第八話:ぬくもり
今回の話には、下品で卑猥な言葉や人によって生理的嫌悪感を覚える表現が含まれています。このような表現が苦手な方、抵抗の無い方は読まずに飛ばすことをお勧めします。
私は夢を見ない。最初から夢を見なかったわけじゃない。いつかもわからないようなころに、何かしらの夢を見たことはある。それがどんな夢だったかは覚えてない。ただ、私も夢を見ることがあったということは覚えている。
それでも、眠れば夢を見る。それは避けられないこと。でも、それは私にとって夢じゃない。夢は、楽しくて、心があったかくなるものだから。
だから、これは回想。その日に起きたことの繰り返し。
見るものはいつも同じ。その日に起きたことを見るのに、見るのは毎日同じ。私はその日起きたことを眠りながら繰り返される。
怒鳴られて。蹴られて。叩かれて。無視されて。季節が違くても、場所が違くても、やり方が違くても、されていることが同じ。だから、同じ回想。苦しいのも、怖いのも、寂しいのも、全部繰り返す。ただ、痛みがないだけ。
でも、今は違った。久しぶり、久しぶりに、その日のことではなかった。それでもやっぱり、私が見るのは夢じゃなくて、回想だった。
すごく寒い夜だった。雨がたくさん降って、水たまりに足が沈んじゃうくらいだった。濡れた体が冷たくて、干し草の中で小さくなっていた。
不意に大きな物音がした気がして、目を覚ました。干し草から顔だけ出してみても、外は真っ暗で何にも見えなくて、相変わらず雨が地面をたたく音がやかましかった。それでも、妙に気になって、馬小屋から外をのぞいてみた。
とても寒いのに、家の扉が開いていた。お家の光が漏れ出て、入口あたりを照らしていた。
今思えば、どうしてそんなことをしたのか分からない。照らされた地面に足跡があることも、それが家の中に入って行っているのにも気づいていた。考えれば、なにが起きているのか、すぐにわかることだった。
私は、戸口の前に立った。
食べ物のおいしそうなにおいがする。辺りは真っ暗だし、早くに眠ってしまってわからなかったが、ちょうど夕食の時間らしかった。ご飯のことを考えると、お腹が鳴りそうになった。今日は一日食べてない。一日一回だけ与えられるはずのパンはもらえず、大雨のせいで、森に行って木の実すら探すことができなかった。お腹を押さえながら、扉に触れずに家の中に入った。
靴の形が分かるほどたっぷり泥がついた足跡は中に続いていた。家の中は静かだった。
一歩一歩、物音を立てないように。気付けば、息も止めていた。どうしてこんなことをしているのだろうか。なんで私は家の中に勝手に入っているのだろうか。家に入れば、絶対に怒られる。怒鳴られて、ぶたれて、痛めつけれて、外に放り出される。そうなることは、わかっているのに。
そんなことを考えながら、廊下を進んでいった。答えなんてとっくに知っているのに、それに気付いてないふりを自分でしながら。
答えはすぐに目の前に現れた。わかっていたことだ。なにが起きているのか。どうして扉があいていて、泥の足跡が続いていて、私が息を殺していて……。
どうして、二人が死んでいるのか。
息が詰まった。頭がくらくらして、倒れそうだった。手足の感覚がなくて、吐き気がして、目をそらして地面にうずくまりたくなった。
なのに、私の目は床で倒れている二人に注がれたままだった。
手前にいるオブロクおばあさんは、あおむけに倒れていた。いつも薄眼でじっとわたしを睨んでいた。今は眼球が飛び出るほど目を見開き、茫然とこちらを見ている。口はおおきく開かれたままで、ぱっくりと裂けた喉から悲鳴が漏れ出てきそうだった。
オブロクさんはおばあさんの下敷きになるようにうつ伏せに倒れていた。いつも私をぶっていた手は、何かをつかもうと伸ばされたまま、むなしく宙を掻いている。
あっけない。ただ、それだけ思った。
あっけないと。私が怖がっていて、それでも逃げられなくて、縛られている気がしていたのに、あっさりと終わってしまっていた。まるで何でもなかったことのように。
暖炉の前に二人の男が立っている。手には血塗りのナイフ。切っ先から垂れた血が、血だまりになった床に水音を立てて落ちていく。
おもむろに、男の一人がこちらを振り向いた。私はその男と目があった。男の顔が、驚いた表情から、次第に残忍な笑い顔になって行くのを、ただ見ていた。
男はゆっくりと私に歩み寄った。ナイフを隠しもせず、右手にしっかりと握りしめたまま。私は逃げなかった。逃げられなかった。足が地面に張り付いたように動けず、目は男から離れなかった。
男が腕をつかんだ。その時になって初めて、私の体は言うことを聞いてくれた。でももう遅かった。男は腕をしっかりとつかんで離さないし、逃げようとあがく私をみて心底楽しそうな笑みを浮かべている。
「おい、よくみろ。そいつ穢れた血じゃねえか。さっさと殺しちまおうぜ。」もう一人の男が言った。
「まぁ待てよ。殺すのは、楽しんでからでも遅くねえだろ。」
「お前まさか……。死体の次はバケモノかよ。しかも子供ときたもんだ。お前の変態ぶりには、流石の俺もほとほと呆れちまうよ。」
「妹に手を出した奴が何言ってやがる。それにな、これは純粋な探究心だよ。普通はもう飽きた。人がやったことは全部やった。なら、誰もやってないことに挑戦したくなるのは、道理だろう?」男は仲間に振り返っていた顔を、私に近づけると、耳元で囁いた。
「譲ちゃんもそう思うだろう、なぁ?」頬を舐められた。獣が舐めるように、べろりと。
はじめて「気持ち悪い」を知った気がした。体中に鳥肌が立って、首の後ろあたりがかきむしりたくなるほどむず痒くなって、体が寒くなった。
怖かった。
腕を振りまわした。
暴れた。
男は喜んだ。
「おいおい、すごい嫌がられてるぜ。嫌われちまったんじゃねぇの?」男の仲間がからかうように笑う。
「生きがいいってことだろ。それに、嫌がるのを無理やり犯すのが、俺はたまらなく好きなんだよ。」男も同じように笑った。笑いながら、私を抱きしめて離さない。
男は私を抱えたまま暖炉の前まで来ると、私を突き倒した。その上に男が馬乗りになった。右腕をもう一人に踏みつけられ、左腕を男に抑えつけられた。
「ひひひ、動くなよ、動くと手元が狂って、ぶっさしちまうかもしれねぇからな。」目の前にナイフをちらつかせながら、男は笑う。これ以上ないくらい気持ち悪く。
「あれ、叫ばねぇのか?なんだい、おもしろくねぇ。悲鳴あげてくんなきゃ、盛り上がらねえじゃねぇか。」男は心底がっかりした顔をした。
「なぁ、お前みたいなの、なんていうか知ってるか?」
「なんだ、紳士か?」
「んなわけあるか。絶対人がやらないようなことをお前みたいに好んでする奴をな、巷じゃ、異常性欲者、っていうんだぜ。」
「へぇ、いじょうせいよくしゃ、ね。いいじゃねえか、異常同士、仲良くやろうぜ譲ちゃん。」男は舌なめずりをすると、ナイフの刃を返してそっとシャツの胸元に差し込むと、下へとナイフを引いて行った。
シャツが小さな音を立てながらゆっくりと裂けて行く。男はそれを嬉々とした目で見つめ、半開きになった口からよだれがお腹に垂れた。仲間がつばを飲み込む音が聞こえた。私はただ、もがくこともできずに見ていることしかできなかった。
「なんだいこりゃあ。あけてびっくり玉手箱じゃねえか。」
「言っていることの意味が、全く分からないんだが。」
「おれもわかんねぇ。それだけ驚いてるってことだ。見ろ、この肌。こんなに白くて艶のあるのは初めて見るぜ。ひひひひひ。」
男は私の体に舌を這わせた。ねちっこくて、よだれだらけの舌を、ナイフとは反対に、下から上へと、体の真ん中をなぞるように首筋まで。
叫んだ。いつかも思い出せないくらい久しぶりに、私は声を絞り出そうとした。
でも出なかった。どれだけ叫ぼうとしても、助けてと言おうとしても、息のほかに口から出てくるものはなかった。
だって、私は声を無くしてしまったから。他の大事なものと一緒に、どっかに置いてきてしまったから。
「ありゃ、なんだい、叫ばないんじゃなくて、叫べなかったのか。成程、だったら殺す必要もなかったかな。」
「冗談言うなよ。こんなきれいなおもちゃなんだぜ。遊んだら、ちゃんと壊さなきゃ。」男は狂気じみた笑みを浮かべた。
「……ホント、お前にゃぴったりだな。」
「よせやい、そんなに褒められちゃ照れちまうぜ。……さてと、じゃあ今度はこっちを裂いてやりますか。ひひひ、上がこれなら、下はどんなんだろうなぁ。ひひ、ひひひ……。」
男のナイフが私の下腹部から、さらにその下へと向かう。どんなにもがいても、逃げられない。どんなに叫んでも、声は出ない。助けを呼べない。でも、呼べたって同じ事。私を助けてくれる人なんて、いやしないのだから。
助けはこない。そう、いつだって、助けはこない。
どんなに痛くて、どんなに苦しくても。
どんなに寒くて、どんなにひもじくても。
どんなに寂しくて、どんなにつらくても。どんなに助けてと叫んでも、誰も助けてくれない。
私の願いを聞いてくれる人はいない。
私の声を聞いてくれる人はいない。
伸ばした手を握ってくれる人はいない。
私に救いは無い。
男の手が止まった。
「なんだ、てめえは!?」仲間が鋭く叫ぶ。男も後ろを振り返る。
男の人が、立っていた。一糸まとわぬ姿で、堂々とこちらを見ている。靴もはいておらず、川から上がったみたいにびしょ濡れで、夜みたいに黒い髪からぽたぽた水が垂れていた。
男の人は、あっという間に二人を殺した。髪の色、瞳の色と同じ黒い剣で。
男の人と目があった。真っ黒な瞳が私を見つめた。私は目が離せなくなった。
オブロクさんたちを殺した人たちの何倍も、いや、比べることができないくらいに怖い人だった。私にはすぐにわかった。この人は今までたくさん人を殺して、これからもたくさん殺すんだと。今みたいに、眉一つ動かさずに。
凄く怖い人だった。これ以上怖い人はいないと思った。
なのに、私は怖いと思わなかった。怖いと思えなかった。
全身から殺意がにじみ出ていた。右手に持つ剣は恐怖の象徴だった。顔に優しさはなかった。
なのに、なんでだろうか。私を見つめる瞳は、夜空みたいに澄んでいて。
一番奥に、「悲しい」があった。
ゆらゆら、ゆらゆら、揺れている。時折吹く冷たいそよ風が、頬に当たって心地よい。
うっすらと目を開けると、道が見えた。ちゃんとした道。森の中の、でこぼこして、下生えが足に絡みつく歩きにくい道じゃなくて、ちゃんと人が通れるようになっている道。
私はそこを進んでいる。歩いているのでなく、進んでいる。だって、私は歩いてないから。
でも、どうして?歩いてないのに、進んでいる。そんなのおかしい。だって、歩かないと、前には進めない。
私は誰におんぶしてもらっているのだろう?
「目が覚めたか。」声を掛けられて、誰がおぶってくれているのか気付いた。それで思わず飛び上がろうとして、急に頭がくらくらして、のけぞって後ろに倒れそうになった。それを黒い瞳の人は体を持ち上げて支えてくれた。
「暴れるな。落ちるだろうが。」黒い瞳の人は肩ごしに私の顔を覗き込んだ。この人はいつもと同じ、怖い顔をしている。なのになんでだろう、今日はなんだか穏やかに見える。
聞き慣れた鳴き声が聞こえて、そちらを見る。傍らにおじいちゃん驢馬がいた。この子に名前はない。私と同じだ。あるのかもしれないけど、私は知らないし、呼ぶこともできない。でも、私の一番の友達。
おじいちゃん驢馬は、鼻面を私の足にこすりつけた。
「おい、俺の手にまで触るな。臭くなるだろ。」黒い瞳の人は半歩驢馬から離れた。でも、右手にちゃんと手綱を握っている。あれだけ嫌がっていたのに、驢馬はこの人が近くにいても平気になっていた。どうして?そういえば、なんだか頭がぽわぽわして熱いのに、すごく寒い。
それで、思い出した。雨が凄く降ってた。私は倒れて、それで……。
ベッドで寝てた。誰かが話しているのを聞いた気がする。起きたり眠ったりを繰り返してた。いつも枕元に誰かが座っていた。ときどきお水と一緒に苦いものを飲まされた。その度、誰かが頭を優しく撫でてくれた……。
そう、私は病気になったんだ。それで、誰かがお医者さんに連れて行ってくれて。
なんで、この人がおんぶしてくれているんだろう。
どうして?どうして、私を置いていかなかったの?どうして、お医者さんに連れて行ってくれたの?どうして、私をおんぶしてくれているの?
どうしてあなたは私を助けてくれるの?他の誰も、カミサマだって助けてくれなかったのに。
聞きたいことがいっぱいある。なのに、私に言葉はない。それにきっと、聞いたところで答えてくれない。このひとは、きっとそういう人だから。
「エレンだ。」突然、黒い瞳の人は呟いた。ひとり言のように、誰かの名前を。
「お前の名前はエレンだ。わかったな、エレン。」黒い瞳の人は構わず続けた。私のほうを見ようともせず、いつもの冷たい口調で。
きっと、この人にとってはなんでもないこと。『あれ』とか『これ』とか呼ぶのが面倒だからっていう、どうでもいい理由。
でも、私の耳には、その言葉は優しく響いた。初めて聞いた、優しい言葉だった。
名前がもらえた。
名前で呼ばれた。
『あれ』でも『これ』でも『それ』でもない。
『あいつ』でも『こいつ』でも『お前』でも、『穢れた血』でもない。
エレン。
私はエレン。
私の名前はエレン。
うれしかった。すごく、すごくうれしかった。
『ありがとう』を言いたかった。
『うれしい』を伝えたかった。
でも、私に言葉はなかった。私のほうを見てはくれなかった。
だからぎゅっとした。私に言葉はないから。伝えたいことを伝えることができないから。
だから、せめてうなづく代わりに、私は、エレンは、ぎゅっと抱きしめた。
それは、少しだけ抱きつくのを強くしただけ。それだけしか、エレンは気持ちを伝えられない。
黒い瞳の人は何も言わない。頷きもしない。拒絶もしない。ただ、黙ってエレンをおぶったまま歩いている。
黒い瞳の人の背中は、あったかかった。
読者のみなさん、こんばんわ。じょんです。
随分遅くなってしまって大変申し訳ありません。だらだらしていたのもありますが、今回どうしようかすごく悩んでしまい、時間がかかってしまいました。それだけ考えた割に、いつもと量変わらない(むしろ少ない?)し、よくなってるわけでもないんですが。
それより前書きはなんだよ、という方もいらっしゃるかも知れません。
前書きにも書きましたが、今回結構卑猥な表現(作者にとっては)を使ってます。盗賊二人が。
読者の中には受け入れられないという方もいるかもしれません(特に女性は不愉快に感じるかもしれません)。ですが、これは人物の背景を作るのに大事な表現だと思っています。
なんだか謝罪文みたいになってしまいましたが、要はこう言ったのも含めて「Last Game」だと理解してほしいな、ということです。
では、また次回もお楽しみに。