第三話:邂逅
尾行。それは、人の後をこっそりとついていくこと。決して尾行の対象に気づかれぬよう、目立たず、静かに気配を消し、風景に溶け込む。人通りのあるとおりなら人ごみにまぎれる。尾行とはそういうものだ。
……はずなのだが。
「いるわね」
「いるね」
「いますね」
もう一度振り返る。
「やっぱりいる」
「やっぱりいるね」
「やっぱりいますね」
僕らは頭をつき合わせて声を潜めた。
ラグをたってから一週間、僕らは新たな町、ビュッフェルドにきていた。小さな町ながら、陶器の生産が盛んなのか、通りは焼き物を置いている露天が多く、活気もある。
その往来で、ひときわ目を引くものが一人。僕らの三十歩ほど後ろを、馬を引いて歩いているフードの男だ。
「ばれてないつもりなのかな」クリスがそっと耳打ちする。
「さぁ?」首を傾げて答えた。
フードの男が僕らの跡をつけているの明らかだった。ラグで宿が一緒であったのにもかかわらず、彼と出会うことはなかった。そのくせ、僕らが出発してほどなくすると、気付けば馬の蹄の音が聞こえていた。森を切り開いて作ったためか、うねうねとまるで蛇が通ったような道筋のために、後ろを振り返っても何も見出すことはできなかったが、耳を澄ませばかすかに蹄鉄の地面をふみならす音が聞こえ、僕らが立ち止まれば少しして音は途絶えた(最も、僕とマリアさんには全く聞こえず、最初に音に気付いたクリスが耳を澄ましてやっと聞こえる程離れていたのだが)。結局、街に入っても彼の尾行は終わらず、ずっと後をついてきている。
だが、彼は非常に人目を惹いた。彼自身は灰色のフード付き外套を羽織っているのみで、目立つところはどこにもなく、振る舞いも自然なものだ。ただ、彼の引いている馬が、人ばかりで荷馬車も通らないこの街で、一種異様な存在と化していた。しかも、彼の馬は他の馬と比べても明らかに大きく、体躯に優れていた。その引き締まった体に足を止める通行人も一人二人ではなかった。当然、後ろでざわめく気配を感じ取ったクリスが、彼の存在にいち早く気づいたのは言うまでもない。
「それにしても、どうしてあの人は私たちの後をついて来るのでしょうか?」
「さぁ? とりあえず、見た目通りの旅人でないってことは確かよね」とクリス。
「確かにね。それに……」
『それに?』言い淀む僕を、二人は声をそろえて促した。
「なんだか、どこかで会っている気がするんだ」ちらりと後ろを振り返る。気付いていないのか、それとも無視しているだけなのか、相変わらず周囲の関心に反応を示さず、黙々と僕らと同じ道をたどる男の姿があった。
「さっさと金出せって言っているだろうが!」
突然、どすを利かせた声が通りに飛び込んできた。壊れる高い音が聞こえ、通りに面した家から人が転がるように、否、転がって出てきた。
通りがざわめき立ち、人々の足が止まる。だが誰も、倒れている女性に手を差し伸べようとはしない。
転んだときにどこかを痛めたのか、女性はうずくまったまま立ち上がろうとしなかった。すると、女性が出てきた家から男が一人、肩をいからせ、足をふみならして現れ、そのまま女性に近付いていった。
「起きろ!」男はいささかの手加減も見えない、容赦のない蹴りをうずくまる女性の腹部に見舞った。女性の体が低く跳ね上がり、短い悲鳴が上がった。男は女性に屈みこむと、その髪をつかみ、引っ張り上げて無理やり立ち上がらせようとした。女性はたまらず膝立ちとなったが、やはりどこかをけがしたのか、それとも先ほどの男の蹴りか、どれだけ引っ張られてもそれ以上立ち上がろうとしなかった。男はいら立った様子で顔をそらさせ、俯いた顔を持ち上げて自分と目が合うようにした。
「早く金を払わないから痛い目見るんだろうが。ここいらのやつで払っていないのはお前だけなんだよ」
「そ、そんな。家にそんなお金はありません。ここに店を構えているからとって、おっしゃるような金額を取られてしまっては、どうして生活していけましょうか」
「そんなこと俺の知ったことか。いいからさっさと金出せ。さもないと」男が拳を振り上げる。女性は痛みを予期して反射的に体をこわばらせる。彼女には抗うという選択肢はなかった。
が。男の拳は振るわれることなく、振りかぶったまま止まっていた。
「そこまでだ。これ以上は我慢がならん」
低く響く声。男の腕は、背後に現れた、フードの男に掴まれていた。
「な、何だてめぇ!」男はあわてて腕を振り払おうとする。だが、男の腕は、微動だにしなかった。まるで男の腕がその空間に固定されたかのように。
当然、そんなことはあり得ない。いや、僕は知らないだけで、そういう魔法は存在するかもしれないが。
「は、離せ!」男はむきになり、全身で勢いをつけて腕を振りはらった。だが、男が振り払おうとした瞬間、フードの男が手を離したので、男は自らの勢いを止められず、そのまま地面に自分から投げ出されるように倒れた。
「いってぇ! オイお前、俺が誰だかわかってんのか!?」男は立ち上がると、自分の邪魔をした相手を睨みつけた。だが、その姿はいささか迫力に欠けた。男ははたから見てもわかるほど目の前の存在に戸惑っている。フードの男は彼よりも十センチ以上も背が高いうえ、ただ立っているだけなのに相手を圧倒させる雰囲気を持っていた。
「お前のことなど知らぬ。知るつもりも、知る必要もない。そも、いかなる理由があれ女に手を上げる男なぞの言葉を聞く耳など持っておらん」
「何だと!? 言わせておけば調子づきやがって」男は腰に手をやり、剣を引き抜いた。周囲で事の成り行きを見ていた人たちから悲鳴や息をのむ音があがる。男はそれで自信を取り戻したのか、あれほど慌てふためいていた顔が、女性をいたぶっていた時の、下卑た笑みに変わっていく。しかし、フードの男の反応は男の望むものではなかった。
彼は剣を見てもあわてる風もなく、ただ眉だけを寄せて、こう言い放った。
「今なら見逃す。剣を収めよ。でなければ、容赦はできん」
「こ、の! 人をどこまでも馬鹿にしやがって!」男は手にした剣を大上段に振りあげ、彼に襲いかかった。周囲から悲鳴が上がる。勇敢ではあるが、後先を考えない愚かな男がはやられてしまう、と多くの者が目を覆い、顔をそむけてその決定的瞬間を見まいとした。だが、僕らは目をそらさなかった。彼がただの蛮勇とは思ってはいなかったから。それは正しかった。
男が間合いに入る直前、フードの男の体が掻き消えた。いやそう思うほどに一瞬のうちに懐に飛び込んだ。かと思うと、いつの間にか男のわきをすり抜けていた。その手には、いつ抜いたのか血染めの剣が握られている。
男は振り上げた剣を永遠に振り下ろすことができぬまま、腹から派手に血しぶきを撒き散らして絶命していた。彼が倒れた地面はすぐに血だまりとなり、大地が吸うより早く範囲を広げて行く。
先ほどとは対照的な、水を打ったような静けさがあたりを満たしている。が、それも長くは続かなかった。
「野郎!」静寂を破ったのは、今いる通りにつながっている別の通りから現れた一団だった。顔が似ているというわけでもないのに、彼らのその振る舞いから、容易に男の仲間だと想像できた。事の顛末を見ていたのか、各々の手には、思い思いの武器が握られている。短剣やナイフが主だったが、中にはメイスを持っている者もいる。
だが、それだけの人数がい、かつ武装も済み、完全な臨戦態勢になっているというのに、フードの男に立ち向かっていくものは誰もおらず、相手の顔と、持っているその剣を交互に見比べている。
フードの男の剣。いまだ殺した男の血を滴らせているその剣は、普通のものとは少し違っていた。刀身はロングソードにしては長く、柄も片手で扱うには少し長い。おそらく、バスタード・ソードと呼ばれる類のものなのだろうが、それにしても、刀身の幅と、分厚さは異常だった。手のひらほどの身幅を持ちながら、ここからわかるほどの厚さときている。重さなら両手剣並、もしかしたらそれ以上ある重さの剣を、彼は片手で扱っているのだ。切れ味は悪そうだが、その重量と、彼の見せた技量なら、切れ味など関係なく分厚い鎧も、たやすく両断するだろう。
だが、なぜ彼はあの剣を扱っているのだろう。彼の趣味、と言ってしまえばそれまでだが、普通旅人は可能な限り荷物を少なくする。戦うことを前提としているならまだしも、護身用の剣なら、ショートソードでも事足りるし、実際そうしている旅人は少なくない。それは今まで旅してみてきたものなのだから、間違いない。むしろ、僕や彼のようにロングソードを持っている人のほうが少ないくらいだ。かといって、伊達を気取っているわけでないことは、先の剣術からして明らかだ。ますますもって、彼が何者なのかわからなくなってきた。
思考はそこで中断された。ただの偶然か、それとも男たちが呼んでいたのか、反対側、フードの男の後ろの通りから、武器を持った男たちがさらに数人現れたからだ。
「やっちまえ!」リーダーなのか、頭を丸めたいかつい男の号令一下、やくざ者たちがフードの男に襲いかかった。
それと同時に走り出した。いくらフードの男が強くても、数が違いすぎる。囲まれたらおしまいだ。
走りながら剣を抜く。ダマスカス鋼特有の鈴によく似た音が耳に馴染む。背後から、クリスたちの制する声が聞こえた。
僕が戦いの渦中に飛び込んだ時、フードの男は四人を同時に相手にしていた。
『!!』驚きは両者から。
「加勢します。いくらなんでも一人じゃ無理だ!」切りかかった相手の剣をそらし、空いた胴を蹴り飛ばしながらフードの男に提案する。
彼は相変わらず顔の見えないまま、こちらを向いていたが、結局一言も答えず、うなづきもしないまま、隙を突こうと向かってきた相手を一刀に伏した。
それを承諾と受け取ることにし、目前の敵に集中する。相手は残り十数人、既にフードの男が四人倒しているが、依然としてこちらは劣勢なまま、彼は三人、僕は二人を相手にしていた。他の者たちは同志討ちを警戒しているのか、単に怖気づいたのか、僕らを取り囲んだだけで攻めてはこない。それが救いといえば救いだった。今全員に襲いかかられたら、それこそひとたまりもない。
今は早く倒すことが先決、と自分から一人に切りかかる。相手がそれを防ぐと、横合いからもう一人がショートソードを突き出してくる。咄嗟にそらすも、のけぞったために体勢を崩しながら後退してしまう。それを好機と二人ががむしゃらに攻め崩そうとしてくる。
違和感に気付いたのはその時だった。いや、違和感が確信に変わった。
「腕が落ちてる……!?」体が驚くほど鈍っている。身体能力は落ちていない。思うように体は動くし、けだるさもない。だが、圧倒的に動きにキレがない。
最初の打ち込みから違和感はあった。剣筋はブレ、体重は乗り切らず、剣を振った勢いでそのまま体が流れる。受けに関して言えば、ただ攻撃に反応して剣で体をかばっているだけで精一杯で、それも記憶にある自身の動きをまねてどうにか、といった状態だ。
今までは、体が勝手に反応してくれた。一太刀打ち込むたびに技のキレは増し、不意打ちには体が自動的に反応して躱し、受け流し、反撃を加えていた。
それは、僕がグラムだったから。記憶が封じられ、意識して能力を押さえこまれていたとはいえ、僕の体は戦場で恐れられた『死神グラム』そのものだった。業は体に染み付いていて、グラムが望む、望まないにかかわらず、僕が望むままに剣を振るえば、体はそれに応えてくれた。
だが、それももうない。いかなる術によるものかは知らないが、僕はグラムと分離し、一度は消滅しかけた。クリスたちにも話してはいないが、僕はあの時消えかけていた。死にかけていたのではない、世界から消え去ろうとしていたのだ。そして残ったのは、意識しなければ消えてしまう気がする、存在感の希薄なこの体と、『イェリシェン』というまぎれもない僕である自我だけ。それでも、こうして生きているのだから文句は言えないだろう。そもそも、僕は偽物、グラムの影。本来存在すらしないはずの、存在を許されない、持たざる者。ないものがある、それだけで奇跡なのだから、剣の技術の一つや二つ。
だから、今の僕にできるのは、記憶にある以前の体の動きを真似るだけ。だがそれは、思い出す行為ではなく、指南書を読みながら戦っているようなもので、動きはのろく、そして完璧でもなかった。
「く、そ……!」思わずこぼれる悪態。まさか、ただの二人にここまで押されるとは思ってもいなかった。
自信はあった。全員相手にはできないけれども、フードの男の手助けくらいできると思っていた。今までグラムの力を借りてしまったことはあったけれども、それをあてにしたことは一度もない。盗賊やゴブリンを倒したのは僕自身だし、自分一人ではなく、偶然でもあったけれども、オーガだって倒して見せた。少しは自信を持ってもいいはずだ。
しかし、その自信は脆くも崩れ去り、そのくだらない自信のせいで絶体絶命の状況に置かれている。
「伏せろ」低いつぶやきが聞こえた。それがどういう意味かと後ろを振り返ろうとした。が、そこで躓き、転んだ。
その瞬間、先ほどまで僕の首があったところを一筋の光がはしり、僕にとどめを刺そうとした二人の振り下ろしかけた剣を、横からたたき折った。一人にいたっては、剣ごと両腕も吹っ飛んだ。
男の腕は肘から先が消え、そこから血がドボドボと流れて行く。
「あぁ……ぁ……。」男は膝をつき、声にならない声を洩らすばかりで、ぶるぶると震えながら、肘の付け根を茫然と見つめている。
その首を、フードの男が上から剣を突き刺すような格好で落とした。その様は、さながら罪人の首を落とすギロチンだった。肘からの出血が多すぎたのか、男の首から血が吹き出るようなことはなく、ただいつまでもびくびくと震えていた。
フードの男は僕に手を差し出した。辺りには死体が転がっており、その数は八つ。すべて彼が倒したものだ。残った相手は戦意を喪失したように攻めてこない。
「どうやら、助けはいらなかったみたいだね」僕が手をつかむと、彼はそのままグンと持ち上げた。やはり凄い力だ。
彼の力に感心しつつ、感謝を述べようと口を開いた。
「危ない!」だが、飛び出したのは警告だった。彼の肩ごしに、クロスボウでこちらを狙っている者が見えたからだ。
彼は瞬時に振りかえり、剣を構えようとした。その反応は素晴らしかったが、それでも遅すぎる。
弦を弾く音が空気を裂いた。だがそれは、前からではなく、後ろからだった。
「ぎゃっ!」クロスボウを構えた男が悲鳴を上げ、武器を取り落とした。男の手は長矢が貫通している。振り返ると、僕らから遠く離れた、男から約五十歩ほどの距離に、弓を構えたクリスの姿があった。
フードの男は隙を見逃さなかった。彼は飛んだ。いや、跳んだ。男から十歩以上の距離を五歩で駆け抜け、最後の一歩を飛んで一気に相手に詰め寄ると、その勢いをすべて乗せた一撃を男に振り下ろした。大上段から、両手で袈裟がけに振るわれた剣は、男の肩口から心臓までを一気に切り裂いても勢いは殺されず、反対のわき腹を皮一枚残してやっととまった。
彼のフードは脱げていた。最後の跳躍による風圧によって吹き払われていた。
僕らは彼の顔を見た。彼は剣を馴れた手つきで抜いたところで、頭に手をやり、フードが脱げていることに気付いた。あわててフードをかぶろうとし、半ばまで引き上げたところで、僕らのほうを向いた。そして唖然とした表情で、同じく唖然としている僕らと見つめ合った。
「かけてくれ。長い話になりそうだからな」彼はため息交じりに言った。僕らに背を向け、小さな窓から外を眺めている。僕らは座らず、戸口に立ったままだ。
「ついてこい、話はそれからだ」戦いが終わり、後の処理も済むと、彼はそれだけ告げ、同意を得ぬまま歩き出した。僕らはついていかないわけにいかず、仕方なく後を追った。彼に聞く必要がある。なぜ、あなたがここにいるのか、と。
案内された宿は街の中でも小さく、古めかしかった。というより古ぼけていて、今にも倒れそうだった。馬小屋はなかったので、彼は仕方なく近くの別の宿にとめた。愛想の悪い亭主から鍵を二つ受け取ると、彼は一つを僕に手渡した(彼は四部屋借りようとしたが、部屋は三つしかなく、一つは亭主の部屋だった)。
「荷物を置いたら私の部屋へ。ノックは三回だ」そうして、今にいたっている。
彼は窓から離れると僕らに向きなおった。
「さて、何から話せばよいか。このようなことは想定していなかったからな。……何だ、座らないのか? いや、私が立っているのでは座りにくいか」彼はふむ、と顎を手で支えて考え込んだ。先ほどまでのだんまりとは対照的で、よくしゃべる。もしかすると、本当はおしゃべりな人なんだろうか。
「そのフード。とったらどうです? 今更隠す必要もありませんし、ここなら誰かに見られる心配もないでしょう」クリスは敵対心を隠そうともしない。彼の正体を知ってから、クリスはずっと睨んでいる。その険悪さときたら、僕とマリアさんでさえ怖くて声をかけられない。
「ああ、そうだったな。どうもくせになっていたようだ」しかし彼は気にすることもなく、フードをおろした。
端正な顔立ちながら、たるみのない、太く引き締まった首にがっしりとした顎。太い眉に大きな目は薄く青みがかっていながら、眼光鋭く、強い意志を宿して燃えている。艶のある金髪は、長旅のためか、それとも本来そうなのか若干癖がついている。
「まさかあなたとは思いませんでした、ヘイル皇子」
目の前に立つ人物、この国の第二皇子にして、戦場では先陣を切って戦い、誰よりも多く武功を勝ち取る勇猛な姿から「戦神」の異名を持つヘイル皇子を見つめる。
お久しぶりです。新年最初の更新があのようなことになってしまい、申し訳ありませんでした。パソコン、戻ってきました。ですが、結局修理はせず、壊れるまで使うことにしました。さすがに9万はちょっと……ね。
今回、パソコンがなかったため、アナログで書きました。実は、アナログで小説を書くのはほとんどないのです。パソコンより書きやすいですが、やはり時間がかかってしまう。打ち込む必要もありますから、2度手間になってしまうので、やはりパソコンが楽ですね。
とにかく、パソコンが壊れない限り、今までのペースでやっていきたいと思いますので、今年もよろしくお願いします。