熱はどこへ行ってしまったのか。
「行くわ。私はイェリシェンについていくって決めたの。今更引き返せないし、そのつもりもない。……あんたは行かないのね。」
「ああ。俺は、ここまでだ。」
「……そう。じゃ、さよなら。もう会うことはないでしょ。」さっぱりとしたもの言いで、歩き出すクリス。彼女はいつもそうだ。俺に対して、遠慮がない。それを咎める気もないが。
「じゃあ、私もこれで。さようなら、ヘイルさん。」お辞儀をして、後に続くマリア。彼らは二人揃って、何でもないように国境を超えた。
「……本当に、簡単に超えて行くんだな。」さて、俺も戻らねば。愛馬の手綱を取り、歩き出す。
国境とは反対側に。一歩、二歩、三歩……。
五分くらいして、何となしに後ろを振り返る。別に未練があったわけじゃない。見納めになるかもしれないから、もう一度よく見ておこうと思ったんだ。
「あ……。」思わず言葉が口を衝いて出た。やっぱりついてきている。僕の少し後ろを、クリスとマリアさんが並んでついてきている。
「まったく二人は……。」ため息に微笑が混じる。なんだかんだいって、二人がいると心強い。
「まあ、これであいつがいたらもっと心強いんだけど……。」言って、笑った。微笑でもない、普通に笑ってしまった。嘲笑いでも、苦笑でもない。それは、嬉しさからこぼれた笑みだった。
今まさに、門から爆走してくるヘイルが見えた。
心地よい眠り。今までで、一番の、心地よい眠り。顔は熱くて、でも体は寒くて、息が苦しいのに、なんだかとっても嬉しい。眠っているからわからないけど、私は、エレンは多分、笑ってる。だって、こんなに嬉しいんだもの。
ずっと、繰り返していた。名前をもらった、エレンと呼んでもらえた、あの日のことを。浅い眠りの中で、何度も、何度も。
とってもいい夢。こんな夢なら、いくらでもみたっていい。でも、今はもっといい夢を見てる。
浅い眠りが覚めた。エレンは眠たくて、目を開けるのが大変だった。あの人の背中が暖かくて、うずくまっていたかった。でも、あの人がエレンを見ているのに気がついて、一生懸命眼を開けた。
「しっかりつかまってろ、エレン。」あの人は言った。
そして笑った。笑ってくれた。
エレンに笑ってくれた。
エレンが笑わせた。
嬉しくて。嬉しくて。涙が出そうで。
叫びたかった。
世界中の人に、あの人に、伝えたかった。
あの人がエレンに笑ってくれた!エレンがあの人を笑顔にした!
嬉しくて、誇らしくて、伝えたくてたまらない。
でも、エレンに声はない。エレンに言葉はない。エレンは伝えられない。「私」を「エレン」にしてくれた人に、伝えられない。
だから、ぎゅっとする。言われた通り、しっかりつかまる。
熱いはずなのに。冷たいはずなのに。重たいはずなのに。
邪魔なはずなのに。あの人は笑ってくれた。
嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて。
何度も何度も繰り返す。優しい笑顔を繰り返す。
ああ、これがきっと。初めてで、よくわからないけど。ずっと、ずっと前に、教えてもらったこと。
これがきっと、しあわせなんだ。
どうも、こんばんわ(いや、おはようございますか)、じょんです。遅くなってしまい申し訳ないです。思ったより長くなってしまいました。
先週、短編をあげました。読んでいただいた方もいるかもしれませんが、長いです。無駄に。
枚数オーバーでダメになったのでぶち込んだのですが、そのために全く読者に配慮してないです。そのうち、少し分けようかなと。そのうち。
それはそうと、いつの間にかアクセス数が五万超えてました。自分でもびっくり。何かの夢じゃないかと。こんな小説を読んでくれる優しい方が、こんなにいるのかと。
本当に、読者の方々には感謝しっぱなしです。一人一人ありがとうを言いたいです。
気付けば、イェリシェン達の旅も、国境を越えてついに新しい国へ。彼らの旅のように、振り返れば随分と長い時間が過ぎています。
でも、ここまで来れました。それはやっぱり、私一人じゃできなかったことだと思います。こうして読んでくれる人がいるから、コメントをくれる人がいるから、楽しみにしてくれている人がいるから、ここまでこれたと思っています。
本当に、ありがとうございます。最終回みたいなノリになっていますが、物語は全然終わりません。まだまだ続きます。これからも、よろしくお願いします。
では、また次回に。次回は、新キャラが出るかも!?




